第1章 理 科 の 目 標
Ⅰ.科学とは何か
小学校の理科教育を行うにあたっては理科の根本になる科学について,しっかりした考えをもっていなくてはならない。
わたくしたちは科学というと,物理学や化学や天文学・生物学・生理学などの学問の体系や,また,それらの学問の応用されたいろいろな物事を思い起し,非常にむずかしいもの,近づきにくいものと考えやすい。しかし,このような学問上の理論や,体系や科学の成果として生れた文明の利器が科学なのであろうか。
1.自然現象の事実
この父親は,動物学の本に書かれたかえるの発生を,そのままうのみにしてしまって,こどもがすなおに観察したかえるについての事実を無視してしまったのである。
このような取扱を受けたこのこどもは,まちがいのない事実,言い換えれば自然現象における真実というものを,どういうふうに考えるであろうか。
父親が狭い科学的な知識をふりかざして,こどもがとらわれない心で観察した自然の事実を誤りであると決定したのである。この父親は「いついかなる場合にも,自然現象には誤ということはあり得ない。」ことを忘れているものである。
この自然現象を人が解釈する場合に,人の解釈が誤っていることは起りうることである。科学のことを考えるにあたって,まず第一に重要なことは,この自然現象の真実とは何かを,はっきりわきまえることである。
2.科学の客観性と普遍性
わたくしたちが自然現象として一つの事実にぶつかった場合に,この事実をどう受けとるかを考えてみることにしよう。
再度のことではあるし,かえるのきわめて残り少なくなった洗面器を見たこどもは,「いったい,どうして逃げられたのだろう。」と考えた。こどもはいろいろと,かえるについての経験を思い浮べた。そして,池にいるかえるを考えた。池の中のかえるは,岸や石にはいあがったり,また,水の中にもぐったりしている。
その事実から,「おたまじゃくしは水の中が好きなのだけれど,かえるになると,陸も好きになるのだろう。」こう考えて,砂や石で洗面器に陸を作ってやり,金網の蓋をした。
かえるは,水の中を泳いだり,陸にあがって休んだりした。かえるを飼うことがこれでできた。
わたくしたちも,このこどものように,身のまわりに起ったいろいろなできごとに対して,「これはなぜだろう」と思うことがよくある。そうすると,なんとかして,この問題を解決したいと思い,これまでのいろいろな経験をもとにして考えてみる。
ところが,それではわからない場合が多い。そうすると,ある予想をたてて,いろいろと実際にためしてみる。ためした結果が問題のよい説明にならない場合には,また予想をたてなおして,またためしてみる。そうして,この疑問にしていた事がらがよく説明されるようになると,はじめて納得がいくのである。
わたくしたちはこのようにして,自然現象について,自分に納得のいく解釈を下して,はじめて満足できるのである。この解釈が自然科学的な知織である。自分に納得がいったのであるから,この人の頭の中で矛盾のない,調和のとれた一つの自然科学的な知識の体系ができているはずである。
しかし,この知識の体系は科学としては一つのそぼくなものといわなければならないであろう。さらに,いっそう進んだ,あるいは完全な科学となるためには,納得のいった主体である自分を検討しなければならない。この主体である自分が,単なる一個人限りのものであると,実は科学とはいえない。ここで納得のいったものも,ひとりよがりにすぎないということになる。ひとりよがりでなく,多くの人が判断しても同じ結論が得られるものでなくてはならない。ということは,多くの人の経験した事実にも矛盾しない解釈が下されているということになる。
これは,科学が主観的なものでなくて,客観性のあるものだといわれることである。また,条件が同じであれば,常に同じ結果が,どこでも,いつでも得られなくてはならない。これか科学の普遍性といわれるものである。納得のいった解釈が,この客観性や普遍性をもっているならば,このような解釈で築きあげられている知織の体系は,完全な科学ということができる。
3.こどもの科学
科学をこのように,だれにでも納得される知識の体系と考えると,わたくしたちにとって重要な考えが一つ生れてくる。それは,こどもたちは,それぞれの発達の段階において,ある科学を持っていると考えられることである。
4才のこどもは,おたまじゃくしの発生についての知識を持っていないが,7才のこどもはより進んた知識を持っている。
このように,こどもの知識の体系は,たんだんと発達していくことは,だれにでもわかることである。
7才のこどもが満足するかえるの発生についての答では,15才のこどもたちは満足しない場合があるに違いない。7才のときの知識の体系よりも,15才になった場合の知識の体系のほうが,より発達したものになっているに違いない。
科学をこのように,そのこどもの持っている知識の体系と考えることは,おとなや科学者の持っている科学と本質においては変りはない。科学者でも,このこどもたちと同じように,自分の経験や知識では解決されない事がらに問題を持ち,予想をたてて実験を試み,事実と照し合わせて,一つの理解に達するのである。そして,科学者の最も進んだ業績でも,新しい経験を積めば,また訂正されるのである。
わたくしたちが科学の歴史をひもとけば,このような事実を見いだすことは数えるにいとまがない。科学は常に進歩し,人類の持つ知識の体系は常に変ってきたのである。おそらく,「個体発生は系統発生をくり返す」ということは,このこどもから,おとなにまで,科学者にまで発達する知識の体系の場合にもあてはまるのであろう。
こどもたちの知識は年齢が進むにつれて,広く,深くなるのであって,こどもの科学といわれるものは常に進歩すると考えてよいであろう。
Ⅱ.科学の人生における重要性
1.こどものいだく心の不安定
そこで,話合いの結果,「きっと,池の中は,わたくしたちの洗面器や水そうよりも,かえるがすむのにつごうがよいに違いない。洗面器や水そうの中では,えさもたりないのだろう。」ということになり,「こんな所に置いてはかわいそうだから,池の中に放してやろう。」ということになった。
こどもたちは,かえるを池に放して,はればれとした顔をした。
こどものひとりは,日記に「かえるさん,お前は広いお池に帰ることになって,うれしいだろう。大きくなるのだよ。ぼくもうれしい。」とつづった。
このこどもたちは,自分たちの飼っているかえるの発育の状態が自然のものに比べてたいへん劣っていることに気がつくと,「なぜ,こんなにやせているのだろう。」と疑問を起し,ふしぎを感じた。この場合,いままでの何等ふしぎを感じていなかった心の状態は,池の表面のように平静だったのであるが,そこに問題を感ずることによって急に波紋が生じたのである。
池の波紋は時がくればだんだんおさまるが,人の心に起った疑の波は,ますます大きくなるばかりである。このような状態では気がかりで落ちついておられない。そして,なんとかして問題を解決したいと思うようになる。
ところが,「池に放してやるのがよい」という結論が生れ,それが実際に行われると,この不安は取り除かれて,心はふたたび安定した姿をとりもどす。そこに,「ぼくもうれしい」というような満ちたりた心持になるのである。
こどもはよく物事に「なぜ,なぜ」と質問をし,それに答えてやらないと,いつまでもせがんできかないが,納得のいく答を与えてやると,「ああそうか」と,すっかり態度をかえてしまうことは,わたくしたちのしばしば経験するところである。
2.環境への適応
このように,わたくしたちは,身のまわりの現象や物事について,いろいろの疑問を持つときには,わたくしたちの心のなかに,ある不安が起って何とかして解決したいと思う。これは,自分の住む環境にわけのわからない現象が起っているときの状態である。
ところで,問題が解決された場合には,これまで持っていなかった新しい理が見いだされるのであって,この理が発見されると,すっかり満足した心持になるばかりでなく,この理をもとにして,新しく出会ってくるいろいろな問題を解釈したり,解決したりするようになる。つまり,新しく見いだされた自然の理(ことわり,筋道)をよりどころとして環境を見なおし,生活に筋道をたてるようになる。これが合理的な生活である。
それだけではない。わたくしたちの環境への適応は,いろいろな自然の理を組み合わせて,新しいものを作りだすはたらきによっていっそう強められ,その結果は,生活を合理的に楽しく豊かなものにすることができるようになる。
環境への適応は,ひとりひとりのはたらきとしても行えるが,力を合わせることによって,著しく高められる。昔から,多くの人たちの研究の結果として生れた現代の科学が,わたくしたちの生活に貢献しているのは,このようなわけからである。
科学は,このように,人間が環境に適応しようとして生み出したものであるから,わたくしたちは科学を進歩させることによって,人間の生活をますます平和な豊かなものにするように努力すべきであって,科学を人間の生活を破壊するような方向に使うことがあるとすれば,それはまったくの誤である。それは科学本来の使命ではなく,科学の使い方を誤ったものといわなくてはならない。
Ⅲ.理科教育の重要性
1.小学校教育の中の理科
小学校教育の中で,理科がどのような使命を果さなければならないかを考えてみよう。
理科の学習の本質は,日常生活における自然についての経験を組織的に発展させることである。すなわち,身のまわりに起るいろいろな現象や物事に疑問を持ち,これを解決しようとして,予想をたて,実際にためしてみて納得のいく知識を得,これによって生活に筋道をたて,これを応用して,さらに生活を豊かにすることにある。
このような経験の発展をはかるためには,こどものそれぞれの発達の段階において,身近な現象について,正しく見,くわしく考え,適確にその現象に対処する能力を組織的に養うようにはかられなくてはならない。
ところで,このような科学的な考察や処理が要求されるのは,自然環境についてだけではない。わたくしたちの日常生活のあらゆる面に,科学的に考察処理しなくては,よい生活をすることはできない。このような意味で小学校教育の目標を見れば,すべての目標に達するために科学的な考察と処理のたいせつなことがわかるであろう。
学習指導要領一般編に示されたとおり,ここでも教育目標を,(1)個人生活,(2)家庭生活および社会生活,(3)経済生活および職業生活の三つに分けて考えてみると,次のようになる。
(1) 個人生活
このためには,自然環境に興味をもち,自然現象を観察して,その中にひそむ真理を探求する強い意欲がなければならない。(7)また,これは自然現象について見いだした問題を自主的に解決しようとする態度となって現われなければならない。(6)
b.自然物をたいせつにし,また生物を愛護するようになる。
このためには,自然の美しさや調和,またその恩恵を感得することが必要であり,(5)生命を尊重して,生物をいたわる情操が養われなくてはならない(3)。
c.物事を科学的に観察したり,処理したりすることができるようになる。
このためには,自然の環境や自然現象に興味をもち(1),これらをとらわれない心をもって観察し,科学的な方法を使って問題を解決していかなければならない(6)。また,このようなしかたは,天然の環境に起るものに限らず,人工的な環境の問題や日常生活における責任や仕事の処理にあたっても,同様に使われなくてはならない(6)。物事を科学的に観察処理する場合には,常にみずから理法を見いだそうとする態度が必要である。見いだした理法を,さらに新らしく当面した問題の解決に適用するばかりでなく,進んで新しいものを作り出すことができれば,さらに生活が向上するであろう(7)。
d.自然の美しさや,文学芸術のよさがわかり,このよさを実生活に生かすようになる。
自然の環境における美しさや調和を見いだし,これを味うことのできる感覚を育てていくことはだいじなことである(5)。
e.健康で,明るく楽しい生活をつくりあげるのに必要な態度や習慣を養い,自分や他人の健康を守ることができるようになる。
これの根本になるものは生命を尊重することである。自分の生命を尊重し,他人の生命を同様に尊重し,その結果はすべての人が健康で安全な生活を営んでいけるようにならなくてはならない(3)。このような生活を実現するためには,衣・食・住その他いろいろな面において,自然科学の恩恵によることが大きいのであるから,これを理解することも必要である。(4)
(2) 家庭生活および社会生活
生活を能率的に営むためには,日常生活の責任や仕事を科学的合理的に処理する能力が必要である(2)。また,このように処理するためには,自然科学の近代生活に対する貢献や使命を理解することも(4),科学的方法を会得して,問題を解決することも必要になってくる(6)。生活の向上発展は,生活の能率をあげる面からも考えられるが,科学の理法を使って新しいものを作りだして,いままでにない生活をうちたてることも心がけていかなければならない(7)。
b.他人の健康と自己の健康とは,互に影響し合うことを理解し,公衆の健康を考えて行動するようになる。
この根本が生命の尊重にあることはくり返すまでもない。公衆の健康を保つためには,科学的合理的な仕方で,衛生上の各自の責任が果されなければならない(2)。また,衛生学や予防医学の近代生活に対する貢献や使命もある程度理解する必要がある(4)。
c.常に公私の別をはっきりつけ,強い責任感をもって,りっぱに職分を果すようになる。
この職分を果すためには,科学的合理的な仕方で,責任なり仕事なりを処理することができなければならない(2)。
d.世界各国の文化の特性を正しく理解し,また,わが国の個性豊かな文化を創造して,進んで世界の文化の向上発展に努力するようになる。
世界各国の文化の特性を正しく理解するためには,その一部として自然科学の近代生活に対する貢献や使命を理解することが必要になってくる(4)。
また,世界の文化の向上発展に寄与するためには,科学の理法を使って,新しいものを作り出すことがなければならない(7)。
(3) 経済生活および職業生活
経済生活および職業生活については,小学校教育では,それらの基礎になる初歩の段階にあるから,一般編に扱ってあるように分けて考える必要はないであろう。それで,著しく関係のあるものを抜き出してまとめてみることにする。
b.仕事を能率的にするには,科学的合理的な方法を重視しなければならない。また,新しいものを作り出す態度も必要である。
c.資源の愛護については,自然の恩恵を知ることがたいせつである(5)。
d.品物をたいせつに取り扱い,また,絶えず創意を働かして,品物をよく生かして使うには,科学の理法をわきまえて,これを応用したり,新しいものを作り出したりする態度がなければならない(7)。
〔各項目の後に添えた数字は,次に掲げる理科の目標との関係を示す。〕
このような小学校教育の目標に照して,科学の基礎的な教育を図るのが小学校教育における理科の立場である。
2.理科の目標
前節において述べた理科の立場や科学の本質から,さらにいっそう整理して理科の目標を詳しく述べれば,次のようなものが強調される。
(2) 科学的合理的なしかたで,日常生活の責任や仕事を処理することができる。
(3) 生命を尊重し,健康で安全な生活を行う。
(4) 自然科学の近代生活に対する貢献や使命を理解する。
(5) 自然の美しさ,調和や恩恵を知る。
(6) 科学的方法を会得して,それを自然の環境に起る問題を解決するのに役だたせる。
(7) 基礎になる科学の理法を見いだし,これをわきまえて,新しく当面したことを理解したり,新しいものを作り出したりすることがてきる。
以下,それぞれについて説明を加えよう。
生活を豊かな楽しいものにするためには,いろいろな知識を必要とする。このような知識を獲得する第一歩は,物事について興味をもつことから始まる。
理科で扱う範囲は,自然の環境を中心にした方面である。こどもの自然についての興味は,きわめて身近なものから漸次発展して,直接には見聞のとどかない範囲にまで広がっていく。しかし,このような興味の拡大は,放っておいてもできあがるものではない。そこで,自然のいろいろな環境に興味を広めるようにはからなければならない。
(2) 科学的合理的なしかたで日常生活の責任や仕事を処理することができる
わたくしたちが毎日の生活を送るためにはいろいろな仕事や責任を果していかなくてはならない。それには,毎日の生活の責任や仕事が,その責任や仕事の性質や筋道によく合っていることが必要である。
このような筋道に合うためには,それらをよく見きわめ,筋道に従って事を処理していくことがたいせつである。
理科では,このような物事の真実な姿をとらえ,それに合うしかたを学ぶのである。理科の指導によって,このような科学的・合理的なしかたを学ぶことによって,日常生活の責任や仕事を正しく処理することができるように導くことができる。
(3) 生命を尊重し,健康で安全な生活を行う
人々のもつ望みの第一のものは健康でありたいことであろう。こどもの時もおとなになってからも,健康で安全な生活を営みうるように学習をすることは,理科の重要なねらいでなければならない。健康で安全な生活は,個人の生活ばかりでなく社会全体の生活がそうであるように考慮することはいうまでもない。
健康で安全な生活ということの根本を考えれば,これは人の生命を尊重することである。すべての人々が健康で安全に生活できるようになるのは,単に保健衛生上の知識や技術が普及しただけではなるものではなく,人々の考え方の根底に,人の生命を尊重する精神がつちかわれていなければならない。
人の生命を尊重する精神は,その根底において,広く生物の生命を尊重する精神とつながるものである。いずれの生物にとっても,その生命はただ一つ,かけがえのないものである。わたくしたちは,身のまわりのいろいろな生物がいわれもなく生命をふみにじられている姿をよく見かけるのであるが,このような生命を軽んずる態度が,ひいては人の生命をもふみにじるにいたるおそれのあるものではなかろうかと思う。理科においては,生命のあるものを扱うことがしばしばある。このような機会に,真に生命を尊重する態度,生物を愛育する態度を養わなければならない。
(4) 自然科学の近代生活に対する貢献や使命を理解する
人間の長い歴史の間の努力によって生まれた自然科学の成果が,こどもたちの環境や生活にしみこんでいる。科学は人間の生活を,ますます豊かなものにしてくれる。このような科学の貢献を理解することによって,こどもたちは,人類の歩んできた努力のあとを知ることができる。そして,人間の科学的な態度が人類の発展と繁栄のためにいかにたいせつなものであり,正しいものであったかを理解することができる。こどもたちは,この科学をますます発展させることの必要さを知ることができる。
科学は人類の発展と平和のために使われなくてはならない。
このような使命を,すべてのこどもたちが身につけることによって,科学をますます発展させ,人類永遠の繁栄のために努力するようにしなくてはならない。
(5) 自然の美しさ,調和や恩恵を知る
昔から,自然は母なる大地と呼ばれている。わたくしたちの生命も生活も,自然から起り,自然によって支えられている。
理科では自然の姿を正しくつかみとるのであるから,自然のわたくしたちに与えてくれるものを合理的に正しく見,正しく味うようにして,自然を愛し,自然の恩恵や調和を知るように努力しなくてはならない。
(6) 科学的方法を会得してそれを自然の環境に起る問題を解決するのに役だたせる
科学の発展の原動力は,科学的な思考や処理の方法である。科学的態度や科学的方法が確立されて,近代科学がすばらしい発展をとげた。しかし,このような科学的方法は,科学者だけのものではない。すべての人間が,この方法を会得することによって,社会は発展するのである。
この人類のみがもちうる方法を,こどもたちがじゅうぶん会得することによって,こどもたちは自分の当面する問題を正しく解決することができるようになり,生活をいっそうよりよいものにすることができる。
科学的な方法は,天然の環境の問題を解決することばかりでなく,広く人工的な環境の問題にまで及ぼすことによって,人間の生活のうち,自然の理法を根底にもつ問題を正しく解決するようにはからなくてはならない。理科の学習は,このような問題の解決を中心として展開する。
物事や自然の現象に含まれる理は,このような問題解決に科学的な方法を正しく適用する時に使われるものなのである。
(7) 基礎になる科学の理法を見いだし,これをわきまえて,新しく当面したことを理解したり,新しいものを作り出したりすることがてきる
科学の成果の教えるところによれば,複雑な自然の現象や物事の間にはいくつかの基礎的な理法があることがわかる。このような理法を理解すれば,いろいろな当面する問題を解決することができたり,新しいものを生み出したりすることができることがわかる。
小学校のこどもたちにも,このような基礎的な科学の理法を,こどもたちの能力に応じて理解させることができる。
日常生活を科学的・合理的に処理するには,自然の理法をわきまえていなくてはならない。この理法をわきまえるには,こどもが直接に自然現象にぶつかって,その中から理法を見いだすことから出発すべきである。このようにして身についた理法は,次に現われた問題の解決に適用されるようになる。また,さらに進んでその理法を活用して新しいものを作ったり,新しい方法を考え出したりすることができるように導かれなくてはならない。
Ⅳ.理科教育における理解と能力と態度
前節に述べた七つの目標の中には,いろいろな形のものがある。
たとえば,(1)は自然の環境についての興味を拡げようとするのであるから,むしろ,こどもたちの情意に訴えようとしている。こういうふうに考えれば,こどもの態度についての目標であり,(2)は科学的・合理的なしかたをねらっているのであるから,むしろこどもの能力をも含めて考えられている。また(3)においては,態度や能力ばかりでなく,生命や人間に対する科学的な知識や理解をも要求されていると考えられるであろう。
このように考えてみると,これらの目標はいろいろな理解や能力や態度が混然として示されている。そこで,これらの目標を理解・能力・態度の三つに分析してみることが便利である。
1.理 解 の 目 標
理解というのは,自然現象や物事に含まれている筋道をつかむことであり,理解の目標として考えれば,自然科学的な真理の形で表わされるものである。このような理解はこどもの発達につれて深められるものであるが,これが発展すれば,わたくしたちの住んでいる地球や宇宙や生物や,また人間の地球上において発展展開してきた根本の理法にまで進むものでなくてはならない。そのような人間の自然についての根本的な理解の概念に到達するものとして,こどもたちに学ばせなくてはならない目標を考えてみる必要がある。
次に掲げるもの(Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ,…,Ⅵ)は,このような立場にたって,こどもが何かを理解するために学習するときの方向を決めるものとして,まず第一次の分析をしたのである。
このような目標は,どのような学年のこどもにも目標としてとることができる。いや,そればかりでなく,一生の間,目標として研究しつづけることも可能であろう。これは,学習の到達点ではなく,学習や研究の方向を示すものなのである。
そこで,さらにこどもたちの直接の学習の到達点となるためには,さらに分析して考察する必要が生れるであろう。このような立場から,さらに第二次の分祈をして,理解の目標をいっそう具体化したものが1,2,3,…であるが,実際の指導にあたっては,さらに分析の必要のあることはいうまでもない。
(付録Ⅰ.理解の目標 参照)
Ⅰ.宇宙は広大であって,そこには一定の秩序が保たれている。
2.星は一定の秩序に従って動く。
3.時は太陽と地球との関係で決められる。
4.太陽は地球に大きな影響を与えている。
Ⅱ.自然界には,絶えず変化が起きている。
2.地球の長い年代の間に住んでいた生物の種類は同じではない。
3.天気はいろいろに変る。
4.気候は地域によって特徴がある。
5.物はいろいろな原因によって,その状態や実質が変ることがある。
6.熱はいろいろな原因で起り,温度の高いところから低いところへ移る。
7.水はいろいろに状態を変えて,空と土との間をめぐる。
8.物の運動の速さや方向が変るときには,力がはたらいている。
9.音は物の振動で起り,物によって伝わる。
10.光が進むとき,方向が変ったり,吸収されたりすることがある。
Ⅲ.生物や無生物は多種多様である。
2.住んでいる生物は,どこでも同じではない。
3.子と親と似ているが,全く同じではない。
4.物はいろいろな成分からできている。
5.物は,その特性によって固体・液体・気体に分けられる。
6.地殻は岩や石や土などからできている。
7.機械や道具には,いろいろな種類がある。
Ⅳ.生物は環境に適応して生きている。
2.子は決った発育をして親になる。
3.生物はいろいろな構造をもっている。それにはいろいろなはたらきがある。
4.生物はいろいろな環境の変化の影響を受ける。
5.生物は,いろいろなものをとり入れ,体内で変化して生きている。
6.生物は互に侵したり助け合ったりして,自然のつりあいがとれている。
Ⅴ.保健衛生上の注意は,人々の生命を安全にする。
2.日光・熱・湿気・水・空気・土は健康に影響する。
3.すまいや着物の構造や使い方は,健康に影響する。
4.いろいろな種類の食べ物を適当に組み合わせて,適当にとらなければ,健康は保てない。
5.食べ物は,たくわえ方や料理のしかたや食べ方が悪いと,栄養上の価他がじゅうぶんに活かされない。
6.適当な運動や休息は,健康を増進する。
7.健康を保つには,けがや病気の予防と適当な手当とが必要である。
8.病気にはうつるものがあり,その病原体は,食べ物・水・空気・動物などの仲だちでひろがる。
9.伝染病の予防は,すべての人が力を合わせなければ,完全にならない。
Ⅵ.人は環境に適応する努力を続けた結果,その生活は進歩した。
2.天然の災害は,いろいろな方法で軽くすることができる。
3.地下や海の資源は,産業や日常生活に利用されている。
4.燃料・動力・機械を使うことによって,人の生活が変った。
5.磁石や電気を使うことによって,人の生活が進んだ。
2.科学的な能力や態度
こどもが理科の問題を解決する場合や合理的な生活を営むためには,科学的な能力や態度が必要である。このほかに,習慣や鑑賞や興味などを分けて指導の目標とする場合もあるが,取扱上複雑になり,また,分けないでも格別の不便もないと思われるので,これらは態度の中に含めることにした。
教科書を読んだり,いろいろな参考書を読んだりする場合に,読みながら要点をつかむことの重要なわけがわかって,それに努めていると,だんだんにそれができるようになる。そして,一度このような能力が身についてくると,新聞を読む場合にも,人の話を聞く場合にも,その要点をつかむことができるようになる。このようなときに能力ができたという。
一般に能力とは,一つの事態に熟練した結果,他の新しい事態に対する適応力のついた状態をさしていう。
健康なこどもになるには,健康が社会生活を営む上にどんなにたいせつであるかとか,健康な身体というのは生理的にどんな状態にあるかとか,どんな場合に病気になり,また,その時の生理的なはたらきはどうなるかとかいうようなことがよくわかっていなければならない。
このようなわけがわかってくると,こどもたちは,進んで健康な生活を営もうとする気持になる。このように,ある事態に対して現われる思考的・情緒的・行動的反応の傾向性をさして態度とよんでいる。
また,朝は早く起きて歯をみがき,戸外に出てきれいな空気を吸い,勉強のときも食事のときも,よい姿勢でしようという努力を続けているうちに,それらがなんの苦もなくできるようになる。このようになったとき,習慣がついたという。態度のうちの行動的な傾向を特に習慣といっている。
さて,このような能力や態度は,小学校のこどもとして,どのようなものが必要であるかを考えてみる必要がある。ここに,能力や態度の分析が必要となる。このような分析を厳密に行うことは非常に困難なことである。そこで学習指導要領の委員会では,取扱の便宜の上から著しく目だつものを抜き出してみることにした。
ここに抜きだした能力や態度は,まったく厳密な区別のつくものではない。たとえば,事実をありのままに見る能力と比較観察する能力とは,まったく無関係に独立したものではない。しかし,また,全く同じものでもないであろう。ただ,事実をありのままに見ることもできなければならないし,比較観察もできなければ,科学的な問題の解決は望めないであろうと思われる。
次に掲げる能力・態度は,このような立場から抜き出したものである。今後,わたくしたちはなお研究を続け,より科学的に能力・態度を分析するよう努力したいと思う。
A.能 力
比較観察する能力
数量的に見る能力
問題をつかむ能力
結果を予想する能力
企画する能力
原理を応用する能力
事実から推論する能力
筋道の通った考え方をする能力
分析的に判断する能力
総合的に判断する能力
普遍化する能力
(2) 技術的能力
整理整とんする能力
飼育・栽培する能力
機械・道具を使う能力
工作する能力
材料を使う能力
記録・図表を作る能力
B.態 度
みずから進んで究明する態度
協力する態度
批判的な態度
事実を尊重し,実証する態度
専門家の意見を尊ぶ態度
迷信や宣伝にとらわれない態度
新しい考えをとり入れる態度
道理に従う態度
計画的に行動する態度
注意深く正確に行動する態度
根気よく物事をやりとげる態度
余暇を利用する態度
健康・安全に身を保つ習慣
自然に親しむ態度
自然の調和や恵みを感得する態度
生命を尊び,生物を愛育する態度
科学を尊ぶ態度
科学を日常生活に応用する習慣
新しいものを作り出す態度
能力・態度・理解の発達 これらのこどもの発達についての知識を,指導の際どのように適用したらよいかということについては,第2章のⅢに述べることにする。
以上に述べた能力や態度の分析されたものは,指導の目標とすることはできるであろうが,実際の指導にあたっては,少し大まかすぎて,特に効果判定などには,不便を感じることが多いであろう。この点は,理解の目標も同様である。そこで,さらに具体的な指導の場合には,いっそう詳しく分析してみる必要がある。これらの一例として,付録に,理解・能力・態度について,詳しく分析した例を掲げておいたから参照せられたい。これらの能力や態度の表は,不備な点が多いが,どんな場合に,また,どのような事がらについて,焦点をおいて向上させたらよいかを考える場合の手がかりとなれば幸いである。