第7章 英語における生徒の進歩の評価
1.評価の定義

 評価ということばを用いるときに考えがちなことは,評価とは見聞および知識を考査することであり,またしばしば生徒がその教科内容をどの程度に覚えたかということを判断し,それによって生徒に等級または点数をつけることであると決めてしまうことである。このような考えは,評価の概念としては,きわめて限定された狭いものであり,習慣・態度・さまざまな技能・能力・鑑賞などのような知識以外の評価目標を評価する場合には,その範囲をじゅうぶん表わすものとはいえない。また考えがちな傾向としては,紙と鉛筆とによるテストが評価の唯一の方法であるとすることである。紙と鉛筆による考査はきわめて重要なものではあるが,そのような考査は,指導計画の成果の一部を評定するにすぎない。

 

2.評価の基本目的

 評価の基本目的は,学習指導と学習とを改善する目的をもって,教育の目標に従い,いろいろな方面における生徒の成長および発達を測定することにある。それによって特殊な一つの面またはいくつかの面における成長の欠陥の理由が明示され,それに対するきょう正の方法を打ちたてることができるのである。評価は目標に直結するものである。学級は達成しようとするいくつかの非常に特殊な目標をもって,ある教科なりある課程なりの作業を始めるものである。生徒の経験としての教科または課程の内容は,これらの目標によって決められるし,またその目標がそれぞれの生徒によってきわめて完全に迅速に達成されるように計画されるものである。評価のおもな目的は,それぞれの生徒について,その目標がどの程度に達成されたか,またなぜその目標が予期したように満足に完全に達成されなかったかを明らかにすることであり,これらの事実にかんがみて,さらに学習指導を計画することである。

 

3.評価手段の計画と実施とにあたって留意すべきこと

 評価手段を計画し実施する場合に留意すべきことは,われわれが関心をもっている点は望ましい知識・技能・能力・理解・態度・習慣・鑑賞および理想における生徒の発達であるということである。われわれは事実というものに関するかぎり,単に生徒がある事実なリ一連の事実を知っていることに関心をもっているのではなくて,その事実をかれらの生活に適用し使用することに関心をもっているのである。たとえば,英語においては生徒が単によい英語の話し方を知っているだけではじゅうぶんではなくて,生徒が実際によい英語を理解し,話し,読み,書くことが望ましいのである。生徒がことばを正しく使用し,その使用法の筆記テストによい成績で及第するかもしれないが,同時にことばを話すとなると,はなはだ悪い形を用いるという定評がある。もし英語の目標の一つが,さまざまな環境において英語を効果的に話せるようになることだとするならば,この目標がある生徒によって達成されつつあるか,または達成されてきた程度を評価しようとするときに,その生徒がいくつかの違った環境において実際に話すのを聞かなければならないことはめいりょうである。この種の評価は客観的な筆記テストを用いたときほど客観性がないことは事実ではあるが,目標によっては客観的な評価の方法のないものもある。

 もう一つの例をあげると,英語のおもな目標の一つは,特に高等学校においては文学の鑑賞である。この目標の学習結果を評価するために,教師が詩または物語の作者についての知識や,文や段落を引用してその解釈を求める問題などをテストしたとして,たとえ生徒がこの種のテストによい成績をあげても,その生徒が必ずしも文学の鑑賞を伸ばしたと結論することはできないであろう。知識はたいていの場合鑑賞の前提ではあるが,それ自身が鑑賞ではないからである。この場合,比較的によい評価法は,その学期中に自発的に読んだ本のうちから,鑑賞すべき文学の種類の中で代表的と思われる本を書き出させることであろう。

 さらに評価についてたいせつな原理は,それが継続的なものであるということである。それは1単元・1学期または1学年の終りにだけ行われる事がらではない。もしある学校の評価計画として,生徒に等級をつけたり点数を与えたりするために,定期的な試験しかしないとするならば,それは方法としては貧弱な不適当な部類にはいるといってもまちがいではない。

 

4.生徒の英語能力の発達を評価決定すること(注1)

 医者が患者を治療するのにまずその前提として患者を診察すると同じように,教師が生徒の不得意な点をきょう正しまた得意な点を助長してやる第一の段階として,生徒の学習を診断しなければならない。生徒の学習の診断は,適当な評価手段によって行われるものであり,その手段によって教師は生徒個人および学級全体の長所と短所とを特に見いだすことができるのである。もしある学級の生徒の大部分が与えられたテストに落第したとするならば,学習指導法か教師と考査者か,または教師か考査者の側に過失があることはほとんど確かである。もしある学級の中の一部の生徒がテストに落第したならば,たいていの場合,(1)その一部の生徒が平均標準についていくことができなかったか,(2)個別指導がじゅうぶんでなかったか,または(3)これらの生徒は教師が気がつかないで除去してやれなかったなんらかの難点をもっている,と推定することができる。過失がいずれにあろうとも,なんらかの短所が現われて明らかにされた場合には,そのきょう正の方法を定めて適用すべきである。生徒の学習習慣が貧弱なこともありうる。たとえば,事がらによっては暗記すべきものもあり,またその理由を考えださなければならないものもあることに,気がついていないのかもしれない。短所の理由または原因がはっきりしてくることであろう。これらのことはテストまたはその他いろいろな評価法によって見いだすことができるであろう。

 

5.学習指導の欠陥を見いだしてその改善の基礎とすること

 生徒はしばしばテストの目的を誤解すためにテストを受けることを恐れるものであるから,テストの目的の半分は学習指導の効果を測定し学習指導法の欠陥を明らかにすることにあると理解すれば,テストをあまり恐れなくしてやることができるであろう。

 生徒が学習に不成功であることについては,ある程度教師の責任である。不成功はまずい学習指導法のために起ることが多い。学習指導法をじゅうぶんに用意し適切に実施するならば,大部分の生徒は教えられたことを理解し習得するものである。このようにして,テストの結果は,教師の準備や方法のうちでどんな点がまちがっているか,指導技術のどんな点を変更し改善しなければならないかを,教師に示すものである。

 

6.テストの結果を利用すること(注2)

 評価の最終究極の目的はテストの結果を利用することである。評価の結果は,生徒指導の指針として用い,学習習慣を改善したり,生徒や父兄に学力を知らせたり,進級を決定したり,指導の質を測定したり,高等学校または大学に提出する入学願書の基礎となる記録を準備したり,生徒を適当な学級に入れたり,適当な職業や商売を選択するのを援助してやることなどの指針となるものである。その用途は多くまた永続的なものである。そしてその評価の結果は,標語によって指導要録に記録しておかなければならない。評語の詳細については,採点の項において説明することにする。

 

 どのような指導計画を採用し,または使用するにあたっても,役にたつ程度を決定すべき基準がなければならない。考査の妥当性を決定するためには,次の基準を必要とする。

1.妥当性(「テストの目標をどの程度に測定しているかを示す度合」)(注3)

 これは適当なテストの最も重要な性格の一つである。もしテストに妥当性がないならば,そのテストには一文の価値もない。妥当性はテストの目的がめいりょうであるときにのみ明らかにされる。ゆえにテストの問題を作るにあたっては,次のことを考慮すべきである。

 

2.信頼性(「測定すべき事がらをテストによってどの程度に測定しているかを示す度合」)(注4)

 テストに信頼性があるべきであるということは,妥当性と同じように重要なことである。高度の信頼性を保証するために,テストの問題を作成するにあたっては,次のことに留意し遵守すべきである。

 

3.客観性(「採点において主観的意見や判断を除去するテストの特質」)(注5)

 われわれの感情や記憶はあてにならないものである。ゆえにテストに客観性をもたせることは,主観性が原因となる過失を除去するために,ある程度有効である。客観性をもたせるにはいくたの方法がある。たとえば,真偽法による問題または資料においては,問題の用語にふめいりょうな点がないように正確に表現して,正しい答にはいかなる意見の表示も必要がないようにすべきである。他の例をあげると,選択法においては,ことばの表現が正確であり,選択される正しい答は唯一であって,解答者の意見を求めないことは,真偽法におけると同じように重要である。方法について詳しいことは後で述べることにする。さらに完全な客観性を保証するために,テスト問題の作成者は一つの回答表,すなわち問題の作成と採点とに使用するための適当な答の表を作成することがしばしば必要である。

 

4.実施の簡易性

 考査実施の簡易性ということも,妥当性や信頼性ほど重要ではないが,同様に考慮すべきである。実施の簡易性は,生徒の立場と教師の立場とから考慮すべきである。問題はめいりょうで簡単で,説明がじゅうぶんで,試験官はそれを口頭で補足すべきである。問題が新しい形式のものであれば,答の例を示すべきである。教師の立場からすれば,問題は採点が容易で,できるならば,準備してある解答表を使って一様に採点できるように組織してあるのがよい。実施の簡易性を実現するためには,紙の質・大きさおよび文字などを考慮すべきである。刷り物が読みにくかったり,黒板が光線のぐあいが悪く位置も適当でないことがしばしばある。このような場合に,生徒は試験に最善を尽すことはできない。これらの障害は除去しなければならない。

 

 テストの実施にあたっては,測定の対象がめいりょうでなければならない。英語能力の測定にあたっては,五つの要素に留意しなければならない。すなわち,英語を聞く能力・英語を話す能力・英語を読む能・英語を書く能力および外国と外国人とについて知る能力の発達である。テストの問題は,その目標に有効にかなったものでなければならない。

 次にTeaching A Modern Languageから測定のできる要素の表を一部修正して引用する。そのうちいくつかの要素についてはテストも出ている。(注6)

1.聞き方と口頭表現(聞き方・話し方のテスト)

 

2.読み方(読み方のテスト)

 

3.書き方(文法のテストを含む)

 

4.語  い(テスト)

 

5.一般的教養(文化面のテスト)

 上記は簡単に測定できる要素の表である。「形のないもの」と呼ばれるもの,すなわちよい習慣・性格・理想・態度および鑑賞の発達に関係のある目標の達成を測定することも同じように重要である。

 

1.標準学力テスト

 標準学力テストとは,注意深く選択され評価され,それについての基準ができているテストである。(注7)

 この種のテストは担任教師が作ることは不可能であって,テストの実施に特に訓練を受けた教育専門家や,適当なテストの作成に欠くことができないものと認められている最善の原理を体得している心理学者がつくるべきものである。

 「テストが標準的なものとなるのは,(1)現在の学習指導上の重点と教科内容とに照らして問題を選択したとき,(2)これらの問題の中にひそんでいる困難性が統計的に評価されているとき,および(3)テスト自体がテストに対する生徒の反応結果をテストのできばえの点から解釈できるような基準を含んでいる場合である。」(注8)これらの条件が実現されたとき,標準学力テストは学習指導に効果のある道具として,最高度の有効性を発揮するようになるであろう。

 標準テストの内容は,常に,最も権威ある教科書や学習指導要領や教科の目標や学習指導法やその教科の正しい考え方に密接に関係をもって活動している教科目の専門家たちによって選ばれる。さらに,内容の各項とその表現とは他の多くの専門家の批判を受けてきたもので,じゅうぶんな数の生徒に試みたものである。これらの予備的試験からその項目の困難さや妥当性の統計的測定が算出されている。

 標準テストの特徴として,V.A.C.Hemmon は次のようなものをあげている。

 標準学力テストはその教科と考査の専門家の仕事であり,広く用いられるために計画されるものであり,また適当な年齢・学年および能力のじゅうぶんな生徒数をテストした結果に基く基準をうものである。

 基準によって他の生徒のグループとの比較ができる。これによって教師は自分の学級の学力と国全体の生徒の学力とを比較することができる。標準による生徒のグループは,年齢・性別または学年によって組み分けすることができるし,それぞれ国全体・都市または地方の標準を示すことができる。(注10)

 標準化していないテストの結果や,教師が論文テストに与えた主観的評価は,進歩を正確に測定するよりどころとしては不適当である。その理由は,進歩を表示するための正確な比較研究による出発点がないからである。標準テストの基準によれば,進歩と改善とをきわめて明確に示すことができる。

 標準テストには明確性と客観性とがあるから,個人の学力差を示し,多くの場合能力差をも示すものであり,また教師に対しては特定の明確な学力の到達点を示すものである。標準テストによれば,実施者はこれまで考えられなかった方面に役にたつ知識が得られ,それによって適切な指導や職業指導ができるようになる。これはまた教師に対して,それぞれの生徒の学力の特定な弱点をめいりょうに示してくれるから,これに対して効果的な指導法やきょう正法を適用することができる。(注11)

 標準テストは初期の教育段階・進級・中等学校や大学の進学・卒業および転学のときに適用することができる。

 

2.教師作成の客観的テスト

 教師作成のテストは学級担任教師の作ったものであり,少くとも学校組織の中で作られたものであって,その学校だけで使用するものである。いずれの場合においても,特徴として二つの重要な面を含んでいなければならない。すなわち,「(1)生徒の答が簡潔であること,(2)考査の採点にあたって個人的判断を入れないこと。」(注12)

 現在のところ一般に認められているさまざまな型の客観的テストをまとめたものはないようである。テストの作成が洗練されてくるにつれて,現在行われているテストに,よく知られている型をさまざまに変えた新しい型が絶えず追加されてくるであろう。ありふれた型のものだけを示すことにする。変化ということは学習指導法の場合と同じように評価においても重要なことであるから,いろいろな型を用いるべきである。

 

 

3.口頭テスト

 この種の評価法は口頭で行う方法に限られる。答は即座に評価しなければならない。会話や口頭作文を評価する適当な標準的な方法はない。

 英語の学習指導のおもな目標が,英語を伝達の方法として用いる能力を発達させることにあるから,口頭テストは口頭伝達の技能や能力を評価するようにくふうしなければならない。評価の過程においては,発音・アーティキュレイション・強勢アクセント・なだらかさ・抑揚・発音上の語の連結・口頭表現などに注意しなければならない。一般にこれらの項目を別々に評価するように努めるのが得策である。一つの方法は5点法または7点法を用い,それぞれの目標に従っておのおのの生徒をできるかぎり正確に評価することである。(注21)

 

4.理解力のテスト(注25)

 理解力を評価する一つの方法は,指示されたことを行う能力がどの程度あるかという原理に基いた問題を作ることである。ここにいう理解して読むということの標準は,印刷してある指示を読んで具体的な実際的な命令を行う能力のことである。それぞれの指示を別々のカードにタイプで打っておいてもいいし,また印刷しておいてもよい。

 そのような一連の指示を下に掲げる。次のような説明のついたカードを生徒に手渡す。

 「次の力ードを読んで,書いてあるように動作しなさい。声を出して読まなくともよい。ただ書いてあるとおりに動作しなさい」。(注25)

 英語を学ぶ初期の段階では,動作で表わすことが,理解しているかどうかを知る最もよいテストである。だんだん進むにつれて,動作に代って話してもらうこともよい。

 このテストの変形としては,答をうるために絵を示す方法である。だれでも知っているような話の絵を示して,教師が「この話をひとりで読みなさい。話は次のとおりです。絵の中から,だれが……か,わたしに示してください。」と言う。

 さらに進んだ段階では,読み方は最も機械的な面でテストされる。すなわち印刷してある記号を見て個々の単語を早く正確に発音する能力を評価するわけである。速度・正確さおよび理解力の三方面は等しく重要である。これら三方面を見るために,真に力の強い生徒に対し抜粋の散文を読ませる方法も行うことができる。

 読み方の速度は,力の程度を知る簡単な便利な指標となる。しかしどんなによく内容を知っていても,それに関係なく,読み方の速度については個人差があるから,その程度は適当に評価しなければならない。ある語がむずかしいので生徒がつまずくたびに,だいたい5秒ぐらい待つことは許さなければならない。それでも教えてやらなければならないときは,それを誤りと数える。普通の生徒の読む平均となるような速度で,文章の抜枠を読むのに要する時間をあらかじめ計っておかなければならない。

 正確と不正確とは文を読む間の誤りの総数でわかる。生徒が読んでいる間にまちがったとき,教師は決して訂正してはならない。所要時間が長引くからである。

 理解力は質問応答法で課価することができる。

 

5.生徒による自己評価(注26)

 自己の学習が目標に向かってどのくらい近づいているかということを客観的に評価する能力は,生徒の進歩を助けるために学校が与えなければならないたいせつな能力の一つである。自己の進歩について生徒に責任感を発展させるように導くのは最もたいせつである教師は常に評価の基礎となるべきものを生徒に指示すべきである。もしも生徒が評価の基準を作ることや評価力を用いることをめいりょうに了解していなければ,自己の学習を評価する能力を伸ばす機会は限られることになる。生徒たちが「なぜ先生はこんな悪い点をわたくしにつけたのか」とか「平均点をとるにはどうしたらよいか」とか「もっとよい点をとるにはどうしたらよいか」などと言っているのをたびたび聞くことがある。このような疑問が起るのは生徒が課程の目標と毎日学習している学課や学習活動との間の関係がわからないためである。または自分の学習に対して自分自身よりも教師のほうが責任があるものと考えている結果である。このようなことは是正されなければならないし,生徒に自己評価の能力を発達させ,自分の進歩について責任感をもたせるように導かなければならない。ほとんどどの生徒も自分が進歩しているという気持になりたいし,少なくともどの程度進歩したかを知りたがっているものである。学習はたいていまちがいを伴うものであり,人は試行錯誤を経験しないで成功することはめったにないと言えよう。このことは外国語の学習に興味をもっている生徒にも等しくあてはまるものである。言語技能を学ぶ進歩の度合を評価する方法は,困難をいかに早く克服しているかどうかを生徒自身が知ることである。この進歩度はまちがいの数を表で示すことで測定される場合がたびたびある。また困難がしだいに克服されるに従ってまちがいの数が徐々に減っていくことを示すものである。これは生徒自身がすべきである。そうすればどの程度に生徒が進歩しているかもわかるし,進歩するためにはさらに何が必要であるかもわかるからである。

 教師は努めてまちがいそうなことを少なくするように学習を計画しなければならない。次に掲げるこの計画の実際的な参考案は,教師が答案を調べたり,採点をする上に大いに役にたつであろう。その答案は誤りと困難な点とを示すとともにそれを克服することもできるからである。

 

6.その他の方法

 

7.新旧テストの長所と短所

 

8.観察・生活時程録・日記・自叙伝および面接の利用

 紙と鉛筆のテスト,すなわち標準テスト・教師作成テストおよび論文体テストは,これらのすべての目標を達成する上の結果の一部分を測定するにすぎないということは一般に認められている。これらのテストの方法は,適切に用いるならば非常に価値がある。しかし個人の生長と発達をじゅうぶんには測定していないという短所がある。過去のテストは知識と能力との修得を測定した。上級学校は中等学校における順位に基いて生徒を選抜した。われわれが,話された英語を理解する能力,話す能力,文学を鑑賞する能力などの学力を評価すると仮定してみよう。紙と鉛筆のテストだけでは,これはできないということは明白である。話す能力を評価する一つの方法は,うちとけた会話・floor talks・演説・教室のディスカッションなどのようなさまざまな状況のもとで生徒が話すのを聞くことであろう。文学の伸びゆく鑑賞力を評価する一つの方法は,生徒が学級で詩をしみじみと解釈するのを聞いたり,また生徒が自発的に読んだ書物を調べたりすることであろう。評価の他の方法は,観察・面接・生活時程録・日記および自叙伝であろう。(注39)ここでは,これらの方法の一つ一つについてごく簡単に述べることにする。昭和24年文部省発行の「中学校・高等学校生徒指導」という教職用専門書に書かれたこれらの方法の詳しい取扱を,英語教師が研究し,そこに示されているいろいろな技術を英語の指導計画に適していただきたい。

  1.採点または記録をとる目的

 記録は教師にとってのみならず生徒・父兄および雇主にとってもきわめて重要である。いうまでもないことであるが,記録は正確で,包括的で,すぐに役だち,相当の期間にわたっての生徒の進歩を正確に示していなければならない。また記録は英語の指導計画が成功するために絶対に必要なものである。

 採点または記録をつけることの重要な目的は次のようなものである。

 生徒の報告書は,絶えず発達していくのに役だつ資料を提供するように計画されなければならない。生徒の進歩だけについて言えば,その記録は過去の記録および自分の能力と比較しなければならない。他の生徒と競争するよりも自分の過去の記録と競争するほうが一般的に言ってはるかによい。要は,どの生徒もそれぞれの関心・必要および能力に応じて発達するように援助してやらなければならない。

 生徒の英語の現在の学力およびその進歩の程度を詳細に父兄に知らしてやらなければならない。教師もまた生徒が将来進歩していく助けとなるように示唆するのがよい。

 また,中学校第3学年と高等学校第3学年程度の選抜試験をする必要があるから記録を残さなければならないが,その記録は英語の紙と鉛筆の試験の結果よりもはるかに広範なものでなければならない。

 

2.採点内容と方法

 英語課程には五つのおもな目標がある。

 評価はこの目標に直接基いているから,採点の第一目的は,それぞれの生徒がこの五つの目標をどの程度に達成しているかを測定し,またなぜ希望したほど満足に達成しなかったかを確認することである。

 

3.採点法(注40,41)

 

4.むすび(注42,43)

 評語に伴う記述を適切にするために,できるだけ努力すべきである。評語法をよくしていくためには,評語を与える学習結果に照らして,評語の定義を慎重にしなければならない。その資料としては,いま問題にしている学習結果の成否について,人間の判断力の決定できるかぎりにおいて信頼できる証拠である,広範にして詳細な資料を集めて使用する準備をすべきである。教師はいろいろな方面から時間をかけて集めた広範な資料に基いて評語をつけなければならない。生徒の進歩を定期的に評価したものを記録するには,一般に指導要録がいちばんよいとされている。

 報告書は生徒自身の能力と発達とについてしるすべきであって,学級や競争における順位を示すべきではない。次の三つの要素を認識してはっきりさせておくことができるであろう。

 あらゆる評価が,生徒の能力・そのグループの平均・生徒の以前の記録またはその他の標準に基いていることを明示するような報告書でなければならない。

 英語やその他の教科のために,別々の指導要録というものはない。指導要録には英語の五つのおもな目標に従って英語の進歩についての資料を記入する空欄がある。指導要録の詳細については,文部省発行「中学校・高等学校 生徒指導」(昭和24年)を参照されたい。