第五章 高等学校の国語科の単元の例

 

まえがき

 

 前章に高等学校生徒の言語経験の一覧表が、聞く経験、話す経験、読む経験、書く経験に分けて出してある。こうした経験をどのようにして生徒に与えていくかは、教育課程を組織するときの問題であり、また学習指導方法の問題でもあって、ここに単元の問題が生ずる。

〔高等学校の国語科においても、生活的に学習することが可能であり、必要である。〕

 高等学校で学習する古典(漢文を含む)や文法の知識は、生徒の毎日の生活から相当離れており、生徒はそれに対してほとんど基礎知識を持たないから、講義や注釈の方法で教えていくのがいちばんよいと考えている教師がある。生活に即する学習などは不可能であると考えている教師もある。けれども、古典というものは、現代生活とつながりがあるから古典なのであって、もしまったくつながりがないのであれば、それは単なる古文である。文法にしても、生活の中に生きた活動として働くものでなければならない。高等学校で学習される古典や文法は、生活と関連があり、それを学習する社会的必要があるものでなければならない。そうしてそれは、高等学校生徒の毎日の生活に基礎をおいているものでなければならない。その点から見て、生徒たちは、古典や文法上の問題についても、やはり、自分の生活上の問題として接近することができるであろう。

 高等学校では、古典や文法の知識、文学史の知識とともに、さらに基礎的な聞く力、話す力、読む力、書く力を上達させなければならない。たとえば、みんなの前で話をする力とか、じょうずにノートを取る力とか、そういう力を上達させなければならない。高等学校の生徒はそうしたいろいろの言語技術の改善について、これを自分の問題として自覚し、活発に学習することができる。ここにも、単に技術を技術として機械的に訓練するのでなく、それを自発的に意義深く学習させる新しい方法が進められる。

 社会科や理科の単元が言語活動をたくさんに含んでおり、それは国語教師の立場からそのまま国語科の単元として利用することができることは、小学校や中学校の場合と同様である。

 さらに、高等学校の生徒になれば、人生や社会の問題についていろいろと疑問を持ち、小説や戯曲などへの興味が非常に増大してくる。生徒たちが解決を欲している人生や社会の問題について、深い理解と鑑賞とを得させるような文学作品を読ませ、読んだあとの感想を話し合い、まとめて発表させ、あるいは、その結果について文章を書かせるというような学習をするとすれば、学習は総合的になり、生活的になる。

〔高等学校の単元を選ぶには高等学校の特殊性を考えなければならない。〕

 高等学校の単元を選ぶにあたっては、中学校の場合よりも、もっと、生徒の自発性に基いて計画が立てられ、生徒が自主的に学習を進めることが望ましい。けれどもその指導の責任は教師にあることを忘れてはならない。また、高等学校では個性に応じるために、大幅な選択教科制を採用しているから、学習事項についても、すべての生徒が学習しなければならないことと、これを選択する生徒だけが学習すればよいこととを区別する必要がある。定時制高等学校・実業高等学校のそれぞれの特殊性も考慮すべきことはいうまでもない。

 次に、単元の例を、一学年・二学年・三学年にそれぞれ一つずつ掲げておく。