第Ⅶ章 数学科の学習指導における評価

§1.数学科の学習指導における評価のねらい

 
 
評価とは,どんなことをいうか。

 学習指導において,評価ということが,きわめて重要なことであると考えられている。しかし,「評価とはどんなことであるか」また,「なぜ,評価が重要であるか」という問題については,人によって,いろいろ違った考えが持たれているようである。

 たとえば,評価をすることを,単にテストしたり,指導要録に書き入れたりすることであると考えている人がある。しかし,評価ということが,単に,そのようなことをするだけで終ってしまうものであるとしたら,その価値は大して大きなものであるとはいえないであろう。

 学習指導においては,テストや指導要録から得られる資料を,教場での実際の指導に結びつけ,学習指導をより有効にしていくことができてこそ,テストをしたり,指導要録に記入したりすることが,意味があることになる。いいかえれば,テストをしたり指導要録をつけたりすることは重要なことであるが,それだけで評価が終るのではなく,いわば,それらが,学習指導をよりよくしていくために有効な資料を提供し,学習指導の上に何かがプラスされてはじめて,評価が達成されるということができよう。

 さらに,この評価は,テストや指導要録によるだけでなく,もっと広い立場からの教師のはたらきによることが必要であると考えられる。これを,日常,人に話をするときのことを例にとって,明らかにしてみよう。

 人に話をするとき,相手がどんな人であるかがよくわかっていて,前もって,どんなことを,どんなふうに話したら,話がよくわかるかを考えておくと,そうしないときよりも,人に話をいっそうよくわからせることができるし,自分のほうでも,話しやすいものである。また,いったん話そうと計画したことも,実際に話をするとき,そのまま一方的に話をするよりも,その人の顔つきや態度などに注意しながら,それに応じて,自分の話そうとしたことの内容や話し方などを,適当にかえていくようにしたほうが,いっそう相手にわかりよいものである。

 さらに,相手が,自分でわからない点を質問してくれたり,その人の好きな点やよくわかっている点をいってくれたりすると,それに合ったように話をしやすいから,いっそう相手にわかりよくすることができるし,話を能率的に進めることもできる。

 このように,人に話をわかりよくすることができるのは,次の事がらによると考えられる。まず,前もって,相手の人の状況を調べること,さらに,その場に臨んで,その人の表情を絶えず観察することや適当な質問を出したり受けたりすることなどである。このような事がらをとおして,相手の実際の理解の程度や気持にさぐりを入れ,自分の話そうとすることを,よりよくわからせたり,話し方をくふうしたりするための目安をよくつかむことができるからである。すなわち,このような場合,相手が変な顔付きをしたとか,態度がよくなかったというようなことは,だれでも気の付くことではあるが,それを単にそれだけにとどめないで,自分の話し方とくふうするために生かすことが,人にわかりよく話すのに役だつのである。

 生徒の学習を指導する場合の評価についても,これと同じことがあてはまるわけである。生徒に,たとえば,移項の考えを用いて,方程式を解くことを指導しようとするときについて,考えてみよう。この指導をするにあたっては,まず生徒が,等式の性質がよくわかっていなければならない。また,移項の考えが有用であることがわかる程度に,方程式が解けるようになっていなければならない。これらの基礎的な理解や能力が,実際にどんなであるかが教師によくわかっていないと,移頃の考えを指導しようとしても,効果をあげることができない。

 また,これらの基礎的な理解や能力がじゅうぶんであるとみられたので指導にはいったとする。そのときでも実際は,何か予期しない困難にぶつかることがある。たとえば,xの係数が1であると考えることができなくて,困っているようなことが起る。このような困難は,その指導の中で,臨機に除去していくことが必要である。それゆえ,実際の指導にはいっているときでも,生徒の学習の態度や感情をよく観察して,何かつごうの悪いことが起っているとわかったら,あるいは,そのような悪い結果を起しそうな微候を見いだしたら,初めの計画を修正して,その場合を避けるようにするとか,または,いくらかの時間を割いて,その理解にあててかかるとかなどしてやると,指導の効果を,より大きくすることができる。さらに,このとき,生徒自身が,どこが困難かを研究できるように,目安を与えるようにすると,いっそうつごうがよい。

 この例でわかるように,学習指導の場合にも,教師は,指導の効果をあげるために,指導の計画をたてたり,指導の方法をくふうしたりするのに役だつように,相手とする生徒たちが,実際に,どんなであるかを,あらゆる機会や方法によって,とらえていくことが必要である。このことから,学習指導における評価とは,上のような教師の働きをとおして,その教師が学習指導の上に,なんらかの改善を行っていくことであるということができる。学習指導において評価が重要であるといわれるのは,このような改善を常に行っていくことが必要であることにほかならないのである。

 評価についての,以上のような考え方から,学習指導における評価のねらいを大きくまとめてみると,次の二つを考えることができる。

 このような事がらは,教師も,生徒も,いつも行おうと努力していることである。しかし,教師の指導の相手は,生きた生徒であるから,いっそうこのことに注意して,指導上の大きな誤りを未然に防ぐようにし,生徒にむだな時間を費さしたり,誤った方向へ導いたりしないようにすることが必要である。

 
 
教師の学習指導を,生徒の実際によく合うようにするにはどんなことをねらって評価したらよいか

 学習指導を生徒の実際に合うようにするとは,たとえば,指導計画をたてるのに,単に,他の学級と進度をそろえる目的から指導内容を決めたり,教科書ではその順番になっているからというだけのことで,それをとりあげたりしないことである。また,同じく生徒の能力を考えて計画をたてるとしても,以前の一つのテストの結果に基いてするよりも,毎時の学習指導で,よく調べた事がらによるようにすることであるといえる。

 それでは,この生徒の実際に合うようにすることをねらって評価するのに,どんなことが考えられるか。これは,指導の計画をたてる場合にも,実際の指導をする場合にも重要なことであるから,この二つの場合に分けて,説明してみることにする。

 
 
生徒が自己評価をし,自主的に学習を進めるようにするには教師が評価をするとき,どんなことをねらったらよいか。

 これまでに述べた評価は,教師が,自分の行っている学習指導を反省して,その学習指導が,生徒の実際に合うように改善していくことをねらっているものである。いわば,教師が,指導という側から,自己評価をしていくことであるといえる。

 これに対して,生徒の側でも,進んで学習の目標をつかんだり,学習の成果を知ったりして,自己の学習効果がいっそうよくあがるように反省して,学習を改善していくように努力することが望ましい。これは,生徒が,学習をしているものの立場から,自己評価をしていくようにすることであるといえる。

 さて,この生徒の行う自己評価は,教師が自己の指導を評価しようとして,生徒に働きかける過程を通じて,促進されると考えられる。

 たとえば,ある生徒が,方程式を解けなくて困っているとする。そこで,教師が,その生徒は方程式についてどんなことがわからないために解けないのかを診断するために,「方程式を解くということは,どんな値を求めることであるか」とか,「未知数の係数をなくするのに,どんな数をかけたらよいか」などを質問したり,あるいは,テストを用いたりして,調べていけば,それと同時に,その生徒も,自分の困難がどんなことにあったかを,それによって明らかにしていくことができるであろう。

 また,さきに,評価の観点として,生徒が学習の目標をよくつかんでいるかどうかをみて,目標をつかみやすくすることを考えたことは,とりもなおさず,この生徒の自己評価を援助していることにもなっている。

 この教師の評価を通じて,生徒の自己評価を援助するときの観点としては大きく分けて,次の二つのことが考えられる。

 
 
ま と め
 

§2.評価の手順と方法

 前節で述べたように,学習指導における評価は,学習指導の改善を目ざして,指導と表裏一体となって行われる働きであって,指導と切り離した過程ではないと考えられる。したがって,学習指導が行われているときは,前節にあげたような事がらをねらって,絶えず,評価が行われていることが必要である。

 しかし,この学習指導は,多数の生きた生徒を相手とするものであり,力動的に移り進む過程であるから,評価を,うまく行うには,深い観察や臨機応変の判断が必要である。

 そこで,評価が熟練した少数の教師だけでなく,生徒の学習指導にあずかるかぎり,どの教師にもできて,しかも,大きな手落ちのないようにするために,何か手順や方法を考えておくことが,必要となる。この手順や方法を,できるだけ主要な焦点に対して評価のための注意が集中できるようにしていくという観点で,考えてみることにする。

 たとえば,方程式について指導しているときでも,評価としては,生徒がその指導に関係があるとみられる行為とすれば,どれもとりあげていかなければならない。しかし,その時間には,主として移項の考えを指導することになっているとすれば,それに関する生徒の学習について,どんな行為が起るかを,あらかじめよく考えておけば,それだけ実際に臨んで気楽になるし,それに関して,手落ちもなくなるものである。また,この移項の考えがよく理解されたかどうかは,普通に学習指導をしながらも,いつもみていくのであるが,特に,次の段階に進むときなどに気をつけて,手ぬかりのないように評価すれば,それ以外のときには,評価に対して,少しは気を抜いていても,大きな手落ちがなくなる。また,全部の生徒について,同時に学習の成果を知る必要があるとき,適当なテストなどを準備しておいて,それを利用すると,一時に皆のものについて調べることの気苦労を避けることができて,つごうがよい。

 このような考えから,評価を,手ぎわよく,できるだけ能率的にやるための方法として,次の四つの事がらをあげることができる。

 計画的に評価をしていこうとするとき,この手順をふんでいくことは,評価を手落ちなくする上によいことである。しかし,前もって,評価の計画を考えておくことのできない臨機の事がらに対しても,評価をすることがたいせつである。この手順は,いわば,そのような臨機の評価のために,より多くの労力をまわせるようにするために,計画的な評価を手ぎわよくするためのものであるといえる。以下,これらの手順について,具体的に説明をすることにする。

 

Ⅰ.目標のはあく

 まず,どんな事がらに基いて評価するかを,考えておくことが必要である。一つの目標について指導しているときでも,生徒がみな同じような行為をするとは限らないで,いろいろな生徒の行為が現れてくる。

 たとえば,方程式を,移項の考えを用いて解けるようになることを指導目標としているときには,生徒の中には,必ず,次のような行為をするものが出るであろう。すなわち,移項の考えがもうすでによくわかったものは,いちいち両辺に同じ数を加えたり引いたりしないで,方程式を手軽に解いていくだろう。また,まだ移項の考えがよくわからないものは,あいかわらず,もとのまわりくどいやり方を用いて方程式を解いているであろう。

 ところが,この場合にみられる生徒の行為としては,数学的なことだけについていっても,これだけではないのが普通である。たとえば,すでにわかっているはずの等号の意味の理解がまだあいまいで,誤った使い方をするものがあったり,あるいは,たまたま係数が小数や分数であるために,その係数の乗除ができなくて困っていたりするものもある。

 これらの行為は,計画の上では,あらかじめ,予想されていない事がらであっても,学習指導の能率をあげるためには,どれも,なんらかの形で,とりあげなければならない事がらである。

 このように,いろいろな行為が起っても当惑せず,ある行為は,今指導していることについて,どの程度の理解を示しているものか,また,ある行為は今救ってやらなければならないものかなどを判断することが必要である。

 このように評価ができるためには,次のようにしておくことが必要である。

 このようにして,目標をはっきりとつかんでおくと,しだいに,評価を手ぎわよくすることができるようになる。このために,目標などについて概念的に分析をすることもたいせつであるが,それとともに,今までの経験をとおして,具体的な事例をもとにした研究を積んでおくことも,忘れてはならない。

 

Ⅱ.時期の選定

 学習指導においては,絶えず,生徒の行為に注視して,評価していくことがたいせつである。しかし,適当な機会をとらえて,その際に,特に気をつけて評価するようにしても,主要な学習の成果については,大きな見落しをすることなく,手軽に評価していくことができると考えられる。

 この評価の機会を考える場合に,次のようなことを考慮するとつごうがよい。

 

Ⅲ.用具の選択

 評価をするにあたって,教師のねらっている行為が,実際の学習の場合において生徒に現れたかどうか,また,期待するだけの行為が現れなかった場合には,どんなことがその原因になっているかなどということを,的確にしかも手軽に知るために,特別にくふうして用いる手段を,評価の用具ということにする。

 従来,評価といえば,すぐにテストを思い出したように,評価の用具としては,テストが主として用いられているといってよい。しかし,テストは,紙に書かせて調べるものであるから,紙に書かせて容易にわかるような生徒の行為に対しては,用具としてつごうがよいが,数学科の目標としては,このようなものだけではないから,テスト以外の用具も考えなければならない。また,かりにテストを用いるにしても,ねらっていることが正しく表われるようになっていなければ,役にたたない。

 このような意味から,まず,用具を選んだり,それをつくったりするときに一般に,どんな目安をもったらよいかを考え,次に,各種の用具をあげて,そのおのおのについての得失をあげてみることにする。

 

〔Ⅰ〕 筆 答 テ ス ト

 これは,最もよく用いられるものである。そして,非常に使いやすいものであるだけに,それだけ,陥りやすい欠点も多いから,使用にあたっては,じゅうぶんの注意が必要である。

 筆答テストには,いわゆる,論文式のもの(……について説明せよとか,次の問題を解けとかいう形のもの)と客観形式のものとがある。

 論文式のテストでは,計算をしたり方程式を解いたり,あるいは応用問題を解いたりさせた場合に,それらのことが正しくできるかどうかを,途中の経過や結果の答などをみて,総合的に知ることができて,つごうがよい。しかし,その中で用いられる個々の理解だけをとりあげて知ろうとする場合には,不便なことが多い。また,相当に長い文章を要するようなときには,生徒の表現力いかんによっては,知りたい理解や技能が,ゆがんで表われることがある。

 これらの点を考慮して,客観テストの形式がくふうされ,よく用いられている。これには,次にあげたような種々の形式のものが考えられている。

 

〔Ⅱ〕レポート

 レポートは,筆答テストと同じく,生徒に書かせることによって,評価しようとするものであるが,筆答テストに比べて,生徒に時間的な制約を与えたり,参考文献の引用を妨げたりしないで,その考えを自由に表わすことができるようにしたものである。

 レポートは,次のような場合によく用いられるようである。

 レポートをつくることは,学習活動としても重要な意味があることであって,単に評価の用具としてとりあげられるだけのものではない。レポートを評価の立場から考えると,それは,教師の作為的な発問にだけ答えるものではないから,生徒が自主的に,問題をはあくしたり,解決のための論理を進めたりするときにおける能力や態度,およびその内容に表わされる創造的な面などをみる資料として,有用なものであるということができる。

 しかしながら,それは,自由度の大きいだけに,これを評価の用具として有効に用いるためには,評価の観点を明確にしておくなどの,特別のくふうが必要である。これがよくできていないと,字のきれいであるなしとか,主題に対する教師の興味のあるなしとか,結論が教師に気に入っているとかなど,およそ,数学科の指導目標とあまり関係のない事がらにとらわれて,評価しようとする事がらから,はずれるようなことが起りやすい。

 たとえば,「こづかいの使い方」について学習したあと,各自の研究をまとめて,レポートを書かせた場合について,この注意を述べてみよう。

 まず,このレポートをみるにあたって,どんなものが評価されるかを考えておくことが必要である。この場合には,評価の観点として,次のようなものが考えられるであろう。

〔Ⅲ〕質問紙

 面接して質問する代りに,紙に書かせるようにしたものである。これは,筆答テストのように,学習の成果を調べるというよりは,生徒興味・関心・経験あるいはその環境などについて調べる場合に,よく用いられるようである。しかし,これを,家庭や社会の人たちと協力して,学校外における生徒の行為について知ることに用いると,学習の成果を知る上にも,非常に有用なものとなる。

 たとえば,学校で,こづかいの使い方について指導した後,次のような質問紙を家庭に送って,生徒が,日常生活に実際に用いるようになったかどうかを知ることが考えられる。

〔Ⅳ〕チェックリスト

 チェックリストは,形式は質問紙に似ている。しかし,これは,他人に対して質問するときにもよいが,自分で手落ちや足りないところがないかどうかを調べる用具として,有用なものであると考えられる。

 すなわち,次のような場合に用いると,つごうがよい。

 要するに,このチェックリストの考え方は,教師にとっても,生徒にとっても,自己評価をするのに有効なものであるから,各自のまちがいやすいところなどに対して,このようなものをいろいろとくふうしておき,それを用いるようにすることが望ましい。

〔Ⅴ〕 その他の用具

 ノートやその他,生徒の個人的な記録は,そのままでは有効な評価の用具とはいえないが,適当に用いていくことによって,テストやレポートなどではみられない生徒の行為を知ることができる。

 これについては,たとえば,次のような例がある。

 ある学校で,毎時間の授業の終りに,順次に5名ずつの生徒にノートを提出させる(5名と決めているのは,一度に全クラスの考えについてみることが,時間的に困難であるから)

 このノートについて,次のような観点で評価することにしている。

 これによって,生徒はよく自己評価してノートをとるようになり,教師も,テストや日常の観察では気がつかないような,個々の生徒の実情について,よく評価することができるようになったという。

 要するに,このような記録によって評価することは,非常に有効なものであるが,レポートの場合と同じように,評価にあたっては,どんな観点から評価していくかをはっきりと決めてかかることがたいせつである。また,このような仕事は,一時は熱心にやっても,すぐにとだえやすいものであるが,そのようなことのないように,継続的にやるように努めることが必要である。

 

 B.話させることによって評価するものについて

 評価の手段として,生徒に話させる場合として,次のものがあげられる。

 話させることによって評価する場合は,書かせる場合に比べて,その場の状況に応じて生徒を選択したり,生徒の応答のいかんに応じて,発問を加減したりしていけるという点で,つごうがよい。また,書くことを要しないから,特別に用紙などを用意する必要がないし,生徒に割合に固苦しい感じを与えないで済ますこともできる。

 この反面,次のような点に,特に注意を要する。

 

〔Ⅰ〕発 表

 ある主題についての研究や,問題の解法などを発表させることをとおして評価するのが,これにあたる。

 発表の場合にも,レポートの場合と同じように,総合的な能力や態度などをみるのにつごうがよいが,その内容や方法に生徒の自由性の多いものであるから,評価の観点をはっきりとつかんでかかることが重要である。要すれば,教師が,それをチェックリストのようにして,持っているとよい。

 さらに,発表は,自己評価の手段としても有効である。

 たとえば,方程式など,一応,形式的に解けても,それを黒板で説明させたとき,ちょっとでも理解の不確実なところがあると,なかなか,人にわかるように説明できないものである。それによって,その生徒は,自分のよくわからない点を浮び出させることができる。たとえば,

として解いた生徒がある。

 この過程を説明するにあたって,「まず,両辺に3と2の最小公倍数6をかけて,……」といいかけて,右辺に6をかけるのを忘れたこと,あるいは,自分は0と1とをまちがいやすい癖があって,このときも,右辺が0であるときとまちがえたことなどを認めることがよくある。

 また,これに対して適当に質問を発して,ふめいりょうな点を明らかにしてやったり,あるいは,他の生徒に発問させ,同時に全体の生徒についても評価させたりするようにすると,発表を評価の用具として,いっそう有効に利用できる。

 

〔Ⅱ〕面 接

 面接は,質問紙のように形式ばらないで,個々の生徒に対して,気楽に納得のいくように話し合うものである。この意味で,質問紙の場合のように,興味や家庭環境についての事がらを聞くときは,もちろんであるが,筆答テストの答案などについて,誤りの診断をさらに深くするときなどに,面接を行うとつごうがよい。

 たとえば,計算の途中に,67×8=356としたために,その問題を誤っているような場合に,これをとりあげて,どんな順序に計算したかをいわせてみる。その結果,もし,次にあげたような説明をすれば,その生徒は,最初の部分積の十の位の数字を,次の部分積を求めるときの乗数にしたことがわかる。
 
七八  五十六として, 56をかき,

五十六の五を67の六にかけて,

五六  三十  だから,

  56

+30  の計算をして,356とした。

 この自分の説明をとおして,まちがいであることにすぐに気がつけば,単なる感違いと考えてよい。そうでない場合には,その誤りであることを理解させるために,さらに,その基礎になる理解事項がわかっているかどうか,たとえば,「67の各数字は,それぞれ,どんな単位をもっているか」「それに8をかけるということは,どんなにすることか」などについて,発問をしていくようにすれば,その原因を知ることができる。

 要するに,この面接は,普通の学習指導でよく行われていることであるが,生徒のした行為について,何かふにおちないようなことがあれば,すぐに,この方法をとるように,気をつけていくことがたいせつである。

 

〔Ⅲ〕質問に答えさせたり・質問をさせたりする

 生徒に質問をしたり,生徒から質問を受けたりすることは,評価の方法として,最も普通に用いられるものであるが,次のようなことについての注意が必要である。

 

Ⅳ.資料の記録

 資料を記録しておくことは,次のような点で,評価をする上に必要なことである。