付 録

 

一 中学校・高等学校の生徒の漢字と語い

 

 中学校は義務教育を終る段階である。中学校の卒業者としてどれだけの数の語いを持っていなければならないか、どういう語とどういう語とを知っていれば、新聞を読んだり、公の文書や掲示を読んだりするのに苦労しないかということについて、まだ、じゅうぶん信頼しうる研究調査がない。高等学校についても同様、調査したものがない。

 だから、中学校・高等学校の国語教科書の編集者は、中学校の卒業生としてこの語は必要あろう、高等学校の卒業生としてこれくらいの語いは持っていなければならないであろうという見識と経験から語句を選び、語句を配当してきた。教師も、同様、自分の見識と経験に基いてこれに協力してきた。

 われわれが話したり、書いたり、読んだり、聞いたりするときに使っている語には、重要度の違いがある。ある語は広くあらゆる場面において、非術にたびたび使われる。そういう語は生活上重要であり、学習上も価値が高い。ある語は、使われる場面も少ないし、そこに出てくることもまれである。また、ある語は、場面は局限されているが、その範囲内ではたびたび使われる。

 日常生活において、使用範囲が広く、その使用度数も多い語を基本語といい、そのような語を千語とか三千語とか一万語とか集めたものを基本語いという。これについては、国立国語研究所ですでに調査に着手しているようであるから、それが完成すれば、中学校高等学校生徒の学習すべき語いはどのくらいで、それはどういう語とどういう語であるべきかということについて、一つの確実な手がかりが得られることになる。現状では、こうした基本語という考えを頭の中において教科書を作り、学習指導をしていくべきである。

 漢字については、当用漢字一八五〇字とその別表八八一字とが制定され、新聞紙にも実施されている。

 われわれは、本書の第一章において、中学校では当用漢字別表のいわゆる教育漢字が完全に読み書きでき、なおそのほかの重要な漢字が読めるということを目標の一つとした。また、高等学校では当用漢字一八五〇字が全部読めるということを目標の一つとした。

 中学校の、別表以外の重要な当用漢字とは何と何であるか、全体で何字になるかということについて、ここに具体的に示すことはできない。漢字の学年配当は当然、その漢字を使った語いの配当にまで進まなければならない。われわれは、中学校・高等学校各学年に一々の漢字を配当するだけの研究調査を持ち合わせていない。

 ただ、われわれは、国語教科書の漢字負担および語い負担が過重であってはならない、そうかといって軽すぎては学習にならないが、適正なものでなければならないということだけは、はっきりということができる。

 国語教科書の一ページがたとえば八〇〇字あるとして、その中に何字まで知らない漢字があってもよいか、知らない語が含められていてもよいかは、その内容にもよることで、一概には決められない。けれども、どんなに興味ある内容であっても、毎ージ十字以上も知らない漢字があり、十語以上も知らない語句があっては、自分の力で読むことができない。教師としても、その学習指導に非常に困難する。その学習は労力が多くて効果があまり上がらない。生徒が自分の力で自発的に読んでいくということがたいせつであり、むずかしいものを少し読むよりもやさしいものを多く読んでいるうが、読む力を強め、読む速度を増すものである。

 一ページに何字知らない漢字があるか、知らない語句があるかということは、個人個人によって違う。国立国語研究所第四研究室の調査報告によれば、現行の中学校の検定教科書のある章について、ある学校のある学級で、漢字負担は一ページ平均六・三字であり、語い負担は平均七・四語であるが、この中には教科書がほとんど全部読めて、各ページに知らない漢字はほとんどないという生徒と、毎ぺージだいたい十字以上読めない漢字があるという生徒とがある。

 この統計から見れば、この教科書のこの章は、この学級の二、三の者には適するが、他の大部分の生徒にとっては困難である。負担が過重である。そうして、過重な語い負担や漢字負担は遅進児をさらに遅らせるということになる。

 国語教科書の編集者は教科書の語いと漢字の提出を適正にすることに気をつけるべきであり、教師としては、個人個人について適正な補強や指導をしていかなければならない。