人文地理の特殊目標

 

 人文地理は社会科の一科目であることを忘れてはならない。したがって人文地理の指導に当っては,まず中等社会科としての一般目標の達成を目ざさなければならない。

 

 中等社会科の一般目標

 

理 解

1.民主主義がわれわれの生活の幸福に,どのような意味をもっているかの理解。

2.民主主義を,現代のわが国の政治的・経済的・社会的活動に具体化することが,どんなに重要であるかの理解

3.現代の政治的・経済的・社会的問題が,どのような歴史的背景をもって今日に及んでいるかの理解。

4.われわれの社会生活が,自然環境とどのような関係をもって営まれているかの理解。

5.各地の文化,たとえば言語・宗教・芸術・風習・衣食住の様式などにはいろいろな違いがあるが,その底には共通な人間性が横たわっていることの理解。

6.各地の人々の相互依存関係が,どんなに重要であるかの理解。

態 度

1.人種・国籍・信条・性別・社会的身分などのいかんにかかわらず,他人の権利や業績を尊敬する態度。

2.社会の一員として自己の責任を自覚し,義務を果たすとともに,自分の権利が尊重されることを主張する態度。

3.自分と反対の見解や,他人の意見に対して,広い心をもって接する態度。

4.入々と協力して,社会生活上の種々の問題解決に,みずから進んで参加する態度。

5.真理を追及し,正義の実現に努力する態度。

6.外国の文化を尊重するとともに,わが国の文化をいっそう発展させようとする態度。

7.生活を計画的に営み,日常の行動において,礼儀を正しくする態度。

能力・技能

1.書籍・雑誌・パンフレットなどから,あるいは観察・調査・面接などによって,適切な資料を見いだす能力と技能。

2.資料を科学的に処理し,正しい結論をうる能力と技能。

3.地図・統計資料・グラフ・絵画などを解釈したり,作ったりする能力と技能。

4.社会生活上の種々の問題を見いだし,社会生活をよりよくする計画をたてる能力。

5.人々といろいろな問題について討議したり,自分の考えをはっきり発表する能力。

 次にこのような一般目標の達成を目ざしながらも,人文地理として特に強調されるべき目標があってよいはずである。これが人文地理の特殊目標である。

 

人文地理の特殊目標

 
 
1.自然環境と人間生活との関係を科学的に研究し,これを正しく理解すること。

 自然環境と人間生活との関係の理解は,社会科の中に人文地理の科目が設けられた重要な根拠の一つをなすものであり,その学習の中心課題である。そしてこれに関する学習は,種々な人間関係をより深く,より正しく理解することに役だつとともに,合理的な社会生活を学んで行く上に,多くの重要な能力を与えるものである。

 けれども自然環境と人間生活との関係は決して簡単ではない。南極大陸のきびしい自然は,現在でも人類の定住を許さず,そのために,ここはまだ無人の地として残されている。また寒帯や熱帯のきびしい自然環境のもとに営まれている文化段階の低い原住民の生活には,世界共通の様式のものが少なくない。このような例を見ると,自然環境は人類活動に決定的な支配力を特つと考える環境論も正当のように思える。しかし一方では,今日生き生きとした人間活動が営まれているアメリカ大陸は,ヨーロッパ人によって発見される前にも,全体としては,現在とは別な気候や地形であったのではないにもかかわらず,当時はまったく未開の地であった。また日本の自然環境も明治以前と以後とではそう違わないけれども,ここの生活の過去と現在との間には大きな相違がある。したがってわれわれは自然環境の力に対しては,これを過大視することもなく,またこれを軽視することもなく,それぞれの場合に応じてこれを正しく理解しなければならない。これがためには,各地の自然環境それ自身の研究の重要なことはいうまでもないが,一方ではそこの住民の社会生活発達の歴史的背景を深く研究することも必要である。また地域的な狭い視野に閉じこもることなく,常に広く世界的視野に立って考察することも重要である。

 
 
2.現実の社会生活の種々なできごとを,正しく判断するために必要な地理的知識を獲得すること。

 現代のように交通・通信機関の発達によって時間的距離が非常に狭くなった地球上に住むわれわれの生活は,常に他地方や外国のそれとなんらかの関連を持って営まれており,他の社会から孤立して生活することは許されない。ことに現代のように国内および国際的事情が複雑になった社会では,新聞・雑誌あるいはラジオの報道でも,正確な地理的知識がなければ正しく判断できないことがしばしばである。

 さればといって,細かい雑多な知識を単に覚えさせる教育からは,一日も早く脱却しなければならない。しかし一方,現代の社会人として身につけておかなければならないと考える重要な地理的知識としては,どんなことがあるかをただちに決定するのは困難なことである。これは現代社会人の養成という立場から,種々な資料を基として解決しなければならない問題である。

〔注〕この学習指導要領の各単元末の評価の項には,知識や理解の例として術語や用語などがたくさんあげられているが,これらは単に教師の指導に際しての参考にすぎず,決して絶対的なものではないし,また最低限度を示すものでもない。

 
 
3.現代の社会では,われわれの生活は広く世界各地につながりを持って営まれていることを理解させ,他地方や他国の人々の生活に対して,心からの理解を持ち,狭い愛郷心や愛国心にとらわれず,他地方や外国の人々と協力する態度を養うこと。

 他地方や外国の生活に対して関心を持ち,自分たちの生活が他地方や外国の生活と密接に結びついていることを理解させ,世界平和の樹立に協力させることは戦後のわが国の教育として大いに重視しなければならないところである。

 ところで世界各地の住民の生活状態は千差万別である。まだ原始的生活を営んでいる集団もあれば,高度の文化のもとに営まれている生活もある。そして自分たちとは著しく違った生活様式に対しては,奇異の念どころか,極端な場合にはけいべつの念さえも起すことがあり,その結果は独善的な優越感さえもいだきがちである。しかも過去のわが国の地理教育は,このような傾向を除去するに大いに力があったとはいえない。そしてこれがまったく誤った考え方であることは,地方地方の自然環境や,その社会の歴史的,文化的方面の考察を正しく行うことによって明らかにされるはずである。そして,いかなる人類集団も,生れつき劣等者であるという証拠は,なに一つないということを,はっきり理解させることがたいせつである。

 さらに従来のような狭い愛郷心や愛国心が,いかに現代社会の日本人としての,あるいは世界人としての形成にわざわいをなしてきたか測り知れない。したがって人文地理においては,広く世界的観点に立って学習を行い,生徒が国際的にものを考え,自分の立場ばかりでなく,他地方や外国の立場もよく考慮して,みずからの優越感にひたることなく,またみずからを必要以上に卑下することなく自分の地位を正しく自覚しながら,国内および世界の平和に貢献する態度を養うことが必要である。

 
 
4.自然環境を有効に利用するとともに,資源を養護する態度を養うこと。

 自然環境を有効に利用しようとする努力は,太古から続けられてきたことであるが,文化が進むに従って,人類は自然に対する受身の立場から積極的にこれに働きかけて自然を有利に変えて行く努力へと発展してきた。たとえば森林をきり開いて耕地とすることは古くから続けられてきたが,現代では埋立による陸地の増加,かんがい工事による不毛地の年産地化,ダムの建設による発電を初めとして,多くの新しい努力がほうぼうで行われている。

 自然環境の有効な利用法は,今後もますます進歩することであううし,ことに戦後のわが国としては,この方面に多大の努力を払わなければならない。しかしながらこれに際しては,自然環境をよく研究し,それぞれの自然によく適合した利用法を考えなければならない。これを怠ったために,かえって悲しむべき結果を招いている例をほうぼうに見ることができる。たとえば森林の濫伐による水害の危険性の増加,過度の開墾による土じょう侵食の進行などは世界各地に起っているし,自然の美しい風景もしだいに破壊されつつある。

 したがって自然環境の利用の中には,また天然資源の愛護が含まれる。そしてこれがためには資源の民主的利用法や愛護の意味および日本におけるこの重要性を明らかにして,これらの仕事に協力する態度を養うことが重要である。

 
 
5.現代社会の地理的問題に対する関心や敏感性,さらに問題解決の能力を養うこと。

 現代の世界には,国際的にも種々な問題が起っている。また国内にもいろいろな問題がある。そしてその背後では,自然環境,天然資源,住民の文化の相違などのような地理的条件が基盤をなしている場合が少なくない。身近な例としてわが国の人口問題,種々な天災への対策,都市計画,国土計画などの諸問題もすべて地理の学習内容と深い関係を持っている。その他,日本の生活改善に関する問題の中にも,地理的性質を多分に含むものがたくさんにある。

 人文地理の学習には,これらの問題を大いに取り入れて現代の社会問題に対する生徒の関心を高め,これを科学的に研究し,あわせて種々な問題解決の能力を身につけるように指導しなければならない。

 
 
6.地図を読み,描き,また正確な資料を人手してこれを正しく解釈する技能を養うこと。

 ある国で発行されている地図を見れば,これによってその国の文化の程度が推定できるといっている人がある。地図はある程度まで国の文化を反映する。

 わが国では幸いにして地理調査所その他から,多くの優秀な地図が発行されている。それにもかかわらず地図の利用は,必ずしも国民一般に普及しているとはいえない。地図を正しく読んだり,地図を描くことは,国民生活の中にもっと取り入れられなければならない技能である。それにつけても高等学校においては,各種の投影法の長所・短所の理解を初め,5万分の1のような大きな縮尺の地図を,かなりの程度まで読みこなす能力を身につけることを目ざさなければならない。それがためには,機会のあるごとに,生徒に地図を使用させ,これに慣れさせるように指導することがたいせつである。

 さらに,種々な資料を科学的に処理して,これを正しく解釈する技能を発達させることの重要なことは,社会科のどの課程についても同様である。しかし地理の授業には統計やグラフなどが特に多く取り入れられるに違いない。

 ところで,これまでのわが国の社会では,資料の吟味,その正しい処理法や解釈,あるいは結果の表現法など,問題解決の基本的過程の訓練について欠点が少なくなかった。したがってこういう方面の正しい能力・技能を養うことに対しては,地理の学習の貢献する面が大きいわけである。

 
 
7.地理的観察力・判断力・思考力を養うこと。

 もしも地理の授業が,主として書物の上の学習にとどまっていたならば,それは,生きた授業とはいえない。実地の地理的現象を観察し,これに疑問を起し,これを正しく判断する能力を養うことは,地理の授業のたいせつな目標の一つでなければならない。

 この目標を達するについて有利なことは,地理の学習にとって有意義な観察対象が至るところに存在することである。学校や家庭の周囲,あるいは旅行の途中や目的地も,観察力を養うに絶好な対象物で満たされているといってもよい。そして地理的観察力が正しくない人にとっては,これらの貴重な資料も無意義なものとして見のがされてしまうであろう。

 地理的観察力を養うことは,われわれをとりまく環境に多くの意義を見いだし,これに対してわれわれの生活を最もよく適応させて行く方法を考える基本であるともいえよう。したがってこの方面の学習は,機会のあるごとに地理の授業に取り入れられなければならない。

 最後に,地理的に考えるということは,郷土あるいは日本だけのような狭い視野に閉じこもることなく,広く世界的視野に立って,物事を考えることに直接通ずるものであって,これは広い心を持った日木人の育成の根本をなすものであることを忘れてはならない。

 
 
8.種々の地理的な書物や紀行文などを愛読したり,旅行の際に科学的観察を行う習慣を養うこと。

 地理の学習には教科書風の書物以外に,もっと趣味の豊かな読物も大いに取り入れることが望ましい。旅行記や探検記などの中には,こういう要求を満たしてくれるものが少なくない。たとえばスヴェン=ヘディン(Sven Hedin)やオーレル=スタイン(Sir Aurel Stein)による内部アジアの探検記などは,世界の多くの国々のことばに翻訳され,広く外国の大衆の間に愛読されてきた。それは未知の地方の自然や住民の生活状態が平易にしかも興味深く記述してあるとともに,その内容はきわめて科学的であり,また探検の労苦に対して屈することのない精神や,種々な危険に遭遇した経験などが盛り込んであって,読者をして飽きさせない。しかも全内容を通じて,読者の胸に強く訴えるものは美しい人類愛の精神である。

 こういう本はヘディンやスタインのものばかりではない。燃えるような宗教的信念をもって未開の大陸の奥地へはいって伝道に従事したリヴィングストン(David Livingstone)を初め,多くの宣教師の手記,あるいは北極や南極の探検記なども,外国では大衆の間に愛読されている。

 ところがわが国では,過去にはこの数種のものが翻訳されたこともあったが,たいして世に受け入れられることがなく終ってしまった。こういうものを歓迎するような,豊かな心の持ち主で満たされている社会に,一日も早く改めたいものである。そして地理の授業は,この方面にも大いに貢献できるわけである。さらに旅行や登山も今後ますます盛んになるであろうし,外国からわが国へ来遊する人々も多くなることであろう。地理の授業は,旅行や登山にも科学的意味を持たせ,また外国からの旅行者に対する正しい態度を養う上にも役だたせなければならない。

 

 

 以上の目標への到達を目ざして,人文地理指導上の参考単元として次の5単元を設定した。しかしこれらは固定されたもののように考える必要はない。また学習活動の例として,種々な形態のものがあげられているが,これら以外にも,教科書や地図をよく利用したり,必要に応じて教師の話を聞く活動のあることは,当然なので,多くの場合はぶかれている。各教師は全体の活動に系統を与えて,学習が断片的なものになったり,地誌的知識の獲得が軽視されたりすることがないように指導されることを希望する。