1 教師が評価する
児童の音楽学習の評価は,まず児童の学習指導の直接の立案者であり,責任者であり,かつ指導者である学級担任教師がこれを行うのが普通であろう。ただし音楽の授業が学級担任以外の教師,あるいは音楽科の専任教師による場合は,主としてその教師による。しかしこの場合も,それは学級担任教師と共同で評価されることが望ましい。なぜなら児童の音楽活動は,音楽室や規定された音楽の時間のみになされるとは限らないし,また児童の音楽への欲求とか興味などは,かえって音楽の時間以外の生活に多く現れがちであるからである。
これからの音楽学習の場が,朝の集会・学芸会・運動会・音楽会・遠足・リズム バンドなどに広げられてくると,児童の学習評価は必ずしも学級担任教師や音楽科担任教師に限るということはできない。担任以外の教師も進んで評価に参加すべきであって,特に学校全体の音楽計画,あるいは音楽活動,すなわち学校としての音楽科教育課程や,音楽会・全校合唱の評価は,音楽担任の教師のみならず,学校長が進んでなすべき性質のものである。また,指導主事はその立場上,広い地域的な観点から,あるいは専門的な観点から,学校の音楽学習の全般にわたって評価し,指導と助言を与えることが望ましい。
2 児量が自己評価をする
児童みずからによる積極的な自発活動が尊重される今日の教育においては,児童はみずからはっきりした具体的な形でその学習活動の目あてを知り,その目標に対して自分としての最も効果的な学習計画を立て,かつ実行しなければならない。このためには自分みずからの学習を評価して,その学習における長所や短所を知って,その学習活動を改善していく意欲が必要である。もちろんこのような評価については,教師は絶えず指導し助言することが望ましいし,また,このようなことは児童の発達の段階に応じてなされなければならないことはいうまでもない。
たとえば,低学年の児童に,マーチに合わせて打った2拍子のリズムが,じょうずにできたかどうかを反問する形で評価させるのもよいし,また高学年のある時間においては,その時間の器楽技能学習の目標を児童に理解できるようにはっきり示して,その時間の終りに各自がどれほどその目標を達成できたか,またそのできぐあいはどうかを演奏させて,評価発表させることも一つの方法である。
こうすることによって,児童は単に盲目的な学習を行うことなく,どうしたら目標を達成できるか,どうしたら目標への障害を排し,自己の短所を補って効果的な学習ができるかを児童なりに考えるであろう。そこに自発学習が生れる。このように,児童による自己評価は,それ自体教育的意義があるのである。同じように児童相互の評価が考えられる。
しかし,前述したように,児童による自己評価には教師の指導がたいせつで,それらに対する教師の評価もまた必要なわけである。
3 父兄や社会人による評価
これからの音楽教育においては,その活動が学校生活の全体に広められるばかりでなく,家庭生活やその地域社会の生活にまで活用されることを期待している。そこでは児童は教師や級友を離れて家庭や社会の中にあるわけであって,そこに家庭人や社会人の児童の音楽活動についての評価が望まれるわけである。
ここでは教師の知らない児童の学習の姿や,第三者による学校の音楽指導の評価が行われることによって,学校における指導上大きな便宜がえられるばかりでなく,このような評価を通じて家庭や社会の学校における音楽学習への関心を深めることにもなるのであって,今後の学校のあり方としてもまことに望ましい姿でもあろう。