(二) 高等学校生徒の話す経験にはどんな種類があるか

1 独話

 報告、研究や意見の発表、演説など、まとまった準備した話をする場合である。公的な改まった場合が多く、事前に相当の準備をしてかかるのが普通であるが、とっさに考えをまとめて、次々と話し続けなければならない場合もある。聞く人は大ぜいの場合が多く、そのひとりひとりにわかる話をしなければならないから、聞く人が種類や層を異にしていればいるほど、話す人の苦心が加わってくる。高等学校の生徒は、しばしばかかる場合に立たされるのであるが、その場の空気に支配されず、むしろその場を支配していくことは、容易な技術ではない。拡声機やメガホンを使う場合は、さらに特殊のくふうが必要になる。

2 朗読

 独話の中に朗読を交えることもあれば、終始朗読する場合もある。朗読は、自分あるいは人の書いた材料を見ながら、これを読むというよりも話していくのであるから、一本調子に陥らないためには、音調や速さに特別のくふうが必要になる。朗読はある文章についての解釈や鑑賞を表わすものであるから、独話の一種として、話しことばの学習の中に一つの地位を占める。

3 対談

 ひとりとひとりが話し合う場合である。親しい者どうし、それほど親しくないふたり、まったく未知の者どうしなど、いろいろの場合が考えられる。

4 会話

 三人以上の間にかわされる場合である。ひとりが中心になって、他の者がこれを囲んで話しかける場合と、互に同等の立場で話し合う場合とがある。

 対談と会話は、日常生活に絶えずくり返されている。その技術や態度は自然に習得されていくものである。

イ その場の空気にとけこむ。ときにその場の空気を左右していく。

ロ 相手に快い感じを与える。

ハ そのためには、ことばづかい、音調などに気をつけて、よくわかる、礼儀正しい話をしなければならない。

 かくて、よい話し手であり、同時によい聞き手でなければならないから、習慣や態度については、高等学校の生徒として、なお指導すべき点が多い。

5 討議・討論

 民主的な社会では、よりよい結論を得るために、いろいろな話合いをする場合が多い。

 高等学校の生徒としては、そのいろいろな場合に慣れ、一員として責任を尽せることはもちろん、司会して全体を導いていくことができるようにならなければならない。

 話合いには、

イ グループ−ディスカッシヨン

ロ パネル−フォーラム(代表討議)

ハ シンポジューム−フォーラム

ニ デべート

など、いろいろの形式がある。いずれにしても、その目的は真理を探求するためのものであるから、建設的な意見を尊重し合い、時間を空費することのないようにしなければならない。

 話合いは、他教科特に社会科の学習でも行われるし、教科外の生徒活動にも常に行われるのであるが、その基礎的な技術・態度については、国語科が責任を持つべきである。