Ⅰ 評価の意義とその重要性
音楽教育の指導過程において,児童の学習活動がその目標に合致しているかどうか,また,どの程度に進められて望ましい効果を収めているかということは,教師にとっても,また児童自身にとってもきわめて重要な事がらである。なぜなら,それを確かめることによって,教師は確信をもって次の学習計画を立案し,是正し,かつ指導を進めることができるし,児童はまた自信をもって次の学習にのぞむことができるからである。そしてそれらは音楽教育全体の大きな目標についてのみならず,各学年毎日の具体的な学習の目的について,常にこのような評価が裏づけされて進められなければ,効果的な学習指導は期待されない。
従来行われた音楽の考査や測定についての反省
従来の教育においても,学習した結果の判定は考査や測定の形で行われてきた。しかしながら,これらを新しい意味の教育という立場からふり返ってみると,そこにいろいろの欠陥やふじゅうぶんな点があったことを見のがすことができない。次にいくつかの事がらについて反省してみよう。
従来の考査や測定においては,その方法や採点法(たとえば標語の表わし方)が必ずしも客観的に科学的に行われず,同一教師においてもそこにかなりの差が見られ,教師や学校が変ればなおさらのことであったことは各科とも同様であるが,特に音楽のような芸術に関する教科においてはこのような傾向が強かった。もちろんこのような教科はその性質上,すべての面にわたって客観的な,数量的な,また科学的な考査や測定を行うことは非常に困難なことであり,またある面については不可能に近いいとさえいえる。しかし,だからといって音楽の考査が1学期にただ一度,児童に歌わせるだけで,教師の主観による採点に任かせられてよいということはできない。歌唱についての考査であっても,その教師個人の歌い方に対する好みに偏することなく,音程の上から,音色の上から,発声・発音・表現など,あらゆる角度から科学的な方法によって行われて,はじめて客観的な考査ということができる。
2) 技能や知識の記億に偏していたこと。
従来の考査においては,どの教科にあっても技能や知識の単なる記憶に重きを置く傾向があった。音楽においても音楽に関する知識,たとえば楽典・記号,作曲者の逸話・伝記,楽器に関する知識などや,歌唱の技術のみに重点が置かれる傾向があった。もちろんこれらの考査や測定は,重要な資料でありたいせつなことではあるが,音楽教育の目標はそれだけでじゅうぶんであるとはいえないし,それだけが望ましい程度に達成されていても,児童の社会人としての音楽経験の向上は期待できない。音楽をどのような態度で聞き,どのように楽しんで演奏するか,どんな音楽学習に興味を持つかなど,広く児童の音楽経験の姿を測定し,考察し,それを背景として効果的なより良い指導が進められなければならない。
3) 児童の各個人を主にした評価がじゅうぶんでなかったこと。
従来の教育は画一的な教育であったといわれる。したがってクラス,あるいは学校の児童全体をいかにして同じように向上させることができるかという点に力が注がれたために,クラスの中における各児童の能力がいかなる位置にあるかという意味の考査や測定が主とされる傾向があった。しかしながら指導の大きな目的は,各個人それぞれの最大の能力を発揮させることにある。したがって全体の中における児童個人の位置を知るとともに,各児童としてどれだけ目標に近づき得たか,どれだけ進歩したかを知ることに力が注がれる必要がある。
4) 結果の処理がじゅうぶん行われなかったこと。
評価がじゅうぶん効果的に行われたか否かは,その考査や測定の結果がいかに処理されたかによる。従来の考査はとかく各学期末にただ一度,しかも成績簿に点を記入するためにのみ終る傾向はながったろうか。これは考査のための考査,採点のための考査であって,評価としてはその価値が乏しい。考査や測定は,児童の学習の姿を数量的な資料として教師に提供する。教師はその資料がいかなる経過によって生れ,いかなる性質をもったものであるかを考察し,これを基礎として次の指導計画を立案し,改良しなければならない。
新しい教育では,従来とかく考えられたように,国家や教師のみに中心がかたより過ぎた教育であってはならない。そして画一的な,あるいは固定された教科課程や教科書によって運営される学校であってはならない。児童とそれをとりまく社会,つまり児童の生活が学校教育の中心であって,常にひとりひとりの児童の個性と,その日々の発達の過程およびその背景となっている地域社会を科学的,客観的に見きわめた上に教育が行われなければならない。ここに個々の児童の差異に基いた指導の前提としての評価の重要性がある。そして個々の児童がどの程度教育の目標に合致して学習を進めているかを知るとともに,それによって教育計画や教育目標が児童の社会生活,児童の興味や欲求に合っているか評価され,それからの学習をより効果的にあらしめなければならない。従来の教育でもこのようなことはいろいろな形で行われてきたということはできる。たとえば熟練した教師は,児童の歌いぶりだけを聞いて,その児童の発声・発音などの歌唱能力,音楽についての理解の深さ,音楽への意欲などを知って,それからの指導法に改善を加えるというようなことは,大なり小なり行ってきている。ただ,それが特殊なよい教師にだけ行われたり,散発的であったり,あるいは教師の感じのみに頼っていたとしたら,それは真の教育的評価とはいえない。計画的に,全面的に,科学的に,客観的に,また,その方法も単なる考査ばかりでなく,特に音楽教育の場合,常に行われる観察などによって行われるところに,新しい教育における評価の意義がある。