四 書くこと

 

(一) 高等学校における書くことの学習指導の意義 〔中学校の書くことの学習を基礎として、実際生活に必要な各種の文章を書きこなせるようにする。〕  中学校の学習では、手紙・報告書など、実際生活に必要な文章を書くことを主にしている。その場その時の必要に応じて、それぞれの形式にかなった、適切な内容を盛った文章を書くことは容易でないから、高等学校においても、実用文を書く学習に力を注ぎ、その理解・技術・態度が実際生活に直結するようにしなければならない。高等学校を卒業しても、手紙一つ満足に書けず、履歴書の書式すら知らないというのでは、書くことを学習する意義が少ない。 〔書く機会をたびたび与えて、かくれた才能を発見したり、それぞれの個性をじゅうぶんに伸ばすようにする。〕  自由な創作活動を行って、個性を豊かにすることは、高等学校の生徒にとって、欠くことのできない尊い経験である。こうした経験によって、文学的な才能が呼び出されることも多い。それぞれの興味によって、それぞれの好む創作活動をさせるとともに、各種各様の形式を試み、自己表現の機会をたびたび与えるがよい。創作活動を行うことは、このころの生徒の精神発達の上に、重要な意味を持っている。 〔書式一般に通ずること、各種の用筆・用具などに慣れることは、生徒の現在ならびに将来の生活に必要である。〕  硬筆書き方は、小学校・中学校を通じて学習しているが、文字を正しくかつ速く書く技術を高めることは、なお必要である。

 毛筆書道は、芸能科で学習するのであるが、国語学習と結びつく場合も少なくない。生活上の必要と、古典や漢文との関係から、実用と美とが一体になっている毛筆書道を、国語生活の中に取り入れることも意味がある。

 実際生活では、文字のために文字を書くことは少なくて、ことばを視覚化するために文字を書いているのである。したがって、書かれた文字はことばの表現として、正しく読みやすくなければならない。書式にかなっていること、送りがな・かなづかいの正しいこと、各種の符号を効果的に使用すること、与えられた紙面を活用することなどが必要である。

〔書くことの学習指導は、高等学校でもじゅうぶんに注意して計画していかなければならない。〕  話すこと、書くことは、ことばをつづることによって何かを相手に伝えるという点で、本質的に相似ている。

 しかし、話すことは幼少から習得して、だいたい日常の用を弁じている。書くことは、文字の読み書きを前提とする点だけから見ても、学習が複維である。

 右に述べたように、書くことは実際生活上重大であるばかりでなく、書くことをとおして、さらに深い自己表現がなされる。ここに、話しことばにない世界が打ち立てられる。高等学校の生徒としては、その創作活動は生きる喜びでなければならない。