第Ⅱ章 社会科の教育課程

 

 社会科の教育課程を立てるにあたっては,何よりも社会科の教育目標を重視し,これに最もよく到達できるように考慮を払わなければならない。それがためには,一方ではその内容や組織が生徒の必要・能力・関心などにも合致し,教育上最も有効に学習されることが重要である。これは概念的には考えられるが,具体的にこれを行うとなると,いろいろむずかしい問題に当面する。

 一般社会科と分化した社会科

 わが国の旧制中学校における科目の中,今日の社会科に相当するものとしては歴史・地理・公民の三科をあげることができる。これらはその教育目標も今日の社会科とは違うものであり,特に戦前のものは国家主義的教育の色彩が濃厚なものであったから,そのままで社会科になると考えては大きな誤りである。しかしながら社会科の課程としては,歴史・地理・公民に分けても成り立つことができるし,現に高等学校第2学年以上の社会科は日本史・世界史・人文地理・時事問題(公民)に分かれて選択科目として課されている。

 ところで中学校と高等学校とでは教育課程に種々な違いがある。まず中学校では,生徒の年令や義務教育であることが考慮されて,大部分の教科は必修となり,選択教科はごくわずかである。そこで中学校の社会科として,歴史・地理・公民の三科目に分け,これらを必修として課すように計画すると仮定しよう。この場合も過去のようにそれぞれの科目を相互に関係なく,しかも先人がそれぞれの分野において残した遺産を,ただ平易にして生徒に伝える,というような考え方をしてはならない。社会科の教育においては,その目標に示されているように,生徒に現代の社会生活をよく理解させ,これを基礎として民主的社会人として望ましい態度・習慣・能力・技能などを身につけさせることに中心が置かれることを忘れてはならない。だからこのような目標を常によく考えて,これに到達しやすいように各科目の計画を立てなければならない。したがって各科目の内容も過去のそれと,いろいろな点で違ってこなければならないはずである。たとえば歴史の内容も,過去のそれのように,政治史や戦争の歴史を主体としたものであってはならず,それぞれの時代における政治的・経済的・社会的活動を広く取り入れて,現代社会生活の歴史的背景を理解させることに重点がおかれなければならない。また地理も各地域の自然環境と社会生活との関係を中心とし,広く各地の政治・経済・社会的活動を取り扱うとともに,これらの活動と自然環境との関係が,歴史的にどのように発展してきたかについても考察しなければならないはずである。さらに現代の政治的・経済的・社会的活動の学習を主体とする公民においては,これらの諸活動の歴史的背景や自然環境との関係も,当然その内容としてはいってこなければならないことになる。てのように考えると,各科目の内容にはなはだしい重複をきたし,しかもそれぞれの科目によって教師が違う場合には,相互の関連もふじゆうぶんとなって,生徒は同じようなことを違った時間に,違った教師からくりかえして教えられることが,しばしば起りがちとなる。しかも同一事象に対して,それぞれの科目の立場から違った見解を教えられるようなことがあると,まだこれらを自分で統一できるだけの域に達していない中学校生徒には,理解に混乱がもたらされやすい。それに中学校の諸教科がそれぞれ幾つもの科目に分かれることになると,科目の数が全体としてはなはだしく多数となり,それぞれを一週きわめてわずかな授業時間で受け持つことになる。そして,このような教育課程では,生徒は幾つもの小さな部屋に分離されたような知識や考え方をばらばらに得るにとどまりがちである。そこで教科としては,内容をもっと大きくくくり,細かい「ワク」をはずしたほうがよいとの考えは,戦前のわが国の教育でも論ぜられ,一部のものには,これが実施されつつあった。すなわち,たとえば理科や数学においてはこのような方向の教育課程が組織され運営されつつあったのである。そこで人間関係をその学習の中心とする社会科関係のものについても,その内部の科目の境を外して,大きくまとめたほうが中学校の教科としては有効ではないかとのことは,当然考えられてくる。

 終戦後のわが国の中学校においては,すべての教科について,まずそれぞれの教育目標を明確にし,これに到達することを主眼として,これまでの内部の小さな境にとらわれない教科制が採用された。これはこれまでの科目の内容を単に関連づけたり,合わせたりする考えとは,その出発点において違っている。そして社会科においても,一般社会科が計画されるようになった。しかも生徒をりっぱな民主的社会人として成長させることの必要性から,この一般社会科は高等学校第1学年まで必修教科として課せられることになったのである。それにつけても一般社会科となってから,歴史教育・地理教育・公民(政治・経済・社会)教育がなくなったように考えることは大きな誤りである。一般社会科では,これらを別々の科目として取り扱わないだけのことである。

 ところで中学校の社会科で,日本史が別に設けられてもよいことになっていることは,矛盾のように見える。事実,日本史を一般社会科と別個に課さなければならないという積極的理由は存在しない。しかし一方,過去の日本史が極端な日本中心主義の思想の養成に大きな役割を演じていたことは否定できない。自分の国の歴史について,このようなかたよった考え方を教えてきたことは,日本の教育にとって不幸なことであったといわなければならない。そこでせめて義務教育の間に,生徒に,日本の現代社会の歴史的背景を誤りなく理解させたいとのことから,これが別個に設けられてもよいことになっているにすぎない。

 しかしながら,日本史を別個に課さなくとも,一般社会科の中でじゅうぶんにその目的が達せられるように計画することも可能である。この学習指導要領では,一般社会科と日本史とが別に計画されているが,各学校の実際指導計画では,両者を合わせたものを作ってさしつかえない。もっともこの場合,一般社会科の各単元は,歴史・地理・公民の内容が均等に融合されたものでなければならないように狭く考える必要はない。また,たとえ日本史を別にする場合でも,一般社会科と日本史とは同一の教師が教えて,その内容のむだな重複を除き,また常に社会科としての目標を認識して,両者の指導に矛盾がないように注意することが望ましい。

 高等学校になると,この年令の生徒の必要および心身の発達を考えて,必修教科は少なくなり,たいていの教科はそれぞれ幾つかの科目に分かれて,しかも選択制となっている。社会科においても第2学年以上では,日本史・世界史・人文地理・時事問題に分かれているが,これらも過去のもののように,それぞれ相互に関係なく独立したものと考えてはならない。たとえ幾つかの科目に分化していても,これらは共通に社会科の目標の達成を目ざさなければならないものであり,ただ,その重点の置き方における多少の違いが,それぞれの特殊目標として区別されているにすぎない。

 単 元 組 織

 一般社会科や分化した社会科の内容を,どのように組織するのが教育上最も効果があるかについては,いろいろ考慮しなければならない問題がある。ごく旧式の教育では,教科書を中心として,これに書かれている事実をよく覚えさせることが主眼であったが,今日の社会科の教育目標は,このようなものではないし,また,これは単に教科書に書いてあることを覚えさせるような指導によっては達成することができない。

 教科書は学習上,重要な手がかりであるには違いないが,これにとらわれることなく,生徒の必要・能力・関心などをよく考慮して,社会科として最も効果が上がるような組織にしなければならない。これに関して,今日多くの人々によって推奨されているものの一つに単元組織がある。ところで単元という場合には,だれでもその内容がなんらかのまとまりをもったものを考えているが,その定義は人によってまちまちであり,極端な場合には,教科書の章に相当するものを単元とよんでいる人もある。

 そこでここでは,社会科の単元としては,「歴史・地理・政治・経済・社会等の人間関係の分野において,生徒にとって関心があり,また重要な問題を中心として,ある一定の教育目標の選成を目ざして展開される学習経験のまとまり」と考える。もっとも,この定義によっても,単元についてはまだばく然とした概念しか得られないし,またその解釈いかんによって,種々な性格の単元が考えられるわけである。しかし単なる内容の集まりではなく,問題から出発して,目標や内容が構成されるものであることに注意しなければならない。たとえばこの学習指導要領に示されているどの参考単元でも,これまでの歴史や地理や公民の内容を,それぞれ適当な大きさにまとめたものではなく,題目として示されている問題をまず考えて,これを中心として作られたものである。

 このような単元組織は,その学習にあたって,どんな長所をもつであろうか。まず生徒は一つの問題を中心として,幾日間もこれに取り組んで学習することができる。また,いろいろな事実を相互に関係なく,ばらばらに学習する不利から脱して,大きな問題を中心として,すべての事実が相互に密接な関連をもつようにその学習経験を組織されるから,生徒は基本的知識や理解をよく身につけることができる。さらに単元の学習の最初にあたって,生徒にはその目標や内容の全体がわかるから,各生徒は,自分が現在やっていることが,単元の全体から見て,どんな意味をもっているかを常に自覚しながら,学習が進められるばかりでなく,他の生徒の学習の進度にわずらわされないで,自分の創意によって学習を続けていくこともできる。単元学習の大きな特徴の一つは,種々の形式の学習活動が容易にかつきわめて自然に取り入れられる点である。教師の講義本位による単調で受身的な授業から脱して,問題解決に向かっての生き生きとした種々の学習活動を通じて,民主的社会における人間関係の基本的知識や理解をはじめ,民主的社会人として望ましい態度・能力・技能等を発達させることができる。

 参 考 単 元

 社会科の学習効果が上がるためには,単元計画が適当であることも一つの重要な条件である。単元計画を学習指導要領に書き表わす形式については,別にきまりがあるわけではない。単元計画はきわめて簡単にも,あるいは詳細にも,書き表わすことができる。しかし各教師が実際に指導計画を立てるにあたって最も利用されやすいようにするためには,中等社会科としては,少なくとも次の諸事項が含まれていることが望ましい。

 ところで各学年にどのような単元を選んだらよいかを決定することは,むずかしい問題である。学習指導要領に示される諸単元は,どこまでも参考用であって,このとおり実行しなければならない性質のものではないが,それにしてもできるだけ適切なものであることが望ましいわけである。それには生徒の能カや関心,現代諸科学の発達,社会生活に対する有用性その他を考え合わせなければならないが,それにしても社会科のような性格の教科では,ある学年ではこの単元でなければならないというような絶対的なものは考えることができない。

 改訂委員会においては,この点で多くの議論がなされたが,結局,一般社会科では生徒の発達も考慮に入れて,学年の主題を,第1学年「われわれの生活圏」,第2学年「近代産業時代の生活」,第3学年「民主主義の発展」,高等学校第1学年「われわれの社会生活の基本的諸問題」と定め,それぞれのもとに各学年に4あるいは5単元を選定して,学年ごとに学習の系統とまとまりを与えることにした。このように主題を定めたり,単元を排列するに際しても,中学校の生徒になると,いろいろな知識や考え方にも分野の区別があることにしだいに目ざめてきていることにも考慮を払った。それは,知識や見解にも分野の違いのあることを,生徒の発達に応じて気づかせることも,教育の任務の一つであると考えたからである。そこで一般社会科の単元といえば,その内容は歴史・地理・政治・経済等の面がすべて均等に融合されたものでなければならないような狭い見解を排して,各単元がそれぞれ余り狭い分野にとどまることがないように注意するとともに,第1学年は地理および歴史,第2学年は歴史および地理,第3学年は政治・経済・社会および歴史的なものを主体として排列することにした。また高等学校の一般社会科には,新しい学校生活並びに第2学年以上で分化する社会科の諸科目へのオリエンテーションを与えるように計画されている。一方,分化した社会科の諸科目については,それぞれの分野が比較的明らかであるから,学年の主題を設ける試みはしなかったが,社会科の一般目標およびそれぞれの科目の特殊目標をよく考慮して,各単元が社会科としての性格をじゆうぶんに備えたものに改め,また単元の記載形式も一般社会科とあまり違わないようにした。

 社会科と道徳教育

 生徒の道徳的生活の向上に向かって努力することは,今日のわが国の学校教育に課せられた重大な問題である。戦前のわが国の教育課程には修身科があっていろいろな徳目をかかげ,しかもその中には,国家主義的色彩が濃厚なものが多く,これらについておもに訓話が行われていた。修身科の目的や内容が不適当であったことはもちろんであるが,このように道徳を正面から取り上げて訓話的に教え込むやり方が,教育的効果の薄いものであることはすでに多くの人々によって認められている。それに道徳教育は,ある特定の教科や科目だけが受け持つべきものではない。それは学校教育全体が責任を負わなければならないものであり,各教師は学校教育のあらゆる機会をとらえて,生徒の道徳的理解・判断力・態度・習慣の養成に努めなけれはならない。

 そこで戦後のわが国の教育課程からは修身は除かれ,したがって社会科にも過去の修身科が含まれていないことに注意しなければならない。しかしながら人間関係をそのおもな学習領域とする社会科が,生徒の道徳的理解や判断力の養成に大きな貫献をしなければならないことは明らかである。すなわち社会科の一般目標に示されている態度の諸項目を見ても,これらはどれも民主的社会人として望ましい道徳的な面ばかりといってもよいくらいである。さらに各単元の諸目標の中に含まれている態度・習慣等の項によれば,その目ざす方向がいっそう具体的にはあくされるであろう。もっとも一般目標中の態度のすべてが各単元の目標として具体化されているわけではなく,その単元の特殊性に関連した特色のあるものだけが掲げられているにすぎないことに注意しなければならない。各単元にその学習の目ざす民主的社会人として望ましい態度や能力を多く掲げようとすれば,各単元ともにあまりに同一項目がくり返されすぎるので,これを避けたわけである。

 したがって社会科の教師は,まず社会科の目ざす民主的態度の目標をよく認識し,あらゆる学習活動の機会をとらえて,その育成に努力しなければならない。たとえば,どの単元の学習にあたっても,自分の責任の自覚や義務の実行,人々と協力する,他人の権利や業績を尊敬する,礼儀を正しくする,その他の態度の養成は共通に目ざさなければならないものであるし,観察・調査・面接などに際しても,その能力や技能ばかりでなく,他人を尊敬し,礼儀正しい態度が養われるように指導しなければならない。

 しかしながら,今日の教育では,これらの態度を訓話や命令によって強制する方法をとるのではないことに注意しなければならない。それは常に具体的問題を通して生徒自身が考えるように仕向け,またあらゆる機会にみずから経験しながら,これを体得するように指導することが望ましい。もっとも,これらの態度は単に社会科の学習だけによって養われるものではなく,他教科の学習に際しても,あるいはその他の学習活動によっても,常に目ざさなければならないものであるが,社会科においては,これらの態度育成の重要な背景である道徳的理解や判断力を養わせる点において,他教科に比べて大きな責任を負わなければならない。特に小学校の児童よりも精神的発達が進んだ中等学校の生徒には,この点の指導が重要となってくる。それに中学校上学年から高等学校の生徒になると,精神的発達が著しく進み,道徳の知的解明を求める時期になる。そこで各参考単元も,このようなことを考慮に入れて計画されているし,特に今回の改訂に際しては,生徒の国際的理解を深め,広い視野に立った世界人としての日本人を育成することに力が注がれている。そこで各校での指導計画や実際の指導に際して,このような点に特に留意されることが望ましい。

 生徒の道徳的生活の向上を目ざして指導するに際しても,成人の社会の道徳の現実は,常に教師を悩ますところに違いない。そして時には学校教育の無力さを痛感せざるをえないようなこともあるであろう。しかしわれわれは,教育の効果を上げることにあせってはならない。忍耐強く,しかも将来に希望をもって生徒を指導していくことが重要である。

 社会科と他教科との関係

 人間関係をおもな学習対象とする社会科では,ややもするとその内容の取扱方において,他教科と重複を起しがちである。それはどんな教科でも,その内容として人間関係に関することが,なんらかの形で取り上げられるのが当然であるからである。現在の教育課程では,過去のそれのように,各教科の境は明確に区画されるべきではないが,一方では他教科との間のむだな重複は極力避けて,学習の能率を上げるように計画されなければならない。

 過去の一般社会科においては,この点でやや欠点があったことは否定できない。そこで今回の改訂に際しては,この欠点をできるだけ除くことにした。それには,第一に社会科の一般目標並びにこれをさらに具体化した各単元の目標の達成を目ざして内容およびその取扱方を厳選し,いたずらに材料の関連性をもって内容の範囲を広げないことにした。それと同時に他教科においても,それぞれの目標に再検討を加え,たとえ社会科と同一種類の材料を取り扱う場合でも,その観点にそれぞれの教科の特性を持たせることに努力が払われた。

 さればといって,これは実際の指導において,他教科のことを考慮しなくともよいということにはならない。元来諸教科はたがいに助け合って,生徒の健全な成長を促進しなければならない。したがって社会科の指導においても,たとえば国語・理科・職業・家庭のような社会科と密接な関係のある諸教科の学習の助けになるように心がけなければならないし,また反対に,社会科も他教科の学習によって助けられるように願うべきである。そして指導に当たって最も避けなければならないことは,各教科その他の活動のなわばり争い,あるいは指導の責任の押しつけ合いである。