Ⅰ.算数についての学習指導の改善

 算数についての学習指導で,どんなところを,どんなに改善したらよいか。

具体的な方法は,具体的なねらいで定まる。

 

Ⅰ.算数についての学習指導の改善

算数についての学習指導で,どんなところを,どんなに改善したらよいか。

 

1.学習指導計画の改善

学習指導計画を改善していくには,どんなところに目をつけたらよいか。

 ここでは,算数科の指導計画を改善していくには,どんなことに注意したらよいかを考え,その目のつけどころのおもなものをあげてみることにする。

 

 (1) 計算の指導計画について

 算数の指導では,計算が正しく,しかもはやくできるようにしようとして,大きな努力が払われている。これは,もっともなことで,算数の指導で,計算がじょうずにできることは,きわめてたいせつなことだからである。

 ところが,こどもの中には,紙の上や,そろばんの上で,形式的な計算ができても,どうしてそのように計算してよいか,どんな場合にどんな演算を用いればよいかなどがわからないでいる者が案外に多い。これは,計算のしかたを形式的に教え,すぐに機械的な反復練習に移ることに,指導の重点が置かれていたためではないかと考えられる。たとえば,12×8の計算を教えるのに,これを単に,12の8倍を計算するためのものであるとして,すぐに,形式的に計算の方法を教えるような方法がこれである。

 しかも,続いてこの種の形式的な計算問題を多く練習するという,指導の形式がとられるのである。

 12×8を指導するためには,次のようなことが考えられなければならない。

 〇この計算は,「1個が12円のリンゴを8個買ったら,代金はいくらになるか。」というような,具体的な問題の解決に必要であること

 〇上のような具体的な問題を解決するためには12円を8回加えあわせなければならない。この手続で

 ために,上のかけ算が必要であること

 ところが,これらのことについての指導がふじゅうぶんではなかったかと考えられるのである。

 さらに,12×8の計算の形式を指導するときに,次のようなことがとりあげられなければならない。

 〇12の左にある数字の1は,ただの1ではなく,十の位の1であるから,10個のかたまりが一つあることを示していること

 〇1×8を九々で唱えて,10個のかたまりが八つあることがわかり,さきに繰り上がってきたものと合わせて,10個のかたまりが9個になるから十の位に9と書くこと

 〇九々では,被乗数と乗数とを取り換えても,その積の変わらないことから,2×8を,8×2,1×8を8×1とすれば,8の段の九々だけですますことができること

 ところが,実際の指導では,筆算をするときの一つ一つの手続を,こどもたちが理解するまでに指導することが,ふじゅうぶんではなかったかと考えられるのである。

 これらのことを反省して,計算についての指導では,次のようなことに心がけて,計画をたてることが必要である。

 〇計算のもっているはたらきを理解すること

 〇計算の手続の一つ一つの意味を理解すること

 〇どんな場合にどんな演算を用いればよいかを理解すること

 〇どうしたら計算が正確にできるかを理解すること

 いうまでもなく,計算の練習もたいせつであるから,これを忘れてはならない。この場合に,むだな反復練習をしないように計画をたてて,有効な練習ができるようにしたいものである。

 

 (2) 役にたつ算数の指導計画について

 学校で,数学をひととおり習い,また家計簿のつけ方も習った主婦でありながら,自分の家の家計簿をつけることをひどくきらったり,電気やガスのメーターを読んで使用計画をたてることを忘れたりして,月末になってあわてる人が案外に多い。このように,算数に関する知識は相当にもっていながら,これを自分の当面している問題の解決に適用して,自分の生活を向上させようと考える人は案外に少ない。

 これは,今までの算数についての指導が,計算のための指導や,教科書にある問題を解くための指導にとどまっていたためではあるまいか。

 算数の社会的なはたらきを指導して,これを生活改善に使おうとする意欲を,態度にまで高めようとして指導されなかったためではないかと考えられる。

 算数の社会的なはたらきをじゅうぶんに考え,こどもがものごとを数量的にとらえ,数量的に判断し,数量的に実践する態度を育成するように,指導計画を改善していきたいものである。

 

 (3) 算数のきらいなこどもを作らない計画について

 これまで,算数について指導することが,こどもにとって,むずかしすぎたり,抽象的でありすぎたりするようなことがあった。このようなことでは,こどもはいつも失敗ばかりくり返していて,成功の喜びを味わうことができない。こうして,こどもは自信を失ってしまい,算数のきらいなこどもが大ぜいできてしまった。

 また,こどもの個人差についても,じゅうぶんな考慮が払われていたとはいえない。よくできる特別なこどもだけが成功し,多くのこどもは失敗ばかりくり返して,算数がますますきらいになるということもあった。

 こどもがどの程度の経験や能力をもっているか,どんなことに興味をもち,必要を感じているか,また,これらのことが,こども各自についてどんなに違うかなどについて,じゅうぶんに研究をして,指導計画をたてるようにしたいものである。

 また,指導しようとする事がらは,できるだけ具体化し,どのこどももそれぞれの個性に応じて,ある程度の成功をおさめながら,喜んで学習できるように,指導計画をたてるようにしたいものである。

 

 (4) 指導計画改善のためのテストについて

 これまでのテストは,採点して,こどもに品等をつけたり,序列をつけたりして,これをこどもの家庭や上級学校に通知することばかりに使われる傾向があった。たとえば,定められた時間のうちに,多くの計算問題を解くテストをたびたび行うと,こどもは少しはまちがってもよいから,なるべく早く計算できるように努めるようになる。このようなことでは,計算で最もたいせつな正確さが軽んぜられ,験算などはしなくなってくる。これでは,こどもが,自分の真の興味や必要から学習するのではなくて,評点のために勉強することになる。教師はこどもを指導するときに,その指導が各こどもの成長発達を助けるのに,ほんとうに適切であろうか,指導した結果,はたして望ましい方向にこどもが成長発達したであろうか,これは教師として最も関心をもたねばならない事がらである。

 また,こどもも自分の学習によって,どれだけ進歩したかを知りたいはずである。テストを教師の側から見てのねらいは,テストによって,自分の教育効果を知り,こどもの実態をつかみ,指導計画がこどもに適切なものとなるように改善し続けていくことにある。こどもの品等や序列をつけるところにあるのではない。

 また,テストをこどもの側から見てのねらいは,テストによって,自分の学習効果を知り,学習計画を改善し続けていくところにある。

 これを要するに,教師の立場からすれば,指導計画を改善するためにテストを行い,指導計画を改善していきたいためである。

 

2.指導内容の改善

指導内容を改善していくには,どんなところに目をつけたらよいか。

 ここでは,算数科の指導内容を改善していくには,どんなことに注意したらよいかを考えて,その目のつけどころのおもなものをあげてみることにする。

 

 (1) 指導内容はどんなものを含むか。

 算数科の指導内容とは,数・計算・測定・形などの知識のほかに,それらのもとになっている概念や法則などの意味,算数で使う用語や記号の正しい意味とその使い方など,多くの理解事項も含んでいる。さらに,計算や測定などを,手ぎわよく行うための技能とそれらを具体的な問題の解決に適用していく能力,いつも正確,的確,能率的に処理しようとする態度なども,指導内容に含まれている。

 

 (2) 指導内容をこどもの程度に合わせる

 指導内容は,その内容を順に追って学習していけば,自然に,これを用いていく能力が伸びていくようにくふうして作られなければならない。これは,ずっと前から,理屈の上ではいつも主張し続けられていたことである。

 しかし,こどもの算数についての能力の発達の様子をじゅうぶんに研究することが,きわめてむずかしいので,実際には,無理な内容を学習させたり,通るべき重要な途中の過程を抜かしたりなどして,こどもを困らせることが多かった。このようになると,こどもの理解が,指導内容の発展に伴っていないので,当然の結果として,形式的な計算や測定の方法を授け,これをこどもに暗記させるようになってしまう。

 指導内容の一つ一つについて,これに関係するこどもの経験を研究したり,また,これをこどもが研究するときの困難さも研究したりして,こどもの心身の発達と,その学習の困難さとが,うまく合致するように,指導内容を準備したいものである。

 

 (3) こどもにふさわしい理論系統を作る

 数学という学問が,非常に理論的系統的な学問であるためか,小学校においてさえも,とかく数学における理論の系統を,重視しすぎる傾向があった。たとえば,数えることがすんでから加法に進み,それがすんでから減法に進む。また,整数をすませてから小数,小数をすませてから分数というような考え方が,それである。

 ところが,こどもは自分の興味や必要に従って,自分の身のまわりにある具体的な事がらから,学習の目標を定めるものである。初めから,学問的な理論や系統などを考えて学習するものではない。1年生の時でも,半分とか,半分の半分,即ち四半分とかなどの分数の意味がわかったり,使ったりすることができる。また,10までの範囲で,加法と減法とがいっしょにできたりする。

 したがって,小学校では,数学の理論や系統にあまりこだわらないで,こどもの身近な具体的な事がらによって学習を展開して,そこに自然に,こどもが自分で,理論や系統を作りだすように指導することがたいせつである。

 このように述べると,小学校の算数には,まったく理論も系統も不必要であるように誤解されるおそれがある。こどもにふさわしい理論や系統が必要であることは言うまでもない。たとえば,

 〇整数の加法では,加え合わせる数の位取りをそろえて,数を縦に並べて書く

 〇小数の場合には,小数点をそろえて書く

 〇分数の場合には,単位分数をそろえる

 こどもが,この三つのことを別々に理解しないで,単位をそろえるという一つの系統として理解することは,きわめてたいせつなことである。

 

 (4) 計算に関係する指導内容をはっきりつかむ

 算数科の指導内容として,計算が重要なものの一つであることは,いうまでもない。

 しかし,これは,単に計算の技術だけを学習して,計算が正しく早くできさえすればよいというのではない。

 〇その計算の必要なわけ

 〇どうしてそのような方法で計算するか

 〇その計算が,どんな意味をもっているか

 〇その計算が,どのように応用できるのか

 〇その計算の正しさは,どうして確かめることができるか

 〇その計算に,どんな便利なことがあるか

 これらのことについての学習も,計算の技術と同様に,重要なものである。したがって,計算についての指導内容としては,計算の方法だけでなく,上に述べたような計算の意味や働きも重要である。特に注意したいのは,計算の価値は,計算それ自身にあるのではなく,それが,いろいろな問題の解決に役だつところにあるということである。このことを無視して,計算を指導し反復練習をさせるのは,こどもを計算機にするものであって,考える人間の育成にはならない。計算についての反復練習は,これが問題の解決に有効に用いられてこそ,はじめて意味があるのである。

 

 

 (5) 算数は考える用具としても重要なものである

 こどもは,普通のことばを使って,「明日は,おとうさんからおかねをもらって,ノートを買いたい。」とか,「次の日曜日に,お天気がよかったら,お友だちと裏の山に登りたい。」とか,自分の考えをまとめたり計画を言い表わしたりしている。ところが,これらのことについて,もっと深くつっこんで考えると,次のような問題が起ってくる。

 〇自分のおこづかいを有効に使うには,どんなことに注意したらよいか

 〇どうしたら,よいピクニックの計画をたてることができるだろうか

 このような問題を解決しようとすると,普通のことばのほかに,算数についての知識や技能を使わなければ,うまく考えられもしないし,言い表わすこともできない。一般に,複雑であいまいな問題は,考えにくいものである。個数を数えたり,計算したり,測定したりなどして,複雑なところを分析したり,あいまいなところをはっきりさせたりなどすると,問題は考えやすくなるものである。

 このように,算数は,個人の問題や社会の問題を解決していくための,考える用具としても重要なものてある。用具は,その性能を理解しただけで,使えるものではない。どんなところに,どのように使えるかを理解するとともに,その用具のよさを理解して,はじめてその用具は使えるものである。

 算数科の指導内容には,数・計算・測定・図形などの数学的な面とともに,それらを使う学習の場と,使い方を含めなければならない。このような意味で,じょうずな買物のしかたとか,旅行の計画のたてかたとか,郵便局や銀行の役目などの社会的な面も忘れてはならないものである。また,ものごとを数量的にとらえ,数・量・形に関係することばを使って,ものごとをはっきりと言い表わし,これは加法を使えばできるとか,減法を使えばできるとか判断することも指導内容の重要なものである。さらに,ものごとを処理するときに,計画をたてて順序正しく考えていくなどの心のはたらきも,指導内容として重要な事がらである。

 

3.とりあげる学習活動の改善

とりあげる学習活動を改善していくには,どんなところに目をつけたらよいか。

 ここでは,算数でとりあげる学習活動を改善していくには,どんなことに注意したらよいかを考えて,その目のつけどころのおもなものをあげてみることにする。

 

 (1) 学習活動とはどんなことか

 こどもは算数科の学習をするときに,小石を数えたり,校庭の測量をしたり,お店ごっこをしたり,自分で活動して,いろいろなことについて経験するものである。学習活動は,この学習のために行う,こどもの活動のことである。こどもは,ものごとを頭で理解するというよりも,手や足をとおして理解するといわれている。

 この意味で,こどもが学習をするときに,自分で手足を働かせて経験する学習活動は,きわめてたいせつなものである。指導の立場にある教師としては,指導内容に従って,こどもに最も適当だと思われる活動の場を用意しておくことが必要である。方眼紙・三角定木・分度器・磁針・模型のお金などの教具を用意するのも,お店ごっこや修学旅行の計画という単元を設定するのも,ともに,こどもの学習活動を援助するためである。

 

 (2) こどもの興味と必要を考える

 おとなでさえも,興味もなく,必要も感じない仕事を続けることは,非常に困難である。まして,こどもは,興味も必要も感じないことを,進んでやるものではない。さて,ここでこどもの興味というのは,その場限りの一時的な面白さというような軽い意味のものではない。ある事がらを目標として,これを達成しないではいられない心の状態をさしているのである。言い換えると,こどもが,その事がらをつっこんで研究していこうとする状態をさしているのである。したがって,興味は,学習の動機づけとしてたいせつであるばかりでなく,学習の進行中,こどもをずっと励まし続けるものである。こどもが,自分の問題を意識し,その解決におぼろげながらも見とおしをもち,その問題の解決に向って努力するときに,こどもは必要をもっているというのである。こどもは,この必要を満たすために,次々に問題をとらえ,これを解決していくのであるが,その背後にあって,こどもを励まし続けるのが興味であるといえる。

 こどもの興味や必要を満足させるような学習活動を考えるときに,次の事がらに注意することがたいせつである。

 (a) 算数の学習では,うっかりすると,算数にあまり多くの時間をとりすぎて,こどもをひどく疲れさせたり,こどものせっかくの遊び時間をなくしたりすることがある。このようなことをすると,こどもが算数に対する興味や必要感を失うおそれがあるから,気をつけなければならない。

 (b) こどもに興味をもたせるには,こどもに成功の喜びを味わわせなくてはならない。ある特定のこどもがいつも失敗ばかりくり返していたのでは,そのこどもは学習しようとする意欲を失ってしまう。それかといって,できるこどもがいつもやさしくできて,学習をばかにしたり、なんでもできると考えちがいをしたりするようになっても,結果として,やはり,そのこどもは学習しようとする意欲を失ってしまうことになる。どのこどもも,成功しようとして,一心に努力するようにしなくてはならない。しかも努力しさえすれば,どのこどもも解決することのできる問題を用意することがたいせつである。

 (c) こどもも,おとなと同じように,社会の一員であり,社会に対する関心を持っている。学習の場も,こどもの周囲の社会からとり,社会に起ってくるいろいろな問題を算数を使って解決する経験を,こどもに持たせるようにしたいものである。

 (d) こどもが学習する問題は,こどもの経験の範囲から選ばれ,こどもの心身の発達にうまく合っていて,教師のちょっとした適当な刺激によって,こどもが自分で考え,自分で活動して,自分の力で解決することのできるものでなくてはならない。

 (e) こどもは,ひとりひとり,その顔つきが違っているように,興味や必要も違っている。このことを考えて,どのこどもも,じゅうぶんに自分を伸ばすことができるような場を構成する必要がある。従来のような教科書中心や教師中心の指導では,どのこどもにも同じことを一様に課することになり,各個人の興味や必要に応ずることができない。ところが,こどものめいめいの学習活動を主とするときには,個人差に応ずることができやすい。

 各こどもが,めいめいの学習の目標を自覚して,この学習の必要をさとり,興味をもって学習していこうとする気持になるには,各こどもにふさわしい動機づけをしてやらなければならない。そのためにはグループ学習によって,何人かのこどもが,互に助け合って目標について話し合ったり,研究したりしてから,学習にはいることも考えられるであろう。また,教師がこども個人にその進歩のあとをわからせて,進んで学習しようとする意欲を起させることも考えられるのである。

 (f) こどもは,みんな違う個性をもち,違う必要をもっているが,また,同じ時期のこどもとして共通な興味や必要も多分にもっている。たとえば,

 〇どのこどもも健康で,いつも元気でありたい

 〇どのこどもも,学校でも家庭でも,他人から愛されているという安定感をもちたい

 〇身体的にも精神的にも,いろいろと活動してみたい

 〇ある程度の冒険をやってみたい

 〇他人の前で話をするとか歌を歌うとかいうような表現をしたい

 〇ゲームをしたい

などの共通な興味や必要をもっている。これは学習活動の場を選定するのに,きわめて重要な事がらである。この共通の必要があるからこそ,学級全体のこどもに,共通な問題などを定めることができるのである。

 したがって,学習活動の場を選定するときには,まず,こどもの共通な興味や必要を調べて,どのこどもも喜んで学習するだろうと思われるものを定める。これと同時に,各個人の興味や必要も調べて,おのおののこどもに適合するように指導することを忘れてはならない。

 

 (3) 社会の必要を考える

 教育は,人間の成長発達を助けて,これを正しい方向に発展させようとするはたらきである。しかし,それは個々の人間の必要だけに基いて行われるものではない。われわれは,憲法や教育基本法にあるような社会の必要に基いて,人間育成の教育を展開しようとしているが,その人間育成は多方面にわたって行われなければならない。算数科は,その多方面な教育のうちで,主として数量に関係した方面からの人間育成を引き受けている。このように考えると,算数科もまた社会の必要を満たすものでなくてはならない。社会の必要を満たすように学習活動の場と選定するには,次のようなことに注意しなければならない。

 (a) こどもが家庭や学校その他の日常生活で,どのように算数を使っているか,どのように算数を使ったら便利であり幸福になれるかを調べ,このような算数の使い方が実際に起ってくるような学習の場を準備する。こうして,その学習の場で学習するときに問題が起ったら,算数を使ってこれを解決できるように,こどもを援助してやらなければならない。こどもはこのような学習をとおして,はじめて実際の場に適用できる算数を身につけることができる。

 (b) おとなが日常生活でどのような算数を使っているか,どのように算数を使ったら便利であり幸福になれるかを調べる必要がある。しかし,資料ができたからといって,これを,このままに,こどもに学習させることは,次にあげる理由からみて,適切であるといえない。

 〇こどもは,やがておとなになるが,こどもには,こどもとしての生活があって,おとなになる準備だけをしておればよいとはいえない

 〇こどもに,おとなの問題をそのままにもってきても,こどもが興味を持たないだろうし,必要も感じないから,学習意欲が起るとは考えられない

 しかし,こどもがおとなになり,将来必要になるだろうと考えられる数量についての能力は,その時までに,なんとかして伸びるようにしてやりたいものである。

 指導計画をたてるときには,これらのことについて考慮して,こどもがおとなになったら必要になるだろうと思われる数量についての能力が,こどもの経験や必要と結びついて,だんだん伸びていくようにくふうしたいものである。

 (c) さきに述べたように,計算の価値は,計算それ自身にあるのではない。それが,いろいろな問題の解決に役だつところにある。ところが,社会には計算を利用して解決しなければならない問題が非常に多い。たとえば,学用品の代金を集めるとか,クラス会の会計報告をするとか,町や村の人口・面積・主食の生産高を調べるとか,銀行の利子を計算するなどの問題が,いくらでもある。

 このように,社会において算数の利用される問題をとりあげ,計算の学習指導をするのに必要な学習の場を構成することがたいせつである。

 (d) 教師は,数量の意味とか,その応用とかを,こどもが明確に理解するように,日常生活に現われるいろいろな場を利用しなければならない。その場合に,学校の運動場の面積とか,自治会やクラス会の会計のように,自然にある場を,そのままに利用することも考えられるであろう。また,お店ごっこやこども銀行を計画したり,遠足や旅行を計画したりするなどの必要に応じて学習の場を構成して,これを利用することも考えなければならないだろう。このときにも,社会の必要を満たすように,学習の場をくふうすることがたいせつである。

 

 (4) 他の教科との関係を考える

 さきに述べたように,算数科は他の教科といっしょになって,人間育成をねらっている。したがって,算数の時間には,算数だけを指導しておればよいというわけではない。

 言い換えると,算数に関係のないことは,いっさい指導してはならないというわけではない。算数の範囲に狭くとぢこもって考えないで,広い学習活動を考え,他教科とともに,人間育成の任務を果さなければならない。

 しかし,算数科には,算数科として分担している範囲があるから,あまりに他の教科と重複することはさけなければならない。

 

4.指導法の改善

指導法を改善していくには,どんなところに目をつけたらよいか。

 ここでは,算数についての指導法を改善していくには,どんなことに注意したらよいかを考えて,その目のつけどころのおもなものをあげてみることにする。

 

 (1) こどもに学習の目的をつかませる

 こどもは,自分みずからの学習活動をとおして,学習し成長発達していくものであり,教師はその援助者である。ところが,実際の指導に当っては,学習の目的を教師だけが心得ていて,こどもは,何を考えたらよいかがわからなくて,あてものをするように答えて,教師の身ぶりや顔色などをうかがっていることがある。

 また,こどものなかにはそんなことは自分の知ったことではないといった気持になって学習しない,いわゆる学習の不参児もいる。このようなことの起るのは,そこでとりあげている問題が,こどもにとって,むずかしすぎたり,こどもの生活に全く関係がなかったり,日ごろの学習態度のしつけが悪かったりなど,いろいろな原因が考えられる。とにかく,このような状態で学習を続けることは,全く無意味であると言わなければならない。そこで,学習の第一歩として,こどもが自分で問題をつかみ,解決の見とおしをもつようにしなければならない。

 教師は,先を急ぎすぎて,結果を先にこどもに言ってしまってはならない。結果は,こどもが自分の学習をとおして見いだすように仕向けなければならない。結果をこどもに話していくと,学習が早く進むかのように考えられやすい。しかし,これでは,こどもが学習していないから,身につかない。したがって,同じことを,その後もたびたびくりかえし指導していかねばならず,かえって時間が長くかかり,むだな努力をすることになる。問題をとらえ,解決の見とおしをつける場合にも,このことに留意して,教師が話してしまわないように気をつけなければならない。

 

 (2) こどもが自主的に学習を進めるようにする

 学習するのは,こども自身であって,教師は,こどもの相談役であり,援助者である。

 これは,次にあげる二つの理由から主張しているのである。

 〇他人から授けられた知識や技能は身につきにくいものである。

 自主的に学習して得たことは,身について,応用が自由自在にできるものである。

 〇だれでも,いつまでも,教師について指導を受けてばかりおられるものではない。いつかは独立して,自分で考えていかねばならなくなるものである。したがって,こどものときから,自主的に学習する習慣を養わなければならない。

 こどもが,いつも自主的に,みずから進んで学習するためには,さきに述べたように,こどもが問題を自分にとって切実なものであると考え,みずから解決の見とおしをもつようになることがたいせつである。教師としては,この学習に対する動機づけをし続けて,援助することを忘れてはならない。さらに,その学習がうわべだけのものとならず,次々と発展し続けていかねばならない。このようなときに,こどもが自主的に学習を進めていくようにするには,次のことに気をつけなければならない。

 (a) 教師は,こどもが自分で定めた目標を達成するように援助して,こどもに成功の喜びを味わわせる。

 (b) 問題は,こどもが努力しさえすれば,解決できるものを選ぶようにしなければならない。もしも,そのままでは解決の見とおしをつけることが困難であったら,教師は,この問題をいくつかに分析し,段階に分けて,おのおのをこどもが自主的に解決できるように,援助しなければならない。

 (c) 問題解決のためにどんな努力をしたか,また,どんなことをして,どこまで成功したかが,こどもにもわかるように援助しなければならない。

 

 (3) 指導法が各こどもに適合するようにくふうする

 小学校に入学するまでのこどもは,めいめいの家庭で教育され,それぞれの経験を積んでいる。また,小学校にはいってからも,各こどもの家庭やその他の環境によって,そのこどもの個性によって,いろいろと違った経験をするものである。したがって,各こどもが全く同じような必要や経験を持っているだろうと期待して,指導するわけにはいかない。あるこどもは,多くの経験を持ち,あるこどもは,わずかな経験しか持っていないかもしれない。いずれにしても,教師としては,各こどもの持っている必要や経験がじゅうぶんに生かされるように,指導の方法をくふうすることがたいせつである。言い換えると,指導法が各こどもに適合するようにくふうしなければならない。

 算数科指導にあたって,ときに,教師があらかじめクラス全体のこどもに対して,同じ基準を定めておき,無理であっても,どのこどもも,その基準までひっぱっていこうとする場面に出会うことがある。たとえば,6年生であるから,百分率を求める計算が自由自在にできるはずであるときめてかかり,6年生一同に,いつも同じ百分率についての問題を課するようなのが,これである。これは,どのこどもも,同じことを同じときに,同じ量だけ学習できるものときめてかかっているのであって,全くこどもの進歩や成長発達を無視した方法である。

 この意味からも,こどもが自主的に学習することは,たいせつなことである。自主的な学習であるからこそ,その学習が,各こどもに最も適した方法で行なわれるのである。もしも,教師中心の授業であるとすると,60人のクラスならば,60とおりの指導をしなければならないことになり,ひとりのこどもに対する指導時間は,1時間ごとに1分間しかないことになる。指導法を各こどもに適合させようとすると,今までのような,教師中心や教科書中心の指導ではすまされなくなる。このような意味からも,指導法をいろいろとくふうしなければならなくなる。

 

 (4) 効果のあがる反復練習をする

 算数についての指導で,計算などを上達させるために,相当の多くの時間をかけて反復練習をさせている。多くの時間と労力とをかけて反復練習をするのであるから,これを効果あるものにしたいのである。そのためには、どんなことに留意したらよいかを考えて,そのおもなものをとりあげてみることにする。

 (a) こどもに,ものごとの意味が理解できるようにすることは,相当にほねの折れる仕事である。しかも,こどもは,意味がわからなくても暗記することが割合にじょうずである。このようなことから,従来とかく意味が理解されることをまたないで,すぐに反復練習するような指導が行われたのであろうと考えられる。たとえば,二位数に基数をかけるには,こんな手続ですればよいといったような指導がこれである。このような指導では,こどもは,どうしてこのように計算してよいのか,この計算がどんなところに使われるのかを理解することができない。また,どうして,こんなに多くの時間をかけて反復練習するのかも理解することができない。このような意味から,反復練習にさきだって,反復練習をする価値があり,必要があることについて,こどもがじゅうぶんな理解をもっているようにしなくてはならない。

 (b) なんでも,反復練習すればよいというのではなくて、ほんとうにくり返し練習することの必要なものだけに限って,反復練習することが必要である。また,こどもによって,九々の特殊なところを誤りやすいとか,加法で繰上がりを忘れるとか,こどもの特殊性があるから,そのこどもに,特にどんなことについて反復練習すればよいかなどを考えなければならない。

 (c) 反復練習は,こどもにとって,あまりおもしろいものであるとはいえない。これをおもしろくできるようにするには,こどもの競争心を考慮に入れたり,練習方法を変えたりして,こどもが喜んで反復練習するようにくふうすることがたいせつである。

 

 (5) 望ましい態度の育成をねらう

 教育は,人間育成のために行われるものであり,算数科は,その一部の責任を負っているものであることは,さきに述べたところである。人間育成にあたって,最も重要なことは,りっぱな態度の育成にあるといえる。算数の学習は,ものごとを正確に,的確に,しかも能率的に処理しようとねらっている。しかも,算数の技能が,いつも正しく用いられるようにとねらっている。たとえば,ものさしやはかりで,物の長さや重さをはかるときに,正しく測定できるようにすることをねらっているとともに,他人をごまかさないように測定を用いるようにすることをねらっている。さらに,算数の学習では,いつも,こどもが自分の力で問題をつかみ,問題を解決して,ものごとを創造していくことをねらっている。(これは,必ずしも,算数科だけがねらっているわけではないが)。これらのことは,そのままりっぱな態度の育成に役だつものである。しかも,これらのことは,日常の教師の指導法に関係することが大きいと思われる。教師は,こどものこの望ましい態度が伸びていくよう心がけて指導しなくてはならない。

 

 (6) 教科書をうまく利用する

 今までの指導で,とかく教師が中心になり,教科書に書いてあることを,そのままに指導していくといった傾向があった。ところが学習は,こども自身の学習活動,特に自発的な活動をとおして行われるものであることは,さきに述べたところである。したがって,こどもの数量についての経験や活動がたいせつなものであって,教科書の内容をそのまま読んで計算するということは,あまり重要なことであるとはいえない。こどもの経験や活動を中心にして,学習が展開されてこそ,こどもの興味も必要も満たされ,学習が各個人に適合するように行われるのである。また,算数を生活における問題の解決に役だてることができるのである。

 教科書は.それをそのままに指導するためのものでなく,学習活動をしているときに,こどもが必要に応じて,これから示唆を求めたり,学習のしめくくりをするのに,こどもを援助するためのものである。

 

 (7) 指導法を改善するための評価をする

 教師は,学習の初めに,指導の目標を定め,その目標を達成するために努力するのであるから,学習指導の初め,または,途中で,しばしば指導の効果を評価してみなければならない。もしも,自分の思ったよりも効果があがっていなかったら,指導法について一段とくふうすることが必要になる。また,学習が一くぎりついたところでは,必ず指導の効果を評価して,これを,次の指導計画や指導法を改善するための資料にしなければならない。

 こどもも,学習の初めに,自分の学習目標を定め,その達成に努力する。したがって,こどもも,たびたび自己評価をしてみる必要がある。たとえば,二位数に二位数をかける計算がまちがいなくできるか,10分間におよそ何題できるかというように自己評価をして,自分の学習計画や学習法を改善していかなければならない。

 自己評価は,相当に困難なものであり,教師の援助をまって,はじめてできるであろう。しかし,だんだんに,自分ひとりで評価できるようにしなければならない。

 

こ の 章 の ま と め

 この章は,算数についての学習指導の改善という題目であるが,これを,指導計画,指導内容,こどもの学習活動,指導法の面から考えてみた。この章で述べたことは,次のようにまとめることができる。

1.学習指導計画の改善

2.指導内容の改善

3.学習活動の改善

4.指導法の改善