MJE2121
中  学  校 学 習 指 導 要 領
高 等 学 校

外国語科英語編

(試 案)

昭和26年(1951)改訂版

文  部  省

 

第6章 教育課程材料の源とその学年配当

 教育課程材料とは,教師が適切な教材によってその指導の効果をできるだけあげ,担当する教育課程の諸目標を最もよく達成するために,適宜教材を求める,いわば資料庫をいうのである。本章は,特に英語に関する教育課程材料の源とその学年配当を扱う。

 詳説に先だって,英語教師にぜひ認識を改めていただかなければならないことがある。すなわち,いわゆる「リーダー」または学校の教科書だけが,英語における唯一の教育課程材料の源であるという考え方は改めたいものである。社会科では,教科書以外の教育課程材料の源に,地図・図版・図表・絵画・写真・幻燈・映画等が豊富にとり入れられているのであるが,英語ではこの方面の教育課程材料の源があまり利用されていない。これは,ひとつには,英語教育課程の目標全般がはっきり認識されていないこと,学習者の興味を喚起し,これを持続させたるためには,学習指導法が多種多彩にわたらなければならないこと,学習者には個人差があるので経験させるものにはいろいろ変化がなければならないことなどが,じゅうぶん理解されていないといわなければならない。

 外国語科としての英語教育課程の目標は,多種にわたっており,まず,言語における聞き方・話し方・読み方・書き方という四つの技能を,国際理解と国際交流の有力な手段として駆使しうる能力を到達点として,指導し,学習させ,さらに,英語を通して,英語国民の民族・生活・風土および業績(風俗・習慣・文法・社会制度など)に親しませることを求めている。

 上の目標をじゅうぶんに達するためには,教師が教科書以外にもっと広範な豊富な教育課程材料の源を発見し利用していかなければならない。たとえば,ある英語の単語が実際どういうものを表わしているかを指導するには,絵画または写真・模型・図表・図版・地図等の教科書以外の教材を盛んに利用すべきであるが,英語の授業にはとかくこの方面の用意が欠けている。英語国民の生活を知らせるには,その英語を吹き込んだレコードを利用すれば,効果が大きい。詩を教えるのにあたって,教師は有能な話し手が吹き込んだレコードを利用するのがいいであろう。題材が「アメリカの都会」であれば,地図・絵画または写真・幻燈等を利用して,いながらのアメリ力旅行をすることもひとつである。教科書以外の教材が大きな役割を演じている二三の例をあげただけでも,上のような場合がある。

 教育課程材料は豊富であるに越したことはないが,その選択にはしっかりした意図がなければならない。ただ教材が豊富で多彩だというだけではなんの効果もないのであって,教材の選択と使用とが,学習者の成長と発達とをもたらし,教科の目標の達成に資するところがなければならない。教材は,その教科に対する学習者の学習心を喚起するようなものでなければならない。教材は,また,学年に応じたものでなければならないし,時宜を得たものでもなければならない。

 教育課程材料には,(1)学習者用のほか,(2)教師用のものもあるべきで,たとえば,教師が指導の準備として教科書にのみたよるならば.指導の資料が貧困なために,よい考えも出ず,用例も引けず,説明も尽すことができず,学習者はその授業に関心をもたなくなるであろう。

 教科書以外の教材をもっと自由に用いるためには,現在いろいろな経済的や技術的な困難が伴っていて,これが大きな支障になっていることはもちろんであるが,この点本章で扱ういろいろの事項は理想にすぎているように聞えるかもしれないが,だからといって,教師は教科書にのみ教材を求め,教科書以外にもっと有効適切な言語指導の資料を求めなくてもよいということではない。ある教育課程材料がない場合には,学習活動として,学級全体でその材料を作りだすことは最も有益な活動の一つである。たとえば,掲示用の図表や地図を描かせることも一つであるし,本のコレクションをだんだんと作りあげていくことも一つであって,そういう学習活動によって,大きな学習効果をあげることができる。ただしこの場合,学習活動は,意義があって,かつ学習目標の達成に資するように,特に計画しておかなければならない。現在教材がないからといって,学習効果の低下をやむを得ぬものとして見送るのは,不健全で科学的なものとして支持できない能度である。教師に熱意があれば,現在の教材不足をいつまでも見送るはずはないのである。いずれにしても,教科書がただ一つの教育課程教材の源であるという考えは,教師の頭から追放したいものである。

 (1)教科書類,(2)ワークブック・ガイド類,(3)補助教材類(4)一般読書資料類,(5)定期刊行物,(6)パンフレット・説明書類,(7)参照書類,などが図書関係教材資料のおもなものである。

1.教科書類

 教科書を唯一無二の教育課程材料の源と考えてはいけないのはもちろんであるが,教科書はやはり教育課程において重要な地位を占めている。学習者と教師をじゅうぶん考慮に入れ,学習者の学年に応じて周到な難易段階を設け,行き届いた企画によって作成し編修された教科書は,外国語の指導にあたってこれに代るものがないのであるが,教科書には,教科書としての制約がある。紙面の問題もその一つで,読書用教材・さし絵・練習問題などを思い切って盛り込むことは,現在なかなかむずかしく,もし,1巻に1学年分の教材をじゅうぶんに盛り込むならば,非常に分厚になってしまうのである。それから,おそらく教科書のもついちばん大きな制約は,教科書が特定の地域・各学校または各学級のもつ特定の必要を考慮して編修されたものでなく,一般の教科書編修基準に従い,関係者も一般に全国的な需要を考慮して,なるべく一般普通の条件をみたすように編修されている点であろう。

 教師と学習者がその指導と学習とにまとまりをつけていくことはぜひ必要なのであるが,教科書はこの目的のために大きな役割を果たしている。よい教科書には脈絡が設けてあるはずで,これに教科書以外の教材を適宜配しつつ,学習指導をしていくことかできる。また教科書には,教科書以外の資料からは求めることのできないさまざまな基礎教材が示されているはずである。特に英語教科書には,教師が,教科書以外に求めることがむずかしく,また,教師がくふうできないような練習問題や応用問題がすぐ使用できるように相当用意されているはずである。教科書は,外国語科課程の中心とし,中核として使用していくことは教育上正しいことである。また中等教育において,教科書は常に大きな役割を演じなければならないはずであり,教科書を使用すること自体には問題はないのであるが,ただ教科書を不用意に使用し,教科書すなわち教育課程とし,学年を通じて教科書のみを克明に教え,学習者の興味をひくような,きびきびした新しい教材を取り入れないこと,すなわち,教科書をどのように利用していくかが問題なのである。教科書がいかに優秀であっても,できるだけ教科書以外の教育課程材料の源から教材を得て,補足していくことが常に必要である。

 時には教科書を1冊に限らず,補助教科書を何冊か用意させることも一つであるが,これは用紙の点で現在は無理かもしれない。しかし,学習者用の基準教科書のほかに,たとえば,教室用図書として,その学年程度のもの,程度の高いもの,程度の低いものを,10数冊ずつ備えて置くことはよいことであり,これによって,英語の指導と学習にあたって,教師にとっても学習者にとっても,物語・詩・その他教材の選択施囲が広くなり,練習問題の種類も多く選択範囲も広く,また進んだ学習者には高い教材,遅れた学習者にはそれ相当の教材を提供できることにもなる。

 なほ,中心となる基準教科書は,その重要性にかんがみて,その採択には最大の注意が必要であって,教師はすべて,教科書の編修基準・検定基準および採択基準についてじゅうぶん心得ておりたい。採択基準案は付録のⅢにあげてある。

 

2.ワークブック・ガイド類

 英語の学習指導にあたって,とかく英語そのものよりも英語について教えがちである。学習が,まだI amだれだれ,とすらうまく言えないうちから,この「だれだれは,am という動詞の Nominative Complement になっている」など教える類である。英語は,なにはさておいて,まず伝達の手段なのであるから,その規則ずくめの法則面でなく,教師は,学習者に対して,言語における聞き方・話し方・読み方・書き方という技能の四方面にわたって,むだのない,易から難へじょうずに進ませるような練習問題を次々に与えていかなければならない。理想をいえば,学習者の特別な必要に従い,教材を基礎にして,教師が自分で練習問題を作成するのがよく,またこれは奨励したいことである。同時に,教科書の編修者が,適切な練習問題を用意し,これに,本文に準拠した細かい学習上の指示を付け,ワークブック,ガイドブックまたは手びきの形にして出版することも盛んにしたいものである。というのは,教科書の編修者はだれでも,自分の編修した教科書の教材の中で生徒に広範に練習してもらわなければならないところをいちばんよく知っているからである。これによって,教師は時間と労力とを大いに節約でき学習者は自分が現在予習なり,復習なりしている課を確実明確に理解することができる。高学年になると学習者は,英文の理解・解釈・鑑賞・用語研究などに進み,ワークブックガイドの類はますます役にたつようになり,予習にあたってはその課の重点がはっきりするし,復習にあたってはその課に対する自分の理解力を試すこともできる。

 英語の学習指導には意義ある練習がなければならない。おそらく,ワークブックの最も重要な機能は,興味あり意義のある練習問題を多量に多角的に提供することにあるといえよう。

 

3.補助教材類

 一学級で何人かは,ことば特に読書に対して,特別の語学才能を表わすものである。この種の生徒は,いつまでもその学級の平均程度においておくべきではなく,その読解力に応じて補助教材類を勧めるようにするがよい。また時には,学級全体が,使用教科書の程度を越すようなこともあるが,この場合にも,教室用または,はっきりした学習の指示を与えた上で自習用として,何か適当な補助教材を持たせるとよい。また時には,予定より早く教材書を上げてしまう場合もあり,普通は教科書をくり返すのであるが,これはとかく平凡で学習者の興味をつなぎがたいことである。もちろん復習ということは,言語学習の過程においてたいせつな要件であるから,復習もけっこうなことではあるが,できるならば,別な新しい教材を用いたい。一方,遅れている生徒には,普通の程度よりも低い読物を与えてやることによって,興味をいつも新しくしておくことができるのであるが,教科書の物語や詩等をいつまでもくり返していては,単調無味なものになってしまう。

 上のような場合,またはこれに似たいろいろな場合,補助教材の源についての知識が豊富であれば非常に便利である。中学校・高等学校に図書室はなくてはならないものであるが,英語教室になくてはならないものは,同じく図書の置場である。教室の図書の置場は,教室の後部に作り,書だな,読書机,いすをいくつか置く。書だなには,学年に相応のもの・程度の高いもの・程度の低いものに分けて,補助読本を幾組か備える。そのほか,英語学習用の英字新聞のつずり込み・英文パンフレット・絵画の豊富な教材・絵画をたくさん盛り込んである物語・詩の本およびその他の教材を備えて置く。

 

4.一般読書資料類

 中学校・高等学校の生徒は,歴史・地理・化学・物理・社会等多くの教科目を学習している。このような教科目のうちあるものを,日本語のほか英語で学習してみてはどうかというのが,英語教授研究所所報昭和16年8月号巻頭論文の所説であるが,さらに,この論文には,「こういう教科目を英語で学習すると,うるところが大きい。大学進学後,外国語で科学書を当然読まなければならないような場合の,程度の高い勉学のよい準備にもなる。また生徒にとって直接重要性のある教科目を英語で読むだけに,英語を読むことにさらに関心を示すようになる。 物語, Andersen,Grimm,または Lamb や Hawthorne の物語をやさしく書き換えたものは,小学校児童から,中学校第1学年や第2学年までには向くかもしれないが,それから先の生徒に,ただ語学力が低いからという理由で,そういうこどもっぽい読み物をむりにしいることはまちがいである。」という意見が述べられている。

 特別な場合を除いて,英語は中学校第1学年から学習し始めるわけで,第1学年生といえば,もう子供ではなく,青年期ないしは青年期に近いはずで,子供の時にもっていた関心とは違った関心をどんどん発達させている。このような生徒たちに,語学力が低いという理由だけで,始終こどもっぽい読み物ばかり与えておくと,英語に対する興味を失ってしまうおそれがある。この点に,一般読書資料の大きな役割があるのであるが,ただし,生徒たちは成人でもなければ成人の関心をもっているわけではない。日本語で読んでみたいと思っている程度のものに関心をもつはずで,一般読書資料も第1学年程度の考えを取り扱い用語は初歩の英語を用いて書いたものでなければならない。

 一般の知識を英語で読ませることは,あるいは英語教育課程からの逸脱と考えられるかもしれない。というより,従来の教育課程に対する解釈からいえば,確かに逸脱なのである。しかし,新しい教育の原理は,学校の教科目における学習者のいろいろな経験にじゅうぶん連絡をもたせ,いわゆる統合をできるだけ容易にしてやることを求めている。新しい教育では逸脱は決して悪いことではなく,間接には教育の目的,直接には英語教育課程の目標から逸脱しないかぎり,むしろ逆に逸脱を奨励すべきだとさえいえる。最初からこれが英語教育課程の教材だと決まっている教材はないはずである。教材はすべて文学からとらなければならないという考えが強いが,これは支持しがたい。

 従来,おとぎ話類か,さもなければ,「文学気取りの」文学ものに重点が置かれていたため,一般の知識を英語で読ませるための一般読書資料がじゆうぶん探求されていない。高学年の生徒には,一般の知識の英文資料(なるべく,難易によって選択された一定数の用語で書かれたもの)を持たせ,教室学習用としたり,自習用としたり,課外読物用としたりすると非常に望ましいのであるが,現在この方面の中学校・高等学校用図書は,上のような事情から,なかなか見当らない。しかし,現在でも次のようなことはできるはずである。アメリカや英国の関係方面から日本の学校に対して寄贈された図書があるが,この図書の中から,アメリ力や英国の小学校・中学校および高等学校の歴史・化学・物理等の教科書を選び出し,一般の知識の英文資料のコレクションを作ってみることである。このコレクションは,一般知識についての教育課程材料のりっぱな源となる。

 アメリ力や英国には,入学前または在学中のいろいろな年代の子供たちが学校用・自習用として使えるよう,さし絵のゆたかな小型のパンフレットや書物がやさしい英語で何百も発行されているし,アメリ力では店の書だなから,交通・通信・政治・外国事情・農業・綿業・その他の産業・旅行記の小冊子その他各種の教材を,わずかな値段で選択し購入することができるのであるが,この種の教材が日本でも英文で大量に手にはいるようになればよいのである。英語教師や英語教科書の編者が,多種多様の題材をとらえて優秀な教材を作り,価格を安くして,学校または生徒が購入の上,それぞれ指導と学習の効果をあげうるようにしてくれればよい。

 生徒は文学的すぎる読み物よりも一般の知識資料のほうに興味をもつのであるが,社会科関係の科目が中等教育で特に強調されている現在,さらにそうである。英語教育課程には,一般の知識方面の教材と文学の教材とがあってよい。従来生徒が文学方面の読み物にあまり興味をもたなかったのは,一つには,教材の難易の配置を誤ることが多かったためである。教師によっては教材がむずかしいほうが生徒のうるところが大きいと考えるものであるが,この考え方は,古いといわなければならない。教材は難解なほうがよいという理由だけで難解な教材を課すことには,なんら心理学的・教育的根拠はない。時によると高等学校の上級でMiltonの「失楽園」が課されているのを見受けることさえあるが,「失楽園」は用語の点からも理解力の点からも,きわめて少数の例外を除いて,高等学校第3学年生の程度をはるかに越している。難易の配列にもっと考慮が払われてよく,このことは,教科書についても,一般の知識方面の英文補助教材についても同様である。

 

5.定期刊行物

 教育の一般目標の一つは生徒がりっぱな公民になるよう指導することにあるが,りっぱな公民になるには,見聞が広くなければならない。現在のように,世の中が複雑になってくると,毎日の世の中の動き,またはその意味について,無関心ではありえない。見聞が狭いと,判断を誤ったり,偏見にとらわれたり,物の見方が狭くなったりする。判断が中正を欠き,考えが偏見にとらわれ,物の見方が偏狭では,りっぱな公民とはいえない。公民一般の見聞が広くなくては,民主政治全般の運営に支障をきたすとさえいえるのである。

 殺人から天文まで世の中の働きおよび時事問題を報じてくれるのは,日刊紙・週間紙・月刊誌等のいわゆる定期刊行物であるから,生徒がりっぱな公民になるように指導するためには,これら定期刊行物の読み方を指導する必要がある。定期刊行物は各教科の担当者がそれぞれの指導に使用すべきであるが,その読み方指導は,邦字新聞類については,おもに社会科・国語科担当者の仕事であり,英字新聞類,特に海外事情の取扱については,英語担当者の仕事である。英文定期刊行物によって,(1)きびきびした生きた日常英語と,(2)海外事情の学習とを指導することができる。

 さらに,英文定期刊行物を通して,英米ジャーナリズムの研究と応用の第一歩を踏み出させることができる。ジャーナリズムは,伝達技術として,英語を書く上の多くのコツや表現を教えてくれる。冗慢で難解な題材を興味あり読みやすいものにするにはどうすればよいか,読者の注意をひくには,どうすればよいか,用語の効果をあげるにはどうすればよいか,文章はどう展開していけばよいか,時事問題はどう扱うか,などを,ジャーナリズムは教えてくれるわけで,じょうずに扱えば,作文力をつける上の大きな助けとなる。

 英文定期刊行物は,上に列挙したような利点をもっており,正課および特別教育活動の材料として重要な源(たとえば英文の学生新聞)であり,教師はこの方面の資料にも豊富な知識をもっていないとつごうが悪い。

 各学年に応じて学校用の英文定期刊行物が発行されており,そのうちには有用なものもある。

 学校で,英字新聞・雑誌を初め定期刊行物を常に何種類か予約購読するがよい。その英字新聞・雑誌類は,机の上に置くか,またはつずり込みにして教室の隅の読書する机の近くに備えて置く。年齢に適当な英字新聞・雑誌が出ていれば,正課に使用する場合には生徒が予約し,各自一部ずつそろえるようにすればよい。

 

6.パンフレット・説明書類

 アメリカでは政府関係機関・鉄道会社・船会社・航空会社など各方面の広告機関が多種多様な方面にわたってパンフレット・説明書類を多数発行しており,これを学校用・教育用として利用することができると同時に,その広告をも教育用として利用することができる。そこで学校は,大した費用をかけないで,パンフレット・説明書類の豊富なコレクションを作り,いつでも参照できるように分類してつずり込んで置くことができる。

 わが国では,パンフレット・説明書類は,邦文のものですらじゅうぶんとはいえないし,まして英文のものは少い。しかし,現在でも,入手できるものは,できるだけ利用すべきで,たとえば,日本交通公社発行の数十種の英文観光パンフレットなどはその一つである。おもに外人観光客のためのものであるが,その英文は,高等学校用として,一つは英語学習用として,一つはわが国自身のことについての知識を増すためにも,相当利用することができる。

 

7.参照書類

 参照書類とは,辞書・百科事典・年鑑・地図等のことで,いわゆる読む書物ではなくて参照する書物をいう。英語の学習指導は,参照書類の利用いかんによって,その効果をいちじるしくあげることができる。

 参照書のうち,外国語教育課程としての英語教育課程に,最も重要かつ直接の関係をもっているのは辞書である。よい辞書を持たせ,辞書を正しく使う習慣をつけるように努めれば,生徒は言語学習の初期の段階の後に,言語学習の重要な様相である,外国語をひとりで読んで楽しむことを,身につけるようになる。ひとたび生徒がこの新しい仕事に成功すれば,教師のその後の仕事はだいぶ楽になる。というのは,生徒は言語学習をみずから始めたわけであり,読書の興味によってますますそうする気になるからである。

 最初の1・2年間の基礎学習を指導した後は,英英辞典の使用を勧めたい。英和辞典の使用によって生徒がことばの意味を誤解することがよくあり,生徒が英語を話したり書いたりするときにする誤りやこっけいな用い方は,英和辞典の使用による意味の誤認に原因のあることが多い。そればかりでなく,英和辞典では意味の細かい点がよくわからないし,第一英語の真髄に触れることはむずかしい。英和辞典の訳語は,心覚えとしてはけっこうであるが,英語の本格的学習をする場合には,全面的にこれにたよることはできない。生徒をできるだけ英英辞典を使用する方向へ指導したい。

 用例をあげていない辞書は,よい辞書とはいえない。近似語(厳密な意味での同意語はありえない。)のみを載せている辞書では,ことばの意味はじゅうぶんにわからないし,また英語を母国語とする人たちがそのことばをどういうふうに使っているかということもわからない。ことばの意味は、文脈に入れてみてはじめて生きてくるものだからである。同じように,用例があってはじめて,正しい構文をはっきりつかむことができるのである。

 百科事典・年鑑・地図等の参照書類の利用は多言を要しない。たとえば,Lincoln の生没の年月日を知るには百科事典を,現代の人名については人名辞典を,1948年のTruman 大統領の選挙得票数を知るには年鑑を,New York 州 Lake Success の所在を知るには地図を,Niagara の滝について知るには Baedeker の旅行案内またはその他の参照書類を利用すればよい。語学の学習指導には,純語学だけの知識ではふじゅうぶんであって,教師はその学習指導をできるだけ興味あるもの効果あるものとするため,各般の知識をもっていなければならない。いちおう読書力を得てからは,参照書類は生徒にとって非常に参考になる。

 

 語学の学習指導上適切と思われるおもな視聴覚教具には,(1)実物,(2)模型,(3)絵画とさし絵,(4)地図・図表およびグラフ,(5)レコード,(6)録音装置,(7)ラジオ番組,(8)映画,(9)幻燈とフィルム,(10)投光器,(11)演出用具,(12)各種団体・機関・建築物等の地域社会教材資料,および(13)その他の視聴覚教具などがある。

1.実 物

 物と名称とを結びつけるときいちばんよい方法は,特に若い人の場合は,その名称の表わす実物を見せるか,これを指示することである。生徒は,実際に実物を見て名称を覚えるわけである。初期において扱うことばは物の名称が多く,教師はできるかぎり,実物を示すとか,それに触れるとか,それをさし示すとかして,そういうことばを指導すべきである。実物を示すことなく,ただ訳語だけを与えることは決して効果的な方法ではない。そこで教師は,教室用として,できるだけたくさん実物を入手するように努めるとともに,このような実物の一覧表を作るべきである。

 教師はだんだんコレクションを豊富にしていくようにし,教室内に場所を設けて,そこに納め,いつまでも使用できるようにしたい。どこの教室にも,たとえば,窓の下などに,備付けの収納所を設けたいものである。

 教室内に持ちこめない実物は,見学や旅行のおりなどに,さし示して指導したいものである。

 

2.模 型

 実物は,その大きさや目方などの関係,あるいはその実物がわが国にないなどの関係から,その入手は必ずしも容易なことではない。このような場合には,模型が実物に次ぐいいものである。百科事典あるいはその他の資料にある絵画または図面から,生徒に模型を作ってもらうこともできる。たとえば,西洋の家の模型を作る場合など,生徒は非常に興味をもつであろうし,完成すれば,これを使って,door-bell から,訪問のしかたまでいろいろなおもしろいことを指導することができる。

 生徒は,実物を見るか,少くとも模型を見ないと,その物を心に描くことができないし,まったくまちがった印象を受けることが多い。たとえば,高等学校で,Shakespeare 劇が演じられた当時の劇場や舞台はどんなものであったかについて,教師もじゅうぶん話をして聞かせ,生徒もじゅうぶん読んだとしても,話や活字だけでは当時の実際の模様はなかなかわからない。しかし,絵画があれば,当時の劇場の模型を作ることができるわけである。模型は小学校にはよいが,中学校・高等学校には幼稚すぎると考えがちであるが,はじめて知る物の名は,その物,またはその物の模型,もしくは写真などを見てはじめてわかるということは,中学校・高等学校においてそうであるばかりでなく,一生がいそうなのである。

 

3.絵画とさし絵

 実物も模型も手にはいらない場合もあるわけで,その場合には,絵画・さし絵・図版等にたよることになる。「何百,おそらく何千という名詞の指導には,さし絵・図版の使用が望ましい。」とは,英語教授研究所所報の昭和14年7〜8月号巻頭論文にある意見であるが,さらに,「そのおもな理由は,初学年に出てくるような英語をさらに,簡単な英語を使って定義することは困難であり,不可能ですらあること,また,さし絵・図版の使用は,現物とその名称との——自由語を介さない——直接の結びつき,すなわち,フュージョンを作るのに役だつからであり,はじめての単語を正しく学習するにはたいせつなことである。」と説明を加えている。

 一方,この巻頭論文には,「ことばの学習に,さし絵の役割は大きく,日本で出版されるリーダーはほとんどいずれも絵画をじゅうぶん載せており,色刷りの図版を載せていることも多い。ところが,多くの場合,語学の立場からいってよく外国の事情を示してくれ役にたつというよりは,ただ絵画によって本をきれいに見せることを目的に選択されている。」という注意がある。この注意は,教科書編修者に対する注意であるが,教室用絵画の種類の適否についても教えるところが多い。

 教師は役にたつ絵の所在を知っていなければならない。模型の場合と同じく,生徒に教室用として絵を描かせることもできる。どこの学級にも絵のうまい生徒はいるもので,もしそういう生徒が見当らないときは,その方面に明るい図画工作の教師にさがしてもらうことである。

 厚紙を台紙にして絵画のコレクションを学校で作りたいものである。そのような絵画は,雑誌・新聞・その他の資料から集めることができる。その中には,普通の器物・建築物・人物・動物・植物・食物・その他いろいろの題材があってほしい。収集とともに,題目に分けて分類し,いつでも持ち出すことができるように索引をつけ,つずり込んで置きたい。学校図書室に備えて置いて,全校の参考になればいちばんよい。英語教師は必要に応じて,所要の絵画に当る題目についてつずり込みを牽引すればよい。一年もすれば,かなりなコレクションができあがり,数年のうちにはぼう大なコレクションができあがるはずである。このコレクションを学校図書室用とする場合には,係の教師は,題目別絵画リストを学校の各教師に配布しておくとよい。規模を学校全体にすることがむずかしいならば,自分でまずそのようなコレクションを作り始めることである。たとえば,National Geographical Magazine などは,この方面の大きな資料である。

 教室用絵画のもう一つの資料は,見学またはひとりの旅行のおりに,教師も生徒もともに写真をとり,これを教室用に使用することである。写真部の仕事と関連してもできるはずである。

 

4.地図・図表およびグラフ

 地図・図表およびグラフは他の重要な視覚材料源の役割をなすものである。たとえば,もしある課が,「アメリカ事情」であるとすれば,アメリカ地図は,教師にとっても生徒たちにとっても大きな助けになるであろう。注意を要することは,どの地図においても,描かれていることが最新であること,必要に応じて訂正され,書き換られるべきことである。これらの地図は語学課程用として使用されるからといって,不正確でもよいわけではない。

 またもし,その課がアメリカ政府とか,48州のそれぞれの地域および人口にまで関連してくるならば,アメリ力政府の構成図とか,その地区や人口を一目でわかるように描いてある図表が役だつであろう。上に述べたような多種の事実や資料を示すのに,図表やグラフほど重要で有益なものは少い。事実や報道はこのようなものを介して,すぐに明確に理解されるのである。

 地図・図表およびグラフを手に入れるには,英語教師が地理教師または社会科教師と協力しなければならない。また,他の方法としては,教師が生徒たちに,地図・図表およびグラフを書かせるようにすることもできる。壁にかけられてときたま変えられるたった1・2枚の世界地図とか,アメリ力や英国の地図も,必要に応じてある時は装飾用として,またある時は価値ある教育上の目的に役だつであろう。

 

5.レコード

 詩や朗読の指導とか,または,ある課がたまたま有名な音楽,たとえば,Beethoven の「月光の曲」に関係があるという場合には,レコードを用いたい。りっぱな吹込者による詩の朗読には,生徒はそのリズムに楽しく耳を傾けるはずである。りっぱな散文の朗読の鑑賞を学びとるはずである。その課を Beethoven のソナタとともにながく心に留めるであろう。以上は,わずかの例にすぎないが,教師として聴覚教材の重要性を知っているならば,レコードを利用して,英語の学習指導の効果をあげうる場合は多々あるはずである。ここでも,教師は,聴覚教材源についてじゅうぶんな知識をもっている必要があるわけである。

 劇・短い物語および演説のレコードもできており,一方,英語学習指導用として特に企画され,りっぱな吹込者によって,正しい発音・リズム・アクセント・力の入れ方などを示したレコードもあり,また,英語練習用のレコードもできている。

 

6.録音装置

 録音装置は現在のところ実現はむずかしいのであるが,語学指導におけるその役割について一言することはむだではあるまい。アメリ力では語学指導にワイヤーおよびテープ・レコーダーで生徒の声を録音し,これを再生して聞かせる。自分では,自分の声が人にどう聞えているか解らないわけで,自分の声を再生して聞かせると驚く人が多い。録音によって,生徒は自分の音声の欠陥を知るわけで,これは録音独特の役割といえよう。

 録音装置があれば,ラジオの放送を録音しておくこともできる。ラジオ放送を学校で利用するのにいちばんつごうの悪いことは,現在指導中のところと合致しない場合が多いことと,放送が一回限りだということである。このふつごうは,後で役にたつと思われる種目を録音しておいて,必要な時につずり込みから取り出して再生するようにすれば取り除くことができるわけである。録音装置は,現在のところ,費用の点で設備できない学校が多いかもしれないが,将来に対し心にとめておきたい。ワイヤー・レコーダーのごときは,最初の出費は大きいように思えるが,いったん録音した音声なり音楽なりを自動的に消すことができ,何回でも使用できることを考えれば,運用の費用はそう大きいものではない。録音したものを長く残そうという場合には,テープ・レコーダーがいちばんよい。

 

7.ラジオ番組

 英語教授研究所は所報の昭和12年1月号の巻頭論文で,語学放送の問題を取りあげ,直接教授法の原理に基いて,英語放送はいかに放送すべきか,および正課の一部としての取扱はいかにあるべきかについていろいろ提案し,さらに,「科学の進歩がもたらしたものを放送を通して学習者にどう与えていくべきかということについて放送当局の一考をわずらわしたく,また,学校当局は,科学および教授法のもたらすものを放送を通してきょう受したきむねを主張せられるよう,切望する次第である。」と提案している。

 英語教授研究所の提案は,以来,最近に至るまであまり注目されず,英語以外の教科目の放送は,学校の正規の教育課程の中に取り入れられていったのであるが,英語放送は,昨年(昭和24年)に至るまで,もっぱら個人のみを対象として行われてきたのである。昭和24年9月以来,学校用として英語放送が週1回行われており,さらに,昭和25年度も引き続き行われることになっている。この放送の効果をじゅうぶんあげるためには,もちろん今後いろいろな実験を必要とする。

 現在一般用として全国放送されている英語放送は二種類あるが,その一つなりまたは両者の聞き取りを生徒に勧めたい。いろいろな点でうるところは大きい。アメリカ陸海空軍向け放送AFRSは,もともとアメリ力陸海空軍の将兵を対象とする放送であるが,高学年の生徒にはその聞き取りを勧めたい。

 なお,「学校放送」の一部である英語の放送をじゅうぶんに利用したい。学校放送について知るには,学校方面へ配布されている日本放送協会発行の季刊誌「学校放送」がよい。この季刊誌には予定放送種目表・放送聴取前の準備のしかた・放送後の整理のしかたなどが載せてある。

 

8.映 画

 純語学指導用の映画はわが国ではまだあまり知られていないが,イギリスでは語学の実地指導用の映画が正しい語学指導の原理に基いていろいろ企画され実験もされ製作もされている。経済的や技術的な事情から,語学指導用の映画が一般に実用になるのは,わが国においては時間がかかるかもしれない。

 英語国民の国土・生活・業績などについて生徒を指導するのには,映画は有力な教材源である。いろいろなできごとや施設などを写実したいわゆる「ドキュメンタリー・フィルム」(記録映画)は特にしかりである。一方商業映画に関しては,それが実際とは違うということ,実際を描こうとしているのではないということを生徒に指摘したい。商業映画はもともと娯楽用として製作されているのであって,物語を展開しているのであるが,その物語には虚飾がほどこされている。そこで商業映画が正しい外国の姿を映しているものと思うと,外国についてとんだ誤解をすることになる。たとえば,西洋人は探てい映画や推理映画を好むが,このような映画の筋はほとんどいつも仮空のものであって,これを外人が額面どおりに受け取るため,犯罪が非常に多いような印象を与えてしまう場合もある。

 英語用として,特に上級用として,適当な映画類ができている。有名な劇・小説・短編などを映画化したものがそれである。英国で製作されたシェークスピアもの二つ「ヘンリー五世」と「ハムレット」はこの部類に属している。また,アメリカにおける新しい劇やりっぱな小説がいろいろ映画化されている。必ずしも上級の生徒でなくとも,英語国民の話す英語のことばの流れやリズムに耳を傾けるだけでもうるところがあるであろう。

 娯楽映画や語学指導用映画のほかに,アメリカでは,教育映画がどしどし製作されていて,理科・社会・図画工作・音楽・その他各科に用いられており,現在では何千という教育映画が利用できるようになっている。娯楽映画と違って,できるだけ事実に則することとともに歴史・経済・政治上のできごとを生徒に理解させることを眼目としている。この種の教育映画もわが国では現在一般には手にはいらないが,やがて利用しうる日の来ることを考えておかなければならない。

 

9.幻燈とフイルム

 普通の絵は一度に一人しか見られないのがおもな欠点であるが,この欠点は幻燈板を用いれば是正できる。わが国においてもかなりな題材にわたって利用できるようになっている。説明は英語ではないが,全部の生徒で見ることができるから,教師または上級では,生徒1人か2人で英語の説明を加えていくようにすればよい。実物や模型と同じような扱いもできる。また,教師も生徒も写真や絵から幻燈板を作ることもできるし,すでに学んだ物語を筋を追って展開して見ることも一つである。

 

10.投光器

 投光器は幻燈器をかねているものが多いが,これを用いれば不透明な写真映画ならばなんでもスクリーンに投影することができるから,教師も生徒も,雑誌や新聞から写真・絵画・地図・図表などを切り抜いて置いて,これをスクリーンに楽に写してみなで研究することができる。また,切り抜かないでも本のあるページまたはページのある箇所を投影することができ,利用のしかたは無限といってよい。

 

11.演出用具

 ほとんどどの学級も時には英語劇を演出してみたく思うことがあるもので,その種類は中学校第1学年・第2学年程度の「太陽と風」(イソップ)から,シェークスピア劇までいろいろあるが,教室で物語または詩をしばしば劇化することはよいことで,教室または学校に,劇演出用としてぜひ必要な用具が備えてあるとつごうがよい。ここで劇演出とは,もちろん人形しばいなどを含めて考えてよい。

 

12.地域社会資料

 いかなる教科においても地域にある資料を最大限に利用していくことは健全な教育原理であるが,教科に従って適当な地域社会資料を利用しうるかどうかも違ってくるのであって,社会科の資料はほとんど無限といってよいのであるが,外国語科の資料は自然制約されがちである。がいして英語を国語とする人,または,英語国(英米)にいたことがあって英語の達者な日本人で,その地域社会に居住する人に限られることになる。

 その地域社会に英米人が居住しているときは,その家をたずねるような手配もできよう。または,海外にいたこともあり,語学も達者な人に学校に来てもらって経験を話してもらったり,生徒の質問に答えてもらったりすることもできるはずである。

 

13.その他の視聴覚教具

 視覚教材として重要な役割をする黒板ももちろん忘れてはいけない。他教科についても同じであるが,語学指導にも欠くことのできないものである。取り扱う話題の説明にも使うことができる。読み方指導にあたって,語や句や文を書きつけることもできる。発音記号によって発音を示すのにも使うことができる。その利用は絶大であるが,その利用はじゅうぶん知られているから,多言の必要はあるまい。

 英語教室には,板面の広い掲示板の設備がほしい。正面には黒板を設備するものとして,後正面いっぱい,なおできれば,片側の壁にも,掲示板を設備したい。教師も生徒もともに,英文で説明をつけた写真類,図表・地図・生徒の製作品・絵画・その他学級全体に見せようと思うものをいろいろ集めることである。英文の表題のあるブックーカバーなどを並べるのもよい。英語国の建物・景色・人物などの写真もよい。英字新聞から切り抜いた記事を掲示するのもよい。掲示板がよく整頓できており,また,まめに掲示資料が取り換えられておれば,ただへやをひき立たせるというだけでなく,いわゆる「英語学習環境」をある程度作り出すことができる。

 視聴覚方面の方法は,以上のほかまだいくつかあって,生徒に黒板または用紙に絵を描かせてこれに英語の名称を書き添えるとか,人体の模型図を描いておもな器官に英語の名称をつけるとか,アメリカの家の模型図を描いてへやや調度類に英語で名称をつけるとか,漫画を描いて登場人物のことばを英語で書くとか,学校の各教室の入に英語の名札をつけて何教室であるかを示すとか,教室内の調度や物品に英語の名札をつけること,などみなその中にはいるわけである。

 

 以上各節にあげたほかにも教育課程教材の源はあるのであって,たとえば,歌もその一つであり,ゲーム(たとえば,「つずり字競争」など)もその一つであり,歌もゲームも特に低学年では生徒の興味をひき起すのに役にたつ方法である。

 歌やゲームのほかにも,くふうして用いれば,利用価値の高い教育課程材料の源があるはずであるが,あまり詳細にわたると,第2巻の「英語の学習指導法」の領域に立ち入ることになるし,まただいたい本章の目的が,教育課程材料の源を全部を取り扱うことにあるのではなくて,むしろ従来しばしば唯一無二の材料源と考えられてきた教科書から目を転じて,もっと豊富なもっと利用価値の高い材料源へ教師の注意を向けることにあるのであって,この意味において,本章で列挙した教育課程材料の源でじゅうぶんといえよう。教育課程材料の源の研究・応用および運用に関する本章を終るに当って,他の教育の問題と同じく,教師の創造力とくふうによるところ大であることを申し添えたい。

 

1.まえがき

 学習指導要領の重要な部分として,その教科目を指導していくのに有益な,あらゆる種類の教育課程材料表がある。このようなものはすべて,二つの理由から,文部省推薦によらない。

 あらゆる見地からいって,各都道府県・都市・郡またはその他の地域で,それぞれの教育課程材料表を編修することが望ましい。このようなリストは,都道府県教育機関または教師の団体や連盟で編修できるのである。

 ここに東京都中学校英語教育研究会および東京都高等学校英語教育研究会で採用している教育課程材料表を提出しよう。この表は,東京都以外の全国の英語教師にもなんらかの役にたつであろう。といっても,文部省は特にこの表に載せられている教育課程材料を推薦するというわけではなくて,東京都の研究会による研究結果を報告する目的で発表するのである。各都道府県で公私いずれでもよいがなんらかの団体が,英語の指導に有益と思われる教育課程材料の表を,この学習指導書の中にそう入できるような形式で編修し配布することが強く望まれるのである。

 

2.編修要項