§1.教学科の一般目標
数学科は,他の教科や特別教育活動とともに手を携えて,教育の目的の達成をねらうものである。したがって,数学科の一般目標は,教育基本法・学校教育法および一般篇に示された教育の一般目標に基き,数学科のいろいろな特徴を考慮して定めなければならない。次にあげる一般目標は,このような立場から考えられたもので,中学校・高等学校をとおして,数学科として常にねらうべき方向を示したものである。
数学科の一般目標
2.明るく正しい生活をするために,数学の果している役割の大きいことを知り,正義に基いて自分の行為を律していく態度を養う。
3.労力や時間などを節約したり活用したりする上に,数学が果している役割の大きいことを知り,これを勤労に生かしていく態度を養う。
4.自主的に考えたり行ったりする上に,数学が果している役割の大きいことを知り,数学を用いて自主的に考えたり行ったりする態度を養う。
5.数学がどのようにして生れてきたかを理解し,その意義を知る。
6.数学についての基礎となる概念や原則を理解する。
7.数量的な処理によって,自分の行為や思考をいっそう正確に,的確に,しかも能率をあげるようにする能力を養う。
8.自分の行為や思考をいっそう正確に,的確に,しかも能率をあげるようにすることが,どんなに重要なものであるかを知り,これを日常生活に生かしていく習慣を養う。
9.社会で有為な人間となるための資質として,数学についてのいろいろな能力が重要なものであることを知り,数学を生かして社会に貢献していく習慣と能力とを養う。
10.職業生活をしていくための資質として,数学についてのいろいろな能力が重要なものであることを知り,いろいろな職業の分野で,数学を生かして用いていく習慣と能力を養う。
1.数学の有用性と美しさを知って,真理を愛し,これを求めていく態度を養う。 |
中学校の生徒が,日常に用いている,数によるいろいろなものの表わし方やその場合に用いられる十進数の意義について,研究することになったとしよう。この場合に,生徒は,新聞・雑誌・日常の会話・商店の店頭などから,いろいろに数を用いている実例を集めてくるであろう。そして,「そのような場合に数を用いなかったら,どんなに不便になるか」,また,「普通に用いているような十進法の書き方をしないで,ローマ記数法やその他の複雑な記数法を用いたら,どんな不便なことになるか」,などと研究していくであろう。このような研究をとおして,現在用いている十進法による数の書き方が,簡潔で,しかもきわめて計算に便利であり,しかも,大きさがすぐわかるようにくふうされていることや,数を用いていろいろなものの大きさや順序を表わすと,他人にその大きさや順序を,きわめて具体的に,しかも明確に伝えることができることが明らかにされるであろう。
すなわち,生徒は,数およびその十進法による表わし方について,その有用性や美しさを知ることになる。このようにして,そのよさがわかってくると,生徒は,また,自分でいろいろな判断をする場合にも,数で表わした資料を用いて,自分の考えを正しく具体的になるように努めていくようになる。
このように,数学におけるいろいろな原理や法則について,ただ,それが正しいものであることを理解するにとどまらず,さらに,これをいろいろな有意義な場面に使いこなしていくことによって,数学の有用性やその構造の美しさを感得し,さらに進んで,そのような真理を追求していくようになる。
この目標の意図するところは,このような働きを目ざす人間の育成にある。
2.明るく正しい生活をするために,数学が果していろ役割の大きいことを知り,正義に基いて自分の行為を律していく態度を養う。 |
品物や土地などを売買するときには,売り手にも買い手にも,その取引が公正に行われていることが,はっきり認められていなくてはならない。両者の間で品物の大きさを測り,目の前で計算をして取引の相談が行われるのは数量的,客観的な表現をとおして,両者が納得しつつ公正な取引をしようとするためである。したがって,このことが正しく行われるには,両者ともに,量の大きさを正確に測るにはどうしたらよいか,この測定値から総量や金額を正確に計算するにはどうしたらよいか,というような数学的な事がらについての理解や能力をもっていることがたいせつである。また,そのようなことがなぜ公正を期する上にたいせつであるかを知って,この正しいやり方を進んで行う態度をもつことが必要である。生徒は,日常生活における測定の役割などを研究してその意義を知るようになれば,これを用いて明るく正しい生活を営んでいく意欲をもつことになろう。このように,数学的内容を,ただ単に数学の内部における関係として理解するだけにとどまらす,これが正義と深い関係をもっていることを知って,進んで,これを明るく正しい生活を高めていくために用いていくように指導するのが,数学科のひとつのねらいである。
3.労力や時間などを節約したり活用したりする上に,数学が果している役割の大きいことを知り,これを勤労に生かしていく態度を養う。 |
生徒が,労力・時間・おかねなどを節約・利用して,毎日の生活のよりよいプランをたてようとして研究を始めたとしよう。この計画が実行可能なもので,しかも目的にかなったものとなるためには,これまでの実際の行き方に基き,これをさらに改善したものであること,目的に応じた使途についての目安が数量的にはっきりしていることが必要になる。そのためには,これまでに使った品物やおかね・時間などについての数量的な記録を,目的にかなうように整理したり,その整理の結果から一般的な傾向をみつけたり,これをある基準に照らして反省したりすることが必要になる。また,この反省から得た結論に基いて,現在自分の責任で使ってよいことになっている品物・おかね・時間などを配分することも必要になる。これらのことを遂行するには,品物の量・おかね・時間についての正確な計算や,グラフや表による明確で具体的な表現がくふうされなくてはならない。このような研究をとおして,生徒は,時間や労力などを節約したり,活用したりする上に,数量を用いることがどんなにたいせつなことであるかを知るであろう。こうしてわかったことが,これらを用いて進んで勤労していくもとになるのである。
4.自主的に考えたり行ったりする上に,数学が果している役割の大きいことを知り,数学を用いて自主的に考えたり,行ったりする態度を養う。 |
自主的に思考したり行ったりするということは「自分独自の立場から自分の力で判断する」ということとともに,また「その判断を他人にも納得してもらえる」ということが必要である。すなわち,わがままかってに判断をし,行為をすることではなく,自分としての考えを,だれにも筋道のとおったものとして認められるようにうち立て,これに基いて行為することである。たとえば,人口問題や経済問題についてある判断を下す場合に,これが現実を無視したものであったり,自分だけにつごうのよいかってな判断であって,他人には,その考え方がさっぱりわからないというのでは,自主的な判断とはいえない。したがって,このような問題に対して,自主的でしかも社会的な判断を下す場合には,客観的な資料を集め,この資料からだれにも認められるような推論の過程を経て,結論を導かなくてはならない。そのためには,その資料を解釈し,可能な解決の見とおしをつける健全な考え方とともに,正確な計算や,だれにもはっきりわかるような一般的な傾向や結論の表わし方が必要になる。すなわち,数学的な考え方や表現のしかたのもつ客観性が,この場合の大きな肋けになる。この目標の意図するところは,このような数学の働きを明らかにして,積極的に数学を用いることによって,自分独自の立場からの考えをだれにも納得できるように進めていくような人間を育成しようというところにある。
5.数学がどのようにして生れてきたかを理解し,その意義を知る。 |
今まで説明してきた態度には,いつも数学が,われわれの生活に対して,どのような貢献をしているか,その意義を知ることが根底となっている。この意義を知ることは,これらの数学的な概念やくふうがどのような必要から生れてきたかを理解していくことによって,はじめて完全なものになる。たとえば,現在,測定の単位は,法律によって定められ,これを乱すものに対しては罰則を設けて,正しい測定を保護している。このことは,測定の単位がどのようにして生れてきたか,どのようにしてしだいによりよいものに変ってきたかを,社会の発展やそれに伴う社会の必要の変化から考えていって,はじめてよく納得のいくものである。測定の単位は,量の大きさを明確に人に伝えるためにつくり出された。そして,社会の経済関係が,簡単で,接触する範囲が限られた時代には,不正確ではあるが,だれにもだいたい同じ大きさで,手近にある自然物や身のまわりのものの大きさをそのまま単位として用いた。しかも,それで,さしてふつごうはなかった。しかし,接触する範囲が広くなり,経済関係が複雑になるにつれて,単位がまちまちなことや,その大きさが人と時とで違うことがしだいに不便と混乱を起すようになった。そこで,しだいに単位の制度を統一し,標準化するようになった。さらに,この単位を必要とする機会が多くなり,大きさの異なる単位の間の関係を処理する機会が多くなるにつれて,単位間の関係が計算につごうのよいものにすることが必要になってきた。今日も,この進歩の途上にあり,すべての改善が終了したわけではない。このようなことを実際の研究をとおして理解していくことによって,今日法律によって単位を定めている必要も,また,この法律を守りつつ,さらによい単位制を創造していく必要も,生徒によく理解されるであろう。また,さらによりよいものを生み出していく心構えも,心の中にもつようになるであろう。
6.数学についての基礎となる概念や原則を理解する。 |
これまでに述べた態度に基いて,実際に行動していくときには,それに伴う能力がなくては不可能である。また,これまでに述べたような数学の意義を知るには,そのもとになっている数学的な概念や原則の理解がなくてはならない。
百分率が自主的な計画を立てるために必要なものであることを知ったり,また,実際に百分率を用いて自主的に計画を立てたりするためには,百分率の意味,百分率と小数との関係,小数の乗除についての基本的な理解が必要である。基本的な理解を伴わないで,計算やグラフ,表の作り方などの形式的表面的なことのみを学習したのでは,生徒は,これをまねて型を覚えるだけに終って,創造的にものを考えていく人間にはならない。
7.数量的な処理によって,自分の行為や思考をいっそう正確に,的確に,しかも能率をあげるようにする能力を養う。 |
友人に面会の約束をする場合について考えてみよう。この約束を友人にはっきりと伝えるためには,ばく然と「君のところへいくよ」といったのでは目的を達しない。どうしても時刻を指定する必要がある。そして,この時刻を正しく守るには 友人のところまで行くのにかかる時間を的確に見積り,正しく計算して,自分の家を出る時刻を定めなければならない。
このように,数学的な方法を用いていくことは,物事を明確にしたり,正確に扱ったり,能率のあがるようにしたりすることに役だつものである。数学的な能力といわれるものは,ただ単に与えられた計算問題や事実問題を教師の期待した計算を用いて解くところにあるのではなく,目的をもって,実際の問題の処理に用いることをさすのである。すなわち,6.でいった基本的な概念や原則に対する理解が,物事を明確にしたり,正確に扱ったり,能率よく処理したりする目的のもとに,実際の場面に適用されるように指導していくことが,この目標のねらっているところである。
8.自分の行為や思考をいっそう正確に,的確に,しかも能率のあがるようにすることが,どんなに重要なものであるかを知り,これを日常生活に生かしていく態度を養う。 |
7.で述べた能力は,そのようにすることの意義を自覚して,ひとつの習慣的なものにまで高められなければならない。たとえば,税金を正しく納めることは,市民としての重要な義務の一つである。そして,税金を正しく納めるためには,自分の収入や支出について,明確に数量を用いて記録したり,正確にこれらの資料から計算したりする能力を身につけるとともに,そのようにすることが,自分の義務を社会の人たちに明確にしていくことであることを知って,これを実行していく習慣が身についていなくてはならない。いいかえると,7.の能力を伸ばしていく過程が,生徒にとって自覚的に行われていくこと,そして,これがひとつの習慣となるまで高められていくことが必要である。これが,この目標の意図するところである。
9.社会で有為な人間となるための資質として,数学についてのいろいろな能力が重要なものであることを知り,数学を生かして社会に貢献していく習慣と能力を養う。 |
新聞・雑誌,その他の出版物,ポスターなどに用いられているグラフの社会的用途を研究し,自分たちは,これらをどのように用いていくかを問題として研究を始めたとしよう。このような研究には,他人がいろいろなグラフを用いて下した結論を批判したり,各種の型のグラフの特徴を調べ,どんな場合に,どんなグラフを用いたらよいかを研究したりすることが必要になる。こうしたことから,どのような型のグラフからは,どんな結論が得られるかなどが明らかになる。また,グラフが自分の意見を正確に決めていくのにどのように役だつか,意見を明確に人に伝えるのにどのように役だつかも明らかになる。したがって,グラフを用いて,自分の意見を正しく決めたり,自分の意見を明確に主張したり,他人の意見を正しく受け入れて,これをその立場に立って批判したりすることができるようになる。このように,自・他の意見を確立し,理解し,批判して,よりよいものを生み出していくことは,社会人として必要な資質であり,そのためには,数学についてのいろいろな能力が必要になる。このように,数学的な諸能力が社会人としての資質の上にもつ意義を知り,これを生かしてよりよい社会人として,生活していくようにすることを目ざすのが,この目標の意図するところである。
10.職業生活をしていくための資質として,数学についてのいろいろな能力が重要なものであることを知り,いろいろな職業の分野で,数学を生かして用いていく習慣と能力を養う。 |
百分率や簡単な公式を理解したり,これを用いていく能力を身につけたりすることは,現代のように,数量的,科学的にくふうして生産の能率をあげている世の中では,どんな職業につくにも必要なことである。また,現代のように経済的な考慮が各職業に必要になってきた世の中では,どの職業につくにしても,おかねの働きを知って,これを有効に生かしていく能力は欠くことのできないものである。すなわち,貯金・保険・投資・融資などの数量的な研究をとおして,そのために必要な数学を応用する能力と知識とを高めることが必要になる。このように,どんな職業につくにも必要となる数学についての理解や能力があり,どんな職業につくにも親しんでいかなくてはならない数学の応用面がある。このような数学についてのいろいろな能力が,各種の職業に役だつものであることを知り,また,これをいろいろな職業分野に役だてようとして,新しい意味を発見していくようにすることが,この目標の意図するところである。
以上は,各目標に対する内容の説明であるが,これらのうちのあるものは,重複している面もあるし,また,そのおのおのを,それひとつだけ他から切り離して考えても意味のないことである。いいかえると,この10条の目標は,全体として一体となってはじめて,数学科の一般目標を構成しているものである。
§2.数学科の指導
生徒が前節に述べた目標に向かって発達していくように指導し援助していくことは,教師の務である。どのようにすれば,このような発達を助長し,指導していくことができるだろうか,その原則となることついて考えてみよう。
能力を伸ばしていくには,どうしたらよいか。 |
生徒の能力は,生徒が,その能力のもとになる基本的な概念や原則について理解した内容に左右される。そして,この理解の内容は,新しく有意義な場面にくり返し適用されていく機会が多くなるほど深まっていくものである。すなわち,能力を伸ばしていくためには,生徒が自分たちの力で,新しい概念や原則を生み出し,これを有意義な場面にくり返して適用していくことが必要である。いいかえると,理解と有意義な練習とが,能力を伸ばしていく上にたいせつなことである。そこで,まず,理解,特に数学科で扱うような抽象的な概念や一般的な原則が,どのようにして生徒に理解されていくかを考えてみよう。
数学的な概念や原則は,きわめて一般的なものであるのが普通である。これを正しく理解するには,いろいろな具体例が必要である。長方形を知らないこどもに,紙を一枚示して,これで長方形の概念を教えようとしても不可能であって,これだけからは,こどもは,長方形とは白いものであると思うかもしれない。この紙の形も長方形,この机の面も長方形,このへやの形も長方形,わたくしがここにかいた図形も長方形というように,いろいろな長方形を与えたり,長方形以外のいろいろな形とともに,これを与えて,その中から長方形を選び出したりすることによって,こどもは一般に長方形とはどんなものかということを理解する。このように理解ということは,人から与えられるものではなく,その当事者が,自分で行う精神作用をさすのである。具体的な一つ一つの事例の中から,その当事者が共通なものをつかみ出して,一般にこうだと結論していく過程が理解である。それゆえ,理解が成立するためには,その共通な性格がはっきり抜き出ている具体例がいくつもあること,一般化する場合に捨てられるべきよけいなものが共通になっていない程度に,具体例に変化のあること(紙の上の長方形ばかりからは,白いということも共通に抜き出されるかもしれない),それとは,異なるものも含んでいる具体的な場面の中から,それだけを取り出すことが必要である。
2.新しく理解することと,それまでに理解していた事がらとが対比され,その関係がはっきしてくることによって,理解が確実になる。
前に述べた過程が帰納的な過程であるのに対して,これは演繹的な過程である。たとえば,「普通の家庭では,食糧費に収入の60パーセントを使っている。食糧費が月に6,700円かかる家庭では,月収どれくらいあれば普通並みになるか」などの問題の研究をとおして,百分率の第三の用法を一般化したとしよう。
指導として次にすべきことは,「月収11,200円の家庭で,その収入の58パーセントを食糧費に使うとすると,食糧費はいくらになるか」などのような,百分率の第二の用法についての一般化と今のものとを比較させることである。
こうした比較によって,生徒は,第三の用法が第二の用法とちょうど逆の関係になっていることを理解し,新しく発見した第三の用法の理解をいっそうはっきりとはあくするようになる。もしこの過程が抜けると,生徒の理解した事がらがばらばらの,まとまりのないものとなり,他の場合に適用する力をもたなくなる。このように,新しく理解した事がらと,それまでに知っている事がらとの,特殊一般の関係や論理的なつながりおよび逆・裏の関係などが明らかになるにつれて,その理解は確実になっていくのである。
3.類似の概念と比較することによって,両者の異同が明らかになる具体的な場面が多くなるほど,理解が確実になる。
たとえば,百分率と歩合とは,同じ比の概念の中に含まれるよく似た概念であるが,この二つをただ別々に学習していくだけにとどまるよりも,ある機会にこの両方を比較して,一方は100に対する割合であり,他方は10に対する割合とみられること,しかも両方とも,もとにとる数をわかりやすい10とか,100とかにして,割合を表わしたものであることが明らかにされ,どんな場合に百分率のほうがより多く用いられているか,どんな場合に歩合のほうがより多く用いられているかなどが明らかに研究されると,この両方に対する理解が深まっていく。
以上は,抽象的な概念が理解され,その理解が確実になり,深まっていくために,必要な条件をあげたのであるが,これに基いた指導の原則をあげてみると次のようにいえる。
具体から抽象への原則 |
2.新しい概念や原則は,それと深い関係をもった古い概念や原則と,できるだけ空間的にも,時間的にも,同時に示され,生徒がその間の関係を発見し,これを結びつけて理解していくように指導しなくてはならない。
3.意味の上で類似した二つの概念があるときには,両者の異同を具体的に比較できるような場面を用意して,生徒が二つの異同を明らかにするような機会を与えるようにしなくてはならない。
しかし,二つの概念が意味の上でなく,発音や文字だけの上で類似している場合,たとえば,物価指数と,累乗の指数のような場合には,これを不自然に比較することは,不必要である。いな,むしろ混乱を起すといってもよい。このようなときは,その区別は,それが用いられている前後の関係から,めいりょうになっているのが普通であるから。
この三つの原則が,従来数学教育において唱道されていた「具体から抽象へ」という原則の意味であると解してよいだろう。
態度や習慣を伸ばしていくにはどうしたらよいか |
能力を伸ばしていくときに,理解ということがその根底になったように,態度や習慣を伸ばしていくには,もののよさを知るということが根底となる。
生徒の個性の発達を目ざす教育においては,数学科の目標としているような理解や能力が,生徒の個性と切り離され,それと別個のものとして教育されるのではなくて,生徒の個性の発達と溶け合って,これを助けつつ,個性の中に溶けこんで一体として発達していかなくてはならない。このためには,数量について,それらの関係とか原則とかいう論理的な面のみが生徒に学習されていくだけではなくて,数量がどんなに自分たちの人生に役だつものか,どんなに自分たちの問題の解決に有用なものかということが,具体的な経験をとおして学習され,数学的内容が,生徒の人生観・価値観と密接に結びついていくように学習されなくてはならない。このようにして,はじめて,学習された数学的内容が生徒の個性と溶け合って,全体として発達していく。このことによって,態度とか習慣とかいわれている行為としての傾向を生み出してくるのである。
理解ということが事がらの論理的な関係を知的にはあくすることをさすのに対して,もののよさを知るということは,事がらの人生に対する関係や価値を,知的な過程をも含めた全人的な働きによってはあくすることをさすのである。
このために,どのように指導したらよいであろうか,これについて述べてみよう。
数学的概念や原則のよさを知るということは生徒にとって有意義であると考えられるような生徒の問題の解決に,その概念や原則が役だつことによって得られる。たとえば,中学校の一年の生徒が,中学生としての自覚に基いて,自分の生活を自分から律していって,より生産的なものにしていこうとして起きてくる問題は,生徒にとって有意義であることがよくわかる問題である。
このような問題の一つとして,「生活をいっそう健全なものにしていくのに,どのようにおこづかいを使っていったらよいか」という問題をとりあげ,この問題の解決をとおして,百分率や円グラフの使い方やその意味を学習したとしよう。
生徒は,この大きな問題の中に含まれるいくつかの小問題の解決に,百分率や円グラフが大きな役割を果していることを感得することができるだろう。そして,百分率や円グラフは,部分の全体に対する関係を明確にするのに役だち,このように部分の全体に対する関係を明確にすることが,予算やその他の計画を立て,これを実行していくような場合にたいせつなことであるのを知るであろう。このような学習によって,百分率や円グラフは,単なる数学的能力として学習されるだけでなく,これが自分の行為を律していく上に必要な道具として学習されていって,自分個性の中に溶けこんでくるのである。
このように,もののよさを知るためには,その数学的内容が,生徒にとって有意義な問題の解決——すなわち,いろいろな社会的な場面をより明確にしたり,この場面により能率よく適合したり,あるいは,さらに望ましい環境をつくり出したり,将来の職業に,必要な基本的な教養を養ったりすることから起る問題の解決——に役だつことが,よくわかるような具体的な経験をとおさなくてはならない。
このような経験から起る問題は,一面,生徒の個性に深く結びついている。たとえば,おこづかいをどのような方面に主力をおいて使っていこうかを考えるとき,スポーツの好きな生徒と,文学に興味をもっている生徒と,音楽の好きな生徒とでは,その主力のおき方が違ってくるであろう。
また,同時に,このような問題は,生徒が仲間として属している社会のいろいろな必要を含んでいる。すなわち,生徒が自主的に自分の金銭生活を律していくことは,自主的な成員を必要としている家庭・学校あるいは地域社会の必要に答えるものであるし,家計や友人のこづかいを考えて,こづかいの総額を決めていくことは,家庭やクラスをより健全なものにしていく必要に答えるものである。
このように,生徒個人のもつ必要と,社会のもつ必要とを同時に満たしていくように問題を解決していくことは,その生徒の個性をより望ましい方向に発達させることになる。また,それと同時に,この解決の過程を経て学習された能力や態度は,生徒の個性の一面となって,個性の中に溶けこんでくるようになる。
それゆえ,もののよさを知り,これに基いて態度や習慣を伸ばしていこうとする教育においては,次のような指導の原則が必要となる。
経験中心の原則 |
2.この経験の中から,生徒が解決すべきものを,生徒の現在の能力や個性に基いて,はっきりとした問題の形に構成していくことを教師は授助すること,どんな必要に基いて,このことが問題となるかを自覚していくように教師が助言し指導することが,特にたいせつである。
3.さらに,教師は適切な指導によって,生徒が自分の力でこれらの問題を解決し,お互にその解決を反省し合い,一致したひとつの結論に達するように指導すること。この過程において,数量を用いることが,どんなにかれらの解決に役だったかを反省し,これを一般化していくように指導すること。
このような原則は,経験中心の原則としてまとめることができるであろう。
以上に述べた,「具体から抽象へ」の原則と,「経験中心」の原則とは,中学校・高等学校の数学科の指導において,いかなる指導法による場合にも,常に念頭におかれるべき原則である。