(三) 高等学校生徒の読むことの実態

 高等学校生徒の読書力、その習慣や態度は、個人個人によって、非常に幅の広い違いがある。ある者は、先にあげた読書技術のごく基礎的なものでさえなおふじゅうぶんである。反対に、文学の理解・鑑賞などにおいて教師以上の才能を示す者さえある。

 読む力の個人差には環境、身体的条件、知能などの影響が大きく働いている。高等学校の生徒は、中学校の生徒に比べると、その個人差が個性的なものにまで深まっている。したがって、いろいろな条件をじゅうぶん考慮して、個人個人についての的確な調査がなされなければならない。

 高等学校の生徒の読むことの実際は、生徒間の個人差の幅が広いものであることを考慮にいれて、一般的には、次のようなことが言えるであろう。

1 読書領域の非常に広い者と極端に狭い者がある。

2 文学に対する趣味や、理解・鑑賞に、特殊の愛好や才能を持つ者がある。

3 良書の選択ができず、手あたりしだいに読む者がある。

4 必要な場合のほかは、ほとんど読書しない者がある。

5 書物の選択にあたっては、ジャーナリズムの影響が強い。

6 当用漢字別表の漢字が読めない程度の者はほとんどいないが、漢字・漢語の力はなおふじゅうぶんである。

7 語いは相当豊かになっているが、語感においてかなりにぶい者がある。

8 文語文や古典に対しては、その理解も読む力も、著しく低いと言える。

9 黙読の速度は、相当進んでいる。

10 目的に応じて、読書技術を使いこなす力が、まだふじゅうぶんである。

11 論理的な長文の読解力はふじゅうぶんである。それに必要な読書技術が身についていないからである。

12 図書館を利用する習慣は、一般的に見てかなり身についている。

13 いろいろな書物を、資料として総合的に使いこなす力はまだふじゅうぶんである。