Ⅱ 歌唱の指導法

 

1 歌唱指導の意識

 歌唱は児童の音楽経験の中心であり,音楽的な意欲を満足させる最も手近な道である。そして,それは人間の身体の一部である声帯によって行われる最も直接的な音楽活動でもある。

 母のひざにだかれる幼児も,まだよくまわらぬ舌で,聞き慣れた歌の一くさりを歌う。これが幼稚園から小学校時代になると,児童は自由に,心の向くままに伸び伸びと歌とともに遊び,そうした中に歌う喜びをみずから味わうようになってくる。こうした歌う生活から音楽教育の上でたいせつな「うたごころ」が養われ,ほかのいろいろな音楽活動とあいまって豊かな音楽経験が営まれていくのである。ことに低学年では,ほかの音楽活動も歌唱活動を基盤とし,関連してくり広げられていく場合が多いのであって,学校の音楽学習において,歌唱をいかに指導するかということは,児童の音楽経験の根底を作ることともいうべき重要な事がらなのである。

2 指導の方法

 ほかの音楽学習の指導も同様ではあるが,特に歌唱の指導はできるだけ自由な,そして楽しい学習であることが第一であって,ややもすると技術の指導,たとえば発声や音程練習などの指導のみに走って,児童にとって無味乾燥な学習に終るようなことは避けなければならない。楽しく学習するうちに,発達程度に応じて,徐々に技能の程度を深め,歌曲の美しさをはあくし,表現する能力を増していくことがたいせつである。

1) 楽しんで歌う態度をもたせること。 a 児童の音楽性に合った歌曲を与えること。

 たとえば,低学年の児童にはリズミカルなもの,日常生活にあるもの,しかもあまり歌唱技術を必要としない歌曲を与え,学年が進むにつれて旋律的なもの,和声的なもの技巧的なものに進んで,児童が無理なく楽しんで歌唱できるようにする。

b. 児童が現在どのような歌を歌いたがっているかという観点から教材を選ぶこと。

c. 適当な賞賛を与えること。

 児童の歌い方について音楽的に成功したとき,あるいは一曲の一部分についてよい表現なり理解ができたときは,教師はすばやくそれを取り上げて,適当な賞賛を与え,よい歌い方はどのようなものであるかを知らせるとともに,自信を与える。

d. よい歌曲をできるだけ多く教え,かつできるだけ暗唱歌とすること。

 歌が教室から学校全体へ,そして家庭にまで発展して,日常生活のおりに触れて自然に口をついて出るようにすることである。

2) いろいろな歌唱能力を育てること。 a 児童にふさわしい美しい声を育てる。

 声は生理的にいって,肉体という有機的な構造から生れるものであり,のどは,いわば生きた楽器である。

 教師は次にあげるような方法によって歌唱時における児童の声を美しくみがきあげるとともに,日常の会話・朗読等の生活語を美しく使用すること,のどの衛生に注意することに心がけさせることがたいせつである。次に美しい声を育てるにはどうすればよいか。その段階を示すと次のようになる。

 よい姿勢——よい呼吸——よい発声および発音 ○ よい姿勢

 よい姿勢とは,安定した自然な姿勢である。

 全身を垂直に保ち(ことに頭の位置がたいせつである),両肩を自然に落し,全身のどこにも無理な力を入れず,身体の重みを両足の上に平均にかけて,あまり緊張しない伸び伸びとした姿勢である。

 歌う姿勢は,立っているときを本体とし,いすにかけた場合も立った姿勢に準じる。

 すわっているときはいすのうしろにもたれたり,本を持つことによって姿勢がくずれないように注意する。

 さらにこうした外形とともにたいせつなことは,歌を歌うという心構えである。気持の上でしっかりした心構えを持つことがまた,逆に正しい姿勢を作り上げるもとになる。

○ よい呼吸

 歌うときのよい呼吸は,常に腹部でささえられる呼吸である。したがって息を吸うときはなるべく腹の底まで深く吸い込み,息をはくときも腹部で呼吸をささえなければならない。ただ,児童の場合,身体の発達がじゅうぶんでないから,いわゆる腹式呼吸のみによることは無理であって,上述のような注意で胸・腹全体で呼吸することになろう。ただ胸のみの呼吸はよくない。胸で呼吸する児童は,息を吸うとき肩を上げるから,注意すれば外見上からも発見される。

○ よい発声

 児童の発声は,だいたい頭声発声を主体として指導するのがよい。これはことさらに,のどで声を作ろうとするのでなく,軽く頭上に抜けるような気持の発声であって,特に,地声で高い声を張り上げたり,叫び声で歌ったりすることは,努めて避けさせなければならない。このためには適切な範唱によって要領をのみ込ませるとともに,よい発声の児童の模範唱を聞かせることも効果のあることである。この際注意して避けなければならないことは,首に青筋を作ったりして無理な力がはいったり,また,その指導の初期に強い声を期待したりすることであって,じゅうぶん児童がその要領を得てから鼻腔(く)に美しく響かせ,そして音域の拡張に努めさせることがよい。誤った発声法の2,3をあげると

 のど声……のどに無理な力のはいった,共鳴の全然ない発声

 鼻 声……鼻に抜けるような声

 ふるえる声……けいれんするようにふるえる声

 これらの声は自然の発声でなく,誤った発声であるから,適切な指導によってきょう正されなければならない。

○ よい発音

 発音の指導は,発声の指導と不即不離の関係にあるのであって,歌曲は,ことばを抜きにしては考えられない。

 発音の指導は,まず歌詞を明確に読むことから始まる。こうして正しい朗読から詩の内容のはあく——表現へと進んでいくのである。

 声音は,普通母音と子音に分けられる。

 母音……アイウエオの五つの母音をはっきりと,しかもきれいな発声によって歌い分けることが必要で,この場合,口の形・舌の位置がその基本となる。

 子音……口型の変化・運動に注意させて,母音と合わせてはっきりした発音となることがたいせつである。

 このように母音と子音に注意して指導するとともに一つの意味のあることばとしての美しい発音の指導も合わせて行う必要があろう。

 歌唱時は,平常の生活語の発音より,さらにめいりょうな発音を要求されるものであるから,じゅうぶんな指導が行われなければならない。

 よい発声・よい発音・よい姿勢・よい呼吸法などは,低学年からじゅうぶん興味ある指導法をくふうして行い,特に姿勢などは習慣として児童の身につけさせるようにするのがよい。

b. リズム感や音程感など,歌うための基礎的な感覚を正しく育てる。

 正確なリズム感や音程感は,まず教師の正しい範唱・範奏を媒介として,児童の直観力・記憶力に訴えて養われることが第一である。

○ リズム感

 リズム感の内容は,拍子感・節奏感・速度感に分けて考えることができるが,これらの指導は低学年においては一体のものとして直接感覚に訴えて,できるだけ身体的に,運動的につかませることがたいせつで,高学年になるにしたがって楽譜によっても理解し,また表現することができるように指導しなければならない。

○ 音程感

 音程感を正しく育てるには,およそ次のようなことがたいせつである。

 歌い出しの音をしっかり正しく歌うこと。

 歌詞や階名などで,歌曲の中の音程を記憶すること。

 楽器の範奏によつて音程を正しく歌うこと。

 楽器の伴奏なしに音階でいろいろな音程を歌うこと。

 楽器の伴奏なしに,グループあるいはひとりで歌うこと。

 音階の練習・終止形合唱の練習で,調子についての感覚を養うこと。

c. 各種の歌唱技能を養う

○ 歌い出し

 発声される前に息が漏れたり,また正くしない音高から歌い始められたりすることのないように指導する。歌い出しがはっきりしなかったり,歌い出しに常に音をり上げるのは,ともにその現れであるから,じゅうぶん注意してきょう正し,正しい歌い出しの指導をしなければならない。

○ 息つぎ

 休符以外の場合は,息つぎの記号の前の音符から,必要なわずかな時長をとって息つぎをする指導が必要で,その際は呼吸法に注意して,不自然な呼気のないようにする。児童は,ときどきいい加減なところで息つぎをするが,息つぎは旋律の構成や歌飼の内容によって正しい位置があることを理解させることが必要であろう。息つぎは普通(∨)または()の記号で示される。

○ レガートおよびスタカートの歌い方

 旋律のある部分に書かれた弧線(⌒)は,音をなめらかに歌う記号 スラー)であって,その間は音がきれないようになめらかに歌う。このような歌い方をレガート唱法というのであるが,この場合の高さがくずれてしまわないように注意しなければならない。

 スタカートは その反対に実際の音符の長さより短く 軽く切って歌うのであって,音符の上につけられる円点(・)または垂点()をもって示される。垂点()は円点(・)よりさらに短く,鋭く切って歌う。この際の呼吸は特に腹部でささえるように断続させて歌うことがたいせつである。

○ クレシェンドおよびデクレシェンド(またはディミヌエンド)

 crescendo(cresc.)またはの記号の書かれてある部分は,声の量をしだいに増し,decrescendo(decresc.)やdiminuendo(dim.)またはの記号のところでは,声の量をしだいに減じる。この際も腹部で呼吸をささえる気持たいせつである

○ フェルマータ(),リタルダンド(ritardandoまたはrit.)および,ア テンポ(a tempo)

 いずれも歌曲の途中における一時的な速度の変化を示すものである。()のつけられた音符は,普通より長く,rit.ではしだいに速度をゆるめ,atempoでは本来の速度にもどる。これらはその楽曲が曲想上要求するものであるから,教師は楽曲の全体について,その速度をあらかじめ研究しておく必要がある。また,児童にも曲想の流れからの必然性を理解させるようにする。

d. 合わせて歌う能力を育てる。

 歌唱では次のような活動において合わせて歌う能力が養われる。

 せい唱・輪唱・合唱(または重唱)・伴奏との関係・指揮との関係。

 合わせて歌う能力を養うために,教師は次の事がらに注意し,発達段階に従って児童にも徐々にこのようなことを意識して歌うように指導する。

○ 拍子・リズム・速度・音高・息つぎなどによく気をつけて合わせる。

○ レガート・スタカート・リタルダンドなどの曲想の要求するいろいろな技巧に気をつけてそろえる。

○ ハーモニーの響きを美しく合わせる。

○ 発音をそろえる。

○ 曲の表情をある程度そろえる。

○ 伴奏をよく聞いて合わせる。

○ 指揮によく従い,指揮者の要求する曲想に合わせる。

 特に合唱は,ハーモニーの調和がたいせつであるから低学年から,和音に対する感覚を育てることはたいせつであって,和音聴音や和音合唱などによって,一個の和音ばかりでなく,終止形などによる和音相互の機能に対する感覚を得させることが必要である。

 また,輪唱曲を数多く取り扱うことは,旋律に対する感じと合わせて,和音感覚の養成に非常に役だつ。

 合唱曲の指導にあたっては,児童の場合は,おとなと異なり,固定した声部がはっきりしていないから,だれもが,どの声部も歌えるようにしておくことがよく,歌う児童はお互にほかの声部を聞き,ハーモニーや旋律の進行を味わいながら歌うように努める。このためには常にクラスの全員が歌うばかりでなく,グループで歌って聞き合ったり,伴奏なしでも合唱したりして,児童自身の耳の力を育てることがたいせつである。

e. 読譜能力を育てる。

 読譜能力を分析してみると,およそ次のように分けることができる。

  楽譜を見てリズムを表現する能力

  楽譜を見て高さを表現する能力

  楽譜を見て和音を表現する能力

  楽譜を見て諸記号を表現する能力

 上のように読譜の能力は,感覚および楽典についての知識のさまざまな力の総合されたものである。したがって,その能力を育てるためには,上の個々の力を漏れなく育てなければならない。そしてそれは歌唱指導の場合だけでなく,器楽や創造的表現活動においても指導が行われるのであって,特にリズム合奏においては,リズムを読む力,表現する力が養われ,創造的表現活動においては,リズムはもちろん,音程感がよく確められる。歌唱指導においては,これらの総合された能力を養うことになる。

 楽譜に関する新しい事がらの一つ一つについては,単に知識として理解させるばかりでなく,直接耳に訴え,その楽曲に即して指導することがたいせつである。

3 指導上の注意
1) 範唱について。

 教師のより深い音楽的な教養から生れる範唱は,児童に音楽の美しさを端的に味わわせる動機となり,そこにすぐれた指導が行われる結果となる。したがって指導に先だって,教師自身あらかじめじゅうぶんに研究と練習をし,その歌曲の美しさをはあくして学習指導の場に望むことがたいせつである。範唱はめいりょうな発音で曲の内容をじゅうぶんに生かして歌う。教師の範唱ばかりでなく児童相互の模範唱を行ったり,レコード・ラジオでよい歌を味わわせることも,きわめてたいせつな方法である。

2) 人の歌うのをよく聞く態度を養うこと。

 よりよい表現をするためには,よく先生や友だちの歌うのを聞くことがたいせつであって,歌唱の指導においても,聞く態度を養うことはきわめてたいせつである。

3) 歌唱活動の機会について

 歌唱は教室や音楽室で行うばかりでなく,全校合唱の機会を朝礼や集会などの場合設けたり,合唱隊を組織したりして,より広く,またより深い音楽経験の場を作ることは,音楽を生活に生かし,またより深い音楽の美しさを味わわせるよい方法である。

4) 特殊な児童の指導について。

 歌唱指導上特殊な児童,たとえば音感の鈍い児童,あるいは音声障害(しわがれ声)の児童は,じゅうぶんな愛情をもってなされなければならない。医師の指導とあいまって,教師の細かい注意と親切な指導によっては救われる場合もある。