(四) 話すこと、聞くことの学習指導における映画および演劇の学習指導の意義

 シナリオ・戯曲を読んだり、書いたりすることは、生きた話しことばそのものを読んだり、書いたりする意味で、話しことばに関する理解を深める上に役だつことは言うまでもない。劇や映画の鑑賞は、一つには話しことばの美しさ・力強さ、その微妙な幅や深さを聞き取ることである。すぐれた演技になれば、せりふ・しぐさが一つにとけあって、奥深い精神生活の種々相をいきいきと伝える。劇や映画をほんとうに鑑賞させる、話しことばのすぐれた聞き方が、実際生活にどのくらい役だち、またその生活内容をどのくらい深くするかわからない。

 劇を実演する場合には、自分のことばになりきったものを、最も効果的に語らなければならない。真実を語っているつもりのせりふが、必ずしも真実を語ることばとして受け取ってもらえない。ここに演技の必要が生れてくるのであって、ことばをよりよく効果的にする技術が、必要と興味をもって学習される。

 劇の製作過程のすべては、話しことばを手段とした社会生活そのものである。協同・責任・秩序の無いところに演劇はなりたたない。

 劇の実演は、話しことばを深く反省する点と、言語生活の生きた縮図である点とで、話しことばの学習の上に、一つの高い意義を持つのである。