第Ⅱ章 生徒の発達と音楽

 

ま え が き

 

 学習は,多く,生徒の必要と興味,能力などに基いて進められるものであるが,それらは,生徒の身体の成長や,知的・社会的・情緒的発達によって,必ずしも一様でない。それゆえ,わたくしたちが,適切な教育目標を決めたり,有効な学習指導を計画したり,効果的な教材を選択して,それを組織だてたりするためには,まず,かれらの身体の成長,知的,社会的,情緒的発達をよく知ることがたいせつである。この問題について,ここでは,ほんの骨子だけしか述べることができない。それゆえ,より深く研究し,かつ,完全を期するために,教師およびその他の関係者は,青年心理学についての最近の資料を利用せられたい。

 中学校や高等学校の生徒は,個人差はあるが,一般的に見て,青年期にあたる。この時期は,青春期から成年期へ広がる人生における,きわめて重要な時期である。しかし,こうはいっても,この時期が,人生の急激な瞬間の変化というのではない。

 青年期の現象のもとになる多くのものは,少年期にも見いだされるし,また,この時期には,成年期のようなさまざまな状態も表わすので,いわば,成年期への徐々な成長発達の過程であることは,現代のすべての心理学者によって認められている。それにもかかわらず,この時期には,教育上,重要な意味をもつところの,身体の成長,興味,情緒の面で,明らかな特性を示すものである。それゆえ,この時期の生徒を理解するためには,少年期や成年期とは,分離して考える必要がある。

 

第1節 身体の成長と音楽

 この期の重要な特徴の一つは,身体の急速な成長である。これは,情緒的,知的な発達や調節に,大いに影響を及ぼすものであるから,じゅうぶんに注意しなければならない。

 身体的な成育が,外見上顕著に現れるのに,身長の急激な伸長がある。小学校時代の身長の増加は,1年間に,4センチくらいにすぎないが,12歳から15歳くらいのころでは,5センチから6センチの増加を示す。

 身長の増加につれて,体重も増加する。すなわち,小学校時代には,その増加が,1年間に2キロぐらいにとどまるが,中学校にはいるころからは,4キロから5キロぐらいの著しい増加が見られる。

 このような,急激な身体的な変化は,一般に,男子よりも女子に,1年くらい早く現れるのが普通である。

 身長や体重の増加に伴って,骨・筋内・脳細胞・内蔵器官なども,急速に発達し,生理的にも成人になる。肺活量の増加や喉(こう)頭の大きさ,声帯の長さの伸長は,特に,音楽教育の面から考えて見のがすことができない。

 肺活量は,男子は,14歳・15歳ころ,女子は,12歳・13歳ころに,最大の発育量を示す。その後も,徐々に発育を続けて,青年後期に及ぶ。このような肺活量の増加は,声量の増大をもたらすので,さまざまな表情的な歌唱も可能になり,かつ,高等学校時代になると,独唱の学習にも適してきて,重唱の妙味も発揮できる。また,器楽では,吹奏楽器のような,多くの肺活量を必要とする楽器の吹奏も容易になるので,吹奏楽の演奏の学習に進むことができる。

 喉頭や声帯の成長は,男子では,変声の現象が起る。

 男子の声帯は,青春期になると,急速に長さを増し,少年期に,およそ11ミリあったものが,17.5ミリないし18ミリの長さになる。そのために,声がオクターブ低くなって,テナー・ベースなどの,成年男子特有の声質や声域をもつようになる。ただし,声域は,訓練された男子に比べると,はるかに狭い。次に,それらを比較してみよう。
 
     訓練された男声                    生徒の男声

 女子の声帯は,男子のように急激に成長はしない。その長さは,せいぜい,12.5ミリないし13.5ミリくらいになるにとどまる。したがって,男子のように,声質や声域の著しい変化はないが,概して,声にうるおいが出て,ソプラノやアルトの区別もはっきりしてくる。その声域を訓練された女声と比べると,次のようになる。
 
     訓練された女声                    生徒の女声

 この声域は,変声後の声の訓練によって,はじめて出すことのできるもので,変声直後には,これだけの声域のないことはいうまでもない。しかし中学校の最終学年から,高等学校の2年ころまでに,だいたい,この標準に達する。

 変声直後は,急に声帯が伸びるために,男子は特に,その調節に安定を欠き,音程が不確定になる傾向がある。女子でも,高等学校時代の生徒の声が,いくぶんうわずるのは,やはり同じ理由からであろう。

 変声の時期は,各人各様であるが,統計の示すところによると,中学校の2年ころが最も多く,約80%,1年および3年が各10%くらいである。

 全生徒の変声が終るまでには,普通,数年はかかる。しかし,個々の生徒が思いがけない変声のために,ひどく,まごつく期間はずっと短い。すなわち2か月前後が最も多く,中には数週間で終るものもある。しかし,長いものは1年くらいかかる。したがって,この期間の生徒に対しては,常に調査を怠らず,変声中・変声前後など,生徒の刻々の変化に即応するように,適切な指導をしなければならない。中学校の2年は,変声する生徒の多いことは事実であるが,これも,同時に同じ継続期間で変声はしないので,変声の最もはなはだしい時期に,その生徒だけ声の使用を注意し,他の生徒は歌唱を続けてよい。変声は混声合唱のよい機会を提供する。すなわち,だいたい中学3年ころから可能になり,高等学校では,本格的に学習することができる。

 

第2節 社会的・情緒的発達と音楽

 第1節で述べたような,身体的,生理的変化は感情や情緒に影響を与える。青春期,すなわち,中学校の生徒の年齢になると,しばしば,情緒の起伏がはなはだしくなる。生徒によっては,ささいなことにも感じやすくなり,しかもその感じ方が,きわめて強く起ってくる。その上,刺激の種類が異なるにつれて,次から次へと異なる感情をもつ。つまり,気分が不安定に動揺して,いわゆる気まぐれになる。この時期は,興味が多方面にわたり,かつ,いろいろなことを,なおよく知ろうとする欲求が盛んになる。そのために,ある一つのことに熱中するかと思えば,たちまち,他のものへ移り変ることがよくある。このような傾向は,高等学校時代まで,ときに,それより後までも続く。

 このような情緒生活の特徴は,生徒の学習指導上,さまざまな困難な問題を提供する。とりわけ,音楽のような,生徒の情緒に訴える科目では,その感が深い。したがって,この時期の生徒に対しては,いかにして,かれらの興味を持続させるか,いかにして,かれらの敏感な感情の動きにこたえるかが,学習指導上の重要な問題となるのである。

 この時期の生徒は,また社会性が発達し,性に目ざめる。

 青春期には,自我意識が強くなるために,自我に共鳴し共感する世界を求めるようになり,仲間意識が盛んになって,適当な機会さえあれば,親友をつくり,集団的な共同生活を営む傾向がある。

 また,異性が,これまでとは変ったいろいろな目で見られ,異性に対して興味をもち,異性のいることに平気でいられないものを感じる。そのために,誇張的な態度や一種のはにかみの態度を表わす。

 集団的な共同生活に走る傾向は,合唱や合奏,その他,グループを中心とする音楽活動を奨励するのに,きわめてつごうがよい。しかし,この時期の集団生活の特徴として,リーダーを中心に活動する傾向が強いので,学習指導にあたっては,男子または女子に片寄らないようにして,リーダーの指導に万全を期することが,特にたいせつである。

 性の目ざめは,女子が男子よりも平均して約1年早いために,共学の学校では,同じクラスに,青年期の女子と青年前期の男子とがいっしょになって,互に極端な態度が,適当に融和せられて,教育上,よい結果が得られる。音楽学習の点から見ると,混声合唱や男女合同の合奏などへ,自然な状態で進み入ることのできる利点がある。

 自我意識が,最初に強くなるのは,4・5歳くらいの幼年期であるが,青春期になると,ふたたび,この意識が盛んになる。しかし,この時期の自我の目ざめは,精神的というより,むしろ,情緒的に現われる。たとえば,他人から認められないと不快になるとか,名誉心が強くなるといったような形で経験される。

 また,自我に目ざめると「自分はこどもではない。おとなである。」との考えをもち,一人前に遇せられることを期待する。ところが,自分は一人前であると思っても,他人は,そのように取り扱ってくれないので,そこに不満を感じ,反抗心を生むことになる。それゆえ,専制的,独裁的に生徒を取り扱うことはくれぐれも戒めなければならない。かれらの自主的な行動を重んじ,かれらみずからが責任をとるような行動を奨励することが,特にたいせつである。したがって,音楽に関するグループ活動や個人活動に対しては,教師は,常に,かれらのよい相談相手となり,かれらの自我意識をきずつけないように,善導しなければならない。

 このような自我意識の発達は,生徒の興味にも,大きな変化をもたらす。

 興味はすべて,人間活動の原動力となるものであるが,特に青春期にはすでに述べたような,情緒的な傾向が著しいので,興味のないものについては,見向きもしないが,興味のある事がらに対しては,ひたむきになるものである。

 したがって,興味のある教科,科目は,その進歩も目ざましいが,興味のない教科・科目は,なんらかの方法で興味づけられないかぎりは,その学習が,とかく遅滞しがちである。

 それでは,かれらの興味は,どのようであるかというに,青年期ほど,芸術に興味をもつ時代はない。小学校の高学年から,中学校の低学年にかけては,芸術に対する興味は,情緒的な色合いが,青年期とは違う。しかし,普通,変声の終るころから,芸術に対する知的・情緒的興味が,しだいに高まり,高等学校時代になると,最高潮に達する。中でも,音楽は,強い興味の対象となり,さまざまな音楽や楽器にも興味をもち,ときに,音楽のわからないことを恥とさえ感じるようになる。文学・映画・スポーツなどに興味をもって,夢中になるのもこの時期である。

 なぜ,このように,音楽に特別な興味をもつかは,次の説明によって明らかになるだろう。

 「青年期は,主観的な要素がまさっているので,芸術の中でも,主観的要素の多い芸術のほうを好む。すなわち,造形美術よりも音楽のほうを好む。音楽は,一定の客観的内容を表現しているのではなく,ただ,主観的情緒を表現している。また,同じ理由により,造形芸術の中でも,建築・彫刻よりは絵画のほうを好み,文学の中では,小説よりも詩を好み,詩の中でも,叙事詩よりも叙情詩を好む。

 主観的要素の多い音楽のような芸術は,その内容,その意味が,不定であるためにわかりにくいものである。——ところが,その音楽が最もよくわかり,その中に陶酔することができる。かれらには,音楽の中にあふれている感情に直接触れ,共感することができる。しかも,音楽には,特定の内容が表現されず,自由解釈が許されるだけに,その音楽が,あたかも,自分の気持を表現し,自分のために作曲されているように思って感激する。」(文部省「教育心理学」下巻より)

 以上述べたような,情緒的発達の特徴から考えると,青年期,特に,中学校の上級学年から高等学校時代が,各種の音楽を広く研究するのに,最も適した時期ということができる。

 なお,注意しなければならないのは,中学校のころから,これまでばく然としていた職業に対して,しだいに興味が生れてくることである。それは,次節で述べるところの,知的発達に伴って,広い将来の生活を考えることができるようになるとともに,卒業後,ただちに職につくと,上級学校に進むとにかかわらず,ある程度,職業の方向を決めなければならぬ時期にあるからである。この意味から,中学校の上級学年から高等学校にかけて,職業に対する興味はいっそう著しくなる。

 職業に対する興味は,児童期では,自己の能力や,その職業につくまでに必要な過程を考えずに,ただ,ばく然と,学者だとか大臣だとかを夢みるにすぎない。しかし,上級学校に進むにつれて,自己の能力や現実の社会生活を考え,自分の希望を実現する方法も思い合わせて,現実的な職業を胸に描くようになる。しかしながら,自分の個性や境遇を顧みて,その職業を選ぶには,まだ,かれらの経験や判断力はじゅうぶんでない。それゆえ,教師の,職業選択に対する適切な誘導や,生徒の職業的資質の啓発,あるいは,その機会を作ってやることが必要になる。このようなわけで,音楽のすばらしい才能をもつ生徒については,将来,音楽の方向へ進むことができるように,指導と奨励とを与えてやらねばならない。

 

第3節 知的発達と音楽

 知的機能の発達,たとえば,音の弁別や記憶力のような,感覚や知覚は,小学校時代に発達を遂げ,中学校時代以後には,著しい発達はしない。しかし考え方は,中学校時代から大きな転換をする。すなわち,中学校時代から,しだいに,論理的な考え方が強くなって,抽象的な思考に向かい,高等学校時代になると,抽象的な思考を必要とすることがらに,興味さえもつようになる。しかし,こうはいっても,中学時代には,また,じゅうぶんに論理的に追求することは困難であるが,高等学校時代になると,さまざまな問題についての探究心が盛んになり,知的な興味の世界が拡大してくる。たとえば,現象の奥にある真理を求めたり,今日のわれわれの生活と,その歴史的な背景とのつながりに興味をもったりするようになる。

 したがって,中学校のころは,音楽の情緒的な内容に対する関心が強く,その情緒のよってきたるところの,形式や和声その他を,系統的に追い,学問的に研究しようとする意欲は,まだ,それほど強くない。

 ところが,高等学校のころになると,専門的な知識,それも最高水準の知識を求めるようになる。それゆえ,音楽通論・和声学・対位法・音楽史その他の音楽に関する学問としての研究に適する時期になる。

 ことに高等学校時代には,審美的な関心が高まる時期であるから,作曲の理論とその実践,あるいは,音楽理論や音楽史的背景に基く音楽鑑賞などに興味が向かってくる。

 それゆえ,指導内容を決めたり,指導法をくふうする場合には,このような生徒の特徴をじゅうぶんに考慮しなければならない。