第Ⅰ章 高等学校芸能科図画

(注,○印は,文部省図画工作科鑑賞資料に掲載されたものである)

1 絵  画

資   料
解     説
玉虫厨子台座絵 板 彩 色

高さ65cm

飛鳥時代

法隆寺蔵

玉虫厨子(ずし)の台座には正面に舎利供養(しゃりくよう),右に釈迦本生施身聞偈,左に同じく捨身飼虎,裏面に須弥山の図が描かれている。いずれも黒漆地に朱・黄・緑などのわずかな色彩を用い,象徴的で自由な表現をとっている。日本最古の絵画資料として貴重である。
御物 聖徳太子像 紙本着色(しほんちゃくしょく)

縦101cm横54cm

奈良時代

法隆寺伝来のこの像は唐の閻立本(えんりつほん)の描いた帝王図巻に似た手法が多いので,唐時代の肖像画の影響のもとにこれがかかれたものと思われる。気品のある絵でわが国肖像画の最も古い遺品である。
○法隆寺壁画 阿弥陀浄土 壁  画

縦303cm

横259.9cm

奈良時代

法隆寺蔵

金堂内部の柱間,大小12の壁面に描かれた壁画は上代絵画中で最もすぐたものである。保存よく当初の姿を伝え,描線彩色法に西域アジャンタの画風を宿すなど,美術史上重要な問題を含む世界的な文化財であったが,昭24年失火により焼損した。
絵 因 果 経 紙本着色

縦26.7cm

奈良時代

報恩院蔵

釈迦の前世と現世の物語を説いた経文を下に書き,上半にその図を描いた絵因果経が天平時代に行われたことが正倉院文書に見られる。横に連続した画面に時間の経過を描き絵巻物形式の先駆として,また素ぼくで象徴的な描写に六朝の画風を伝えるものとして注目される。
麻布菩薩図 麻布墨画

縦138.5cm

横133.Ocm

奈良時代

正倉院蔵

ややあら目の麻布に描かれたこの菩薩図ばどのような目的で描かれ,何に用いられたか不明であるが,肥痩(ひそう)のある描線,雄健な筆法,軽やかに翻る天衣(てん)の描出など,同時代の遺品が少ない現在当代画風をしのぶたいせつな資料である。
吉祥天像 麻布着色

縦53.3cm

横32cm

奈良時代

薬師寺蔵

この吉祥天像は唐やわが国天平時代に理想とされた美人の姿を借り,しかも完成された優婉(えん)な仏画として天平時代絵画の高峯を示す作品である。繧繝(うんん)彩色や截金(きりかね)等を用いた豊麗な色彩はよく保存されており,本格的唐朝絵画遺品の失われた今日中国絵画の考察にも貴重な資料となっている。
真言七祖像 智(りゅうち) 絹本着色(けんぽんちゃくしょく)

縦212.6cm

横151.2cm

平安時代

教王護国寺蔵

空海が唐から帰朝したとき,真言密教の祖師である五祖の像をもち帰り,さらに帰朝後弘仁12年(821)日本で龍猛・龍智二祖の像を描かせ真言七祖像として伝えられた。この図は制作年代が明らかであり日唐画の相関という重要な地位を占めているものである。
十二天像 水天 絹本着色

縦159cm

横134.5cm

平安時代

西大寺蔵

西大寺の十二天はわが国現存の十二天像中最古のもので儀軌に近い形を備え,唐朝絵画の様式を伝えている。描線は鉄線描で,深い隈取(くまど)りが肉身の立体感を,いっそう引き立たせている。色彩はおおまかで,雄大な,また神秘的な感じを漂わせている。
五大力吼(ごだいりきく)像

金 剛 吼(こんごうく)

絹本着色

縦323cm

横237.5cm

平安時代

高野山大円院

ほか十八箇院蔵

五大力吼像の遺作としてはこの高野山のものが最も古い。五像の内現存するのは金剛吼ほか二図で,金剛吼はかなり後世の補修をうけているが,当初の威容を伝え,また最もすぐれている。多少形式化されているが火焔を背に,画面いっぱいに構成された像の強烈な表現は密教的な神秘感や威力の表出に成功している。
阿弥陀三尊

及 童 子 図

絹本着色 阿彌陀図  縦186.6cm

      横143.3cm

観音勢至図 縦187.8cm

      横171.2cm

童子図   縦183.6cm

      横52.3cm

平安時代

法華寺蔵

阿弥陀如来を中央として右に観音・勢至,左に持幡童子をおき三幅対として伝えられているが,画絹や描法の相違は弥陀と左右二図の制作年代や筆者の異ることを思わせる。画面ゆたかにかかれた弥陀は正面向の礼拝本尊としてかかれ,像形も古様を示している。左右の二幅は当代も後に,この弥陀を主尊とする来迎図を意図して描き加えられたものであろう。
不動明王像

(青 不 動)

絹本着色

縦205.7cm

横150cm

平安時代

青蓮院蔵

黄不動(三井寺)赤不動(明王院)とともに三大不動と称され,不動明王の典型的な姿を表現しており,またそのすぐれた描写は不動画の最高を示すものである。強烈な炎の色と肉身の青黒色との照応,強い描線,緊密な構図は画面に強い迫力を与えている。
涅 槃(ねはん) 図 絹本着色

縦267.5cm

横270.3cm

平安時代

金剛峯寺蔵

涅槃の釈尊を中に菩薩羅漢摩耶夫人など人物が画面いっぱいに描き込まれ,表現も変化に富んでいるが,深い静けさがみなぎり,おおらかで気品の高い美しさをたたえている。平安時代仏画の中でもすぐれた作品であり,現存する涅槃図中最古のものである。
山水(せんずい)屏風 絹本着色

六曲一雙

縦146.3cm

横各扇巾42.7cm

平安時代

教王護国寺蔵

山紫水明の間に庵(いおり)があり貴公子が庵の隠者を訪れるさまを描いている。題材風俗等唐絵様式であるが自然観照やその描写にやまと絵傾向が著しく,優雅で穏やかな美しさを感じさせる。密教の灌頂会(かんちょうえ)の際用いられたものと云われている。平安時代の屏風として唯一の遺品である。
○聖衆来迎(らいごう)図 絹本着色

左幅 縦208.2cm

   横106.1cm

中幅 縦208.2cm

   横206.1cm

右幅 縦208.2cm

   横106.1cm

平安時代

高野山大円院

ほか十八箇院蔵

弥陀を中心に大画面いっぱいに諸菩薩が楽を奏しながら彩雲に乗って真正面から来迎する図である。動的であるが礼拝本尊としての形式に描かれている。来迎図として最も著名なもので中尊には金泥截金文様があるが他の菩薩たちには金彩を用いず彩色だけによっている。
普賢(ふげん)菩薩像 絹本着色

縦99.1Cm

横74.9cm

平安時代

東京国立博物館蔵

平安時代に法華経信仰が盛んになるとともに,法華経信者を守るという普賢菩薩像がしばしば描かれた。この図は精巧な截(きり)金文様と白を基調とした微妙な色の調和によって,見る者をして宗教的法悦と同時に典雅な美の世界に沈潜させる日本仏画中でのすぐれた作品である。
扇面法華経冊子(さっし) 紙本着色

縦24.8cm

平安時代

四天王寺蔵

風俗を描写した下絵の上に当時流行の法華経を写経した扇面形の冊子で,その図は経典の内容との関係なく,宮廷から市井人物の風俗にまで及び,引目鈎鼻(ひきめかぎばな)式の表現で華麗な彩色をもっている。描線は木版で薄く刷り,さらにその上に彩色と描線の描き起しを施したものと見られる。
○源氏物語絵巻 紙本着色

縦21.8cm

横48.3cm

平安時代

徳川美術館蔵

つくり絵式絵巻の代表的作品で藤原隆能(たかよし)の筆と伝えられているが,数人の共同制作と考えられる。吹抜屋台によって見下した綿密な屋内の情景,引目鈎鼻の顔の描写,不透明顔料を用いたつくり絵の濃厚な色の美しさ等によって典雅な平安朝の生活をにおいやかに表現している。
伴大納言絵詞 紙本着色

縦31.4cm

平安時代

この絵巻は貞観8年(866)伴大納言が応天門に放火して左大臣源信をおとしいれようとしたが,陰謀は露見し罪に問われた事件を3巻に扱っている。中でも上巻のほとんど全面にくり拡げられた応天門炎上の光景,群衆叫喚の描写は圧巻である。信貴山縁起絵巻と並んで絵巻の代表的作品と称される。
○信貴(しぎ)山縁起絵巻 紙本着色

縦31.8cm

平安時代

朝護孫子寺蔵

延喜のころ信貴山に修業する僧命蓮に関する三つの説話を取り扱い,信貴山毘沙門天の縁起・霊験を描いたもので,飛倉巻・延喜加特巻・尼公巻の3巻からなっている。のびのびした描線,動態の巧みな表現,色彩の表わし方などは驚くべきもので,絵巻物中での傑作とされている。
○烏獣戯画巻 紙本墨画

縦30.6cm

平安〜鎌倉時代

高山寺蔵

現在高山寺に伝えられているのは4巻で,いかなる構想のもとに描かれたのか不明であるが第1,2巻には鳥獣,第3,4巻には人物を諷刺的に描いたもので,それぞれ時を隔ててつくられたと想像される。その軽快な描線による適確な素描は白描画中での傑作である。
病 草 子 紙本着色

縦25.8cm

鎌倉時代

病草子はいろいろの病気を一つずつ絵巻物形式によって詞書(ことばがき)と絵を交互において解説したものであるが,病気の暗さや深刻な描写はなく幾分の皮肉と諷刺こっけいを交えて,描いている。

きびきびとした描線を用い対象の要点をよく描破している。

○源 頼 朝 像 絹本着色

縦139cm

横112cm

鎌倉時代

神護寺蔵

頭部を頂点とする三角形によって画面が構成されているために安定感と深い静けさをもち,その中で鋭い衣服の直線が厳然とした武人の意志を伝えている。写実を根底にもった鎌倉時代の肖像画として,わが国の肖像画遺品中でもとりわけすぐれた作品である。
北野天神縁起絵巻 紙本着色

縦52.1cm

鎌倉時代

北野神社蔵

北野神社設立の由来を説き,その祭神の菅原道真の伝記と北野神社の霊験を描いている。北野天神縁起は多数あるが,これは根本縁起と呼ばれ最も古く,一般の絵巻より縦幅の広い形式を用いて自由に画面を構成し,濃彩で美しく描かれている。
一遍上人絵伝 絹本着色

縦33.4cm

鎌倉時代

歓喜光寺蔵

この絵巻は念仏の法によって衆生を済度しようとし諸国を遊行した一遍上人の一代記を誇張せず人間一遍として平易穏当に描き,中でも自然景描写は詩情にあふれたふんい気をもつすぐれたものである。春日験記絵巻とともに絵巻物史の最後を飾るものとして重要視されている。
阿弥陀二十五菩薩

来迎図(早来迎(はやらいごう))

絹本着色

縦144.9cm

横155.5cm

鎌倉時代

智恩院蔵

鎌倉時代にはいると来迎図は山の向こうから姿を現わす「山越阿弥陀」と,速度をもった動的な来迎図が描かれるようになった。中でもこの図は,来迎のありさまを速度感をもって写実的に描くようになった顕著な例である。自然描写の多いのもこの時代の特色である。
○那 智 滝 図 絹本着色

縦159cm

横57.8cm

鎌倉時代

根津美術館蔵

多種多様な仏画が生れた鎌倉時代には本他垂跡(じゃく)説と結び付いて自然の景を取り入れた垂跡画という独特のものができた。この図は熊野権現の信仰に伴って那智滝を神格化し,前景に小さく鳥瞰(かん)的に社殿を描いた一種の能野曼荼羅といえるが,やまと絵風景画としてもすぐれた作品である。
五百羅漢図 明   兆

(1351〜1431)

絹本着色

縦171cm

横89.4cm

室町時代

根津美術館蔵

明兆は東福寺の殿司として兆殿司とも呼ばれ,禅僧の中から出た室町画壇の先駆者のひとりである。羅漢画・頂相等を得意とし綿密な着色画と同時に水墨画も巧みであった。宋元の画風を取りいれて自由に駆使し,精細厳正で技法にすぐれていた手腕はこの図においても推察できる。
瓢 鮎(ひょうねん)図 如拙(15世紀初めごろ)

紙本墨画淡彩

縦11l.6cm

横76.2cm

室町時代

退蔵院蔵

瓢箪(ひょうたん)でなまずを押えるという禅の公案を絵に表わし,周崇・梵芳など多くの禅僧が賛詩を書き,これに対する見解を述べ,いわゆる詩画軸の形をとっている。時の室町将軍が如拙に命じて座右の小屏(へい)に描かせたもので,詩と画が相助けて深玄な境地をつくっている。
水色巒光図 伝周文(15世紀初めごろ)

紙本墨画

縦108cm

横32.7cm

室町時代

相国寺の僧であった周文は広範囲な題材に筆をふるったが,とりわけ如拙から受けた水墨画の系列の中に山水画の分野を発展確立させた人として重要な史的地位をもっている。彫刻家としても著名であった。周文筆と伝えられるこの図は宋元画を受けて構想は壮大である。
山 水 図 祥啓(15世紀末ごろ)

紙本淡彩

縦51.2cm

横33cm

室町時代

根津美術館蔵

建長寺の書記の職についたので啓書記とも呼ばれた祥啓は文明から明応年間にかけて活躍した画僧である。芸阿弥について絵を学び,その影響をうけている。この山水図は祥啓の代表作といわれているもので,曲線的なおだやかな山坡(は)や,清潤で,洗練された画風にかれの特色をみることができる。
○夏冬山水図 雪  舟

(1420〜1506)

紙本墨画

縦47cm

横29.8cm

室町時代

東京国立博物館蔵

雪舟は室町時代の代表的画僧で,わが国水墨画史上最も偉大な作家である。周文に師事し,のち,明に渡り水墨山水画を学んで帰朝した。

この図は帰朝後の円熟した時期の作品で,物の量感,画面の奥行,広がりがじゅうぶんに表現され,堅固な造型骨格の上に自然の大きさや実在感が明確にとらえられている。

風浪帆船図 雪村(16世紀初めごろ)

紙本墨画

縦22cm

横31.6cm

室町時代

雪村は東北の辺地にあって雪舟に私淑(しゅく)し,ついに一家をなした作家である。この図は巌(がん)頭に吹きすさぶ風浪の威力を力強い筆法で描出した激しい動きをもった画面で,小品ながらかれの動的表現にすぐれた手腕を示す秀作である。
大燈国師像 絹本着色

縦116cm

横57cm

室町時代

大徳寺蔵

この図は禅僧の肖像画(頂相(ちんぞう))であるが,宋元風の頂相とは異なり,肉身に陰影を施さず細い線を用い,彩色も優雅でむしろやまと絵風に描かれた典雅な作品である。大燈国師は鎌倉時代の禅僧で朝野の信任が厚かった大徳寺の開山である。
周 茂 叔 図

狩 野 正 信

(1434〜1530)

紙本着色

縦84.3cm

横33.3cm

室町時代

狩野正信は禅宗的背景から出発した室町水墨画を日本的な感性と知性によって解釈し,日本的表現を加えて狩野の一派を興した人である。これは宋代の儒者で蓮の花を好んだといわれる周茂叔を画いた潤いのある清凉な作品である。
高雄観楓図屏風 狩 野 秀 頼

紙本着色

六曲一雙

縦149.1cm

横354cm

桃山時代

東京国立博物館蔵

高雄山のかえでを見物する群衆を秋の景観の中に描いた屏風で,山中での宴会のありさまは,当時の風俗を描写したものであろう。この種の風俗画は江戸時代へかけて盛んにつくられたが初期の風俗画はこの図のようにまだ人物の風俗姿態にあまり重点が置かれていずむしろ風景に描写の主点がおかれているところに特徴がある。
御物唐獅子図屏風 狩 野 永 徳

(1543〜1590)

金地着色

六曲一雙

縦225cm

横459.5cm

桃山時代

この唐獅子図屏風は永徳の孫探幽の紙中極(きわ)めによって桃山時代の絵画を大成した狩野永徳の筆とされているものである。金屏風に大胆豪放に布置された2匹の唐獅子の図はかれが彩管をふるったと伝えられる安土城・聚落第・大阪城等の障壁画をしのばせる遺品である・他の一雙は,探幽の甥(おい)の常信のかいたものである。
○桜   図 紙本金地着色

襖  絵

縦172.5cm

横139.5cm

桃山時代

智積院蔵

画面の過半を占める雲形の金箔(ぱく)地に八重桜,水辺の草花等が装飾的に構成され,群青(ぐんじょう)や緑青(りょくしょう),厚塗りされた胡(ご)粉等が金箔の輝きと照応してきらびやかな美しさを展開している。桃山時代大画面の障屏画の代表的作品である。作者は長谷川等伯と見られているがその子久蔵の筆ともいわれている。
松林図屏風 長 谷 川 等 伯

(1539〜1610)

紙本墨画

縦156cm

横346cm

桃山時代

東京国立博物館蔵

等伯は狩野派に学び,雪舟・牧谿(もっけい)に傾倒してついに一派を立てた人で,濃彩・水墨のいずれにも長じていた。しっとりともやに包まれた松林を潤墨な筆触で描いたこの屏風は清新で日本的な美しさを漂わし,水墨画中の名品である。
牡丹梅花図屏風 海 北(かいほう)友 松

(1533〜1615)

紙本金地着色

六曲一雙

各雙縦177cm

横363cm

桃山時代

妙心寺蔵

近江の浅井家の家臣であった友松は,梁楷の画風にならい狩野派と異なる独自の様式をつくり海北派の祖となった。一雙に牡丹(ぼたん)の群を描き一雙に籬(まがき)と梅を描き華麗な中にも穏やかな明るさを漂わせたこの屏風は,強い筆力をもって水墨画に手腕をふるったかれの金地濃彩画における才能を示している。
鷙鳥(しちょう)図屏風 狩 野 山 楽

(1559〜1635)

紙本墨画

六曲一雙

縦153cm

横117cm

桃山時代

山楽は永徳に学び,のちその養子となった。永徳様式を受け継ぎ幾多の殿邸に才腕をふるった桃山後期の代表的画人である。

永徳に比べて典雅で描写は細かく洗練された美しさを増しているがなお力強い豪放な風格がある。この図は特に動的な飛鳥を扱ってすぐれた手腕を示している。

○風神雷神図屏風 野々村 宗 達

(17世紀初めころ)

紙本金地着色

二曲一雙

縦154.2cm

横169.7cm

桃山時代

建仁寺蔵

宗達はやまと絵の伝統に立ちながら,今までに見られなかったまったく新たな一様式を打ち立てた天才であった。その特徴は一言でいえば装飾性にあるといえるが,むしろそれをささえるかれのすぐれた近代造型精神であろう。この図は真作と認められる作品の少ない宗達画中での代表的作品である。
枯木鳴鵙(こぼくめいけき)図 宮 本 二 天

(1584〜1645)

紙本墨画

縦124.5cm

横54.5cm

江戸時代

長尾美術館蔵

二天は有名な剣客宮本武蔵の号である。修禅に関連して絵を学び友松につき,また梁楷に私淑(しゅく)したといわれるが明確ではない漢画系の画風を示す水墨の花鳥・道釈をかき,鋭い筆法,気格の正しさは余技の域を脱し,絵画史上特珠な地位を占めている。
帝 鑑 図 狩 野 探 幽

(1602〜1674)

紙本着色

床壁はり付け

縦286cm

横373cm

江戸時代

名古屋城所在

探幽は狩野孝信の長子で和漢の古名画を学び,江戸幕府に迎えられ,江戸狩野隆盛の基礎を築いた。題材手法が多方面にわたり,よくその才能を発揮している。この図は狩野派の好んで用いた画材で帝王の戒めとすべき事がらを明時代の帝鑑図説に基いて作画したもので平明温和な画風をもっている。
鶉 薄(うずらすすき)図 土 佐 光 起

(1617〜1691)

紙本着色

縦85cm

横44cm

江戸時代

東京国立博物館蔵

光起は室町末期以来中絶していた士佐絵所を再興し,士佐派の社会的地位を復活し土佐三筆といわれた。大和絵のみならず狩野派や宋元院体派の技法を取り入れ,新しい土佐派の展開を示した。花鳥画,特に鶉(うずら)を得意とした。この図は光起・光成父子の合作として著名なものである。
○燕子花(かきつばた)図屏風 尾 形 光 琳

(1658〜1716)

紙本金地着色

六曲一雙

縦150.6cm

横358.2cm

江戸時代

根津美術館蔵

金箔地に群青と緑青で燕子花を律動的に描きつらねたこの図は岩絵の具と金によるけんらんとした色彩効果と単純化された色や形の巧みな造形的構成によって装飾画の一頂点を示す傑作である。光琳は宗達の画風を継いだ人で法橋の位を授けられた。
○雪松図屏風 円 山 応 挙

(1732〜1795)

紙本淡彩

六曲一雙

縦154.8cm

横356cm

江戸時代

応挙ははじめ狩野派を学んだが,元明の院体風の花鳥画や洋風画の客観的描写を取り入れ,写生主義を標榜する一派を立て自然の景観描写に新生面を開拓した。雪松図は写生に基調を置き,しかもよく大画面の装飾化に成功した作品である。
孤鷺群禽図屏風 呉   春

(1752〜1811)

絹本淡彩

六曲一雙

縦164.5cm

横365.4cm

江戸時代

呉春は蕪村につき文人画家として嘱目されていたが,のち応挙に写生派を学んだ。この図にも表われている軽妙な筆致,情趣的な表現は独自のもので,応挙の作品には見られない新しさを出している。呉春のこの傾向を継ぐ一派を四条派という。
○山水人物図襖絵 池  大 雅

(1723〜1776)

紙本淡彩

縦168cm

江戸時代

高野山遍照光院蔵

江戸時代中期,中国から伝えられた文人画は大雅・蕪村によって独得の発展を遂げた。大雅の作品は形象にとらわれず主観に宿る美しさを自由奔放に表現し,その規模の大きさは他の追随を許さない。この襖(ふすま)絵は山亭雅会図ともいわれ,高士たちが山間の草亭に集まり,ともに語ろうとするさまを描いた調子の高い作品である。
十宜図 宜暁 与 謝 蕪 村(よさぶそん)

(1716〜1783)

紙本淡彩

縦17.9cm

横17.9cm

江戸時代

大雅とともに日本南画史上の権威者である蕪村は神経のゆきとどいた中にあたたかみと詩情にあふれた作品を残している。清の李笠翁の詩によって大雅が十便(べん)図を蕪村が十宜(ぎ)図を描いたもので小画面ながら自由な十便,新鮮な自然描写の十宜と両者の特色がよく発揮され興味深い画帖(ちょう)となっている。
東雲篩雪図 浦 上 玉 堂

(1745〜1820)

紙本墨画淡彩

縦133.9cm

横56.7cm

江戸時代

玉堂は江戸時代の文人画家中でもとりわけ文人画家の性格を顕著に身につけていた作家であった。諸国を遊歴し,あるいは琴を弾じ,興に応じて絵筆をとり,独自の画想を自由な表現で気ままに描き、しかも潤いのあるふんい気をかもし出した。山水画を得意とし,その風景画は墨一色の濃淡により非常に多彩な美しさを観者に感じさせる。
○鷹見泉石像 渡 辺 崋 山

(1793〜1841)

絹本淡彩

縦115.5cm

横57.6cm

江戸時代

東京国立博物館蔵

崋山は江戸に生れ,三河国田原藩士として,学者として活躍,また文人画家としても一家をなした。絵を谷文晁に学ぶかたわら明清画にも私淑(しゅく),さらに洋風画の写実的手法も南画の中に取り入れている。その写実的態度はこの図にもよく表われている。
彦 根 屏 風 紙本金地着色

縦94cm

横260.3cm

江戸時代

近世に発生した大画面の風俗図は,初め高雄観楓図のように自然の景観の中の一点景として人物が描かれていたがしだいに人物に興味の中心が移行し,ついにこの図のように人物の姿態の表現を強調するために背景さえも除かれる場合が生じた。この図は,当時の風俗図のリアルな描写を示す好例といえる。
縄 暖 簾(なわのれん)図 紙本金地着色

縦160.3cm

横89.1cm

江戸時代

高雄観楓図・彦根屏風へと発展した近世風俗画はやがてこのように独立したひとりの人物画を生むに至った。のれんを分けて立つ遊女を描き,江戸初期のまだおおらかな格調を保っていて,写実と装飾化の見事な融合に筆者の知性と造型感覚のよさを感じさせる。
浄瑠璃姫物語図 菱 川 師 宣(ひしかわもろのぶ)

(?〜1694)

木版画(丹絵)

縦33cm

横55.2cm

江戸時代

師宣は浮世絵の祖とされている。万治年間に江戸に出て肉筆画と版画の両面に広く活躍し,中でも遊里・演劇等あらゆる方面にわたる多数の絵本を描き,ついで木版の一枚絵を創始し,浮世絵発生のもとをつくった。狩野や土佐など各派の技法を学びながら現実の風俗描写に最もふさわしい描法を見いだし独自の画風をつくり上げた。
座 敷 八 景 手拭掛の帰帆

鈴 木 春 信

(1725〜1770)

中版錦絵

縦37.5cm

横25cm

江戸時代

春信は錦絵(にしきえ)とよばれる多色刷りの版画を創始し,そのすぐれた色彩感覚をもって多くの美人画を描いた。この図はかれの代表作で八景の画題をかりて趣向のおもしろ味をみせた座敷八景の中の一枚である。直線と曲線の整然とした構成は画面に秩序と静けさを与え,背景を巧みに利用して情緒的で優美なふんい気を漂わしている。
婦女人相十品

ビードロを吹く女

喜多川  歌 麿

(1753〜1806)

大判錦絵

雲 母 摺

縦38cm

横24.4cm

江戸時代

歌麿の版画の価値は,その大首絵において,周囲の事物の助けを借りず,ただ色・線・形のみによってその造型的な美しさを追求したところにある。この図は寛政初めのかれの最盛期のもので,洗練された色彩と適確な素描によって官能的な美しさを描き,しかも少しの卑俗さも見せていない。
中山富三郎 東洲斎  写 楽

(1794前後)

大版錦絵

黒雲母地

縦35.5cm

横23cm

江戸時代

東京国立博物館蔵

色や形や線をすベて単純化し大胆な歪(わい)曲を行って,対象の性格を強く表現しているところに写楽の役者絵(版画)の特色がある。その造型的感覚の新しさは特筆に値する。写楽伝記については不明で,寛政6・7年(1794・1795)の作品が現存するのみである。
富嶽三十六景

凱 風 快 晴

葛 飾 北 斎

(1760〜1849)

大版錦絵

縦26.1cm

横38.4cm

江戸時代

東京国立博物館蔵

この図は富嶽三十六景中の一枚で北斎のすぐれた天分を示している。背・岱赭(たいしゃ)・緑のわずかな色を基調とし,形や構図もきわめて単純であるが,広々とした青空にそびえ立つ富士の高さやすそ野の大きさは巧みに表現されている。北斎はすぐれた描写力の持ち主で90才で没するまで版画および肉筆画におびただしい作品を残した。
○東海道五十三次

庄   野(版画)

安 藤 広 重

(1797〜1858)

縦22cm

横36cm

江戸時代

広重は豊広に学び美人画を描いていたが,風景版画に自分の道を見いだし,東海道を初め江戸や木曽路の風景等多くの作品を描いた。この五十三次図の版画は出世作となったばかりでなく一生での傑作の数々を含んでおり,かれのあたたかい詩情を通して静寂な駅路の風景が描かれている。
浅間山真景図 亜欧堂  田 善

(1748〜1822)

紙本着色

六曲一雙

縦149cm

横342cm

江戸時代

東京国立博物館蔵

司馬江漢とともに江戸時代洋風画家として知られた人で,洋風表現や銅版画法を修得し,特異な存在を示している。この図は,どろ絵の具を用い洋風画の手法を取り入れたすなおな写生図で,模写画の多い当時の洋画中でかれ自身の自然観照の上に立って作画していることは注目される。
秋山幽隠図 田 崎 草 雲(そううん)

(1815〜1898)

絹本着色

明治21年

日本美術協会蔵

春木南溟(なんめい)・谷文晁に師事し,さらにやまと絵や琳派をも研究して一家をなした。足利(あしかが)に住んで文人画家として知られ,明治23年(1890)帝室技芸員を命ぜられた。この図は,後期の代表作で雄大な構図と力強い筆致にその手腕がうかがわれる。
菊 花 図 野 口 幽 谷(ゆうこく)

(1827〜1898)

絹本着色

明治15年

東京国立博物館蔵

椿椿山に師事し,明治前期の花鳥画家として活躍,明治26年(1893)帝室技芸員を命ぜられた。かれは惲南田風の作風に新味を加え,画風穏雅で独自の品格を備えている。この図は明治15年(1882)の第1回内国絵画共進会に審査官として発表したものである。
銀杏群禽 岸  竹 堂(きしちくどう)

(1826〜1897)

絹本着色

縦174cm

横83.5cm

明治時代

はじめ狩野派を学び,のち岸連山に師事してそのあとを継いだ。京都における写生派の伝統に新味を取り入れ,動物や山水に近代的な繊細な感覚を盛っている。虎の図はその至芸であった。帝室技芸員を命ぜられた。
○悲母観音図 狩 野 芳 崖(ほうがい)

(1828〜1888)

絹本着色

縦196.7cm

横86.4cm

明治21年

東京芸術大学蔵

狩野勝川院の薫陶を受けた。フエノロサ・岡倉天心・橋本雅邦らと新時代の日本画の建設に努めた。かれの作品は力強い線と奇抜な構図のものが多いが,この図はかれの最後の作品で,流麗な線と豊かな色彩を用い,観音に託して母性の慈愛を表わしている。
白雲紅樹(はくうんこうじゅ) 橋 本 雅 邦(がほう)

(1835〜1908)

紙本着色

縦267.5cm

横160.3cm

明治23年

東京芸術大学蔵

狩野勝川院に学び,芳崖とともに明治時代の日本画の発展に努めた。東京美術学校教授となり,のち日本美術院の主幹として多くの後進を指導し,また帝室技芸員となった。かれの作品は穏和なものが多いが,これは伝統的な手法に西洋画法をも取り入れた覇気のある大作である。
孔 雀 図 荒 木 寛 畝(かん)

(1831〜1915)

絹本着色

明治23年

東京国立博物館蔵

谷文晁派の荒木寛快に師事し,さらに西洋画法も学び,花鳥画家として重きをなし,東京美術学校教授・帝室技芸員となった。この図は第3回内国勧業博覧会に審査官として出品した大作である。
荷 花(かか)水 禽 川 端 玉 章(ぎょくしょう)

(1842〜1913)

絹本着色

縦174.2cm

横84.3cm

明治30年ころ

東京芸術大学蔵

京都に生れ中島来章に学んだが,幕末に江戸に移った。のち東京美術学校教授・帝室技芸員・文展審査員となった。円山派の写生の伝統を東京に移し,多くの後進を指導した。本図は古くから描かれている主題であるが,画面に新鮮な感覚を示している。
雪中群鶏図 渡 辺 省 享(せいてい)

(1851〜1918)

絹本着色

縦151.5cm

横72.6cm

明治26年

東京国立博物館蔵

菊池容斎に師事し,のちフランスにも遊学した。師の歴史画の伝統を継がずに,むしろ写生的な花鳥画に新生面を開いた。この図は雪の日の群鶏をきわめて写生的に描いており,明治26年(1893)の米国シカゴの万国博覧会に出品したものである。
瀛 洲 僊 境

僊仙祝寿図

富 岡 鉄 斎

(1836〜1924)

絹本着色 二幅対

縦128cm

横55.8cm

明治32年

若くして国漢の学を修め,中年からやまと絵を描きはじめた。明治中期ころから読書に旅行にゆうゆうたる一生を送りながらしきりに文人画を描き,しだいに重きをなした。非常な長寿を保ち,晩年に至って構図も色彩も筆致もますます奔放な意想的なものとなった。帝室技芸員・帝国美術院会員であった。
武   士 小 堀 鞆 音(ともね)

(1864〜1931)

絹本着色

縦226.5cm

横114cm

明治30年

東京芸術大学蔵

川崎千虎に学び,のち東京美術学校教授・帝国美術院会員・帝室技芸員となった。一時前期日本美術院展覧会に,のち文・帝展にやまと絵の手法による新歴史画の大作を発表した。この図は堂々たる筆線と美しい色彩によって若武者を描いた初期の代表作である。
渓 四 題 寺 崎 広 業

(1866〜1919)

紙本着色 四幅対

縦132.8cm

横64.3cm

明治42年

文部省蔵

平福穂庵に四条派を学び,さらに南画・北画・やまと絵の技法をも修めた。前期日本美術院,文・帝展に発表し,東京美術学校教授・帝室技芸員・文展審査員であった。人物・山水を得意とした。本図はかれが好んで描いた信州の山水で,「雲の峰」「雨後」「秋霧」「夏の月」の4題に描き分けている。
白   狐 下 村 観 山(かんざん)

(1873〜1930)

紙本着色

二曲屏風一雙

縦186.4cm

横207.6cm

大正3年

東京国立博物館蔵

芳崖・雅邦の薫陶を受け,東京美術学校を卒業した。明治31年(1898)母校助教授を辞して日本美術院の創立に参加して活躍した。英国留学後一時母校教授となり,文展審査員をつとめたが,大正3年(1914)横山大観らと日本美術院を再興し,その幹部として多くの作品を発表し,帝室技芸員となった。
○落   葉 菱 田 春 草(ひしだしゅんそう)

(1874〜1911)

紙本着色

六曲屏風一雙

縦157cm

横362cm

明治42年

東京美術学校において橋本雅邦・岡倉天心の薫陶を受けた。母校助教授となったが辞して日本美術院の創立に参加し,活躍した。インド・欧米を巡遊,のち文展審査員となった。本図はかれの革新的な没線描法にさらに写生を取り入れ,装飾的な効果を収めた名作である。
熱 国 の 巻 今 村 紫 紅(しこう)

(1880〜1916)

紙本着色

巻物2巻

縦45.8cm

長さ970cm

大正3年

東京国立博物館蔵

松本楓湖に師事,研究団体紅児会を組織し,また日本美術院研究所に学ぶ。初期文展においてしばしば受賞し,大正3年(1914)日本美術院同人となった。春草以後さらに日本画の改革に努め,後期印象派の手法をも取り入れ,また新南画の開拓に努めたが若くして没した。本図は第1回院展出品作である。
班   猫 竹 内 栖 鳳(せいほう)

(1864〜1942)

絹本着色

縦83.4cm

横100cm

大正13年

京都に生れ,幸野楳嶺に四条派を学ぶ。のち欧州を巡歴し,写生派の名手であった。文展審査員・帝国芸術院会員・帝室技芸員となり,第1回文化勲章を受けた。この図の猫の描写によってかれの練達した技法と近代的な感覚がうかがわれる。
塩 原 の 奥 山 元 春 挙(しゅんきょ)

(1871〜1933)

絹本着色

巻物4巻

明治42年

森寛斎に師事して円山派を学び,さらに西洋画法をも研究,栖鳳と並んで京都の写生派に近代性を与えた。文展審査員・帝国美術院会員・帝室技芸員であった。この図は塩原の渓流を写したもので,濃彩が施されている。第3回文展に発表された。
離   騒(りそう) 吉 川 霊 華(きっかわれいか)

(1875〜1929)

紙本淡彩 二幅対

縦94cm

横136.6cm

大正15年

松原佐久・山名貫義にやまと絵を学ぶ。大正6年(1917)同志と金鈴社を組織し,主としてこれに出品した。のち帝展審査員に選ばれた。この図は中国楚の屈原の「離騒経」によったもので,白描に近い流麗な線によって描かれ,その特色をよく示している。第7回帝展に発表された。
荒   磯(ありそ) 平 福 百 穂(ひらふくひゃくすい)

(1877〜1933)

紙本着色

二曲屏風一雙

縦152cm

横285.4cm

大正15年

川端玉章に師事し,東京美術学校を卒業した。帝国美術院会員・東京美術学校教授であった。写生的な作品から装飾的な画風に移り,さらにその後期には繊細な描線と水墨淡彩の南画風の作風へ転じた。本図は装飾的な画風の代表作であり,帝展に発表された。
右大臣実朝 松 岡 映 丘(えいきゅう)

(1881〜1938)

絹本着色

縦145.5cm

横155cm

昭和7年

文部省蔵

東京美術学校に学び,橋本雅邦・山名貫義に師事した。やまと絵の研究に専心し,王朝時代の人物だけでなく,現代風俗や山水にもその技法を生かした。のち東京美術学校教授・帝国美術院会員となった。本図は第13回帝展に発表したかれの代表作である。
玄   猿 橋 本 関 雪

(1883〜1945)

絹本墨画淡彩

縦139cm

横157cm

昭和8年

東京芸術大学蔵

竹内栖鳳に学び,のちしばしば中国に遊び,また欧州をも巡歴し,帝国芸術院会員・帝室技芸員となった。四条派を学んだかれは写生を基としてさらに南画の手法をも取り入れた。猿はかれの得意とするところで,その毛描きや顔・手にも迫真の技が見られる。第14回帝展出品作である。
晩   秋 上 村 松 園(うえむらしょうえん)

(1875〜1949)

絹本着色

縦91cm

横197.5cm

昭和18年

京都の女流画家として知られた松園は,はじめ鈴木松年に,のち竹内栖鳳に師事した。江戸あるいは明治時代の風俗美人を描いて独自の画風を生んだ。のち帝国芸術院会員・帝室技芸員となり,文化勲章を受けた。本図は晩年の作品である。
樹下石人談 小 川 芋 銭(うせん)

(1868〜1938)

紙本墨画

縦60.7cm

横89.4cm

大正8年

はじめ洋画を学んだが,のち新聞などに漫画を描いてその名を知られた。しだいに南画風な作品を試み,田園に取題した幻想的な独自な水墨画を生んだ。大正6年(1917)日本美術院同人となった。この図は老樹のもとに並ぶ石人を諷刺(ふうし)的に描いた作品で,第6回院展に発表した。
御 室(おむろ)の 桜 富 田 渓 仙(けいせん)

(1879〜1936)

絹本着色

二曲屏風二雙

昭和8年

京都の都路華香に師事して四条派を学ぶ。早くから南画風の作品を描き,鉄斎の感化を多分に受けた。大正4年(1915)日本美術院同人となり,のち帝国美術院会員となった。この図は京都の桜の名樹を描いたもので,第20回院展に出品された。
平   牀(へいしょう) 土 田 麦 僊(つちだばくせん)

(1887〜1936)

絹本着色

縦154.5cm

横209cm

昭和8年

大礼記念京都美術館蔵

栖鳳に学び,京都絵画専門学校を卒業した。文展において受賞,大正6年(1917)国画創作協会を創立し,欧州にも遊学した。のち帝国美術院会員となった。豪壮華麗な作風からしだいに平明な装飾画へ移った。本図は後期の代表作で,第14回帝展出品作である。
日 高 川 村 上 華 岳(かがく)

(1889〜1939)

絹本着色

縦147.5cm

横54.5cm

大正8年

京都絵画専門学校を卒業し,大正6年(1917)国画創作協会を創立してこれに発表した。かれの作風は近代日本画家の中でも異色あるもので,柔らかい線と深い静かな色調に宗教的な意想をたたえている。本図は第2回国画創作協会展覧会に発表されたものである。
翠菩絲芝 速 水 御 舟(はやみぎょしゅう)

(1894〜1935)

着    色

四曲屏風一雙

縦174cm

横391cm

昭和3年

松本楓湖に師事したが,早く歴史画から脱して写実に専念し,また宋元の院体画を研究した。欧州をも巡歴した。日本美術院同人として近代日本画の開拓に献身したが若くて死んだ。本図はかれの構成的な装飾障屏画の代表作で第15回院展に発表し,画名を高めた作品である。
  その他の現代日本画家の作品
○鮭   図 高 橋 由 一(たかはしゆいち)

(1828〜1894)

紙本,油彩

縦139cm

横46.6cm

明治10年ころ

東京芸術大学蔵

幕末から川上冬崖やチャールス=ワーグマンについて西洋画を学んだ。かれは写実的な作品を描き。中でも卑近な生活品や魚貝などを取り扱った静物画は独特のもので,この鮭図はその代表的な作品である。かれは明治初期に天絵学舎を設けて多くの門弟を養成した。
操 人 形 五姓田 義 松(ごせたよしまつ)

(1855〜1915)

麻布,油彩

縦83.9cm

横119.3cm

明治16年

東京芸術大学蔵

かれの父芳柳も洋画家として知られているが,義松はワーグマンに学び,また工部美術学校でアントニオ=フォンタネージに指導を受けた。明治13年(1880)フランスに留学し,レオン=ボンナに師事した。この作品はパリ留学中のもので19世紀末のパリの戸外風俗を写している。
西洋婦人像 山 本 芳 翠(やまもとほうすい)

(1850〜1906)

麻布,油彩

縦41cm

横33cm

明治15年

東京芸術大学蔵

明治初年五姓田芳柳の門にはいったが,その子義松やワーグマンに啓発された。明治11年(1878)パリに留学し,美術学校においてレオン=ジェロームの指導を受けた。のち明治美術会・白馬会の会員となった。この作品は留学中のもので,官学風の健実な作風を示している。
靴屋のおやじ 原 田 直次郎(なおじろう)

(1863〜1899)

麻布,油彩

縦60.5cm

横46.5cm

明治19年

東京芸術大学蔵

高橋由一の門人で,明治17年(1884)ドイツに留学してミュンヘンの美術学校を卒業した。明治23年(1890)の第3回内国勧業博覧会の審査官に選ばれ,また明治美術会の主要会員であった。この作品は留学中のものでドイツ官学派の手がたい写実主義を伝えている。
虫 干 図 川 村 清 雄(きよお)

(1852〜1934)

麻布,油彩

縦108cm

横172Cm

明治

東京国立博物館蔵

川上冬崖に学び,明治初年米・仏を経てイタリアに留学し,ヴェネツィア美術学校を卒業して明治14年(1881)帰国した。ヴェネツィア派の明快な画風を伝え,のちには杉板や桐板に日本画風の筆致の油絵を描いた。この作品は中期のものである。
○収   穫 浅 井  忠(ちゅう)

(1856〜1907)

麻布,油彩

縦70cm 横94cm

明治22年

東京芸術大学蔵

はじめ国沢新九郎に学び,のちフォンタネージの指導を受けた。明治美術会を創立し,東京美術学校,京都高等工芸学校の教授,文展審査員であった。その門からすぐれた作家が輩出した。その作品には豊かな詩情があふれている。
凱 旋 門 松 岡  寿(ひさし)

(1862〜1943)

麻布,油彩

縦27cm 横37cm

明治15年

東京芸術大学蔵

川上冬崖・フォンタネージの指導を受け,明治13年(1876)イタリアヘ留学,ローマ美術学校を卒業した。明治美術会を創立し,東京高等工業学校・東京美術学校の教授を経て東京高等工芸学校校長となった。イタリア風の堅実な画風を示し,肖像画にすぐれていた。
○鉄 砲 百 合(てっぽうゆり) 黒 田 清 輝(せいき)

(1866〜1924)

麻布,油彩

従59.2cm

横78.7cm

明治42年

東京ブリッジストン美術館蔵

パリーに留学し,ラファエル=コランに師事して,明治26年(1893)帰国した。印象派の画風をもたらしてわが洋画界に大きな変化を与えた。白馬会を創立し,東京美術学校教授・帝室技芸員・帝国美術院長となった。この作品はかれの特色である卒直な自然描写を示した佳作である。
裸   婦 久 米 桂一郎(くめけいいちろう)

(1866〜1934)

麻布,油彩

縦58cm横50cm

明治23年

フランスに留学してコランに師事した。明治26年(1893)帰国して印象派を伝え,黒田らと白馬会を創立し,また東京美術学校教授として美術史と解剖学を講じ、美術行政家として活躍した。この称品は留学中のもので明るい色調と影に紫・青を用い,その特色を示している。
大王岬に打ちつける怒濤 藤 島 武 二(たけじ)

(1867〜1943)

麻布,油彩

縦73cm

横100cm

昭和6年

山本芳翠・黒田清輝に学ぶ。明治30年(1897)代に浪漫(ろまん)的な作品を発表,のち仏・伊に留学した。東京美術学校教授・帝国芸術院会員・帝室技芸員で,第1回文化勲章を受けた。この図は,後期の海の連作の一つで,雄大な構図,華麗な色調,奔放なタッチは,その特色を示している。
ヨネ桃の林 岡 田 三郎助

(1869〜1939)

麻布,油彩

縦53.9cm

横72.7cm

大正5年

曾山幸彦や黒田清輝に学び,のちフランスに留学してコランに師事し,明治35年(1902)帰国した。東京美術学校教授・帝国芸術院会員・帝室技芸員であり,第1回文化勲章を受げた。その作風は印象派の流れをくみ,穏雅な作品が多い。これは中期の代表作である。
裸   体 中 村 不 折(ふせつ)

(1866〜1943)

麻布,油彩

縦100cm

横80cm

明治30年代

小山正太郎・浅井忠に学び,明治34年(1901)から数年間フランスに留学し,ローランスに師事した。帝国芸術院会員・太平洋美術学校校長であった。帰国後は日本神話や中国史伝中の人物を多く描いた。この作品は留学中のもので,フランス官学派風の堅実な手法を示している。
緋 毛 氈(ひもうせん) 満 谷 国四郎(みつたにくにしろう)

(1874〜1936)

麻布,油彩

縦111cm

横151cm

昭和7年

小山正太郎に学び,明治33年(1900)同44年(1911)の再度欧州に留学した。太平洋画会を創立し,のち帝国美術院会員となった。写実的な画風から,中途後期印象派の影響を受け,のちさらに平明な東洋的な表現へ移った。この図は後期の代表作で帝展に発表した。
北 国 の 冬 中 川 八 郎

(1877〜1922)

麻布,油彩

縦53.2cm

横73.2cm

明治41年

文部省蔵

小山正太郎に学び,明治32年(1899)同36年(1903)欧米を巡歴した。この間に太平洋画会を創立し,のち文展審査員となった。穏和な外光派風の風景画を得意とした。この図は白い雪と黒ずんだ森との対比に画興を見いだして描いている。第2回文展に出品,受賞したものである。
穂高の残雪 大 下 藤(とう)次郎

(1870〜19111)

ワットマン紙

水    彩

縦21cm

横32cm

明治40年

中丸精十郎・原田直次郎に学び,明治31年(1898)濠州に遊び,同35年(1902)欧米を巡歴した。水彩画を専門とし,その普及に努めた。太平洋画会の会員であり,文展に出品した。山野を踏破して描いた多くの風景画は,いずれも穏和な画風で親しみやすい。
ローランス画伯の肖像 鹿子木 孟 郎(かのこぎ たけしろう)

(1874〜1940)

麻布,油彩

縦45cm

横36.6cm

明治39年

小山正太郎に学び,明治33年(1900)米国を経てパリに留学,ローランスに師事した。のち太平洋画会会員・関西美術院長・文帝展審査員となった。この作品は第2回留学時代の作品で,師の肖像をフランス官学風の堅実な技法で描いている。第2回文展に出品した。
曲   浦(きょくほ) 山 本 森之助(もりのすけ)

(1877〜1928)

麻布,油彩

縦60.5cm

横81cm

明治42年

文部省蔵

東京美術学校で黒田清輝の指導を受けた。白馬会・文展に出品して受賞,のち文帝展の審査員となった。明治45年(1912)光風会を創立し,大正11年(1922)にはフランスに留学した。この作品は,天草海岸の写生で,外光派の穏健な作風を示している。第2回文展に出品した。
海 の 幸 青 木  繁(しげる)

(1882〜1911)

麻布,油彩

縦66.8cm

横178.8cm

明治42年

東京ブリッジストン美術館

小山正太郎に学び,のち東京美術学校を卒業した。若くして自馬会に出品,白馬賞を受けた。浪漫的な意想を豊麗な色彩に託し,日本やインド神話を主題として描いたが若くて死去した。この作品は房州海岸に得た題材で,力強い素描と装飾的な賦彩がこん然と融合した佳作である。
高   原 青 山 熊 治(くまじ)

(1886〜1932)

麻布,油彩

縦200cm

横360cm

大正15年

東京美術学校を卒業,白馬会や初期文展に出品して受賞した。長く欧州に滞在し,帰国後帝展に出品,その審査員となった。壁画風の群像大作をしばしば制作した。本図もその一つで,第7回帝展に出品して帝国美術院賞を与えられた。
エロシェンコの像 中 村 彝(つね)

(1887〜1924)

麻布,油彩

縦45.4cm

横42.4cm

大正9年

白馬会・大平洋画会研究所に学ぶ。レムブラントやセザンヌ・ルノアールの感化を受けた。文・帝展に出品して受賞のち審査員となったが,若くて死去。肖像画を得意とし「田中館博士像」「老母」とともに,この作品も坐者の性格をとらえたかれの代表作である。第2回帝展出品作。
裸   婦 小 出 楢 重(ならしげ)

(1887〜1931)

麻布,油彩

縦90cm

横115.5cm

昭和5年

東京美術学校に学び,二科会に出品して樗牛賞・二科賞を受けた。.大正10年(1921)欧州を巡歴,同12年(1923)二科会会員となった。奇抜な構図と明色と暖色の明快な駆使によって近代的な画風を打ち立てた。これは晩年の代表作で,第17回二科展に発表された。
童 女 像 岸 田 劉 生(りゅうせい)

(1891〜1929)

麻布,油彩

縦54cm

横46.5cm

大正10年

白馬会研究所に学んだ。印象派・後期印象派の画風を経て,北欧古典絵画とりわけデューラーの感化を受け,のちには,初期肉筆浮世絵や宋元絵画をも学んで取り入れ独自の作風を示した。草土社を組織し,のち春陽会の客員となった。これは童女像中の代表作である。
リュクサンブール公園 佐 伯 祐 三(さえきゆうぞう)

(1898〜1928)

麻布,油彩

縦72cm 横59cm

昭和2〜3年

大正12年(1923)東京美術学校を卒業し,間もなくパリに留学した。ヴラマンクに師事し,またユトリロに共鳴してフォーヴィクな手法でパリ街景を描いた。1930年協会・二科会に発表した。昭和2年(1927)ふたたび渡仏,熱情的な多くの作品を描いたが同地に客死した。
明 る い 室 牡 野 虎 雄

(1890〜1946)

麻布,油彩

縦116.3cm

横90.9cm

昭和6年

東京国立博物館蔵

東京美術学校において黒田清輝・藤島武二に学び,大正2年(1913)卒業した。帝展審査員をつとめ,また槐樹社を組織し,のち旺玄社を主宰した。明快な色調と,東洋的な筆触によって独自の画風を示した。これは槐樹社展の出品作である。
  その他の現代作家の作品

 

風 俗 図 墓室に用いられた彩画せん

19.4×120cm

紀元前1〜2世紀(前漢)

河 南 省 洛 陽 出 土

ボストン美術館蔵

胡粉(ごふん)の下塗りの上に筆で形をとり,朱を主とした彩色を施し,顔面などには胡粉を厚くかけている。自由な筆さばきとすらすらした描線は,男女の生き生きとした動作や個性的な表情を巧みにとらえている。この図によって当時の本格的な作品のすばらしさを察することができる。
人 物 図 籃胎漆器の漆枠(らんたいしっきのうるしわく)

18×39cm

1世紀(後漢)

朝鮮 平壌 楽浪(らくろう)

彩篋塚(さいきょうづか)出土

黒漆地に朱・赤・黒・緑・茶褐・薄墨などの色漆で有名な隠者と孝子が描かれている。顔や手の輪郭はきわめて細く,衣文には太くあらい線を使い,合計百に近い人物の動作や姿勢にさまざまな変化があり,目つきもいちいち違っていて,表情も多様である。
○女史箴(じょししん)画巻 伝 顧 愷 之(こがいし)

(344ころ〜405ころ)

絹本着色(けんぽんちゃくしょく)

24.7×346.7cm

英国博物館(ロンドン)蔵

顧愷之は東晉の文人画家。宮廷婦人の道徳を説いた女史箴を図にしたこの画巻は,7世紀ころの模本であろうが,簡素で上品な男女の姿態,ごく細い描線と簡単な彩色,遠い物を小さく近い物を大きく描く遠近法などに,魏晉(ぎしん)時代の画風を察することができる。
騎馬狩猟図 古墳主室の土壁

4〜5世紀

高 勾 麗(こうくり)

満洲 輯安(しゅうあん)県輯

安城外西崗(せいこう)

舞 踊 塚

高勾麗の古都址,輯安には壁画のある古墳が多い。この図は墨の描線,黄・朱・暗赤色の彩色で,山野を疾走する馬上から武人が弓で鹿や虎を射ようとする所を描く。素ぼくな描き方ではあるが,敏しょうな動きがよく現れている。
蓮華手菩薩(れんげしゅぼさつ)図 石窟寺院の壁画

顔面の長さ  約30cm

7 世 紀

イ ン ド

ハイデラバド藩王国

アジアンター第1洞

1世紀から7世紀の間に描かれたアジアンター壁画の主題は,釈迦(しゃか)の前世の修業物語(本生)と仏伝で,当時のインド貴族の生活を如実に写している。この図はグプタ朝絵画の代表作で,菩薩(ぼさつ)はじめ人間や動物の姿は陰影とハイライトによって立体的に表わされている。
仏舎利分配(ぶっしゃりぶんぱい)図 石窟寺院の壁画

高さ150cm

7 世 紀

亀茲(きじ)(中央アジアの一国)

キジール第3区マヤ洞出土

ベルリン民俗博物館蔵

仏教とその美術は中央アジアを通じて東亜各他に伝わった。この図は釈迦の死後諸国の王が遺骨(舎利)を分けた話を描く。藍(あい)・褐(かつ)・緑・朱で彩色し,人体には暈(くま)取りがある。ガンダーラその他の西方美術を継承しながら,亀茲の民族(トハラ人)独自の様式を示している。
帝 王 図 巻 伝 閻 立 本(えんりつほん)

(〜673)

絹本着色

51×531cm

ボストン美術館蔵

閻立本は初唐の宮廷美術家,のちに宰相になった。この図巻は漢から隋までの13人の帝王と侍者とを描いたもので,宋代の模本であろうが,抑揚のない描線や暈(くま)取り彩色の法などは,初唐の画風を忠実に模したものである。
○騎象鼓楽(きぞうこがく)図 琵琶撥面(びわばちめん)の装飾画

40.5×16.5cm

8世紀(唐)

正倉院蔵

谿谷(けいこく)を背景に胡人が白象に乗って奏楽舞踊する光景を写したこの図は,異国趣味と山水愛好の風を反映したもので,自然に近い物象の描写,西方伝来の陰影法,画面に奥行きを与える構図などによって,唐のはじめころまでの山水画よりも一段と写実的に描かれている。
不空金剛(ふくうこんごう)像 李  真(りしん)ら筆

真言七祖(しんごんしちそ)像の内

絹本着色

211×150cm

805(唐)

教王護国寺

[東寺](京都)蔵

師恵果(えか)から真言の秘法を授けられた空海は,当時の宮廷画家李真らの描いた中国真言宗の祖師5人の画像を持ち帰った。鉄線描と深い暈取り,精細な顔面描写によって高僧の姿を描いたこの像は,日本で描き加えた龍猛(りゅうみょう)・龍智(りゅうち)両像より写実的であり,個性の表現が鋭い。
樹下説法(じゅかせっぽう)図 絹本着色

137×97cm

9世紀(唐)

甘粛(かんしゅく)省敦煌(とんこう)

千仏洞出土

英国博物館蔵

敦煌は仏教が中国にはいる西の門であり,4世紀以来壁画や掛幅などの仏画がたくさん作られた。この図は菩提樹(ぼだいじゅ)の下の説法を描いたもので,端坐する釈迦を中心に菩薩・羅漢(らかん)・供養者を変化ある表情と姿勢で現わし,赤を主調としたはでな彩色に暈取りを施している。
四季山水図 永慶陵(えいけいりょう)[聖宗の墓]中室壁画

各々300×200cm

1031〜1035

遼(りょう)

内蒙古 ワールインマンハ

木だちのある稜線(りょせん)をいくつも重ねて遠近を現わした山の描き方強い線と濃い色の花鳥,内蒙古の灌木(かんぼく)地帯の四季おりおりの情景を鳥獣や花木を交えて描いたこの壁画は,唐代山水画の様式を素朴な形で保存しているとともに,北宋初期花鳥画の傾向をも示唆している。
孔雀明王(くじゃくみょうおう)図 絹本着色

169×102cm

10世紀(北宋)

仁和寺(にんなじ)(京都)蔵

細部の様式や技法に唐の伝統を負っているが,孔雀や雲は自然な形で描かれ,明王の姿も人間に近い。このように描写が現実的になり仏・菩薩の表現が人間味を帯びることは,唐から宋への中国仏画の重要な変化であり,わが国の仏画に与えた影響も大きい。
二祖調心(にそちょうしん)図 伝  石  恪(せきかく)

(〜965〜975〜)

紙本墨画・双幅

各々  35.5×64.5cm

正法寺(しょうほう)(京都)蔵
輪郭線も色も使わず,墨の広がりと濃淡とで物の形と明暗とを現わす水墨画は,中唐に起った新画風で,禅僧の飄逸(ひょういつ)な姿を大胆な変形と奔放な筆致とで描いたこの図は,模本ながら五代宋初の水墨画の様式を示している。

注(〜965〜975〜)は生没年不明で,西暦965年と975年に活動したことがわかっていることを示す。以下同じ。

渓山秋霽(けいざんしゅうせい)図巻 伝  郭  煕(かくき)

(〜1068〜1077〜)

絹本淡彩

26×206cm

11世紀(北宋)

フリア美術館(ワシントン)蔵

郭煕は画院の山水画家である。黄河流域の土山とその下に広がる荒涼たる原野を写したこの図巻は,正確な輪郭線と墨の濃淡とで自然の姿,大気の変化とそれによる遠近感を現わし,山野をつつむ空闊な広さを描き出している。
五 馬(ごば)図 巻 李  公  麟(りこうりん)

(1040ころ〜1106)

字は伯時(はくじ),号は龍眠(りゅうみん)

紙本墨画

28×216cm

11世紀(北宋)

中央アジアの諸国から進貢された名馬を実写したこの図巻は,魏晉時代からの古い伝統をもつ,墨の線だけで描く白描画(はくびょうが)を復興した文人画家李公麟唯一の真筆である。細い線のもつ微妙な抑揚は,対象の厚味や丸味をとらえ,生気ありしかも気品ある描写に成功している。
桃 鳩(ももはと)図 徽   宗(きそう)

(1082〜1135)

絹本着色

29×26cm

1107(北宋)

徽宗は画院を盛んにし,画家の指導に熱心であったばかりでなく,すぐれた芸術家でもあった。この図は輪郭線を現わさない沒骨画(もつこつが)で,厚手の彩色に繊細な毛描(けがき)をし,平面的ではあるが,形も整い安定感もある。はなやかな色彩美におっとりとした気品をたたえている。
山 水 図 李   唐(りとう)

紙本墨画 双幅

各々

106.6×43.5cm

12世紀(北宋)

高桐院(こうとういん)(京都)蔵

南宋山水画の先駆をなすこの図は,北宋末から南宋のはじめの画院画家李唐の作で,皴法(しゅんほう)(山や岩のひだを描いて,その立体性,表面の肌合い,量感を現わす手法)の活用によって,山と岩との重々しさと大きさとを写し,自然の人に迫るきびしい力を描き出している。
四季山水図 伝  徽  宗

絹本着色 3幅

[春景を欠く]

各々127×55cm

12世紀(南宋)

夏景は久遠寺(くおんじ)(山梨)

秋景・冬景は金地院(こんちいん)(京都)蔵

夏景は強風にあおられながら歩む人を,秋景は澄み切った空高く飛ぶ鶴(つる)をすわって見る人を,冬景は滝の響きを破る猿(さる)の叫びにただずんで耳を澄ます人を中心に,重点のやや片寄った構図で自然の一角を描く。観者は画中の人物になりきることによって,描かれた情景の詩的気分を味わうのである。
鶉(うずら)図 伝 李 安 忠(りあんちゅう)

(〜1119ころ〜1138ころ〜)

絹本着色

24.2×27cm

12世紀(南宋)

根津美術館(東京)蔵

李安忠は徽宗・高宗時代の画院の画家,花鳥画,特に鶴の名手。空間の奥深さを暗示する構図,凛(りん)とした筆勢ある描線,落ち着いた気分を出す清澄な彩色,静中動を感じさせる片足をあげた鶉の姿,これらがこの図を院体(いんたい)(画院の様式)写生画の代表作たらしめている。
林 檎 花(りんごか)図 伝  趙  昌(ちょうしょう)

絹本着色

23.6×24.5cm

12世紀(南宋)

南宋の折枝(せっし)(花のついた枝だけを描いた図)の代表作。この絵の見どころは,あざやかなぼかしを用いた彩色であるが,繊細な淡墨の輪郭線も見のがせない。線の尊重という古来の伝統が,勢いを得てきたことを示している。
枯 木(こぼく)図 巻 王 庭 ■ (おうていいん)

(1151〜1202)

紙本墨画

38.4×115.2cm

12世紀

藤井有隣館(京都)蔵

王庭■は蘇東坡(そとうば)の人物を慕い,その画を学んだ文人。簡略化した形で枯木と竹とを描いたこの図は,墨の濃淡・広がり・にじみの生み出す一種の音楽的諧(かい)調の美を目ざした作品である。二祖調心図のようなあらい筆致の水墨画の発展したもので,当時の用墨法の粋を示す。
雨中(うちゅう)山水図 伝  馬  遠(ばえん)

(〜1190ころ〜1124ころ〜)

絹本淡彩

111×56cm

13世紀(南宋)

静嘉堂(東京)蔵

馬遠・夏珪(かけい)は画院の山水画家。その作風は室町時代の絵画に多大の影響を与えた。この図は馬遠風の絵の中での傑作。狭い景色を描いているが,それを細密に写すのではなく,自然の一角を描くことによって,画面上に山水の景趣を構成するのである。構図は奥深く,描線は強調され,皴法(しゅんほう)は簡潔で整っている。
風雨(ふうう)山水図 夏   珪

(〜1195ころ〜1224ころ)

紙本墨画

79×33cm

13世紀(南宋)

近景と遠景とが濃く淡くきわ立って対立し,一見安定を欠く構図は気象のただならぬさまを暗示し,葉を散らしながら揺れる木は風の強さを活写している。画面構成は機知的であり,簡潔な筆致で墨を豊かに使っている。
○雪景山水図 梁   楷(りょうかい)

(〜1201ころ〜1204ころ〜)

絹本淡彩

111×50cm

13世紀(南宋)

東京国立博物館蔵

梁楷は画院の画家。この図は雪に閉ざされた北辺の国境地帯を行く旅人を描く。前景の低い木の交差と大きい山の重なりとの対立緊張による画面構成は,厳粛な静けさのうちに自然の大きさと奥深さとを表現し,鋭い筆致は辺境の寒気と哀愁とを感じさせる。
六租截竹(ろくそさいちく)図 梁   楷

紙本墨画

74×32cm

13世紀(南宋)

東京国立博物館蔵

梁楷の本領は人物画にある。極度に筆数を減じて細部の形を大胆に省略する減筆体という画法を得意とした。禅宗第六祖慧能(えのう)の行状を描いたこの図はその好標本で,簡略な筆致によって,竹を切る刹那(せつな)の動作をとらえている。
無準(ぶしゅん)師範像 絹本着色

125×59cm

1238(南宋)

東福寺(京都)蔵

禅僧の肖像を頂相(ちんそう)という。無準師範からその弟子東福寺の開山聖一(しょういち)国師に与えたこの像は,無準が日本の禅宗と深い関係があったため,わが国頂相の祖型となった。面貌(ぼう)を精細に写し,軽い暈をつけ,衣文は太い筆致にかえて,おおらかに安坐の姿態をとらえている。
夕陽(せきよう)山水図 馬   麟(ばりん)

(〜1246〜1264ころ)

絹本淡彩

52×27cm

1254(南宋)

根津美術館蔵

馬麟は馬遠の子。この図は夕焼け空を背にした山,それに囲まれた広い水面を描く。青い遠山の上下に赤い薄雲がたなびき,山足と遠い水面とは描き消され,飛びかう燕(つばめ)の動きを助けとして水面の広がりが暗示される。瀟洒(しょうしゃ)な趣のある,南宋後期院体山水画の代表作である。
籠 雀(かごすずめ)図 伝 宋 汝 志(そうじょし)

(〜1260ころ〜1264ころ〜)

絹本着色

21.5×21.8cm

13世紀(南宋)

5羽の雛(ひな)雀がえさを求めて巣籠の内外で鳴き騒ぎ。巣籠は傾いてまさに倒れそうになっているさまを,著しく強調された描線で描く。雀と籠の外には何物も描かず作家はこの一瞬の情景に意識を集中して,躍動する生命の実相を端的にとらえたのである。
○観音猿鶴(かんのんえんかく)図 牧   谿(もくけい)

名は法常(ほうじょう)

(〜1248〜1280〜)

絹本墨画

中幅(観音)

171.8×97.8cm

左幅(猿)

173.6×99.2cm

右幅(鶴)

173.2×99.2cm

13世紀(南宋)

大徳(だいとく)寺(京都)蔵

牧谿は蜀(しょく)の出身の禅僧。この図は線描による形体の確実な把握(はあく)を基礎とし,微妙な墨調によって立体感と遠近感とを現わし,牧谿の本領たる偉大な精神の力を表出している。宋代水墨画の極致を示す作品である。わが国の水墨画は牧谿画を最高の典型として発展した。
山市晴巒(さんしせいらん)図 (瀟湘(しょうしょう)八景の内)

玉   澗(ぎょくかえ)

紙本墨画

33×84cm

13世紀(南宋)

木も岩も家も山も一つとして明確な形をなさず,一見散り散りに描かれたあらい墨のかたまりや大きな点が有機的に組立てられて,煙の晴れ上がりゆく山あいの村の情景となり,それをつつむ空闊な広さをも描き出している。雪舟の破墨山水(はぼくさんすい)もこの画法にならったのである。
葡 萄(ぶどう)図 日   観(にっかん)

名は子温(しおん)

(〜1293〜)

紙本墨画

158×42cm

1291(元)

日観は葡萄の水墨画と草書とで有名な僧である。草書の筆法を用い,激しい筆力で一気に描き上げたこの図は,たくまずして葡萄の枝葉や果実の量感を現わしている。墨技の練達を示すものであり,いわゆる書画一致の実例である。
蝦蟇鉄拐(がまてっかい)図 顔   輝(がんき)

字は秋月(しゅうげつ)

(〜1297ころ〜1308ころ〜)

絹本着色 双幅

各々162×80cm

14世紀(元)

智恩寺(ちおん)(京都)蔵

顔輝は仏教・道教に関する図像の着色画を得意とした宮廷画家。この図は蝦蟇・鉄拐の両仙人を描いた元代絵画の一代表作である。宋代の写実主義を受け継いでいるが,その理知的な傾向から一転して,主題の幽暗な怪奇さを感覚的に強調する方向に新生面を開いている。
蘭(らん)図 雪   窓(せっそう)

(〜1323〜1349〜)

絹本墨画 四幅

各々

106×46cm

1343(元)

御 物(ぎょもつ)

北宋以来,松・竹・梅・蘭などの水墨画は,文人や僧侶の好んで描くところである。禅僧雪窓の描いたこの図は,牧谿の画風を継承した作。雪窓の墨蘭(ぼくらん)は日本の禅僧に珍重されたが,牧谿同様,本国の批評家からは排斥された。
富春山居(ふしゅんさんきょ)図巻 黄  公  望(こうこうぼう)

宇は子久(しきゅう)号は大癡(だいち)

(〜1269〜1354〜)

紙本墨画

31.5×589cm

1350(元)

黄公望は呉鎮(ごちん)・倪 ■(げいさん)王蒙(おうもう)とともに元の四大家といわれた文人画家。かれらは復古的な意識から,五代宋初の南方の山水画家薫源(とうげん)・巨然(きょねん)の画風を学んで南画の基礎を作り,元代山水画の主役となるとともに,明清山水画の源泉となった。黄公望が隠棲(いんせい)したことのある富春山のけしきを写したこの図巻は,自然に対する親近感と人間的な情緒とを卒直に表わしている。
西林禅室(せいりんぜんしつ)図 倪 ■   

字は元鎮(げんちん)号は雲林(うんりん)

(1301〜1374)

紙本墨画

39.6×50.5cm

14世紀(元)

構図も描法も簡素淡白で,墨のかすれた柔らかい描線が重なりあいもつれあって,含みのある輪郭づけをしている。自然の形態の描写よりも,作家の意思の卒直な表現を求める点で,倪 ■は四大家随一といわれた。
九段錦画冊(くだんきんがさく) 沈   周(しんしゅう)

字は啓南(けいなん)号は石田(せきでん)

(1427〜1509)

紙本淡彩 6図

(3図欠失)

各々

18×34.7cm

1471ころ(明)

沈周は元の四大家の画風を学んだ文人画家。古画の研究を重ねて自己の様式を作り上げた。沈周の典雅な気質は,この画冊の樹木の形,色彩の柔らかさ,自由に適確にとらえられた小人物の姿態などに現れ,精緻(ち)な画風のうちに,おのずから気品が備わっている。
賺蘭亭(れんらんてい)図 仇   英(きゅうえい)

字は実父(じっぷ),号は十州(じゅっしゅう)

(〜1533〜1555〜)

紙本墨画

87.9×43cm

16世紀(明)

刻苦して古画を臨模し抜巧をみがいた仇英は,南宋画院風の細密濃麗な画態を得意とし,他方李公麟・趨孟■(ちょうもうふ)系統の白描画にもすぐれた手腕を示した。この図は唐の太宗(たいそう)が蘭亭序(らんていじょ)という書の傑作をだまし取る話を描く。白描の筆線は鋭く,形体の描写は洗練されている。
○山水画冊 董  其  昌(とうきしょう)

字は玄宰(げんさい),号は思白(しはく)

(1555〜1637)

絹本墨画および着色 5図

各々

27.3×25.3cm

17世紀(明)

東京国立博物館蔵

董其昌は理論と実践の両面にわたって南画の興隆に尽した文人。そのため明末以後南画は中国絵画の主流となった。この画冊に見られる,秀潤な墨気と洗練された筆致,瀟洒で平明な画趣は,董其昌のかかる歴史的位置にふさわしいものである。
東坡時序詩意(とうばじじょしい)画冊 石   濤(せきとう)

名は道済(どうさい)

(〜1625ころ〜1715)

紙本淡彩 12図

各々

26.9×38.8cm

17世紀(清)

大阪市立美術館蔵

蘇東披の詩の中から季節に関する十二題を選び,詩意によって図を作ったもの。簡素な図がらであるが,よく季節感をもり,軽淡な彩色によって清純な趣致をたたえている。石濤は明の王族の末裔(えい),明朝の滅亡にあって僧となり,放逸な個性を画筆に託した人。
花卉(かき)図冊 惲   格(うんかく)

字は寿平(じゅへい),号は南田(なんでん)

(1633〜1690)

紙本着色 12図

各々

27.6×43cm

17世紀(清)

大阪市立美術館蔵

惲格は清初の文人画家。王時敏(おうじびん)・王鑑(おうかん)・王■(おうき)・王原祁(おうげんき)・呉歴(ごれき)とともに四王呉惲(しおうごうん)と並称された。北宋の沒骨画を研究し,西洋の陰影法をも参しゃくして,輪郭線をほとんど用いない写生風の花卉画をはじめた。この画冊はその代表作。渡辺崋山・椿椿山(つばきちんざん)は惲格の画風を学んだ。

 

(注;西洋絵画は14世紀,ジョットからあげてあるが,それ以前のアルタミラの壁画,エジプト古墳の壁画,ギリシヤの各種のつぼ絵,ローマの各種のモザイック壁画,初期キリスト教時代のモザイック画なども鑑賞の対象して適宜指導されたい。)
 
小鳥に説教する聖フランチェスコ ジ ョ ッ ト

Giott

(1266ころ〜1337)

全図140.5×102.5cm

14世紀

イタリア

アッシジ(所在)

ジョットは15世紀にフローレンスを中心にして起ったルネッサンスの新しい写実的な絵画の始祖といわれる大画家である。この絵はアッシジの聖フランチェスコ寺上院に描いた有名な聖フランチェスコの一代記の一つである。
聖奏の天使たち ファン=アイク兄弟

Hubert Van Eyck

(1366ころ〜1426)

Jan Van Eyck

(1370ころ〜1440)

全図各 161×70cm

15世紀(ルネッサンス)

フランドル

ガン(ベルギー)(所在)

15世紀のはじめ北欧フランドルに起った新いしい写実的な絵画はフーベルトとヤンのファン=アイク兄弟によって確立され,またかれらこそその最大の画家である。さらにかれらによって油絵の技法が真に近代絵画の材料としてはじめて用いられた。この絵はふたりの合作になる有明な聖パヴオ寺の祭壇画の一部で,北欧絵画の珠玉として名高い。
楽園を追われるアダムとイヴ マサッチョ

Masaccio

(1402ころ〜1428ころ)

全図 206×88cm

15世紀(ルネッサンス)

イタリア

フローレンス(所在)

イタリア,ルネッサンス絵画の最初の大家で,徹底した写実家であった。この絵はかれの代表作たる聖カルミネ寺のブランカッチィ礼拝堂の壁画の一部である。この壁画はその後のルネッサンスの大家たちから手本として尊敬された。
ボッティチェルリィ

Sandro Botticelli

(1444〜1510)

全図 203×314cm

15世紀(ルネッサンス)

イタリア

フローレンス(所在)

かれは15世紀フローレンスの最も代表的な画家で,特に古代芸術に深い関心をもった。「春」はかれの代表作の一つといわれ,人間の生命の喜びと古代風な肉体の美しさを表現した名作である。
最後の晩餐(ばんさん) レオナルド=ダ=ヴィンチ

Leonardo da Vinci

(1452〜1519)

全図 420×910cm

15世紀(ルネッサンス)

イタリア

ミラノ(所在)

かれはルネッサンスの最もすぐれた大天才である。あらゆることにひいでていたが,特に絵画はルネッサンスの理想である気高さ,崇高さの完成者といわれ,真に世界最大の画家である。この絵はかれの代表作の一つとしてあまりにも有名であるが,現在は損傷がきわめてはなはだしい。
○モナ=リーザ レオナルド=ダ=ヴィンチ

Leonardo da Vinci

全図 77×53cm

16世紀(ルネッサンス)

イタリア

パリ(所在)

「最後の晩餐」とともにレオナルドの傑作である。特にその表現の神秘的な美しさや背景に描かれた風景の東洋のすぐれた水墨画のような奥深さはまったくかれ独特のものである。これほど理想的な美しさと生命感にあふれた絵はほかにないであろう。
最後の審判 ミケランジェロ

Michelangelo

(1475〜1564)

部分

全体1450×1330cm

16世紀(ルネッサンス)

イタリア

ローマ(所在)

かれはむしろ彫刻にすぐれていたが,絵画でもレオナルドと並ぶルネッサンス最大の大芸術家である。かれの描く人物はその巨人のような大きさと力強さと,そして動きの複雑さにおいてレオナルドの静かな気高さと対照的である。この絵はヴァティカン宮のシスティン礼拝堂に描いた有名な大祭壇画の中央部で,かれの最大の傑作である。
システィンのマドンナ ラ フ ァ エ ロ

Raphaello

(1483〜1520)

全図 265×196cm

16世紀(ルネッサンス)

イタリア

ドレスデン(所在)

レオナルド・ミケランジェロとともにルネッサンス全盛期の三大家といわれている。かれの絵は理想化された優稚な美しさに特色があり,多くのやさしい気品に満ちた聖母画を描き,またすぐれた構成力をもって大ぜいの人物を扱った壁画にも傑作が多い。この絵はかれの聖母画中の最も典型的なものとして名高い。
ラ=ヴィニア テ ィ チ ア ン Titian (1477〜1576)

全図 102×82cm

16世紀(ルネッサンス)

イタリア

ベルリン(所在)

かれは16世紀イタリア絵画の中心地の一つたるヴェニス最大の画家である。豪華な色彩と豊かな肉体の表現はヴェニス派独特のものであるが,それがかれによって最もよく代表されている。この絵もかれの特色のはっきりした名作としてよく知られている。
聖マルコの奇蹟 テ ィ ン ト レ ッ ト Tintoretto (1518〜1594)

全図 415×545cm

16世紀(ルネッサンス)

イタリア

ヴェニス(所在)

かれは全盛期ヴェニス最後の大画家である。なまなましい写実の上に大胆な動きの多い構図と光と影の力強い対比による劇的な場面を多く描いている。この絵はかれの最大の傑作の一つといわれ,うずまくような人々の動きや巧みな逆光線の扱いによる奥の深さなど,かれ独特のものである。
盲人たち ブ リ ュ ー ゲ ル Brueghel (1528ころ〜1569)

全図 114cm×164cm

16世紀(ルネッサンス)

フランドル

ナポリ(所在)

かれは16世紀フランドル最大の画家で,ファン=アイク以来の伝統的な写実の上にイタリアの長所も巧みに取り入れて,機知にとんだ風俗画や北欧らしい風景画を多く描いた。特に農民の生活などを幾分皮肉をまじえて描くことにすぐれていた。この絵もそのようなかれの特色の見事に発揮された傑作である。
ひわのマドンナ デ ュ ー ラ ー (1471〜1528)

全図 91×76cm

16世紀(ルネッサンス)

ドイツ

ベルリン(所在)

16世紀に盛んになったドイツ絵画の代表者である。かれの絵はたとえばこの「ひわのマドンナ」にしても,イタリアのものほど豊かな明るさはないが,鋭い線と形によって写実家としての特色がよく出ており,さらにその深い表情からは一種独特の神秘約な印象を受ける。すなわちそれは同時にドイツ絵画の特色でもある。
王后ジアン=シーモア像 ホ ル バ イ ン Holbein (1497〜1543)

全図 65.5×47.5cm

16世紀(ルネッサンス)

ドイツ

ウィン(所在)

かれはデューラーに匹敵するドイツ,ルネッサンスの大家である。特に肖像画にすぐれ,綿密な写実とドイツ人らしい写実の上に美しい色の調和をもっていた。この絵などかれの特色のじゅうぶんに発揮された名作といえよう。
聖   告 グ  レ  コ Greco (1548〜1614)

全図 107.5×78cm

17世紀(バロック)

スペイン

倉敷,大原美術館蔵

スペイン絵画全盛期の最初の大家である。写実的ななまなましさを神秘的な光と色によって深め,独自の宗教画や肖像画を描いた。この絵はわが国にある西洋の最も古い名作の一つとしてきわめてたいせつな作品である。
ブレダの開城 ヴ ェ ラ ス ケ ス Velazquez (1599〜1660)

全図 307×367cm

17世紀(バロック)

スペイン

マドリッド(所在)

かれは17世紀スペインの最大の画家で,鋭い観察力と的確な写実力によって多くの肖像画・歴史画・風俗画などを描いている。この絵はかれの代表的な歴史画として名高く,人物の個性表現のすばらしさと画面構成の見事さによってその力倆をじゅうぶんに示している。
メロンを食う少年たち ム  リ  ロ Murillo (1617〜1682)

全図 144×101cm

17世紀(バロック)

スペイン

ミュンヒェン(所在)

ヴェラスケスほどの風格の大きさや鋭さはないが,明暗の巧みなく使用によって柔らかい感じの宗教画や風俗画など親しみやすい作品を残している。特に宗教画ではマリアの絵,風俗画では街頭のこどもたちを描いたものが多い。この絵も題材的にも技法的にもかれの特色のはっきりした典型的なものである。
神 話 風 景 プ ー サ ン Poussin (1594〜1665)

148×197cm

17世紀

フランス

レニングラード(所在)

かれはフランス絵画の確立者として尊敬されている。生がいの大部分をイタリアに住み,古代やルネッサンスの芸術に傾倒し,古典風の歴史画や理想主義的な静かな風景に神話の人物などを配した作品を多く描いている。この絵はかれの作風の円熟した時代の傑作として有名である。
スザンナ=フールマン リ ュ ー ベ ン ス Rubens (1577〜1640)

全図 77×53cm

17世紀(バロック)

ベルギー

ロンドン(所在)

かれはべルギー第一の画家であり,この時代の王候貴族を中心とする現実的な豪華な好みを最もよく代表する画家である。あらゆる題材を描いたが,特に女性の肉体の豊満健康な喜びを輝かしい色彩で描きつづけた。この絵もその典型的なものであり,堂々とした明るい美しさに満ちあふれている。
オラーニエン公とマリア姫 ヴ ァ ン=ダ イ ク Van Dyck (1599〜1641)

全図 182.5×144cm

17世紀(バロック)

べルギー

アムステルダム(所在)

かれはリユーべンスの弟子(でし)で,師につぐベルギーの大家である。優雅繊細な画法の人で,特に肖像画にすぐれていた。この絵はかれがイギリスの宮廷画家としてその晩年に描いた傑作で,優美な上品さが美しく表現されている。
夜   警 レ ム ブ ラ ン ト Rembrandt (1607〜1669)

全図 365×438cm

17世紀(バロック)

オランダ

アムステルダム(所在)

新しい近代的な風俗画や風景画を生んだ17世紀のオランダで,ひときわすぐれた大画家はレムブラントである。かれは光の画家,魂の画家といわれるほど独特の明暗の大家であり,また深い人間愛に満ちた画家であった。この絵はかれの中期の傑作として名高く,色の深さも人々の動きもかれ独特のあたたかく深い明暗によって見事に調和と統一が与えられている。
男 の 肖 像 フランス=ハルス Frans Hals (1584ころ〜1666)

全図 108×95cm

17世紀(バロック)

オランダ

ロンドン(所在)

レムブラントに次ぐオランダの大家であり,風俗画家としては最も代表的な人である。特に笑いの画家といわれるほど巧みに笑いの表情を大胆なタッチでとらえている。この絵は一名「愉快な兵士」と呼ばれ,かれの傑作として有名である。
田 舎(いなか)道 ホ ッ ベ マ Hobbema (1638〜1709)

全図 102×140cm

17世紀(バロック)

オランダ

ロンドン(所在)

ヨーロッパで真に独立した風景画が発展したのは17世紀オランダが最初であるが,かれもその代表者のひとりである。好んで平和な田園風景を描き,中でもこの作品は最もよく知られている。
田園の楽興 ワ  ト  ー Watteau (1684〜1721)

全図 56×46cm

18世紀(ロココ)

フランス

パリ(所在)

その優雅な感じと温和な詩情は宮廷文化といわれたこの時代のフランス絵画の傾向を最もよく代表している。歴史画や上流社会を扱った風俗画が多いが,かれの作品には同時代の同傾向の人たちのものにみられぬ一種の健康な明るさがある。たとえばこの絵によってもかれのその長所がよくみられるであろう。
食前の祈り シ ャ ル ダ ン Chardin (1699〜1779)

全図 46×39cm

18世紀(ロココ)

フランス

パリ(所在)

ワトーとともにこの時代のフランスを代表する画家であるかれも主として風俗画を描いたが,題材は健全な市民生活であり,日常的な親しみやすい家庭生活の情景である。この絵はかれの代表作の一つであり,しっとりした愛情と平和に満ちた美しい作品である。
青衣の少年 ゲンスボーロー Gainsborough (1727〜1788)

全図

18世紀(ロココ)

イギリス

ロンドン(所在)

イギリスも18世紀になると漸くかれのような才能のある画家が何人か現れた。かれは当時のフランスの影響を受けながら,その素直な写実にはイギリス近代画の創始者の一人としての才能がみられる。この絵は上品な,しかも美しい筆力を示した傑作としてよく知られている。
イサベラ=ボールセル像 ゴ   ヤ Goya (1946〜1828)

全図 82×55cm

19世紀

スペイン

ロンドン(所在)

この時代のスペインで一きわ目立つ大画家である。情熱的な性格と鋭い写実によって新鮮ないきいきした作品を描いている。特に肖像画,諷刺的な風俗画,激しい動きの情景などにすぐれ,色も美しく,黒と自の使い方など独特である。この絵はかれの肖像画中の傑作であり,スペインへらしい特色をよく出している。
ホライティウスの誓い ダ ヴ ィ ッ ト David (1748〜1825)

全図 330×427cm

19世紀(古典派)

フランス

パリ(所在)

19世紀に起った古典派の代表者である。彫刻的な線や形による理想化された人間像を得意としたが,その反面,色が冷めたい欠点をもっている。この絵は祖国ローマに捧げる三人兄弟の物語を描いたかれの代表作である。
オダリスク ア ン グ ル Ingres (1780〜1867)

全図 91×162cm

19世紀(古典派)

フランス

パリ(所在)

 
ダヴィットの門から出て,かれとともに古典派最大の画家になった。かれはラファエロの芸術から多くを学び,また素描家として非常にすぐれていた。作品は美しく整った優雅な婦人の裸体画と明快流麗な線による肖像画に最もよく特色がみられるが,この作品などかれの傑作中の傑作である。
○聖母の教育 ド ラ ク ロ ワ Delacroix (1799〜1863)

全図 44×45cm

19世紀(ロマン派)

フランス

東京国立博物館蔵

古典派の一極の冷めたさに対して情熱的な表現を求めたのがロマン派であり,かれはその代表者である。強い色彩をもって感動的な事件を描き,一方近東風な風俗や色彩の鮮かさにも魅せられた。この絵は30年ほど以前にわが国に入ったかれの名作で,深く澄みきった色の美しさは,まったくかれ独特の世界である。
ヴ ェ ニ ス タ ー ナ ー Turner (1775〜1851)

全図 60×90cm

19世紀

イギリス

ロンドン(所在)

イギリス近代画の大家である。特に光にとける微妙な色の表現は後にフランス印象派に多くの影響を与えた。好んで霧の深いテームス河や海景を描いた。この絵も靄(もや)に包まれたヴェニスの運河を描いたもので,明るく温かい光と色の融和した傑作である。
ガンドォルフォ城 コ  ロ  ー Corot (1796〜1875)

全図 65×81cm

19世紀(自然主義)

フランス

パリ(所在)

かれは美しい人物画も描いているが,自然主義の代表者として,その風景画は余りにも有名である。フランスの田舎(いなか)の静かで,しっとりした森や沼の感じをよく生かし,それに神話の人物や,あるいはこの絵のように古城などを配して心ゆくまで自然のおだやかな詩情を描いている。
晩   鐘 ミ レ ー Millet (1816〜1891)

全図 54×65cm

19世紀(自然主)

フランス

パリ(所在)

かれは,主として土に親しむ農民の生活を深い愛情をこめて描いている。コローの作品のようなぼのぼのとした美しさはないが,そのかわり見る人の心に直接ひびいてくるようなしみじみとしたものが感じられる。かれの作品の中でも,夕べの鐘の音に仕事の手をやめて静かに祈りを捧げるこの晩鐘の絵は特に名高い。
石 割 り ク ー ル ベ ー Courbet (1819〜1877)

全図

19世紀(写実派)

フランス

ドレスデン(所在)

実際にあるものをことさら美化することなく。ありのままに描こうというクールベーの写実主義は近代絵画の最初の現れとも言えよう。かれは当時の一般の画家たちがさけていた労働者の姿や平ぼんな風景などを好んで描いた。この作品はかれの考え方の端的に出ている傑作としてよく知られている。
自 画 像 マ   ネ Manet (1832〜1883)

全図 94×62.5cm

19世紀(印象派)

フランス

日本(所在)

現代絵画の基礎となった印象派はマネを中心にして生れた。かれは当時の一般の画家たちにはみられぬ明るい色とその大胆な対比によってきいきした風俗画を描いた。この作品はかれの傑作であり,かれの全身の自画像としては唯一のもので,巧みなタッチと軽快な線による心憎いまで発らつとした作品である。
睡 蓮 の 池 モ   ネ Monet (1840〜1926)

全図 101.5×74.5cm

19世紀(印象派)

フランス

東京 ブリジストン美術館蔵

光の絵画と言われる印象派の真の完成者はモネである。かれは光によって絶えず変化する微妙な色彩の美しさを表現しようとして専ら明るい外光を描いた。かれのすぐれた作品はわが国にもかなり多く来ているが,その中でも夕陽をうけて温かく輝くこの睡蓮の池は傑作の一つと言われている。
田 舎 の 女 ピ  サ  ロ Pissarro (1830〜1903)

全図 65×54cm

19世紀(印象派)

フランス

パリ(所在)

モネとならび称せられる外光派(狭義の印象派)の代表作である。色彩は次第に色の点を細かく重ねたり並べたりして複雑な濁りのない色の感じを出すようになった。主として風景画を描いたが,この絵のような人物画にもかれの特色はよく出ている。明るく温かくそしておだやかな絵である。
ブージヴァール シ ス レ ー Sisley (1839ころ〜1899)

全図 74×55cm

19世紀(印象派)

フランス

東京 ブリジストン美術館蔵

モネ・ピサロと並ぶ外光派の大家である。澄みきった大気の感じを描くことを得意とし,主としてセーヌ河の風景を描いた。かれの絵も数点わが国にあるが,これはその中でも有名な作品である。しっとりと落ち着いたさわやかな絵である。
耕   作 セガンティーニィ Segantini (1858〜1899)

全図 116×227cm

19世紀(印象派)

イタリア

ミュンヒエン(所在)

イタリアとオーストリアの国境に生れたかれは生がいアルプスの高原に住み,高原特有の明るく強い光を描き続けた。この絵は色のますますさえたかれの晩年の特色のよく見られる絵である。
踊 り 子 ド   ガ Degas (1834〜1917)

全図 58×42cm

19世紀(印象派)

フランス

パリ(所在)

印象派の人々は多く風景を描いたが,ドガは主として人物を,それも踊り子とか,洗たく女を描き,その瞬間の動きや光りに見られる光や色の効果を巧みにとらえた。かれはまたパステル画にもすぐれていた。この絵はかれの傑作の一つである。
○少   女 ル ノ ア ー ル Renoir (1841〜1919)

全図 63×52cm

19世紀(印象派)

フランス

日本 (所在)

かれも印象派の代表者のひとりであるが,風景よりも人物(特に女やこども)やばらの花などを描いたものが有名である。すなわち豊かで健康な肉体や豪華な感じの花をじゅうぶんに印象派風に解釈したあたたかく燃えるような輝く色彩をもって描いた。この絵も早くからわが国に来ており,健康で明るいこどもの感じがよく出ている。
グラン=ジャットの日曜日 ス ー ラ ー Seurat (1859〜1891)

全図 200×300cm

19世紀(印象派)

フランス

シカゴ(所在)

光の色の微妙さを描くために細かい色の点を重ねたり並べたりした外光派の描き方をいっそう科学的にし,同じ大きさの色点を並べて描いた新印象派の代表者である。しかもかれの絵には落ち着いた古典的な味もある。この絵はかれの最大の傑作としてきわめて有名である。
オランダ風景 シ ニ ャ ッ ク Signac (1865〜1936)

全図 208×261cm

19世紀(印象派)

フランス

倉敷 大原美術館蔵

スーラーとともに新印象派の理論を作り上げた人である。この絵のようにかれは海景とか河の風景を主として描き,ちょうどモザイクのような美しさを現わした。新印象派の描き方は色の科学を教えた点で,その後の絵画に大きな影響を与えた。
○聖ヴィクトアール セ ザ ン ヌ Sezanne (1839〜1906)

全図 81×64cm

19世紀(印象派)

フランス

東京 ブリジストン美術館蔵

かれも印象派の中心人物のひとりであるが,しだいに光によって変化する色や形の美しさを描くことにあきたらなく感じ,もっと描くものの本質をしっかりとらえようとした。そしてできるだけ単純化された形を求め,また画面構成に力を注いだ。かれのこの新しい絵画を後期印象派と呼んでいる。このどっしりした自然の深さを思わせる絵はわが国にあるかれの多くの作品中でも傑作である。
市   場 ゴ ー ガ ン Gauguin (1848〜1903)

全図 73×91cm

19世紀(印象派)

フランス

バーゼル(所在)

セザンヌが形の単純化を通して自然の本質に迫ろうとしたのに対し,ゴーガンは色の単純化を通してそれを求めた。中年からは主としてマルチニック島や南太平洋のタヒチ島に住み,未開人の単純さと熱帯の明るい色を描き続けたが,描法には日本の浮世絵の影響も強い。この絵はタヒチ時代の傑作で,大きな色面による装飾的な描き方にかれの特色がじゅうぶんに出ている。
は ね 橋 ゴ  ッ  ホ Gogh (1853〜1890)

全図 50×65cm

19世紀(印象派)

オランダ

ケルン(所在)

かれはセザンヌ・ゴーガンとともに後期印象派の最大の画家であり,明るく強烈な色と独特の筆づかいで感情の強さを表現しようとした。かれもまた浮世絵に非常な魅力を感じたが,この絵にもその趣はある。晩年の作品にみるうずまきのようなタッチはないが,単純明快な傑作といえよう。
ムーラン=ルージュにて ロ ー ト レ ッ ク Lautrec (1864〜1901)

全図 80×60cm

19世紀(印象派)

フランス

パリ(所在)

由緒ある伯爵家の長男に生れたが,場末の酒場や寄席(よせ)のような歓楽場のふんい気を好み,そこに働く女。踊り子などを幾分の皮肉をまじえて,独特の軽快な筆で描き続けた。さらに石版画にもすぐれ,またポスターに高い芸術性を与えた最初の人である。この絵などかれの長所のよく出ている傑作である。
牛のいる風景 ル  ソ  ー Rousseau (1844〜1910)

全図 47×55cm

19世紀

フランス

東京 ブリジストン美術館蔵

最初税関の役人であったかれはのちに絵画に専念するようになったが,この絵のように独特の描法によって純真な童話の世界を感じさせる素ぼくな明るい美しさを表現した。19世紀末から20世紀にかけての特異な画家である。
愛   国 シ ャ ヴ ァ ン ヌ Chavannes (1824〜1898)

全図 100×95cm

19世紀

フランス

倉敷 大原美術館蔵

独創的な装飾画家である。かれの作品には清澄でおだやかな色と洗練された線によって詩的な情緒が漂ってる。パリのソルボンヌ大学をはじめ,多くの壁画にその長所を発揮した。この絵は大作ではないが,かれの作風のよく現れた静かな作品である。
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