第Ⅱ章 理科の指導計画

 

 理科の指導計画は,教師の指導のもとに,生徒がもつべき教育的な諸経験を具体的に組織したものであって,その作成には,理科教育の目標を明確にとらえること,それらの目標を達成するのに有効な教育内容と学習活動とを選択すること,これを組織することなどが必要である。

 目標の設定と教育内容

 第Ⅰ章に掲げた理科の目標は,教育的な立場にたって広く生徒の個人的,社会的必要をとらえ,これを基礎として作成したもめである。指導計画をたてるにあたっては,まず,この目標を正しく解釈し理解することが必要であるが,それにとどまらず,これが日々の指導にまで結びつくように,より具体的に分祈すること,およびこれらの目標を検討し,学校や地域社会に適合するように修正をすることが必要で,このためには,社会の必要あるいは生徒の社会的必要を正しく認識しておかなければならない。しかし,この社会の必要ということは,広い内容をもっているので,社会全般を見渡して,かたよらずにこれをとらえることは必ずしも容易なことではない。ここでは,理科の目標を分析したり修正したりするとき,および,理科の教育内容を選択するときに,社会の必要をどのように考えていったらよいかについて簡単に述べよう。

 社会の必要をとらえるには,社会の各方面について調査したり,意見を求めたり,問題になっていることを分祈したり,そのほかいろいろの方法が用いられるであろう。できるだけ多くの方法により,各方面から調べるべきであるが,こうして注意深く調べた結果であっても,それをただちに教育の目標や内容にすることは妥当でない。調査の範囲が広ければ広いほど,その結果が表面的には種々雑多になるのが一般であり,いきおい教育を断片的なものにしたり,生徒の発達や興味を無視して一方的に知識や技術の獲得をおしつけることになりがちだからである。それかといって,特定の狭い分野についての調査の結果にたよれば,教育をかたよったものにし,目標をあやまることになる。われわれは,社会を広くながめて,そこから必要をとらえるべきであるが,このようにして得られたものも表面的に見ずに,それの生ずる源にまでさかのぼって考察しなければならないのである。そしてこれを理科教育の目標の設定や内容の選択の際の資料として使うことが正しい方法であろう。たとえば,農工業生産を盛んにすること,資源を開発すること,輸出を増加すること,科学・技術を振興することその他が,最近強く要望されている。これらはいずれも日本の社会の緊急な必要であり,しかも理科教育に関連をもつべきことである。しかし,これらの必要をただちに,技術教育に結びつけたり,あるいは学問の体系をそのまま教育の内容として持ちこむことは浅薄のそしりをまぬがれない。これを理科教育の問題として考えるときには,これらの必要を分析し,学校教育で取りあげる事項を区別し,教育的な立場からつきつめていかなければならない。日常生活に起る問題についても同様である。たとえば,地域社会の伝染病をへらし,健康状態を改善するという問題について,ハイをとったり便所をそうじすることが必要であるが,それは根本的解決にはならない。伝染病はどのような原因で起るか,その病原菌はどのような性質をもち,どのような経路でひろがるか,したがってどのようにして防ぐことができるかを明らかにすることこそ,この問題に対する解決の道を開くものである。このように考えてくると,日常生活においても,いかなる職業生活においても必要とされるのは,仕事に興味をもち,つねに科学的に考え行動することができ,人と協調して問題を解決していくことのできる人であることがわかる。もちろんこのためには,それに欠くことのできない知識や技能,基礎的な原理や法則の理解などが伴っていなければならないが,ただ,広範な知識や特殊な技術をもっているだけではじゅうぶんではないのである。教育は生徒が好ましい方向に育つことを助成するはたらきなのであるから,社会の必要を表面的にとらえ,一方的にこれをおしつけることは避けなければならない。生徒の現在および将来の生活において,どのようなことが必要とされるかという教育的な立場にたって,社会の必要をとらえていかなければならないのである。いいかえれば,社会の必要と,生徒の必要とを対立させて,そのどちらかをとるという立場をとらずに,具体的にはこの二つの必要が矛盾するものではなく,生徒の個人的必要のうちに社会の必要がとり入れられていくという事実をとらえることがたいせつである。そして,生徒の必要・関心・興味に基いた学習経験のうちに社会の必要が実現されるようにすべきである。

 次に,目標から具体的な教育内容を選択する際に,自然科学の体系をどのように取り扱ったらよいかを考えてみよう。それにはまず,自然科学の内容を,適当に程度を下げ,そのまま教材とする方法が,生徒の個人的,社会的必要を満し得なかったばかりか,自然科学の内容すらも与え得なかったことを反省してみる必要があると思われる。たしかに,学問的に重要であるというだけの理由で,教育的にも意味をもつとはいえない。しかし,自然科学の体系を無視し,生徒の必要,社会の必要だけから理科の教育内容を導き出すことも実際的ではない。われわれは,自然科学の内容と生徒の個人的,社会的必要が矛盾するものでなく,かえってこれらの有機的な関連において適切な理科の教育内容が決定されることに着目すべきである。すなわち,生徒の個人的,社会的必要を満たすのに役だつような自然科学の内容が選択され,結果としてはそれが理科の内容の大きな部面を占めることになるであろう。しかしこの際にも,次のことは重ねて注意する必要があると思われる。その一つは,集積された科学の知識体系だけが,理科教育に関係する自然科学のすべてではないということである。そこには,知識という抽象されたもの以前に,自然の事物現象の具体的な理解がなければならない。事実から原理や法則が導かれていくすじみち,自然を追求していく正しい方法,いわゆる科学的方法の理解が含まれていなければならない。知識が生活や産業に応用されていく事実や方法が与えられていなければならない。従来,学問的体系を重視したといわれた多くの場合は,主として集積された知識だけをとりあげていたのではなかろうか。われわれは,理科教育の内容として考えるときには,知識体系だけではなく,これが産み出され,また応用されていく自然科学の動的な姿を問題としていかなければならない。

 このような自然科学の広範なはたらきは,衣食住や保健のような個人生活から,社会の産業・文化・経済に至るまで直接に関係している。それは自然についての知識と応用ばかりでなく,自然科学的方法によって物事を考え,処理していくという生活態度や,世界観にまで影響を及ぼしているのである。そのように考えると,自然科学は社会の必要と矛盾するものではなく,いろいろな点で一致し,理科教育の内容の大きな部面を占めるのは当然であると考えられよう。

 さらに注意すべきことの一つは,自然科学をこのように考えても,それがただちに社会の必要と全面的に一致することにならないということである。科学の進歩と現実の社会との間には,常になにがしかのひらきがある。このひらきについてみると,これを少なくしようと望み努力する部面もあって,これが社会の必要となりうるが,他方には,純粋に学問的な必要や興味のゆえに存在価値がみとめられているが,一応,社会の必要とはならない部面もある。また,自然科学だけを学ぶことによって,必ずしも社会的に好ましい,そして科学的な行動をとりうる人になるとはいえない。そのためにはさらに多くのものが理科においても学習されなければならないのである。すなわち,理科の教育内容は,理科教育の目標にそった広い立場から選択し,学問的な内容については,それが生徒の個人的,社会的必要にどのような意味をもつかを慎重に考えて取捨しなければならないのである。

 

 学習経験の組織

 理科の目標や教育内容は,具体的な学習活動を通して生徒のうちに実現される。したがって学習活動はそれのめざす内容や目標にふさわしいものがえらばれなければならない。たとえば知識を与える方法として講義が有効な方法の一つであることは否定できない。教師がたくみに行う実験が,原理・法則の理解をたすけ,興味を深めることも確かである。講義と実験・観察を交互に組み合せた方法は,知識・技術の獲得には有力な一方法であるといえる。しかし,みずから問題を見いだす能力や問題解決の計画をたてる能力を,このような指導法によって高めることはできない。また,資料を集めたり,自分から装置をくふうして実験を行ったりして問題を解決していく経験を与えることもむずかしい。理科の目標は広範なものであり,それに伴って内容もさまざまなのであるから,それぞれにふさわしい各種の学習活動が用意されなければならないのである。

 また,これらの教育内容と学習活動が教育的に組織されることが必要である。その組織のしかたにはいろいろある。そのうち,たとえば自然の季節的変化の順序によるということが行われる場合がある。季節的変化は理科できわめて重要な問題であり,じゅうぶんに考慮しなければならないが,これだけによって組織することは,あまりにも機械的で,学習する生徒の立場からみて系統的であるとはいえない。また,これに対して本に書かれた科学の体系そのままの順序に,学習経験を組織することも広く行われてきた。しかしこれにも大きな欠点があって,この組織のしかたにより科学の体系自身すら理解させがたい場合があることに注意しなけれはならない。たとえば,植物にはどのような種類があり,どのように分類されるかということが問題になった場合に,分類の規準をまず知り,それに属する種類を調べていくという順序は必ずしも有効であるとはいえない。なぜならば,この方法では,分類の規準がどのような必然性をもつかを理解することが見落されがちであり,結局,学習を機械的な暗記に終らせる危険があるからである。これに対して,生徒がこれまでの経験をもとにして自分なりの規準をつくり,これによって分類しているうちに自分のたてた規準の不合理なところに気付き,これを修正していく経験を積んでいくと,その経験を通して学問的な分類が合理的で便利なものであることが理解でき,この理解に裏付けられて,規準を活用していくことができるであろう。一般に論理的な体系について理解するということが必要であっても,それは必ずしも論理的な順序に学習を進めるのがよいということにはならないのである。むしろ,生徒の学習の心理にあった組織をとることによってかえってよい成果をおさめ,論理的体系をも明確に理解させることができることが多いことを考慮しなければならない。このように,個々の事実や原理・法則の理解についても,学習の順序や方法が教育的な立場から考えられなければならないのであるが,こればかりでなく,これらの学習経験を全体としてどのように組織するかを計画することが指導計画をたてる上に重要な問題なのである。どのような組織のしかたをとるにしても,理科の目標が全体として生徒に達成されるようにはかられていること,生徒の経験や発達段階に即してより発展的,系統的に組織されていること,生徒の個人差に応じうる弾力性があること,学校の設備や資材,自然環境・社会の施設などを有効に利用するようにくふうしてあることなどに,考慮が払われていることが必要である。次に述べる単元による組織のしかたは,このような条件にあったよい方法の一つであると考えられる。

 

理科の単元

 理科の目標が,ただ単に生徒に科学的な知識や理解を与えるだけでなく,能力・技能・態度などの習得をも重視していることは,すでに述べたとおりである。したがって,理科の指導計画を立案するには,これらの目標がもっとも効果的に達成されるように努めなくてはならない。単元を構成するにあたっては,一つの単元の学習によって,中学校ないし高等学校の理科教育の目標のいくつかが達成されるように計画し,それらの一連の単元の学習を通して,すべての目標が達成されるように考慮することが必要である。

 生徒の興味  理科においても他の教科の場合と同様に,生徒の興味が学習の出発点となり,また推進力とならなくてはならない。どのように有益な内容をもった理科学習であっても,生徒がこれに興味をもたなかったならば,学習の結果は教師の一方的な押しつけに終り,望ましい効果は期待できない。したがって,単元構成にあたっては,まず生徒の発達の段階に即応した理科的な興味の中心を明らかにし,それに基いて立案する必要がある。いいかえれば,生徒は,どのような学習対象について,どのような学習を行うことに興味をもつかをそれぞれの学習の時期に即してきわめていなくてはならない。たとえば,同じく天体に対しても,低学年では,星座の形・位置・名称などに対して興味をもつのに対して,高学年では宇宙間に見られる法則性を明らかにすることが興味の中心になっている。このようにして,単元は「なにを」「どのように」学習することに生徒が興味をもつかを,学習の手がかりとして求めることが必要なのである。

 しかしながら,生徒の興味は種々雑多であり,しかも広範囲にわたっている。そのすべてを,理科学習でとりあげることはもとより不可能であり,さらにまた,そのすべてが適切な内容をもつとも限らない。理科の学習において問題とされる生徒の興味は,生徒がその時々に断片的に思い浮べるものばかりであってはならない。むしろ,興味というものが,生徒の学習経験を通してつちかわれていく面があることに注目すべきである。この観点にたてば,生徒の興味は生徒の個人的,社会的必要に直接に関連をもつものということができよう。

 近代生活においては,たとえ個人としてであろうとも,あるいはまた社会の一員としての立場にあるときであろうとも,自然科学の影響を受けることが大きい。いいかえれば,自然科学は,われわれの衣食住に直接あるいは間接に影響を与えているほか健康の維持・増進に重要な役割を果し,さらに日常の生活態度を正し,自然観を豊かにするなど,精神的,情緒的方面に対する影響も大きい。したがって,日常生活において現実に遭遇する問題を,自然科学の知識を利用し,また科学的な方法を応用して処理することは,よりよき生活を建設する上に欠くことのできないところである。ここで生徒の日常生活を向上させるために,個人的ないし社会的にみて現実にどのような問題の解決が必要であるかを考察することも,理科の単元設定の手がかりとなるであろう。ことに社会の必要については多方面から考察が進められるべきであって,たとえば,家庭・職業・公民などの各方面からの必要を分析することもできる。また,居住する郷土を中心とした比較的狭い地域における社会的な必要も重要である。

 地域の実態とその調査  前述したように,理科の教育は生徒の興味・能力・生活経験および社会の必要などに基いて行われなければならないが,これらは地域によってそれぞれ異なっている。したがって,各学校や学級においては,その地域の特殊性をじゅうぶんに考慮し,それに適応した教育計画を立てなければならない。そのためにはまず教師がその地域の実態を知ることが必要である。すなわちその地域の地形・地質・気候・生物などの自然環境や,産業・交通・文化施設などの社会環境の特徴,あるいはその地域の人々の職業,文化や生活の程度,その地域の歴史的な発達過程に見られる特異性などの調査が必要である。それは,これらが理科に関する生徒の興味・能力・生活経験や,社会の必要などに直接・間接に密接なつながりをもっているからである。これらを知るためにはすでに調査されている資料を利用するばかりでなく,必要に応じて新たな調査も行わなければならない。資料は学校にあるもののほか,大学・研究所・試験場・気象台・図書館など,できるだけその地域の施設を利用して広く集めることが望ましい。また,調査としては,教師自身がその地域の自然環境の研究を行うなどのほか,専門家や,大衆の声を聞くことなども必要である。このためには,個別に訪問して意見を聞いたり,調査票を利用するなどいろいろを方法が考えられよう。こうしてできるだけ広く資料を集め,一方にかたよることのない妥当な結果が得られるようにしたい。

 調査結果の整理と利用  このようにして集められた資料は,理科の教育計画の立案や毎日の学習に役だてられなければならない。そのためには,得た資料の中から理科の学習に役だつものを選んで整理し,単元の構成やその内容を決める場合に利用するほか,毎日の学習にも利用し,地域性をいかした学習活動が行われるようにしたい。

 次に,いくつかの例によって,集めた資料やそれによって知り得た地域性を学習の計画や実際の活動にどのようにとり入れるかを考えてみよう。

 a.わが国は,南と北では気温の差が大きく,生物分布の上にも,大きな違いが見られる。また,同じ生物でも開花・落葉・種まき・収穫の時期,冬眠にはいる時期とさめる時期,産卵の時期,渡り鳥の去来の時期などに違いが見られる。したがって,生物の観察・調査・飼育・栽培などの場合には選択する生物,その時期などをその地域に応ずるように計画しなければならない。

 b.わが国の裏日本や北海道では,冬期に積雪が多く,これによる害や不便は生活を合理化する上での大きな問題になっている。したがって,このような地方では,雪に関する問題を大きくとりあげるように計画し,また,積雪量,積雪の時期・積雪と気象との関係,その被害と対策などに関する資料の収集やそれの学習への利用などが行われるであろう。このような地域による特性には,津波の多い地域,水害の多い地域,冷害の多い地域などいろいろな場合があり,これらについても上と同じような考え方で地域の特性がとりあげられてよいであろう。

 c.生徒の生活経験は,家や学校の付近の環境や,住んでいる市・町・村などの,もっている特性によってそれぞれ異なっている。たとえば,家や学校の近くが工場地帯であったり,住宅地帯であったりするような違いや,住んでいる市や村が,農村か漁村か都市かによる違いなどによって,環境や生活様式や職業などにそれぞれ特性が見られるはずである。このような特性は,生徒の生活経験に差異を生ずるばかりでなく,その地域の社会的な必要やそれに基く生産計画などの面にも差異ができることが予想される。したがってこれらに関する資料をできるだけ活用し,生徒の経験や社会の必要に即した学習がなされるよう計画されることが必要である。

 以上のような必要は,ただ単に現在の社会からばかり考えたのではふじゅうぶんである。われわれは社会の発展の方向に正しい理想をもち,そのような社会の実現に向って精いっぱいの努力を払うべきである。したがって,理科学習においても,教師が社会の将来のあり方についての見通しをもち,そのような社会の建設のために現在の自然科学,ないしは将来の自然科学がどのように貢献すべきかの問題を考えて,単元構成の一条件とする必要がある。たとえば,結核や寄生虫病のない社会を建設するためにどのような努力が続けられるべきであるかとか,あるいはまた,農村の生活合理化のために,科学や科学技術をどのように導入すべきかなどは,理科の問題として重要である。

 地域への適応についての注意  これまでに地域や各学校の実情に即した学習や学習計画の方法について簡単に述べたが,これを尊重するのあまり,狭い地域の教育にかたよることのないようにじゅうぶん注意しなければならない。生徒の生活経験や興味,地域社会の必要などには差異も認められるが,共通なものも決して少なくはない。生徒の知識や能力の円満な発達のためにも,将来の発展のためにも広い視野を養うようにすべきであり,さらにこのような学習が発展して世界の国々を結ぶ国際理解ないし国際協力の上の必要をも満たすようになって,単元の構成ははじめて完全といえるのである。

 学習の順序  理科においては,生徒の生活における現実の問題を解決することを学習の中心とすべきことはすでに述べたとおりであるが,このような学習形式においては自然科学をその体系に従って学習することにはならない。しかし,理科の単元は,単に,いくつかの問題の雑然たる集合体であってはならない。単元を構成する課題は少なくとも互に系統的,発展的な関連をもつことを必要とする。また,単元の内容が,生徒の学習能力の発達段階に適応していることもたいせつである。教師にこのような方面に対する配慮が乏しいときには,その指導がとかく抽象化された概念あるいは法則の暗記を生徒にしいる結果となりがちである。

 このような欠陥に陥らないためにはまず生徒の発達とにらみ合わせて,内容と学習について教育的な組織のしかたを考慮することが必要となる。すなわち,生徒の理解を容易にし,各種の能力・態度を身につけるためには,そこにおのずから指導上の系列が考えられるわけであって,単元構成上,これも必ず考慮されなければならない。