二 話すこと

 

(一) 中学校における話すことの学習指導の意義  民主社会においては、人々が相互に思想や意見を通じ合うことが、何よりたいせつなことであるが、その手段として日常最も普通に行われるのは話すことである。近来交通通信機関の普及発達とともに、人と人とが直接ことばをもって交渉し合うことがいっそう多くなったので話すことの学習は、いよいよ大事に考えられるようになったのである。われわれはこの民主的な手段をじゅうぶん身につけていないので、国語教育でぜひ重点をおいて指導しなければならない。 〔話す力は中学校において、じゅうぶん伸ばさなければならない。〕  話すことの学習は、小学校からかなり熱心に指導されている。しかしながら、生活に即する技術は中学校の学習で最も効果的に習得されるものである。なぜならば、成長するにつれて人に向かって話す機会はずっと多くなり、各種の実生活の場面に場慣れもしているからである。話しことばに対する反省をして、それを改善しようとする意欲も強くしなければならない。

 話す技術とは、どうしたら相手に効果的に思想や意見を伝えられるかということである。これは、種々の社会的場面で人と話し合う必要が増し、相手をしだいに意識してくる中学生時代に適当な目あてになる。

 中学校の国語教育では、実生活に必要な各種の話す場面にじゅうぶん慣れておくことがたいせつであるから、生活に必要な会話は、国語教育の面でたいせつな問題なのである。中学校を出たら、実社会の成人とじゅうぶんに応待できなければならないのである。

 ことばづかいは、職業的分野や日常の生活などでたいせつであるばかりでなく、文化的生活を高めるような表現が必要である。また中学生は自我意識が強く、ともすれば、狭い話題にとどまりがちな、また主観的な浅い話しぶりになりがちなころであるから、学習指導計画の際、特にこのことを注意しなければならない。

〔話すことの学習は、聞くことの指導とあいまって計画されるべきである。〕  どんな話も、聞く人なしには行われない。したがって、相手に応ずる話ぶりがいちばんたいせつなことである。話しながらいつも聞く人を考慮させることが指導法の眼目ともなるのであって、話すことの学習内容は、前節の聞くことの指導とあいまって決められる。特定の実際的場面に即する指導計画を立てることは、中学校にとって特にたいせつなことである。従来、話し方の学習は、孤立した独話の指導が中心であったが、今後は、話すことを、相手に聞いてもらい理解してもらうことと考えて、生きた話の場面を重んじていく。

 このように、話す技術はその聞く人への反響を考え、反省したり、評価を受けたりしてくふうすることによって向上するのであって聞くことを伴わない、孤立した話し方の練習を計画しても、基礎的な練習の意義は持つが、生活に即しない、効果の乏しい学習になってしまうのである。