(五) 学習指導上の注意

1 興味ある話題を中心に、よく整理された学年相応のやさしい話であれば、生徒は喜んで聞き、じゅうぶん理解するものである。聞く力の根本は、注意を集中し、これを持続することである。短い話から長い話に、やさしい話からむずかしい話にと、段階的に進むことが望ましい。聞いて理解するかどうかの責任の大半は、話す人の側にあることを知らなければならない。教師なり、生徒なりが、話す人となるときは、聞く人の興味・理解・疲労などを考え、じゅうぶんな用意をもって臨むとともに、臨機に長短を加減したり、事件やトピックの挿(そう)入、絵・図表の利用などに、適宜の処置をとり、注意が散漫にならないように注意しなければならない。

 高等学校の生徒は、聞く態度が相当できていて、話す人の立場を理解することもできる。努力して聞こうとする意欲も持っている。

 指導者としては、聞いたことに責任を持たせることがたいせつである。聞きっぱなしで、その理解を確かめられることもなく、まして、実行に移すことを要求されても、その結果に責任を問われるおりもないとすれば、いい加減に聞き流すような習慣を生じやすい。

 聞く態度の表面的な観察は、必ずしも信用できない。納得したような顔つきをして、うなずいたりしていても、はたしてじゅうぶん聞き分けているかどうかはわからない。聞いた内容を要約して言わせたり、項目を順次に言わせたり、最も印象の深かった事項を問うなりして、注意の集中と持続がじゅうぶんであったか、その内容をじゅうぶんつかんだかどうかをためす必要がある。ときに、筆答させて、その聞く態度・能力を細かに調べたり、話されたことについて客観的にテストすることもたいせつである。

2 話しことばの美しさに対して、これを敏感に聞き分ける能力を養うことは、人間形成の上からも、その生活を豊富にするためにも、きわめて重要である。話しことばの美しさは、話す人の人間的な味わいからくるものもある。主として、内容の高さ・深さによるものもあれば、話の巧妙さ、ことばと身ぶり、表情の微妙な調和からくることもある。事前・事後の話合いにおいて、これらの要素を分析し、急所はどこにあるか、全体としてあるいは部分的の成功・失敗があったか、どこに注意し、どこを味わったらよいかなど、聞くことの学習へのじゅうぶんな動機づけを行ったり、聞き方・味わい方の基本的な条件や基準を明らかにするなどがたいせつである。

3 聞くことは、目と耳とともに働く場合が多い。劇や映画の鑑賞において特にそうである。これに反して、放送や再生音の聴取は、まったく耳だけの働きである。この場合には、ことばや音をとおして語られる場面や情景を空間的に視覚化することがたいせつであり、心眼で見るという趣さえ生じる。この指導にあたっては、聞き取ったところを絵にし、図に描いて、その正確さを確かめたりして、 より細かい聞き方・味わい方へ導くことが必要になる。

4 聞きながら、その要点をノートする。大事な点についてメモするなどの作業をさせることがたいせつになる。その結果を整理して、話を再生させたり、作文させたりすることも必要であろう。聞くことを聞くことだけに終らせることは、望ましい学習形態ではない。

5 聞くことの能力は、すべての教科の学習成績に影響するところが多い。国語科の教師は、他の教科の学習を参観したり、他の教科の教師の助言を得たりして、学級差や個人差をより精密につかむ努力を怠ってはならない。聞くことの好ましい習慣・態度を身につけさせることは、すべての教師の責任と言わなければならない。しかしながら、聞く力、読む力など、ことばによる学習能力を高めることにおいて、国語教師は進んでその責任の大半を負わなければならない。