(三) 高等学校生徒の聞くことの実態  聞くことの学習計画を立てるためには、生徒がどんな話に喜んで耳を傾けるか、その聞く力はどうか、そのときどきの態度はどうかなど、聞く生活の実態をじゅうぶんに調査することが必要である。 〔高等学校の生徒はどんな内容の話に興味を持つか。〕

1 生徒たちの中心話題を知ることは、聞くこと、話すことの学習計画を立てる上に、きわめて重要な意義を持っている。それには、

イ 生徒どうしの自由な談笑・会話を、側面から、または直接仲間入りして聞き、その話題を集めてみる。

ロ 右の話題を分類し、質問紙法によって、最も興味ある話題を選んで答えさせる。

ハ 生徒が主催し、または出入りする講演会・討論会・研究発表会などの題目や内容を知り、かつ聴衆の反応を観察する。

ニ ラジオ放送の聴取状況を調べ、その興味をいだく題目を知る。

など、観察と調査を綿密に行うがよい。その際、男女差・学年差、交友の関係、グループの性質などをじゅうぶん考慮に入れなければならない。

2 高等学校生徒の話題は、きわめて広い。 イ 今までは女子は男子に比べて、身辺的、家庭的で、社会的、国家的な関心が薄く、時事問題に対しても、概して興味をいだかなかった。けれども、それは男女によって教育課程が違っていたからであった。これからは、男女が学校で同じことを学び、女子の社会的関心が広くなり、等しく公共のことに興味を持つようになるであろう。

ロ 求知心・好奇心が非常に強く、珍奇、清新、異常なニュースに耳を傾ける。

ハ 国家・社会・世界へと話題が広がっているけれども、自分の生活範囲内のそのときどきの人物・事件・消息により多く興味を持つ。

ニ 実際的、現実的、具体的な内容を喜ぶとともに、理論的、抽象的、架空的な内容にも興味を持つ。

ホ グループとして見ても、ある程度の分裂が見られるが、個人としても相反する二面を持ち、内的生活の不安定を語っている。にぎやかなこっけいな話に耳を傾けるとともに、静かな内省的な面も見られるなどである。

ヘ 形式的な教訓的な話のくり返しには、興味を持たない。したがって、とおり一遍の訓戒などは、話として軽く聞くだけで、これを行動に移す意欲を起すことは少ない。聞いてわかったことと、実行することとは、別物であることを注意しなければならない。

 高等学校の生徒は、話のおもしろみがわかるので、巧みに構成された話には耳を傾ける。一般に、変化のある、発展し飛躍する話ぶりに興味をひかれる。性急な面があって、持ってまわった話ぶりを好まない。経過を楽しむよりも結論を急ぐ。したがって、初めから結論のわかっているような話には耳を傾けない。

 高等学校の生徒は、中学校の生徒に比べると、その生活領域が広く、社会面との接触も多いから、かれらの楽しむ話題も、一団として拾ってみるといろいろさまざまであるけれども、ひとりひとりについて見ると、生活や学業や趣味に関係するものに限られる傾きがあって、必ずしも広いとは言えない。

 ジャーナリズムの影響を強く受けているので、政治・経済から、スポーツ・映画・文学に至るまで、共通の話題となりうるものの範囲は、必ずしも狭くはない。

〔高等学校の生徒の聞く態度はどうであるか。〕

1 一方的に聞く場合の態度は、相当よくできている。長い話でも静かに落ち着いて聞くこともできる。共嗚して聞き、ときにうなずいたりもする。

2 大ぜいで話し合う場合の聞く態度は、必ずしもよいとは言えない。公式の不慣れの場所では、かたくなり過ぎて不自然な落ち着きのない態度を示すことが多いとともに、知り合ったどうしの場合には、自己中心に語ることに忙しくて、静かに聞く、意見の異同や流れを聞き分けるなどの心構えや態度ができていないのが多い。

3 未知の人との話合いや、異性を交えた話合いなどでは、妙にはにかんだり、聞くべきときに聞かなかったりして、なめらかな進行を妨げることもある。

4 開く態度については、学校内の平常の場合のほかに、家庭においてどうであるか、対社会的な場合はどうであるかを知る必要がある。

 他の教師や父兄、地域社会の人の助言を得て、一般的および個人的な傾向や欠陥を調査して、治療的な計画を織りこまなければならない。 〔高等学校生徒の聞く能力はどうであるか。〕

1 ノートを取る、メモを取るなど、記録する習慣はできているが、その反面、書くことに忙しくて、全体をまとめて聞くことを忘れたり、論旨の発展をたどることをしなかったりして、その場でじゅうぶん理解しないような場合もある。

 記憶に長じているから、興味をもって熱心に聞いたことは、よく覚えている。しかし、講演やある文を読み聞かせた後に、その内容について問答したり、筆答させたりしてみると、次のような欠陥が現れる場合が多い。

イ 注意が持続しないために聞きもらしがある。

ロ 注意が行きとどかないために、大事な点とそうでない点とを聞き分けない。

ハ 部分的な興味にとらわれて、肝心の論旨をつかんでいない。

ニ 論旨の発展をたどらないで、ひとりがてんに陥っていることがある。

ホ 長時間の講演などは、まとめるだけの力が欠けている。

へ 時聞の流れに従って、順序立ててつかむことがふじゅうぶんである。これは注意力や記憶力に関係がある。

ト 感情的な好悪が相当強く影響して、大局的な、相手に対するじゅうぶんな理解の上に立った批判的な聞き方ができない。

2 話合い・討論などでは、次のような傾向が見られる。 イ 「聞く」から「話す」へ、「話す」から「聞く」への急速ななめらかな移りが、じゅうぶんにはできていない。

ロ 感情的になって、これを態度や音声に露骨に表わしてしまう。静かに、同情的に聞くことを忘れ、相手の発言を途中でさえぎるようなことも見られる。

ハ 聞く一方、話す一方に分れ、会のメンバーとして、その進行や責任分担に無関心な者も多い。

ニ 意見の異同や、それぞれの立場を聞き分けることが、じゅうぶんにできるとは言えない。

ホ 真剣に聞き、真剣に考えて、自分の意見なり主張なりを発展させる熱意を示さず、なげやりな無責任な聞き方をしている者がある。

へ 司会者として、指導者として、会を進めるための細かな聞き方がじゅうぶんでない者が多い。

3 朗読・劇・映画など話しことばの鑑賞力については、次のような傾向が見られる。 イ ことばの抑揚や、表情、身ぶりとことばとの相関など、その適・不適、自然・不自然、じょうず・へたと、かなり敏感に聞き分ける。

ロ そのおもしろさに対して、早く反応できる。

ハ その空気の中にとけこんで、自然なゆとりのある態度で鑑賞できる。

ニ ユーモアがある程度わかるけれども、ことばの陰影や含みは、まだじゅうぶんに聞き分けることはできない。

ホ 批判的精神がふじゅうぶんなため、低級卑俗なものにも、すぐ共鳴し、安価な賛辞を呈することが多い。

へ よいものと悪いものとを、今までの経験や練習によってただちに聞き分けるけれども、これをはっきり分析するほどに、綿密な鑑賞はできない。