三 読むこと

 

(一) 中学校における読むことの学習指導の意義 〔中学校における読むことの学習は非常に広くなった。〕  以前の国語教育では、教科書の読解に中心がおかれていた。ところが、今日、読むことはわれわれが目に触れるあらゆるもの、新聞・雑誌の類から、広告・掲示・ポスター・手紙など、およそ文字に表わされて目に触れるすベてのものを読んで、実生活上の用をたし、文化的生活に発展させていかなければならない。これからの国語教育では、これら多くの価値ある資料を、学習の中にとりこむようにしなければならない。

 以前は、おとなの立場から第一級と考えられる文学的作品が重んじられて、生徒の興味や能力に合わない高い程度のものを精読探究するという技術が中心であった。しかし、読むというのは、娯楽のため軽い読み物を読むとか、ある調査のため必要なところだけを読みとるようなことをも含む、広い働きである。

 したがって読むことの学習は、内容を読み解くということにとどまらず、書物をどのようにして選ぶか、読んだことをいかに役だてるか、書物を扱う望ましい態度や習慣をどう伸ばすかなどの基本的な内容を持たなければならない。この基本的な線は中学校において、ぜひとも習得しなければならない。

 しかし、文学の楽しみを知ることももちろんたいせつなことであって、これによって民主主義の教育が目標とする教養を高め、情操を養い、個性を伸ばすことが必要である。

 したがって、小学校で得た基本的な読書力をさらに伸ばして、書物や新聞・雑誌その他の正しい、効果的な利用、すばやい着実な読解の能力を高める必要がある。

 教養と娯楽のためには、広く古今東西のよい読み物に接し、思想を練り、趣味を高め、書物をとおして、それぞれの人生観を持つ上の助けとしなければならない。

〔読むことの学習指導は、広い計画を持たなければならない。〕  右に述べたように、読むことの学習の仕事はずいぶん広いから、その目的を達成するために読むことの学習指導は広い計画を持たなければならない。読書を楽しむとか、よい本と悪い本とを見分けるとかは小学校でも目標としてきたことで、それはある程度達せられたのであるが、それをいっそう高めるとともに、もっと広い各種の技術を身につけさせなければならない。

 小学校で身につけた文字や語句の理解力にとどまらず、語句の使い方、文の種類や構成などにも知識・理解を持つことが必要である。書かれた内容によって、それらは一々違うことを理解し、各種の表現に慣れるようにならなければならない。

 内容をすばやく読みとって行く技術を伸ばさなければならない。辞書や参考書を利用するときなど、必要なところを、すばやく的確に拾い読みする技術もつけなければならない。

 論理的な筋道をたどって、まとめながら読んでいくことも、中学生に必要な力である。全体をまとめて読む力には、小学校よりもいっそう重点をおかなければならない。

 そのほかに、古典などのような特殊のものを調べる技術、文学のいろいろの種類の材料に即する読みの技術、外国文学の読解などがあり、正しい表記法や、字体や、カタログ・見本・時間表・辞典・字引、特定の印刷物の使用についての技術を身につけるような学習が計画されなければならない。