Ⅴ 評   価

 1.評価とはどんなことであり,どんなれらいをもっているのか

 今まで述べてきたことがらは,児童の進歩発達を体育の立場からどんな力向に,どのようにして導くか,という問題であった。評価はその過程やその結果を確かめ,それらのようすを解釈し,もっとその成果を高めるにはどの点を修正し改善しなければならないかをできるだけ具体的に明らかにしようとするところの,やはり今までの問題と一連の教育的手続である。

(1) 児童の学習成果は確められなければならない

 われわれは体育科の目標や学習内容を考えて,児童が具体的にどのようなことがらについて学習を進め,それによってどのような方向に進歩発達するかの見通しをつけたのであるが,その見通しは現実にいかされなければならないしはたしてそれがどうであったかをみるには先ず児童の学習結果を確かめてみなければならない。それは具体的には五つ(高学年では六つ)の角度からとりあげられている学習内容についての評価である。

(2) 児童学習の成果に影響する諸条件について,それを修正したり改善したりする必要を具体的に明らかにする努力が重要である

 児童の学習成果には,児童のもっている活動欲求・進歩の可能性と児童をとりまいている環境とが相互に働き合って重要な影響を与えている。児童の進歩発達をいっそう促進しようと考えるならば,その条件となっているこれらの問題も明らかにされることが必要となる。

 児童の学習をめぐる環境では,教師の存在が最も重要な意義をもっていよう。児童の学習を最も計画的に最も教育的に援助しようとするのは教師であるからである。ひとりひとりの教師については,特に,指導計画・指導法が問題となろうし,それらは指導経験によっても影響をうけよう。施設用具・経費・組織などは特に学校全体の問題として児童の学習成果を左右する要因として働くであろう。さらには,両親・PTA・社会・教育委員会なども見のがすことのできない環境条件となっていよう。

 児童の学習成果を確かめるだけでなく,それに影響をもっている児童自身の条件やいろいろの環境条件が評価の対象とされ,それらにどのように応じ,どの点を修正し改善したらよいかの適切な解釈がなされて,はじめて学習やその指導の成果を合理的に向上させることのできる対策が期待されよう。

(3) 評価はだれが行うのか

 評価の問題は,児童の学習やその成果をより好ましい方向へ促進するためのものであり,それに影響をもっているのは,さきにも触れたように,児童自身とかれらの活動欲求をよく満たしながら,体育の目標へ助け導く教師とを中心として,それらをとりまく両親やPTA・社会・教育委員会など多様であるから,教師の行う評価がきわめて重要であることは論をまたないが,児童自身の評価活動はそれに劣らず重要な意味をもつことになり,その他の第三者にも評価を期待するのはたいせつなことであろう。

 このようにして,どのようなことについては,だれが評価する必要があるかそれをだれが評価するのが最も効果的であるのかという角度から評価の問題をながめてみることがたいせつであるが,ここでは,児童および教師を中心にとりあげることにした。

(4) だれが評価するか,どんなことを評価するか,ということに応じて,その時最もつごうのよい効果的な評価の方法が考えられなければならない

 方法上の問題としては,具体的にどんな資料をどのようにして収集し,それらをどのようにして整理解釈してゆくかがある。児童は学習の内容について話合いや測定などによってその成果を確かめ,自分たちがどこまで進歩したか,どの点をもっと改善し努力しなければならないかをみずから知り,教師はその指導をしながらその成果を確かめ,自己の指導計画や指導法などを必要な観点から反省するとともに,児童のもっている可能性や活動欲求をはあくして,それにどう応じたらよいかを検討する必要がある。

 これらの資料収集にあたっては,測定・観察・面接などいろいろの方法が講じられなければならないだろうし,いろいろの問題について,たとえばそれらの平均傾向や個人差のようすなどを図表化したりして,学習成果やそれに影響している要因のようすを分析判断しなければならないだろう。

 また,これらの手続きは,それを具体的にどのように活用するかという後の問題を考慮してなされる必要がある。指導要録をどうするかへの関連はこの場合ほとんど大部分の教師にとって共通の具体的問題となろう。

(5) 評価の結果は具体的に活用されなければならない

 評価も,つまるところ児童たちの進歩発達をねらっているわけであり,これまでの問題は評価の立場からそれをどのようにして考えるかであったわけであるから,その結果は,評価のねらいを果すように具体的に活用されなければ意味がない。児童は,そして教師自身はどうしたらよいか,学校全体の問題としてはどうするか,両親や社会,教育委員会にどんなにして協力を求めるか,などそれぞれ効果的な活用が図られることによって評価の教育的意義が全うされることとなろう。

 以下これらの諸問題をいっそう具体的に述べてみることにする。

 2.何をどのように評価したらよいか

 評価のねらいを果すためには,評価のねらいをよく理解するとともに,そのねらいを果すためには必要な手順や技術などに通じていなければならない。このような手順や技術などには,必ずしも一定のものが具体的にはっきりされているとは言えないし,また固定されるべきものでもないが,ここでは,児童および教師がそれぞれどんなことを,どんな方法で評価し整理し解釈して,どのようにその結果を活用したらよいか,という角度から主要な問題をとりあげてみることにしよう。

 体育科の学習内容や指導法の問題として,すでに,児童の自己評価・相互評価がとりあげられているので,児童が評価をどのようにしたらよいかということはおおよそ理解されていると思われるが,なおここで評価の立場から要点だけを指摘しておくことにする。

(1) どんなことを

 学習内容は,児童がどんなことを学習し,どんな目標をもって活動するかの内容を示したものであるから,これらがそのまま評価の内容(対象)とされるべきことは言うまでもない。学習にはいるときには,どんな身体活動(運動)を学習し,それと関連して人間関係(協力)や施設用具の活用,健康習慣や安全についてはどんな内容のことを学習するかが具体的にはっきりなされているわけであるが,どれだけ学習することができたか,どれほど学習の目標を達成することができたかの評価も当然,一般的には,それら四つの角度から行われることになる。

(2) どのようにして

A.評価(資料の蒐集)の方法

 児童の行う評価の方法は,具体的には,互に批判し合ったり,話合ったりして互に反省するという形のものと,実際にテストをしたり測定したり行動の特徴を記録したりして客観的資料を調べるという形のものとに大別できよう。

 前者はすべての評価内容について適用できるし,また行いやすいものであるが,ともすると,そのときのふんい気や児童の片寄った考えなどによって真実から離れやすい場合もあり得るから,教師は,すべての児童が正しく意見や報告を発表し合うように,運動技能に劣っている者や気の弱いこどもなどがい縮したり,元気な子どもやすぐれている児童がその場を支配したりしないようになどの諸点についてじゅうぶん注意しなければならないであろう。後者の方法は,前者のような欠点は少ないが,かなり時間や手間がかかり,また適用できる範囲も狭いうらみがある。しかし前者を補ったり,後の活用にも便利であるだけでなく,児童がみずからの問題をみずから反省し,進歩を考えるように導くのにはきわめてたいせつな手続である。運動技能については言うまでもなく,健康習慣やその他の問題についてもできるだけこの方法を合わせて採るよう指導すべきであろう。

 なお作文や日記などを書いてみるのもよい反省の方法であって,上述のものと併用される場合はいっそう効果があろう。

B.整理や解釈の方法

 集められた評価資料を児童はどのように整理し,解釈を進めたらよいだろうか。指導にあたって教師は次のことに留意しておくことが必要であろう。

(A)指導法の「学習内容と指導」のところで述べたように,児童が自分の現状を,自分の過去や仲間(特に学級)に比較してみたり,あるいは地域的・全国的基準や尺度に照してみることによって自分の進歩や欠陥を知る。

 個人的な問題と関連して同じような角度から学級全体としてはどうであるかをも考えさせるようにすることがたいせつであろう。

(B)簡単な記録カードを一つのまとまった学習ごとに整理することと,できれば学年を通じて使える体育簿(まとまった学習ノート)の利用を考えるがよい。

 この記録カードやノートの様式は,したがってまた,上述の解釈上につごうのよいように考えられる必要があるが,特に図表化することは効果がある。
 
 

(1) どんなことを評価すべきか A.児童の進歩発達のようす(学習とその指導の成果)

 児童が学習によってどれだけの成果を獲得することができたか,すなわち学習内容についての評価は,児童の学習成果を確めるということと同時に,とりもなおさず教師の立場からは指導の成果がどうであったかを確かめるために重要な資料となる。児童がみずから進歩の喜びを知り進んで学習を考えることができるように,児童がこの学習内容について自己評価を行うことは重要なものであったが,同時に,教師が自分の指導成果を確かめ,それによって今後いっそうの成果を図ろうとするためにも,この学習内容についての児童の進歩発達のようすは教師にとって重要な評価対象とされなければならない。

 具体的には,一般に,次のような五つあるいは六つの角度から評価の内容が考えられ,いっそう具体的には,学年段階ごとに示されている学習内容を参考として,どんなことを学習させようとするかの指導案の計画において決められなければならない。

(A)学習した身体活動によく興味をもつことができ,かつ,その技能がじゅうぶん上達しそれに習熟できたかどうか。

(B)それらの活動において,他の個人あるいはグループとの相互関係における行動のしかたはどうであったか。

(C)施設や用具の活用のしかたはどうであったか。

(D)それらの活動と関連ある健康習慣や安全についてはどうであったか。

(E)体育や運動についての理解はどうであったか(特に上級学年において)

(F)反省や評価のしかたはどうであったか。

B.児童のもっている進歩発達の可能性

 学習するのは児童であるがら,児童の学ぼうとする欲求がどれだけ満たされ児童がもって生れたあるいはそれまでに獲得したからだ・能力や経験がどんなものであるかということが学習の成果に多かれ少なかれ影響する。

 したがって学習やその指導においてはそれらの必要や発達がよく考えられねばならないが,はたしてそれがどうであり,またどうであったかを知ることができれば,一面指導の計画や実際の効果を知る上にも,そして,児童の学習意欲を満たしいっそうの指導成果を企図する上にも重要な資料となろう。

 たとえば,からだや一般的基礎的運動能力や基本的体力の発達過程はどうであるか,というような問題は運動技能の進歩の可能性を見通す上に重要な評価資料となろう。

C.指導計画や指導法,施設用具など

 われわれがさきに指導計画を考え,指導法をくふうし,施設用具などを吟味してきたのは,児童の学習を,そしてそれによって児童の進歩発達を体育の立場からいかに効果的に促進しようかという企図からであった。これらの手続や準備を適切にすることによって,教師は児度の学習効果を期待するわけであるが,その期待がどれほど満たされたかを児童について調べるだけではなく,教師自身のそのような手続や準備についてもじゅうぶん反省してみることが必要である。今後の指導をもっと確かなものにし,その効果をいっそうあげるためにはこの評価結果はきわめて重要な資料となろう。

(2) どのようにして評価のための資料をうるか A.児童の進歩発達のようす(学習とその指導の成果)を評価する場合

 この,評価は,学習を進めながら,特にその終りに,言いかえれば,また特に児童の行う自己評価,相互評価の指導を通して行われる。そして前述した五つまたは六つの角度から評価され,究極においては指導要録の学習成績の記録に連なる整理のしかたをも考える必要がある。

 次に述べる方法は,この評価の場合に適用される代表的なものであるが,これらの利用について児童の評価活動をも指導し,適当なものであれば,できるだけその結果を教師の行う評価のための資料に効果的に活用するがよい。

(A)一定の運動検査を作って,あるいは標準化された運動能力テストを用いて運動の能力や熱練度を測定する

 力試しの運動のように,比較的単純な形式のものにおいては,そのままの運動形式で「できたか,できなかったか」の単純な尺度で測定するものや,「時間」や「距離」などの尺度で直接測定できるものが多いが,一方ボール運動のようにそのままの形式では測定し難いために,その運動を主要な要素的単純形式の運動に分析する必要のあるものもある。

(B)紙を用いて問題を出し,それに筆答させる

 この方法は,低学年の場合にはかなりの困難があるが,児童がどれだけ必要な知識を獲得し,理解できたかを調べるのに必要なものである。問題提出の形式や要領にはいろいろあって,たとえば完成法・再生法・組合せ法・真偽法・選択法などは解答を客観的に解釈整理のくふうをするのに便があるが,それだけに機械的にたって総合的な理解力をみるのには不便が多いし,文章体テストや作文・日記などによる場合は,それと反対に,評価の客観性や信頼性を維持るのに困難がある,というように,どれも一長一短があるので,それらをよくいかすよう努力すべきであろう。

 また,知識や理解を検査するためだけでなく,いろいろ他の問題で調べるために質問紙を作ってそれに答えさせる方法もあり,人間関係を調べるためにゲスフーテストも考えられてよいだろう。

(C)評定尺度やチェックリストを用いて観察する

 この方法は,すべての評価内容について適用されるが,その結果を有益なものにするためには,,いろいろ多くの具体的な観点から行動や活動の客観的な特徴をとらえなければならないし,しかも多くの児童を対象にしている場合には前述の(A)(B)よりいっそう手間が多くなろう。しかし,この方法は,教師が指導しながら行う教育評価の場合,特に人間関係・施設用具の活用・健康習慣や安全についての評価では必要な方法である。

(D)面接や話合いによって調べる

 ひとりひとりの児童について個別的に行う場合,小数のグループあるいは,学級全体の児童について集団的に行う場合,あるいは,あらかじめ計画を立てて行う場合,そうでなくて非公式に随時随所で行う場合,児童が中心になって話合いを進める場合,さらにはこれらが併用される場合など,この方法の形式や要領にもいろいろあるが,一定の形式や要領もっての観察やテストでは得がたい資料をうるのに役だつことが多い。なお,そのときあるいはその後で記録を整理しておくようにする必要がある。

(E)児童の自己評価,相互評価の指導を通して,あるいはそれらの結果を用いて調べる

 この方法は,今までのものとまったく独立しているものではなく,むしろそれらに対する共通的な補足であって,学習成果に関する教師の評価において全般的に考えられてよいことである。児童の行った評価の結果には,いうまでもなく教師の指導によって修正や補足を要する点も少なくないであろうから,教師はその必要を発見することにじゅうぶん留意しなければならない。

B.児童のもっている進歩発達の可能性と調べる場合

 これは,学習成果を評価解釈する上に,またその成果をいっそう向上させようとして指導計画や指導案を作る上に,児童の側がら有効な資料を集めようとするものであるから,必ずしも学習と密接に関連して評価されるものと限ることはできない。また,可能性を客観的にとり出して測定すること自体にも無理が多いので,学習成果の場合に比べればなおさら一定の形式や要領を求め難いうらみがある。さきにこの問題であげた内容例について,方法の一つを示してみよう。

 ○ 身体検査や身体測定,たとえば走・跳・投・懸垂・バービーテスト・サージェントジャンプのような基礎的運動能力や運動素質検査を年に1回(或いは2回)計画的に実施し,それらに関する今までの変化や発述のようすを調べる。なおこの計画はできるだけ学習内容やその活動との関連を密接に考慮して行いやすい場合の例とすることができよう。したがって,このような場合は学習成果の評価と同時に考えられ,児童の行う評価としてくふうされることが望ましい。

C.指導計画,指導法,施設用具など

(A)児童の学習やその成果の分祈を通して自己反省する

児童の学習が円滑にゆかなかったり,学習の成果が思うようにあがらなかったりした場合に,前述の児童のもっている進歩の可能性や,経験的背景あるいは活動のようすに疑問がなければ,それは教師の計画や指導,施設や用具などに改善や修正の必要がひそんでいないかどうか反省してみる。

(B)学習指導要領や評価基準に関する参考文献をもとにして,教師自身の指導計画や指導法あるいは施設用具などが望ましい必要条件を満たしているかどうかを反省してみる

たとえば次のような観点から反省してみるのも有益であろう。

a 年間計画について

(a)計画は適当な人々による組織や協力によって作られたか。

(b)目標の設定は,児童の身体的発達,遊びや運動の発達,人間関係の問題,健康習慣や施設の状況,児童の身体活動に関連した社会の問題などの角度からみて適当であったか。

(c)活動の選定と配列は適切であったか

b.指導案について (a)学習の目標・必要な学習内容がはっきり具体的になり,学習活動も適切に考えられ,指導の三類型に応じ,後の評価も行われやすいようになっていたか。

(b)時間の配当は活動によく応じていたか。場の設定は活動によく応じていたか。

(c)評価の機会は児童,教師についてともに適切に考えられていたか。

c.指導方法について (a)計画をよく生かして指導できたか,計画どおりゆかなかった時の処置は適切であったか。

 なお具体的に,

(b)学習内容(5〜6項目に応じて)を適切に指導できたか。

(c)児童は,活動の目標をよく理解し,活動欲求はよく満たされ,よく活動したか。

(d)学習内容に応ずる場の設定(用具施設・活動集団の編成など)は,じゅうぶんなものであったか。

(e)児童の発達や健康の個人差によく応ずることができたか。

児童の活動は,指導目標(単元と教材,あるいは活動の三類型)に応じてよく展開されたか(導入や評価反省の活動も)

(f)教師自身は児童のよい仲間となり,しかも児童の活動を客観的立場からよく観察するということに成功できたか。

d.施設用具

 さきに施設用具を扱ったところに示されている望ましい条件にどれだけかなっているか。

(3) 整理や解釈にあたってはどんなことに注意すべきか

 児童の進歩のようすは必要な角度からみてどうであるか,改善や努力の必要はどこにあるか,個人個人についてあるいは学級集団としてどうか,という体育成果の確認,およびなぜそのような傾向や結果が生じたか,児童だけでなく教師や学校はどの点を改善しなければならないか,両親や教育委員会,社会にはどの点でいっそうの協力をうけるべきであるかなど体育成果をいっそう向上させるために修正改善を必要とする条件の分析や解釈こそが評価の生命であり,さきに述べてきた「どんなことを」「どのようにして評価のための資料を得るか」の問題は実はこの解釈を有効ならしめるためのものであった。それらとあわせて,ここでなお次のような問題をとりあげておくことは重要であろう。

A 指導要録に関連して

 指導要録の中でも「学習の記録」欄はいちばん関心をもたれるものの一つであるが,学習成果の評価は一つにはこの記録へ連なるように整理される必要がある。

 現行の様式では,理解・態度・技能・習慣の四項目に分けて,それぞれ5点法(5段階法)で学習成績のようすを記入することになっている。この指導要領は,その分類によっていないので,下表のような関係において,たとえば理解は(A)から(F)の全部について,態度は(B)(C)(F)について調べまとめるようにするとよいであろう。

(A)活動(運動)…………技能,理解

(B)協力(人間関係)……態度,理解

(C)施設,用具……………態度,理解

(D)健康安全………………習慣,理解

(E)理解(上学年のみ)…理解

(F)進歩の評価……………態度,理解

 成績のようすを表わすための記号は5点法(5段階法)によるわけであるから,それには,一つ一つの評価の結果をできるだけ初めから5点法(5段階法)を用いるかそれに換算しておくようにくふうするのがよいが,それが困難な場合は決して少なくないので,たとえば3点法で記録しておいて最後にそれらを総合して5点法に換算するくふうも一つの実際的な方法となろう。

 5点法は,普通の成績のものが最も多数を占め,極端になるほど少数になるという正規分布曲線の性質を利用し,そのグループにおける各個人の相対的位置を示すものとして用いられている。グループの性質や量によって差が生じたり,個人の絶対的進歩をみるのに困難があったりなどの不便があるが,いろいろの問題に共通に適用しやすい尺度としての客観性からみれば,各個人の長所欠点に関する診断的解釈など評価のねらいを果す上に利便がある。しかし,評価のねらいのすべてを5点法で果すことには無理があり,むしろ他の尺度や記号,文字などに依存した方がよい面もあるから,互い長所を生かし欠点を補うようにくふうして評価を進めることが肝要である。

 「児童の進歩発達の可能性」の問題で,たとえば,からだの発達や健康のようす,一般的な基礎的運動能力などについては,個人別に学習成果と合わせて記録するようにくふうし,指導要録へ記入した方がよいと思われるもの(標準テストや身体の記録などはその例)は,その便を考えて整理するのがよいであろう。

 なお,児童に間する教師の評価は,その方法や手順においてもそうであったように,整理や解釈の場合でも教師が指導しながらできるだけ児童自身にまとめさせるようにし,教師はその不足を補いながら学級全体の問題およびそれを通しての教師自身の反省にじゅうぶん力を注ぐべきであろう。

B 整理解釈上の主なる留意点

 指導要録だけが整理のただ一つの方法ではなく,今まで触れてきたすべての諸問題が明らかにされなければならないのは当然である。すなわち学習指導の成果はどうであるか,それに影響をもっている条件としての児童および教師や学校の問題はどうであるか,それらのようすが分りやすいように,できれば図表などによって整理される必要がある。指導要録はむしろそれらの一部の要約にほかならない。次に述べることがらは,必ずしもお互が別々のものではないが,そのような整理や解釈にあたって避け難い一般的な諸問題である。

(A)中心的(平均的)傾向と個人差

 学級全体の傾向はどうなっているか,ということと,それに比べてひとりひとりの児童はどうかということが,たとえば分布図を作ったり,中心的傾向と個人差の広がりを明らかにしたりなどして見られる必要がある。なお特に中心的傾向の解釈では教師や学校の指導計画・指導法・施設用具などの反省が伴わねばならないであろう。

(B)多角的見方と累積的(継続的)見方

 児童の進歩や欠陥のようすを学習内容のいろいろの角度からみたり,からだや一般的基礎的運動能力と具体的な個々の運動技能とを対比して調べたりなどプロフィールやチェックリストなどを用いてまた相対的な尺度点などを用いて多角的な見方をするとともに,それらを過去から現在にわたって継続的累積的に曲線や折線あるいは標準尺度や測定値,素点などを用いてみることがたいせつである。

(C)相対的見方と絶対的見方

 他の児童あるいは地域的全国的傾向とくらべて,その児童の進歩や欠陥がどうであるかという見方も役にたつことが多いが,それと合わせて,その児童の今までの(生得的後天的)傾向から現状を解釈するとか,指導目標に照して価値判断するとかなどの絶対的見方は重視されねばならない。特に指導上の立場に立てば,児童が他人と比べてどうであるかよりも,望ましい方向へどのように変化し発達しつつあるかに重要な意味があるから後者の見方はそれだけ重点をおかれろ必要があろう。虚弱児童などの場合では特にそうである。

 教師作成の尺度も標準尺度も上述のいろいろな場合に大きな役割をもつことになるが,それらの不用意な混用はじゅうぶん注意される必要があろう。

(4) 活用のしかた

 評価の結果をどのように活用したらよいだろうか。主要なことがらを具体的にあげてみるとおおよそ次のようになろう。

A 児童に知らせて学習の意欲をいつそう喚起する。

 学期末に「成績通知」を行うだけでなく,一つの学習がすんだ後とか,その他の適当な機会に,教師の行った評価の結果を正しく児童に知らせる。児童自身の行う評価を学習内容に考えたのは,たびたび触れたようにそれによって児童が自分自身を見きわめることができるようにするためであったが,このことは児童がその教師の評価を正当に聞き入れ,今後いっそう努力しようと気持を起すのにたいせつなものとなる。したがって教師が,評価の結果を児童に知らせる場合には,そのねらいが果されるように注意しなければならない。たとえば,他の児童と比べてその児童を批評するよりも,その児童の今までの成績や全般的観点からのある部分を注意してやるほうがより効果的であろうし,特にこどもの場合は,ただ弱点だけをつくよりは,長所を賞賛しながら欠点を反省させるようにしたほうが「もっとがんばろう」という気持を起させるにちがいない。

 また,教師が評価の結果をまとめて,たとえば運動能力ついて90頁のように適当な機会に児童に示すことは次の活動あるいは次年度の活動に際して児童への具体的な活動目標として役だち,実績にあって適当なものであれば,そのままそのときの評価基準ともなるであろう。

B 教師自身が,その結果に基いて,長所はさらに伸ばすとともに指導計画・指導案指導法その他について欠点や障害を除去し,修正や改善を図る。

C 両親に知らせて,いっそうの協力をうる。

 両親たちは,自分の子どもはどんな点がすぐれ,どんな点が未熟であるか,今後どのように協力しなければならないかについてよく知っておかねばならないが,学校における自分のこどもの学習状況を,それについて最も詳しい教師から,じゅうぶん知らされる必要がある。学習に関する児童や教師の評価結果はこのために重要な資料とされる。学期末や学年末の「成績通知」の要領は,このようなねらいをよく果すものでなければならないから,その内容や表現も両親によく理解されるように注意し,ときには直接両親と面接できる機会をつくり両親からも意見をよくきいて,ふじゅうぶんな点を補うように努力しなければならない。

D 学校や校長あるいは教育委員会や指導主事に知らせて,教師自身への協力や援助を受けたり,今後の学校体育全般の問題を検討したりするのに役だたせる。

 学習の評価や教師の反省資料は学校や校長にもよく連絡し,今後教師自身がどのように努力してゆくべきかについて協力や援助をうけるようにするとともに,その学校の体育全般について今後どのように改善してゆくべきかを検討するためにも重要な資料とされるべきである。また教育委員会や指導主事との連絡機会も作って,それらの結果を知らせ,他の学校との比較などをとおしていっそう客観的な批判や援助をうけるようにする。特にその学校だけで解決できない(たとえば施設などの)問題はこのような機会にその必要を明らかにすべきである。そのほか,他の学校の教師や体育に関する専門家あるいは体育に関心をもつ人々にもこれらの成果が知らされ,協力をうけるのに利用されるのは有効なことである。