第Ⅱ章 高等学校芸能科工作

1.建  築

登呂(とろ)推定復原家屋

楕(だ)円形様平面

竪(たて)穴の大さ長

軸21尺ぐらい,短軸

18尺ぐらい

静 岡 県

登呂は弥生式(やよいしき)時代に属する遺跡であって,竪穴住居および高床式建物の柱穴ならびにそれらを構成していた材料がいくらか発見された。最近これらをもととして竪穴は住居に,高床は倉にそれぞれ推定復原された。竪穴住居は周囲に盛土をし,中央に4本の柱を建て桁(けた)をかけ,垂木(たるき)を並べかけて楕円形とする。ただし,桁上の部分はまったく推定であって説が一致しない。

出雲大社本殿

大 社 造

現在の建物は江戸時代

島 根 県

大社造は出雲地方に見られ,神明造(伊勢神官の形式)とともに最も古い神社形式である。桁行2間,梁(はり)間2間,切妻造,妻入という特徴ある形をなし,現在の本殿は延享元年(1744)の造営になり,細部には後世の手法もあるが,ほぼ昔の姿を伝えている。現在でも高さ8丈あり神杜建築としては類のない大さであるが,古くは非常に大きかったという。

法隆寺全景

飛鳥時代

奈 良 県

わが国に仏教が伝わるとともに大陸から伝えられた建築技術によって大寺院が続々と建てられた。この伽藍(がらん)配置には四天王寺を始めとするまったく左右対照の形式(奈良時代になると塔が二基となり位置も変る)と法隆寺にみられる金堂と塔を左右に並べた形式がある。法隆寺式はわが国の創案のようであり,変化に富んだ巧みな配置である。金堂・塔・中門・回廊が飛鳥時代の建築である。

○法隆寺金堂(こんどう)

正面5間,側面4間,2重,初重,もこし付,入母屋造,本瓦ぶき

(だだし5間(けん)とは柱間(ま)が五つあることを表わす)

飛鳥時代

奈 良 県

金堂は五重塔や中門より少し古く意匠もすぐれている。堂々とした安定感のある建物で,細部には柱の胴張り,雲形斗■(ときょう),高欄(こうらん)の卍(まんじ)くずしの組子(くみこ),同腰組の人字形の束(つか)など飛鳥時代の特色をよく示している。飛鳥時代の建築様式は中国から伝えられたものであるが,同時代の玉虫厨子(ずし)の金具模様などには,さらに遠くインドからギリシアにつながる関係がうかがわれる。

○薬師寺東塔

三重塔裟,各重,もこし付,本瓦(かわら)ぶき

奈良時代

奈 良 県

この塔ができたのは天平2年(730)であるが,もと天武天皇時代に始められ,持統・文武両天皇の時代を経て完成した寺であって,都が奈良に移るとき移転したゆいしょがあるため,建築は古い様式を伝えている。組物が奈良時代盛期のように整備していないのはそのためであろう。各重にもこしがあるため六重に見える奇抜な意匠の名建築である。なお相輪(そうりん)の水煙(すいえん)には美しい透し彫がある。

○法隆寺夢殿

八角円堂,本瓦ぶき

奈良時代

奈 良 県

法隆寺東院は聖徳太子の宮殿斑鳩宮(いかるがのみや)のあったところに天平年間建立した伽藍である。夢殿はその最も主要な堂で,鎌倉時代に組物や屋根などに改造があったが,平面や柱の高さは変化がなく,昔の姿をしのぶことができる。八角円堂のうちで最も形のととのったものであり,夢殿という美しい名とともに有名な建築である。

○唐招提寺金堂

正面7間,側面4間,寄棟造,本瓦ぶき

奈良時代

奈 良 県

この寺は中国の僧鑑真(かんじん)が始めたところで,金堂は奈良時代後期の建立になる。木割太く堂々とした建築で,ことに正面を吹放ちとしているのでその列柱の美しさはすばらしく,日本建築のうちでも最も量感に富むものである。組物は完全に発達した三手先(みてさき)でこの形式は長く日本建築の基本となった。ただしこの堂は正面のとびら・窓・屋根の傾斜などが変っており,ことに屋根は昔はずっとゆるやかであった。

○正 倉 院(しょうそういん)

南北2倉は校倉(あぜくら)造,中倉は板倉

奈良時代

奈 良 県

奈良時代の寺院では宝物などを収めた倉が一廊をなして作られていた。これを正倉院と呼んだが,今の正倉院は東大寺のそれである。南北両倉は断面三角形の木材を組合せた校倉造で,これに一つの屋根をかけ,中央を板倉とした形をしている。床はきわめて高い。数多くの宝物を収めているので有名である。

春日(かすが)神社・賀茂御祖(みおや)神社(春日造と流造)

ともに神社本殿の形式

平安時代

春日神社

 (奈良県)

賀茂御祖神社

 (京都市)

今日の神社はこの二つの形式が多い。春日造は奈良時代未期,流造は平安時代初期から形式として定まったと考えられている。春日造は初妻造,妻入の身舎に向拝(こうはい)をつけた形式で,奈良の春日神社が典型的であり,流造は切妻平入の身舎に向拝をつけ,前までふきおろした形をなし,京都の賀茂御祖神社は代表的である。

室生(むろお)寺五重塔

五重塔,ひわだぶき

奈良時代

奈 良 県

高さ16メートルという小さな塔であり,各重がやや高いきらいはあるが,ゆるやかなひわだぶきの屋根はきわめて軽妙な感じをもっている。また相輪は普通のものと違った珍らしい形をしている。室生寺は奈良時代末期からすでに存在し,この塔も奈良時代の特色をます点が少なくないので,おそらく創立当時の遺構であろう。

醍醐寺五重塔

五重塔,本瓦ぶき

平安時代

京 都 市

天暦6年(952)に完成した五重塔で,数少い平安時代中期の遺構の一として貴重なものである。堂々とした風格をそなえ,まだ奈良時代の様式を多分に残している。これが次の藤原時代になると優美なものになることは以下の例に見られるとおりである。

○平等院鳳凰(ほうおう)堂

中堂,両翼および尾廊からなる。

すべて本瓦ぶき,中堂は正面3間,側面2間,一重もこし付,入母屋造

平安時代

京 都 府

藤原氏たちは浄土教を信仰し,阿弥陀堂を建て今の世に極楽を作り出そうとした。平等院は藤原頼通の別荘であり,鳳凰堂はその阿弥陀堂であった。天喜元年(1053)に完成したもので,絵画・彫刻・工芸などあらゆる美術の粋を尽して建てられ,その形は鳳鳳堂という美しい名にふさわしく,平安時代からすでに名建築としてもてはやされた建物である。

寝 殿 造

(現存するものはない)

住宅様式

平安時代

藤原時代貴族の住宅形式を寝殿造(しんでんづくり)という。建物はまったく現存しないが,年中行事絵巻などによってその様はうかがえる。築地(ついぢ)をめぐらした邸内は寝殿を中央にほぼ左右対照に東西の対屋(たいのや),中門廊以下の建物が並び南の庭には池を掘り反橋(そりばし)などをかける。ただし時代がたつと対照でなくなる傾向がある。建物内部はすべて板敷で畳は時に応じ置くだけであり,また固定した間仕切もなく,現在の住宅とは住まい方がよほど異る。

中尊寺金色堂(こんじきどう)

正側面とも3間

宝形(ほうぎょう)造,板ぶき

平安時代

岩 手 県

岩手県平泉は奥州藤原氏の栄華をきわめた所で,数多くの寺院が建てられたが,現在では金色堂と経蔵を残すのみである。金色堂は天治元年(1124)に建てられたもので,小さな堂ではあるが,各部に金箔を押し,螺鈿蒔絵(らでんまきえ)など当時の工芸技術を極度に用いており,地方にありながら平安時代末期を代表するに足る建築である。なお堂内仏壇下に藤原三代の遺骸(がい)を納めているので有名である。

厳 島(いつくしま)神 社

本社,摂社客人(まろうど)神社,廻廊,大鳥居などからなる。

平安時代

広 島 県

厳島神社は平清盛が信仰し,その援助によって今日の規模がほぼ定まった。本社と客人神社はともに本殿,幣殿(へいでん),拝殿,祓殿(はらいでん)が一つになった複雑な形をなし,その後大修理をしてはいるが平安時代末期のままの部分も少なくない。廻廊は室町時代末から桃山時代にかけて,また大鳥居は明治8年(1875)の再建で,これらが海に浮ぶ姿は他に比べるもののない美しさである。

石山寺多宝塔

3間多宝塔,ひわだふき

鎌倉時代

滋 賀 県

多宝塔は円筒形の塔身に方形造の屋根をかけ相輪を上げ,塔身には四角なもこしをつけた形式の塔で,密教とともにはいってきたようである。石山寺多宝塔は建久6年(1195)の建立になり,現存の多宝塔のうちでは最も古く,また最もよい形をしている。細部を見るとまだ平安時代の手法が残っている。

○東大寺南大門

5間3戸二重門

入母屋造,本瓦ぶき,(5間3戸とは正面5間でそのうち3間が出入口であることを示す)

鎌倉時代

奈 良 県

平氏の焼打により焼失した東大寺再建のために新たに中国から天竺様(てんじくよう)という建築様式が輸入された。南大門はこの時の建物で正治元年(1199)上棟になる。天竺様の最大の特徴は挿肘木(さしひじき)を用いることであるが,一般的にこの様式は構造的な美しさをよく表わしており,むしろ豪放な感じさえある。

円覚寺舎利殿

正面3間,側面3間,一重もこし付,入母屋造,かやぶき

鎌倉時代

神奈川県

鎌倉時代には禅宗とともに中国から新しい建築様式が伝わった。これを唐様(からよう)と呼ぶ。唐様は詰組(つめぐみ)といって組物が密に並び,内部は虹梁(こうりょう)と大瓶束(だいへいずか)で組むが,一般に木細くまた木鼻(きばな)など装飾的な彫刻が多くてにぎやかである。円覚寺舎利殿は弘安8年(1285)の建立になり,唐様の最も純粋な形を示すものである。

観心寺金堂

正面7間,側面7間,一重,入母屋造,本瓦ぶき

室町時代

大 阪 府

天竺様と唐様に対し在来の様式を和様(わよう)と呼ぶが,やがてこれらは互に混合し合って新しい様式を作り出した。これを折衷様(せっちゅうよう)と呼んでいる。観心寺金堂は南北朝時代の建立になるもので,その代表作であり,変化に富んだ独自の様式をもっている。

興福寺東金堂

正面7間,側面4間,一重,寄棟造,本瓦ぶき

室町時代

奈 良 県

折衷様のゆき方に対し奈良を中心としては天平時代以来の純粋な和様がなお存続し,さらには復古的な意匠になるものさえ作られた。興福寺東金堂は応永22年(1415)に再建されたもので木割太く堂々とした純和様の建築であり,正面を吹放ちにしたのは明らかに復古的な意図になるものと思われる。

安楽寺八角三重塔

八角三重塔,初重もこし付,こけらぶき

室町時代

長 野 県

日本建築のうちでもこのような八角の塔は珍しく,また塔で細部がすべて唐様であるのも例がない。一見四重に見えるが最下部はもこしであって三重塔に属する。建立年代は室町時代初期である。珍しい形態のために有名であり,またこの時代にも純粋な唐様が引き続き存在したことを示す例でもある。

○鹿苑(ろくおん)寺金閣

三階造,宝形造,ひわだぶき

室町時代

京 都 市

足利義満が応永4年(1397)から15年(1408)まで住んだ北山殿の唯一の遺構である。三階の構閣で住宅風に唐様の影響を取り入れたしゃれた建築であり,庭園とよく合った名建築である。後に義政が建てた銀閣や,桃山時代の飛雲閣などは同じ系統の建築である。昭和25年焼失したのは惜しむべきである。

慈照寺東求(とうぐ)堂

正側面とも長さ22尺8寸,一重入母屋造,ひわだぶき

室町時代

京 都 市

銀閣とともに足利義政が造った別荘である東山殿の遺構で,延徳元年(1489)に上棟した。当時は持仏堂であり,小さな建物ではあるがすっきりとした形をしている。西北隅には四畳半の一室がある。ここは義政の書斎であった所で,書院,とながついており,茶室の古い例として古くから有名なところである。

光浄院客殿

正面桁行7間,側面6間,一重入母屋造,こけらぶき

桃山時代

滋 賀 県

寝殿造はしだいに簡略になり,一方武士の生活に応じて変形し新しい住宅様式を生み出した。これを書院造という。光浄院客殿は慶長6年(1601)の建立であるが,その典型的なもので中門と称する突出部は寝殿造のなごりと考えられるが,内部は畳がしきつめられ,問仕切も多くなり,主室には書院造の基準により上段・床(とこ)・たな・書院・帳台構(ちょうだいがまえ)を設けている。

○姫 路 城

天守(てんしゅ)は大天守と三つの小天守および渡櫓からなっており,他に櫓(やぐら),塀(へい)など多くの建物からなる。

桃山時代

兵 庫 県

姫路城は慶長14年(1609)から工を起した城で,天守閣建築の最盛期のものである上に,城郭全体にわたって昔の形をよく残している。天守は五重の大天守が三つの小天守と渡り櫓をしたがえた複合天守の形式をなし,さらに周囲には多くの建築がめぐっており,全体の構成はきわめて変化に富み,城郭建築でなければみられない建築美を表わしている。

二条城二の丸御殿

遠侍(とおさむらい)・式台(しきだい)・大広間・黒書院・白書院からなる本瓦ぶき

桃山時代

京 都 市

城郭には居館として壮大な書院造が造られた。二条城はその唯一の遺構で,家康が京都に上るときの邸として慶長7年(1602)ごろ造ったものである。多くの建物を雁(がん)行形につらね,内部は書院造の格式にのっとり,壁・襖には美しい障壁画(しょうへきが)を描き,欄間には豊富な彫刻を入れ,長(なげし)押などには飾金具を打つ。これらの豪華な装飾は桃山時代でなければ見られぬところである。

○妙喜庵待庵(たいあん)

二帖角炉(すみろ)茶室

桃山時代

京 都 府

この茶室は有名な利休の好みによって建てられたとほぼ考えられるものである。わずか二畳の小さな茶室であるが,天井・床・窓などの意匠のうまさは他に例がない。茶室は利休により草庵風のものが始められたが,それは元来質素なものでなく,豪華な城や書院造と相対照して求められた美しさであり,この両者がともに桃山時代の性格の両面を表わしているのである。

桂離宮書院

古書院・中書院・新御殿よりなるひわだぶき

江戸時代

京都府

桂離宮は桂宮の別荘であって,書院と多くの庭園建築からなる。中書院は元和6年(1620)ごろの離宮ができるときに造られ,古書院はそのとき他から移したようであり,新御殿は寛永の末年ころから造築された。全体の意匠は数寄屋造(すきやづくり)といわれる軽快な書院造で,このように造られた年代が異なるにもかかわらずよく調和がとれ,高い品格とすぐれた構成をなしており,日本の住宅の最も傑出した一つである。

○桂離宮松琴亭

一の間,二の間,茶室などからなる。かやぶき

江戸時代

京 都 府

松琴享は桂離宮内の庭園建築であって,三方にふかい土ひさしをめぐらし,一の間には床があるが,藍(あい)と白の市松模様に壁や襖(ふすま)を張った意匠はきわめて卓抜で目を見はらせる。茶室は八窓席といわれて有名なものである。松琴亭前の池のながめはあるいは深くすみ,あるいは激流を思わせるなどすばらしい庭園の妙を感じさせる。

日光東照宮

権現造,本殿,石の間,拝殿よりなる,銅瓦ぶき

江戸時代

栃 木 県

徳川家康は元和2年(1616)に没し翌年日光に葬られた。現在の社殿は寛永13年(1635)に造営されたものである。徳川家霊廟の規範となったもので,形式は権現造(ごんげんづくり)をなし,この時代の美術の粋を集めた建築であって広く知られているものである。

東大寺大仏殿

正面5間,側面5間,一重もこし付本瓦ぶき

江戸時代

奈 良 県

永禄10年(1567)に再度焼失した大仏殿の復興は,宝永6年(1709)に成った。すなわち今の大仏殿である。規模は昔よりやや小さいがなお世界最大の木造建築である。細部は天竺様が採用されている。

鹿 鳴(ろくめい)館

ルネッサンス式・れんが造二階建

明治時代

東京都(昭和20年戦災により焼失)

明治の初期極端な欧化主義を鹿鳴館時代というが,それはここが社交場の中心であったからである。明治16年(1883)にコンドル博土の設計により完成したものであった。明治政府は欧米の建築を輸入するため工部省を設けて洋風建築を普及させたが,それはれんが造で,主としてルネッサンス風のものが多かった。しかしれんが造は鉄セメントの建築が出るに及んですたれ,ことに関東大震災以後はほとんど使われなくなった。

ニコライ堂

ビザンチン風教会堂

明治時代

東 京 都

やはりコンドル博士の設計になるもので,明治24年(1891)完成した。ビザンチン風にイタリア・イギリス風を加えた教会である。震災で中央のドームがおちるなど被害を受けたので復旧されたが,その時昔の姿が失われたのは惜しい。

○旧赤坂離官(現国立国会図書館)

ルネッサンス

明治時代

東 京 都

明治41年(1908)に落成した。設計者は片山東熊氏で,設計にあたってはフランスのルーブル宮殿が参考になったという。へいの代りに金柵を用いて全景を見せたのもおもしろく,建物はれんがおよび石造であるが,鉄骨を入れて補強し,内部は純粋な洋風である。

帝国ホテル

れんが積,大谷石使用

大正時代

東 京 都

アメリカ人ライト氏の設計になり,大正8年(1919)〜11年(1922)にできた。ライトは特色ある建築をしているが,これはその中でもすぐれたもので,大谷石を用いて特徴のある装飾をつけている異色の建築である。

国会議事堂

鉄骨鉄筋コンクリート造

昭和時代

東 京 都

大正7年懸賞募集に当選した案を基にして作られたもので,昭和12年(1928)に至ってようやく完成した。ある意味では日本の現代の姿を表現した記念碑ともいえるであろう。材料はすべて国産のものを用いている。

東京国立博物館

日本趣味をもった東洋式

昭和時代

東 京 都

国粋主義の興隆につれ鉄筋コンクリートの建物に日本的な意匠を加えることが流行した。かわら屋根をのせた建築はこれであって,博物館や旧軍人会館,地方の県庁などに見られる。しかし鉄筋コンクリート造本来の姿であるはずはなく,そのゆき方は今日では批判されている。

逓 信 病 院

鉄骨鉄筋コンクリート造

昭和時代

東 京 都

ヨーロッパの近代建築はわが国に輸入され,いっさいの装飾を廃して明快な意匠の建築が生れた。これを国際建築と呼ぶ。逓信病院はその代表作で,昭和12年(1937)に完成した。国際建築になってはじめて真に近代的な建築の美しさが見いだされたといえよう。

各地のアパート

鉄筋コンクリート造

昭和時代

各 都 市

戦後の住宅難を救うため建設省その他が作っているアパートは,規格化された平面により多量につくられ,また構造は柱を出さず箱のような構造である。意匠については語るほどのことはないが,これらのアパートが群をなして建っている姿は,都市将来の住宅のあり方を示しているといえよう。

  庭  園(注;下表にあげたものは一例であるからその他のものや各地域にある庭園なども適宜扱われたい。)

西芳寺庭園(苔寺の庭)

京 都 市

この庭園は,平安や鎌倉の浄土思想によって発達した浄土庭園の様式をある程度持つ書院庭園ということができる。夢窓国師の作といわれ,この庭園がこけの生育に適したため,苔(こけ)寺ともいわれて広く知られている。

慈照寺(銀閣)の庭園

京 都 市

足利義政の山荘で,慈照寺といわれていた。当時は十数棟の建築があったが,現在は東求堂と観音殿である銀閣との二棟のみを残しているが,庭園は巧みな石組を持ち,池を中心にしてまとめられ,背景である一連の小山ともよく調和して,極度に発達した書院庭園のすぐれた姿が見られる。

龍安寺庭園(龍安寺の石庭)

京 都 市

藤原実能の別業の地で,この庭園の作者にはいろいろな説があって,一定していない。しかし龍安寺の景観の備わったのは約500年以前だといわれる。方丈前庭として長方形の地割で白砂を用い,1木1草も用いなくただ石組だけによる特殊な庭園である。

醍醐寺三宝院庭園

京 都 市

豊臣秀吉がこの庭園の作庭に着手してから後20数年にわたり手を加えて完成したものである。書院式の池泉回遊式で,滝(たき)・池泉・中島・橋など作庭手法に桃山時代の特色がよく表わされている。

大徳寺方丈庭園

京 都 市

この庭園は江戸初期の作庭で,白砂の部分を多くし,七五三の形式の石組や,遠景に叡山方面の山岳を取り入れ,すぐれた作庭技術によって作られている。作者にはいろいろな説がある。

桂離官庭園

京 都 市

作者は明らかでないが,建築と庭園が一体として設計され,細部にいたるまで注意深く作られている。保存もよく,まことにすぐれた庭園ということができる。

 

万里長城

有名な秦の始皇帝が築いたといわれるが,現在の長城はその後の改築になる部分が多いという。高さ約20尺の城壁で,各所に方形の望楼が建っている。山のはてまで連綿と続く雄大な姿は驚くべきものがある。

雲岡石窟寺

5世紀

中国山西省

この石窟は伊東忠太博士の発見以来世界的に有名なところで,造像銘によれば483年すでに作られており,その後唐初まで引き続き開さくされたようである。数多くの仏像を彫浮りにしており,さらに建築を彫ったものもあるので貴重なものである。まさに六朝時代芸術の宝庫であり,わが飛鳥文化との関係も密接なことが知られる。

嵩(こう)岳寺十二角十五層搏(せん)塔

6世紀

中国河南省

旧北魏の宣武帝の離宮であったのを寺とし,523年に建てた塔である。十二角,十五層ともに例がなく,全体に美しい砲弾形をなしている。細部は六朝の特色をよく表わし,中国最古の塔である。

慈恩寺大雁塔

七 層 塔

7 世 紀

中国陜西省

玄奨(じょう)三蔵が653年に建立し,その後長安年中(701〜4)に七層塔に改造したという。四角の塔や組物を作り出し,安定した外観を呈している。唐代の代表的な塔である。なお初■(まぐさ)石には仏殿の図が毛彫してある。

下華厳寺薄伽経蔵

桁行5間,梁間,4間,一重,入母屋造

11世紀

中国山西省

下華厳寺の正殿であって1038年の建立になる。奈良時代建築を思わせるようなゆるい傾斜の屋根をもつ。現存する中国最古の木造建築である。組物は二手先であるが,独特の様式をもっており,一般に古調を帯びた建築である。

仏宮寺八角五層木塔

11 世 紀

中国山西省

1056年の創立で,遼式の大塔であり,木造の塔としては古い。細部はわが国でいう唐様の組織をなし,さらにそれより変化が多い。相輪も豊富な意匠になる。

Lhasa マラ教寺院

 中国チベット

Lhasa近郊にあり丘上に寺院がそびえ立ち,一大殿堂をなしている。明末までには今の規模をなしたようである。

妙応寺白塔

13 世 紀

中国河北省

1279年の建造になるようである。高さ160尺に及ぶ代表的なラマ塔で,形は優秀である。特に宝傘(さん)は周囲に銅製透彫の垂帳をめぐらし,さらに傘(かさ)の上に小銅塔をのせている。

紫 禁 城

17 世 紀

中国北平

紫禁城は壮麗なこと世界一と称して過言でない。清朝になったもので正殿の太和殿は1695年にできたものである。ここは国家最大の式典に皇帝の臨む所であって,中国第一の大建築である。

○天壇祈年殿

17 世 紀

(清時代初期)

中国北平

皇帝が四季の順調,五穀豊饒を祈る所,比類のない三層円形の堂で下二層の屋根は黄色,上層は紺青の瓦,木部は極彩色をほどこし,まことに美しく北平の偉観であって,中国建築中でも注目すべきものである。

サンチー大塔

B.C.3世紀

中央インド

サンチーは三つの塔が残っている。最大のものを第一塔婆とよび,B.C.3世紀ころ阿育(Asoka)王時代に造った小塔を,B.C.1〜2世紀に石造の大塔でおおったものである。土まんじゅうのような形であり,四方にTranaという門状のものを建てる。頂上に傘をおくがこれが塔の相輪に変化するのであろう。

アヂャンター窟(くつ)

B.C.1〜A.D.7

インド

Hyderabad

アジャンター窟は大小28ケの岩窟で西紀前後1世紀から6〜7世紀にわたり造られたもので,壁画で有名である。

ブドガヤー大塔

14世紀修造

インドBiharおよびOrissa

釈迦の成道地として名高いブドガヤーの寺であり,インド教建築の系統が仏教寺院にはいったことを示す。塔といっても原名ヴィマーナは高層建築のことであり,寺といってもいい建築である。

○ターヂ=マーハル

17 世 紀

インド連合州

シャー=ジャハン(Shah Jahan)の愛妃の墓廟であり,1632〜42年に建造された。インドにおける回教建築の代表作で,すべて白大理石で造られ,みるからに清浄,夢のような美しい建築であり,インド第一の傑作といえよう。

 

○パルテノン

基壇上に正面8本,側面17本の柱をめぐらした矩(く)形神殿(大理石)

B.C.5世紀

ギリシア

アテネ

ペルシアに対する戦勝を記念して紀元前447年ころから10年余の工期で作られた世界で最も美しい建築の一つ,基調はドリア式であるが,イオニヤ風に優雅に洗練されている。視覚の補正に細い注意が払われており,建築を構成する各部分の美しさのほかに,各部分と全体との調和を考えて作られた彫刻的建築で,正面や背面の切妻部分などにギリシアの代表的彫刻が刻まれていた。17世紀の末ごろ,戦争により現在のようにはなはだしく破壊されてしまった。

パンテオン

切妻屋根を戴く正面八柱の突出廊のついた円形神殿

2世紀

イタリー

ローマ人は生煉瓦(なまれんが)とコンクリートを材料とし,合理的なアーチやドームを用いて多くのすぐれた大建築物を作った。建築の装飾部分はほとんどギリシアのものを踏襲した。この神殿は主として130年ごろ建てられたもので,内径,高さともに43.2メートルの円堂を主屋とする。れんが・コンクリート造の壁体表面には大理石がはられていた。

ガール橋

高さ48メートル

3層のアーチで作られた水道橋

紀元前後

フランス

ニ ー ム

ローマ人はその都市に大規模な給水施設を作った。自然の落差を利用する給水であるから,水路の途中の谷間には水道橋を架(か)け渡した。ガール橋はニームの町に給水する水道の一部で,紀元前後に作られたものである。第三層目のアーチの上に水道が通っており,第一層のアーチ上部は交通に使用されたもので,全体としてよく構築的な美しさを示している。

コロセウム

長径188メートル,短径156メートル,四層の大円形劇場

1  世  紀

イ タ リ ー

ロ  ー  マ

ギリシア人も自然の地形を利用して劇場を作ったが,ローマ人はそのすぐれた構築技術を用いて,平地に自由な形で大規模な劇場を建てた。ローマのコロセウムは,70年より82年にかけて皇帝の命令により作られたものである。中央の平場は68×54メートルの長円形で,その周囲にしだいに高く4層の観覧席がめぐらされている。

○セント=ソフィア寺院

大円蓋(直径31メートル,高さ55メートル)を中心にいただくキリスト教教会堂

6  世  紀

ト  ル  コ

イスタンブール

532年皇帝コンチィニアヌスの命令で起工し,537年完成した世界で最も美しい建築の一つである。中央の大円蓋(560ころ再建)をささえて南北の大半円蓋(がい)があり,さらにここれが小さい半円蓋にささえられている。この流動するような内部空間は,壁面を埋めつくす豪華な大理石のモザイクに飾られており,れんが造の簡素な外部とは異なり,夢幻的な美しさを示している。1543年以降は回教寺院として使用されている。ビザンチン建築の代表的作品である。

聖マルコ寺院

ギリシア十字型

プランで五円蓋をいただくキリスト教教会堂

11  世  紀

イ タ リ ア

ヴェネツィア

11世紀末ころイスタンブールから来た建築家により作られたれんが造の純ビザンチン式建築である。正方形のプラン上に円蓋をいただく構造の点からも,彫刻や大理石・ガラスのモザイクで埋められた内部の装飾の点からも最もよく当時のヒザンチン教会堂の様子を伝えている。正面部は後世改修されたものである。

ピサ大会堂

ローマ十字型プランで,五廊式のキリスト教教会堂

11.12.13世紀

イタリア

ピ  サ

バジリカ形式の大会堂で,交差部に大円蓋をいただくが,身廊は木造天井で,側廊だけが石造天井である。1063年起工し,1118年献堂されたが,正面部は13世紀の増築である。有名な斜塔(鐘塔)と円形の洗礼堂は12世紀末から13世紀にかけて作られた。美しい色彩の大理石を豊富に用い,壁面に大小のアーケードを多く作って装飾効果をじゅうぶん発揮しているが,建物と装飾の間に有機的連絡はない。

ウォルムス大会堂

東西に内陣のある三廊式のキリスト教教会堂

12.13世紀

ド イ ツ

ウォルムス

フランク王国の大会堂形式を継承した,中世ドイツ帝国の権力を象徴するライン沿岸のロマネスク大会堂の傑作の一つである。主として12世紀から13世紀初期にかけて作られた。東西の内陣にそれぞれ大塔一基,小塔二基をいただき,外壁を飾って連続小アーケードやアーチが豊富に用いられている。この装飾法はロマンチックな多塔形式とともにゴシック建築に受けつがれて重要な建築要素となった。

ラトリニテ教会堂

ローマ十字型プラン,三廊式で正面に双塔をもつ教会堂

12世紀

フランス

カ  ン

ロマネスク教会建築の中で最も完成した傑作で,1062年起工し12世紀中ごろに完成した。祭壇は西部の内陣に集中され交差部に大塔をいただき,東部は鐘塔を二つ置いて入口を強調するなど,建築の各部がめいりょうに分化している。

ランス大会堂

三廊式ローマ十字型プランの教会堂

14  世  紀

フ ラ ン ス

ラ ン ス

1211年に起工し,14世紀初頭に完成したゴシック教会建築の代表的な大会堂で,フランス歴代の国王の戴冠式教会堂として使用されていた。内部は祭壇へ向う流れと,柱を通じてドーム天井の頂点に向う流れに統一されている。壁体は付属の彫刻,装飾が細部にいたるまで完備しており,複雑なうちにも優雅でロマンチックな外観をもっている。

ケルン大会堂

五廊式ローマ十字プランの教会堂

16 世 紀

ド イ ツ

ケ ル ン

1248年起工し,16世紀中ごろ工事を中絶し,19世紀にいたり国民的情熱により初期の計画どおりに完成した大会堂で,平面はフランスのアミアン大会堂を模倣したものであるが,正面の双塔は150メートル余に及び,これに対して身廊部は短く,全体の形は調和がない。建築は全体にわたって細かい彫刻でおおわれており,高い尖塔の先端にいたるまで精巧に彫刻が加えられている。

サットン=プレイス

邸     宅

16  世  紀

イ ギ リ ス

サ  リ  ー

イタリア以外の西欧の諸国では16世紀の初頭までゴシック様式の建築を作っていた。特にイギリスは後期ゴシック様式を発展させてゆき,独特のチェードル=ゴシックと呼ばれる形式を生み出した。中世未期には有力な人々の大きな邸宅が多く作られたが,これらの邸宅は以前のように防備を主とせず,伝統の装飾を用いた美しいものであった。この邸宅は16世紀初頭に作られたものである。

ヘンリー七世礼拝堂

ウェストミンスター=アベイ内の王室礼拝堂

16 世 紀

イ ギ リ ス

ロ ン ド ン

1503年から1509年にかけて,ヘンリー八世によりウェストミンスター=アベイの東端の内陣に続いて建てられた王室礼拝堂で,後期ゴシックの傑作の一つである。精巧な美しい扇状アーチは,アーチが装飾的に発展した最もすぐれた作品である。

ピエルフォン城

19世紀に,資料に基いて復原的に再建された中世の大城廊

フ ラ ン ス

ピエルフォン

中世後期,西欧は築城術を東方に学び,大小の諸候はみずからの領土を守るためそれぞれ城を築いた。14世紀には最も進歩したりっぱな城が各地に作られた。この城もこの時代のものを参考にして再建されたもので,居住部分をめぐって厚い城壁を作りその要所要所に塔を築き防備を強化している。防備の必要のない内部の居住部分は教会建築と同じ装飾で美しく作られている。

パラツッオ=リカルディ

邸     宅

15  世  紀

イ タ リ ア

フィレンツェ

1440年に起工されたルネッサンス初期の建築,各階ごとに壁体表面の仕上げを異らせ,蛇腹をつけており,特に軒は大きく突出しており,第一階のアーチの軸は第二階のアーチと軸を通さずに作られている。二,三階の窓にはまだ中世風のトレサリーが残っているが,建物全体としては水平の安定感が強く出されていて,中世建築の上昇するような感じとはまったく断絶している。

○サン=ピエトロ寺院

交差部に大円蓋をいただく三廊形式のキリスト教大会堂

17  世  紀

イ タ リ ア

ロ  ー  マ

1506年から1626年にかけて,当時のすぐれた建築家たちにより作られた大会堂で,中央の円蓋(がい)は直径的41メートル,高さは100メートル余に及ぶ。ゴシックの教会建築のように,人間の視覚のほかに神への意識を基礎とする審美感に基かずに,人間の視覚効果を第一としている。建築全体の統一の中心を円蓋に置いた明快な形態のルネッサンスの代表的教会堂である。

○ヴェルサイユ宮殿

フランスの王宮

フ ラ ン ス

ヴェルサイユ

主として1668年から1710年にかけて作られたフランス後期バロック建築の代表的作品である。地階・主階・中二階の三層からなり,伝統的なフランスの急勾配の屋根の代りに,ゆるい傾斜の屋根を用い,これを勾(こう)欄でかくしている。南北の両翼を含めて宮殿の全長は700メートルに及び,広大な庭園とよく調和しており,室内の豪華な装飾とともにヨーロッパに君臨したルイ14世の威厳を示している。

ラ=マドレエヌ

ギリシア神殿を模倣して作られたカトリックの神殿

19  世  紀

フ ラ ン ス

パ     リ

18世紀未から19世紀にかけて厳正なギリシアの建築を模倣した建築(クラシシズム)と,中世にならった建築(ロマンチシズム)が相前後して作られた。これは基壇の上に52本のコリント式の優雅な柱をめぐらした,正面八柱,切妻屋根のギリシア風の神殿で1806年から1842年にかけて作られた。ナポレオンが勝利の殿堂として作らせたもので完成後はカトリックの儀式に用いられており,切妻部分には荘厳な最後の審判の図が浮彫されている。

イギリス国会議事堂

壮大な中世風の大建築

19  世  紀

イ ギ リ ス

ロ ン ド ン

1840年から1860年間に作られたこの建物はロマン主義建築の最も美しく大きな作品である。全長約230メートル,幅約100メートルに及び,イギリスの国粋的な後期ゴシック(チュードル=ゴシック)風に作られたもので他の建築にもしばしば模倣された。

水 晶 宮

1850年のロンドン博覧会における工芸品陳列館

19  世  紀

イ ギ リ ス

ロ ン ド ン

産業革命の結果,19世紀には鉄やガラスが大量に生産されるようになった。そして近代社会の大規模な施設,たとえば停車場,取引所などを作るのに重い石材やれんがでは不適当であった。そこで新しい工業製品である鉄・ガラス(後にセメントが加わる)がこの要求を満たした。水晶宮は博覧会の陳列館として広い,明るい空間を鉄とガラスを主体として作られた新しい建築の先駆的作品の一つである。

メトロ停車場入口

鉄とガラスを材料として複雑な曲線で構成された建築物

現代,アール=ヌーヴォー

フ ラ ン ス

パ     リ

これまでのように新しい建築に古い時代の様式を着せるのは誤であり,過去の様式にとらわれない自由な建築を作ろうとする運動が19世紀末ころ起った。1898年に作られたメトロの入口は,このような運動の一つ(アール=ヌーヴォー)の代表作品である。近代工業生産物たる鉄とガラスを材料とし,過去の様式によらずに表現のより所を自然界に求め,曲線を駆使して動植物の形態を写実的に模倣したものである。

シュタインホフ教会堂

新しい型のキリスト教教会堂建築

現代 セセション

オーストリア

ウ ィ ー ン

建築を過去の様式から解放しようとした正統な建築運動(セセション)の創始者たるオーストリアの建築家オットー=ワグナーが1906年に作った教会堂である。この教会堂は古くからの伝統をまったく離れ,現代人の生活に応ずるように平面が設計され,音響や照明等が科学的に検討されていて,よく宗教的ふんい気の出されてしる新しい型のものである。

タービン館

A.E.Gの電機会社の工場の一つ

現     代

ド  イ  ツ

ベ ル リ ン

優秀なドイツの建築家ペーター=ベーレンスにより1909年に作られた,工場建築の代表作品である。工場建築はこれまで建築家に重視されなかったものであったが,このタービン館は新しい建築意識によって作られた最初のすぐれた作品である。採光・換気に注意し,工場の能率を高めることを最大の目的とし,虚飾を用いずに建物の構造をそのまま外に表わしている。(構造派)簡単豪放で工場建築の美しさをよく示している。

アインシュタイン塔

アインシュタイン博士の天体観測等の実験所

現     代

ド  イ  ツ

ポ ツ ダ ム

第一次大戦後,ドイツ・オーストリアでは一時敗戦の混乱時代に,特に作者の主観を強調する芸術運動があった。この塔はその派(表現派)のドイツ人建築家エーリヒ=メンデルゾーンの代表的作品で1920〜21年に作られた。鋼鉄とガラスで作られた不気味な形は科学の底知れぬ力を象徴しているようにみえる。

ノートル=ダム教会堂

鉄筋コンクリート打放しのキリスト教教会堂

現     代

フ ラ ン ス

ル=ランシー

20世紀以降の建築は,建築の使用目的を合理的に実現してそこに新しい美を求めた。この態度はまた最小の材料と労力で最も効果的な建築を作るということにも通ずる。この教会堂は1922〜23年,フランスの建築家ペレー兄弟によって作られた。コンクリートの表面に特別な仕上げをせず,簡単な直線と曲線を用いて,したがって小額の工費で,作られた現代人にふさわしい教会堂建築である。

バウ=ハウス

新しい美術工芸を研究・教授する研究所兼学校

現     代

ド  イ  ツ

デ ッ ソ ー

20世紀以降の新建築運動を大きく前進させたドイツのすぐれた建築家ワルター=グロピウスらが1925〜26年に作った作品である。建築材料を自由に合理的に使用し,明快単純な形態によって現代建築の美しさを最初に実現させたもので,この建築は現在の建築の出発点となったものである。

住   宅

三階建の小住宅

現     代

フ ラ ン ス

ブーローニュ

現在の最もすぐれたフランスの建築家ル=コルビュジェとピェール=ジャンヌレが共同して1926年に作った住宅である。建築の平面計画がきわめて自由で合理的に行われており,一階は車庫,2,3階は居住室で屋上は庭園となっている。住宅を立方体という簡単な形態にまとめあげた当時の住宅建築の代表的な美しい作品である。

エンパイア=ステーツ=ビルディング

高さ280メートル,102階の高層建築(スカイス=クレーパー)

現     代

ア メ リ カ

ニューヨーク

人口の都市集中,地価の高騰等の問題を解決するために,新しい建築材料と構造と機械設備により作り出された典型的な高層建築で1931年に完成した。石造やれんが造ではまったく予想もできなかったこれら高層建築の上層部には,石造やれんが造時代に用いられた装飾がつけられている。しかし高層建築は全体として新しい美しさをつくり出している。

国際連合本部事務局

前面ガラス張,側面大理石張で地上39階の箱形の高層建築

現     代

ア メ リ カ

ニューヨーク

第二次大戦後作られたこの建築物は,あらゆる現代の機械設備を動員している。単純な箱形の大建築で,むやみに階数を増さずに最も経済的な階数とし,無用の装飾のまったくない美しい高層建築の代表的作品である。

住   宅

鋼鉄の柱でささえられた四面ガラス張の一室形式の住宅

現     代

ア メ リ カ

シカゴ市近傍

ドイツのすぐれた建築家ミース=ファンデルローエが設計した現在の最も新しい型の住宅である。鋼鉄とガラスと大理石を材料とし単純な形態で,みがき上げられた美しさを持っている。建築家および住む人の感情的な主観をまったく除き去り,住宅を真に人間を入れるからとして作られた最も現代的な意味の美しい作品である。