(二) 高等学校の国語科の計画を立てる上の一般的注意 〔国語科の計画は、学校の教育計画の一環として、その全体に働きかけると同時に、固有の位置を占めなければならない。〕  国語は、生徒の生活に広く働いている。

 考えるにも、学習するにも、人と交際するにも、すべてことばを手段としている。学校活動・学習活動は、すべてことばを手段として指導されている。教育効果は、国語学習の成績に支配されることが大きいのであるから、国語教師その他のすべての教師の協力を得て、ふじゅうぶんな点を補い、指導の実をあげなければならない。

 高等学校の教師は、それぞれの専門の立場を守ることももとよりたいせつであるが、互に協力することのよりたいせつなことを忘れてはならない。国語教師は、他のすべての教科、特に社会科、職業・家庭科、商業科、芸能科書道などの教師と協力することを忘れてはならない。

〔国語科の計画は、生徒の関心領域の上に立てられなければならない。〕  教育計画は、生徒の関心の領域を重視して、その実態に即すると同時に、その動向に対してじゅうぶんの指導性を持たなければならない。そうして地域社会から国家、国家から世界へと、その視野を広げることが必要である。現在に興味を持ち、時事問題に敏感であると同時に、過去へも将来へも関心の領域を広げて行くべきである。 〔国語の学習指導を数人の教師が分担する場合、個々別々に働くことのないよう、一体としての国語学習の展開ができるような統一がなければならない。〕  高等学校では、教師たちが文法・文学史・古文・現代文あるいは漢文など、それぞれ分担する場合が多く、ともすれば、それぞれの知識面の理解に終るうれいがある。学習の究極の目標は、言語を効果的に使用する能力を養うことである。そのためには、価値ある言語経験を豊かにくり返すことによって、言語技術と言語知識を身につけて、正しい言語の習慣を確立しなければならない。

 知識のための知識、技術のための技術とならないよう、一体としての国語能力を発達させるように、じゅうぶんの協力がなければならない。

 要するに、高等学校においては、文法・作文・文学などをまったく切り離して取り扱ってはならない。それらはすべて国語科に統一され、学習の単元は聞くこと、話すこと、読むこと、書くことの経験を含まなければならない。ただ漢文については、特別の計画が立てられてもよい。