第6章 評 価 の 方 法

 

Ⅰ.評価はなぜ必要か

 

 1.指導の目標が達せられたかどうかを知るために

 第1章でわたくしたちは理科の目標について考えてみた。わたくしたちは,この理科の目標を達成しようとして,指導に努力しているのである。

 この指導の効果が,どの程度達せられたかを反省してみることは,自分たちの努力の収穫を知る喜びであると同時に,さらに,今後,よりよき結果をうる道を見いだすのに役だつのである。そして,その反省は指導の効果を飛躍的に増大するのに大きな力となるのである。

 指導ということは,教師がこどもに対して行う教育的な活動であって,こどもの側からみると,この指導によって進歩するのである。また,この進歩を促す原動力となるものは,絶えず学ぼうとするこどもの欲求である。

 そこで,指導の目標が達せられたことを知るためには,これを次のように,二つの立場から考えてみることができる。

(1) こどもの進歩を知るために

 教師が理科の指導計画をたてる場合には,こどもの能力の発達や興味のあり方について調べ,学年ごと,または学級ごとに,おおよそのねらいを決める。それに基いて指導の内容を考えていくのである。

 指導の目標は,理解・能力・態度の三つの面から考えられている。もとより,これらは互に密接な関係があり,分けて考えることは困難な場合があることはいうまでもない。しかし,指導のねらいをどこに置くかという観点から,目標を具体的に三つの面に分けてあげておくことはできる。教師はもとより,こどもも,学習中および学習の後において,いつもその学習によって得たものが目標にどの程度に近づいたか,または目標に到達することができたかを知っていることが必要である。

 教師はこの目標に照し合わせて,こどもの進歩の程度を見まもり,こどもは自分の進歩を自覚し,両者がともに絶えず目標の達成に努力を続ける態度を養うことが,評価の重要な一つの面であるということができる。

(2) こどもの欲求が達せられたかどうかを知るために

 学ぼうとする意欲を中心として,学習が展開されていくことは,理科の学習の場合でも,他教科の場合と同じである。自分で問題をもち,その問題を解決する方法を計画し,その計画に従って研究の活動が進められていく。問題が解決された場合には,こどもは満足の喜びをもつであろう。

 したがって,こどもの欲求が満足されたかどうかを知ることは,教師にとっては,指導の効果を知ることでもあり,こどもにとっては学習の意欲を絶えず持続する上に必要なことでもある。

 

 2.指導法の適・不適や,指導の効果を知るために

 指導の方法は,こどもが目標に向かって学習していけるように考えて決められるものである。したがって,計画どおりいかない場合もたびたび出てこようし,また計画に従って押しつけるべき性質のものでない。このようなときに,教師は,どのように指導していったらよいかを解決する手がかりを与えてくれるものが評価である。

 こどもが,「水は蒸発する」ということを理解するには,「雨あがりなど地面から湯げのたちのぼるのを観察する」「さらに入れた水がだんだん少くなるのを見る」「水を熱して気化させる実験をする」「洗たく物がかわくのに気をとめる」「めいめいがもっている水の蒸発についての経験を基にして話し合う」など,いろいろな学習活動が考えられる。

 これらのどれとどれをとりあげるか,どういう順序でやるかは,気象現象や設備などによっても影響を受ける。しかし,常に評価することによって,学習に最も適当な機会を捕え,こどもの困難とする点を考えて指導の方法を反省し,こどもの理解を助けていけば、こどもが「水は蒸発する」ということを理解するには,討議をすることよりも実験をするな,観察をするなりするほうがよいということがわかるであろう。「生物を愛育する態度を養う」のには,「話を聞く」「飼育や栽培の様子を見る」「自分で飼育したり,栽培したりする」などが考えられるが,指導の効果を評価すれば,話を聞いたりただ見たりするよりも,実際に飼育または栽培するほうが効果があるとかいうことがはっきりして,適切な指導の方法がとれる。これは,学習指導において重要なことである。

 

 3.とりあげる学習活動の種類や,学習の材料を知るために

 学習の目標が達せられなかったり,学習活動が活発でなかったりする原因が,学習活動の種類や学習材料の選択が適切でなかったためであると気のつくようなことがあろう。その場合には早速その障害を取り除かなければならない。たとえば「物によって電気をよく通すものと通さないものとがある」という理解の目標を達しようとして,話合いによって学習を進めていたがどうも理解しにくいので実験に切り変えたとか,その抵抗の実験に使った針金の長さはそろえてあったが,太さが違っていたために予想の結果がでないので,その材料の不適当なのに気がついて直したとかいった場合があろう。

 とりあげる学習活動の種類や,学習の材料の適否を検討し,その効果をいつも打診しながら指導を進めていくところに,評価が貢献する分野がある。

 

 4.理科の指導計画は適切であるかどうかを知るために

 理科の指導計画といっても,その規模には大小さまざまあり,地域社会にかなった理科教育の全領域にわたって計画する場合もあり,学校などで,各学年の単元を選ぶ場合もあり,また,担任教師が自分の学級で取り扱う学習題材を決定するような場合もあろう。いずれの場合にせよ,その計画をたてるのに,学習の結果の反省資料が非常に役にたつことはもちろんである。

 このためには,学習を妨げたものは何であったか,目標が達せられなかった原因はどこにあったか,こどもは身近に起ったどのような問題に解決したい意欲をもったかなどについて研究し,来年の指導計画のよりよきものにするための資料とすることが必要である。

 こてによって,本年達成できなかった目標,またはふじゅうぶんであった目標について,指導する機会を織り込むこともできるであろうし,こどもにとって解決を要する重要な問題をとりあげることもできるであろう。このように反省の資料をじゅうぶん生かすことによって,指導計画を常に新しく,適切なものに変えていかなければならない。

 

 5.こどもの進歩や能力を家庭に伝えるために

 こどもの進歩について,必要に応じて家庭に報告し,学習が望ましい方向に発展するよう家庭の人々の協力を求めることは,こどもの幸福を願う教師の当然の責務である。

 この際,特に注意しなければならないことは,教養の程度,生活の程度など,家庭の人々の実情をよく考えて,家庭の人々がその報告を理解し,また協力しやすいように,内容や表現にじゅうぶん注意することである。そのためには,評価する内容をできるだけ詳しく分析し,貝体的に表わし,ただ結果だけにとらわれないで,こどもがいつも科学的に考え,行動することを援助できるように心がけなければならない。

 

Ⅱ.何を評価するか

 1.学習の効果をみる場合

 評価のうちで最も普通に行われるのは,学習を進めながら,また学習を終った時,こどもがどのように進歩したかを知ることである。学習の効果を見ることによって,指導の計画や方法などを改善し,理科教育の効果を上げるための資料をうることができるであろう。

 学習は,あらかじめたてられた目標に向かってなされるのであるから,この学習の目標は,また効果判定の場合に,その目標ともなるわけである。

 理科の目標は,個人の生活や社会の共同の生活を,科学的に処理していくことのできるような力を,こどもにつけてやることである。この力を,理解・能力・態度の三つの面に分けて考えてみることが有効である。したがって,評価を行う場合も,この三つの面から対象を考えてみることが効果的である。

 第1章で,理科指導上の理解・能力・態度の目標について考えてみた。また,これをさらに分析したものを付録に掲げてある。これらは,教師が単元の計画をたてる場合の目安になるものあるから,このままでは単元の目標となりにくい。それは,これらはこどもにとってやや抽象的であったり,多義的であったりするからである。

 実際に学習する単元の目標は,これらの資料を参考にして,その地域とこどもによく合った目標を直接的,具体的に,指導に当る教師自身が作らなければならない。

 学習の効果を見る場合は,この指導の目標がどのように達せられたかを見る,すなわち指導目標が評価の観点になってくるのである。

 一例として,低学年向単元に含む問題として「畑には,どんな虫がいるでしょう」をとりあげてみよう。

 指導目標としては,

 A.理解の目標

 B.能力の目標  C.態度の目標  以上のような目標が計画される。これを達成すべく学習が展開されるのであるが,この学習の進行中または終了した時に,次のような点について評価がなされよう。

 A.理解の評価

 B.能力の評価  C.態度の評価  このように,指導の目標を直接的・具体的にしておくと,評価の観点も具体的にあげることができる。

 たとえば,理解についての評価では,「生物はそれぞれ決った発育をして親になることがわかったか」ではなく,「ちょう・かえるなどは,子から親になるまで形がまったく変ることがわかったか」とか,いね・あさがおなどは,種から成長して葉が伸び,花が咲き,実を結んで枯れることがわかったか」というふうに具体的にする。

 能力についての評価では,「比較観察ができたか」とか,「資料や材料が集められたか」とかでなく,「東と西と見分けられたか」「さおばかりを作る材料が集められたか」というふうに実際的にする。

 態度については,「自然に親しむか」とか,「科学を日常生活に応用しようとするか」でなく,「四季おりおりに野外に出て,観察したり,採集したりすることを喜ぶかどうか」とか,「自分のもっている金物をさびないように試みているか」とかというように,具体的にこどもの行動を観察するのがよい。

 

 2.理科指導の効果をあげるための資料をうる場合

(1) 指導計画は適切であるか

 学級の教師は,指導要領その他各種の資料を参考にして,自分の学級のこどもに最も適した単元を設定し,指導の計画をたてる。この計画が適切であったならば,その学習の効果も,また期待しうることはいうまでもない。

 この意味において,教師は,まず自分の指導計画を,次のような諸点について反省してみることがたいせつである。

 A.理科,あるいは他の教科と関連した計画について

 B.理科の問題,あるいは日々の計画について (2) 指導法は適切であるか

 評価は,こどもが問題をつかんでから,それを解決するまで,こどもの困難とするところを見いだし,障害を排除して,解決の方向に絶えず学習のかじをとり続けるのに必要なものである。

 このためには,次の諸点について反省してみることが望ましい。

 A.導入は適切であったか。

 B.学習活動は活発に行われたか。  C.整理は適切に行われたか。 (3) 学習材料は適当か

 材料の選択については,第7章を参照していただきたいがそのおもな反省点をあげれば,次のとおりである。

 

Ⅲ.どのようにして評価を行うか

 1.いつ評価を行うか

(1) 単元の学習の初めに行う場合

 こどもがその単元の内容について,どの程度の認識をもっているかを調べ,学習計画をたてる参考資料とする場合である。

 これは,普通問答によって,教師は,現在こどもは,どんな知識や理解をもっているか知ることができるし,その話合いを通して,こどものすでにもっている経験は何で,今後どのような経験を準備しなければならないかを決めることができる。

(2) 学習を進めながら行う場合

 自動車を運転している人が,走っていく道路から少しも目を離さないで,障害物にぶつからないように,絶えず注意しているように,学習を指導している教師は,学習が目標への軌道からはずれないように,また困難につき当った時は,その原因をつきとめ,それが切り開けるように,絶えずかじをとっていく必要がある。

 次に,おもな学習活動について注意すべき点をあげてみることにする。

 A.観 察

 B.実 験  C.製 作  D.遊 び  E.話合い  F.材料集め  G.訪問・見学  H.野外学習  I.報告・記録  J.視聴覚教具の利用 (3) 単元の学習の終りに行う場合

 これは,一つの単元学習を終り,それによって初めの目標がどのくらい達せられたかを調べて,指導の反省をするとともに,次の単元計画の参考とし,同時に,こどもの成績評価の資料とするものである。

 

 2.たれが行うか

(1) こどもが行う場合

 こどもが自分自身の学習のしかたや結果について反省し,また友だちの学習の様子を見て,互に批評し合ったりするのである。

 こどもが自分で進歩に気づいてうれしく思うことが自主学習のもとである。こどもの自己評価というのは,こども,自分はいまどのように前進しているか,学習の目標に対してどの程度近づいているか,自分の行動は,学習の目標に照して望まい方向に向っているかなどについて,自分自身を評価することである。教師は,こどもの自己評価の態度をすすめるとともに,こどもが互に批評し合う時は,単に友だちの悪口をいうことに興味をもつようなことにならないように注意しなければならない。

(2) 教師が行う場合

 ある学習を指導した教師が行うもので,最も普通に行われているものである。これには,教師がこどもの学習効果を評価する場合と,教師自身が,その計画なり,指導法なりを自己評価する場合とがある。

(3) 第三者が行う場合

 学習を指導した教師以外の教師・校長・指導主事・両親などが評価する場合である。

 その一つは,教師の指導にあたっている人々が,学習を指導している場面を見たり,その成績物を見たりして,教師に対して指導計画や指導法の修正や改善について必要な指導や助言を与えるのである。

 また,教師どうしで批評し合って,それらの改善に努力するのである。

 他の面として,家庭の人々の評価がある。こどもの教育は,学校と家庭の人々の協力によって行われるのであるから,両親その他の人々にこどもの進歩について関心をもってもらうことがたいせつである。

 この評価の資料は,こどもの家庭における興味や活動を報告してもらうことで得られる。

 

 3.評価の方法には,どんな形式があるか。

 評価の方法には,固定した形式というものを考えるべきではないが,大きくまとめてみると,次のような方法が考えられよう。

(1) 学習の様子を観察する

 子をよく知っているのは親であり,こどもの学力をいちばんよく知っているのは,学級の教師である。これは,毎日生活をともにしていて,そのいろいろな姿を見ているからである。

 低学年では,文字がよく読めなかったり,問題の意味がとれなかったりするために,ペーパーテストを行うことが困難な場合が多い。このような場合は,毎日の学習の様子を観察することによって,評価することがたいせつである。

 「夕方になると,お月さまはどちらから出てくるでしょうね。」とか,「お月さまに秋のお花をお供えしたいんだけれど,どんな花が咲いているでしょうね」とか質問して答えさせる。

 客観テストのように,同時に全部の答をうることはできないから,何回もいろいろな質問を通じて,全部の理解の程度を知らなければならない。したがって,調べる期間が長いほど客観性が得られるのであるから,この方法では,その結果をよく記録しておくことが必要である。

 能力や態度の評価は,ことに,毎日の学習を通して観察することがよい。能力や態度は,第1章・第2章および付録に述べてあるように,いろいろな面から分析して考えることができる。個人別に,このような項目をかいた表を作っておき,学習中に,気のついた度に,そのこどもの,その項目のとろに印をつけておくようにすると,客観的な評価の資料が得られるであろう。

 たとえば,A君が「はいの発生の回数や産卵数から,そのふえ方の激しさを考えている」ならば,A君の「事実から推論する能力」のところに○印をつけておく。大部分のこどもがわかったのに,C君がなかなかわからなかったら,C君のところに△とか×の印一つけておくとか,くふうすればよいであろう。

 Bさんが「かえるがなくと雨が降る」ということがほんとうかどうか,なんとか確かめようと苦心しているのが目についたら,Bさんの「批判的な態度」というところに○印をつけるというようにする。

 このような観察は,こどもの「K君は,家で模型電車を作り,とてもよく走らせています」とか,「Sさんは,毎日よく歯をみがいていますよ」といった,ちょっとした日常の会話によっても,評価の資料が得られよう。

 このような方法は,こども自身でも行うことができる。

(2) 紙に問題を印刷して与え,その解答を調べる  いままでに,試験とか考査とかいって行われてきた形式に似たものである。その内容は,できるだけ客観性をもつようにしなければならない。この方法はおもに理解の程度を知るのに使われるが,これによって,能力や態度も,もちろんみることができる。

 これには,次のような方法がある。

 A.再生法  B.選択法  

 C.真偽法

 D.組合せ法  E.図解法  F.完成法  G.訂正法  H.論文法  I.作文法  J.排列法  K.判定法  L.記録法 (3) 与えられた問題について,観察や実験をする行動から見る

 この方法は,いろいろな力が総合されて現われやすいから,なるべく分析された能力なり態度なりがわかるように問題を作る必要がある。

〔例〕

(4) こどもの成績物を見る

〔例〕

 

Ⅳ.評価の処理と反省

 1.評価の処理

 指導上最悪の条件は,不安を教師やこどもがもつことである。

 評価がこどもの教育に悪い影響を与える場面を考えてみると,その一つは,評価を行うことによって,こどもに不安を感ぜしめ,奮発心を萎縮させることであり,もう一つは,評価の結果によってあるこどもを他のこどもと比較して批評し,そのこどもをほめすぎたり,しかりすぎたりしたために,正しい精神的発育を害することにある。

 評価を行うことによって,こどもや教師に不安を感ぜしめるようなことがあってはならない。こどもや教師を力づけ,解決に近づいていく手がかりを見いだすのが,評価の真のねらいである。

 また,こども個人がどれだけ進歩したかを見るのが第一の目的であって,AとBを比較して,その優劣を見る資料をうるために評価を行うのは第二義的な特殊な場合だけである。

 評価の結果について価値判断をするためには,ある一つの判定尺度というものがあれば便利である。けれども,理科の力について,この判定の尺度を見いだすということは,非常に困難な仕事であるが,地域的に,その学校,または学級のこどもについて,できるだけ発育に即して,だいたいであってもよいから知っておくと効果が多い。

 しかし,評価は,ひとりひとりのこどもの能力が,教師の指導でどれだけ伸びたかを判定するものであるということを,どこまでも忘れてはならないことである。AとBの能力の優劣を決めることではない。

 たとえば,4学年の効果判定の尺度をもって,全体のこどもの能力をはかり,よくできる子,できない子を決めるのではなく,ひとりのこどもの能力が,いかに多く伸びたかを測るべきである。であるから,このような尺度は測定の結果,その子の能力が,この尺度の中央にきた場合は,最も適当な尺度であったといえるが,上の端か下の端にきた場合は,正しく測定できない不適当な尺度である。すなわち尺度に使った問題を全部正しく答えた場合には,この尺度は,このこどもに対しては,能を正しく測れなかった不適当な尺度なのである。この効果判定の尺度の意味をよく考えて,使い道を誤らないようにしていかなければならない。

 評価の結果を,いろいろな符号を使って数段階に表わしているのが普通であるが,段階に分けるだけでなく,指導の目標と照し合わせてみて,その結果を,次のような点から反省してみることがたいせつである。

 このように評価の結果を教育的に解釈することによって,さらに,よい理科指導への発展が約束されるのである。

 

 2.評価の反省

 評価の方法そのものが適当でなかったならば,正しい結論を期待することはできない。それであるから,評価の方法そのものについても反省することが必要である。

 それには,次の諸点について考えてみることがよい。

 最も効果のある評価は,教師とこどもによって,言ったこと,書いたこと,行ったことをよく観察しながら,連続した評価が絶えず行われることであることを,心にとめておかなければならない。

 その評価の方法がよいか悪いかは,それを行うものがいちばんよく身にしみてわかることである。最もやりやすく,しかも効果のある方法をくふうして作りあげていくことは、現場にある教師にとって,重要な課題の一つである。