(試 案)
昭和二十二年度
文 部 省
目 次
はじめのことば
学 習 指 導 要 領 理 科 編
(試 案)
はじめのことば
この本はもちろん教師の読む本ではあるがしかし従来の教師用書とは根本的に違ったものである。このことをまず述べよう。今までの教師用書は児童用教科書を解説することを主眼としたものであった。この解説が,ことの性質上,学習を指導する分野にまで食いこんでいたことは当然である。ある意味で行き届いた解説をしようと努めれば努める程,指導の分野に食いこまざるを得なかったのである。しかも児童用書の解説という主眼点を離れる訳には行かない運命を担っていた。この運命が従来の教師用書を中途半ぱな指導解説書のごときものにしてしまったと見ることができる。またこれまでは往々にして教師用書に書いてあることが,一例であると断ってあるにもかかわらず,そのままに実施してみなければ気持が悪いというふうに受け取られていたのであって,そのような時代に,もし思う存分に指導方法でも書かれていたものなら,全国一律にそれが強行されるという危険があったかも知れない。学習の目標がはっきりと定っている場合,その目標まで行く道はいくつも考えられる。どの道を選んだら最もよいかは,学ぶ者,導く者の好み・性格・環境などによって左右されることである。教師の立場から見れば,どの道が楽か,どの道がおもしろそうか,どの道が一番深く理解できそうかなどいろいろ考えて指導の方法を研究考案すべきものである。このような学習指導の研究が,学習を直接に指導する教師の最大の仕事であることはいうまでもない。そして,これを強調し,盛んにこの研究をする気運を作るために,研究の手引をこゝに編むことになったのである。すなわち,これは今までの教師用書の達することのできなかった指導の分野を十分に駈け回る使命を担っているのである。この様に考えれば,今度の教師用書が今までの教師用書と異る所は明らかであろう。この本は児童用書にあい対した教師用書ではない。児童用書ができあがった後に,この本が生まれるのではない。いかに指導するかをまず工夫するのである。そしてこの指導の方法の一手段として,教科書をいかに生かして行こうかということを考えるのが新しい順序である。
指導に当って,教科書に引きずられてはならないと同様に,この本に書いてある通りの方法を行ったらそれでよいというのではない。こんな方法も考えられるという例を示したに過ぎないのであって,この本はどこまでも,教師自身でやる研究の手引きに過ぎないのである。
科学とは何か この本では,科学教育についていろいろな意見を述べていくのであるから,科学(自然科学)というものを,どんなふうに考えているのかを,まず記しておくことは必要であろうと思う。
私たちは,自然の環境に起ったいろいろな現象について「なぜだろう」と思うことがよくある。これはこの現象を,自分の経験知識ではっきりと説明することができないからである。このような現象を研究して,これまで自分の持っていた経験知識とうまく調和がとれるように説明がつくと,その時にできた調和のとれている知識の体系が科学である。
科学教育の材料の分野 この本は,国民一般の科学教育の材料を生活の環境から選び,それを次の五つの分野に分けている。
(2) 植物に関すること。
(3) 無生物環境に関すること。
(4) 機械道具に関すること。
(5) 保健に関すること。
理科の活動と他教科の活動 低学年の生徒の活動の中心となっているいろいろな遊びの中には,大人の生活をまねた何々ごっこというものがたくさんにある。これが成長するにしたがって,大人の生活そのものを行うことに興味を感じるようになる。例えば「ままごと遊び」はほんとうの「煮たき」へ,「賣りやさんごっこ」は実際の賣買とか,生産へ発展する。このような興味の変わり方に応じて,科学教育の指導方法に,生産とか,土木工事とか,炊事とか,消費組合活動とかの実際社会で行うような実生活を取りこむことは,効果のあることである。こういうふうに経営していくと,家庭科・社会科・職業科などとの活動の分野が区別できないことになる。また,教科書の面でも他の教科と重複している部分があるかも知れない。しかし,今学習していることが,何科に属する問題であるかは,生徒にとって意味のあることではない。重要なのは,その問題を,どこかでいつかは必ず学習するということである。理科の学習としてやっているのか,社会科の学習としてやっているのか,または両方を兼ねて,学習の体系を考案しているのかは,教師だけに必要なことであって生徒は知る必要のないことである。実際生活をするための教育であって,実際生活はもともと何科の生活と分かれているものではなく,学習の秩序を立てて教育する便宜上から教科を分けているに過ぎないということを忘れてはならないと思う。ことに社会科の活動には,従来理科教育と考えていたものが相当に織りこまれている。科学教育は理科だけでやるものではなく,いろいろな教科のほか,自治活動など生徒のあらゆる活動に浸透して行われなくてはならない。逆にいえば,生徒のいかなる活動にも,そればかりでなく,教師の行動にも,学校の経営にさえも,非科学的なものがあっては科学教育は壊れてしまうであろう。これまで科学教育がほんとうに生きて来なかった大きな原因は,このような配慮が欠けていたというよりも,むしろ,他の部分において,例へば,歴史・地理等の教育において科学的な考え方に逆行する教育が行われていたがためである。理科の科学教育を生命あるものとするためには,このような科学的な背景を整えることが重要なことである。この本で述べるところは,この背景は整えられたものとして,直接理科の指導に関係のある狭い範囲に限ってあるから,そのつもりで読まれたい。なお,この本は大急ぎで書き下されたもので,極めて不完全なものであることを編集委員会自身が認めている。けれどもこの本が科学教育に何程かの貢献を果たし得るという自信をもって,参考になさることをおすすめする。この本の欠点その他読者の御意見はこの委員会宛に送られて,この本を健全に成長させるようにお力ぞえを願いたい。