第一章で述べた国語科の目標を達成するためには、国語科には、どのような内容があるか、このことを明らかにするのが、この章のねらいである。
国語科は、児童の言語経験を通じて、ことばの働きを身につけさせていくことを目ざしているのであるから、国語科の内容としては、ことばの働く場面と機会の上から、おもな言語経験を中心に考察することが望ましいことになる。
一 聞くことの経験
他人の話を聞くことは、社会生活をしていく上に必要な情報や知識をうる基礎的なものである。このことは、おとなの場合でも、児童の場合でも、同じことである。
日常生活の中で行われる、自由な談話・あいさつ・対話・会話・問答や、あるいは、改まった話などを聞くことは、家庭・学校・社会生活の全体を通じて、最も多い言語経験である。
2 講演や、報告や、説明を聞く。
ひとりの話者の話を、大ぜいでいっしょに聞くことは、学校生活はもちろんのこと、一般社会生活においても、非常に多い言語経験である。たとえば、他人の読書や観察の報告や説明を聞いたり、できごとの経過や研究の成果についての発表を聞いたり、児童会の委員や教師から、必要なさしずや伝達を受けるなどである。また、教師やその他の人から講義や講演を聞く機会も非常に多いわけであるが、講義や講演になると、話も改まったものになり、聞くほうにも、それに適応する技術が必要になってくる。
3 機械を通した話を聞く。
ラジオの普及率は、電話とともに、だんだん高くなってきたし、録音器やテレビジヨンも実用に供されようとしている。したがって、児童は、家庭や学校において、これを聞く機会がますます多くなってきている。ラジオの学校放送や校内放送を聞いたり、また、映画を見たり、電話をかけたりすることなど、機械を通した話を聞くことの経験は、今後も、われわれの生活に大きな領城をもってくるであろう。
4 劇を見たり、朗読を聞いたりする。
紙しばいや劇を見たり、詩や物語の朗読を聞いたりすることは、聞くことの経験として、学芸会や児童会などで、盛んに行われている。また、社会生活においても、常に経験していることである。
家族や友だちと自由に語り合ったり、学校で、休み時間に、教師や友だちと自由な会話をすることは、児童の言語生活の中で、いちばん多い経験である。このほか、あいさつ・紹介・訪問などの言語経験も、学校生活の内外を通じてきわめて多い経験である。
6 話合いや討論をする。
ある問題を中心にして、意見を交換したり、解決のために相談したり、話合いをしたりすることは、これからの民主社会では、ますます必要になってくる。たとえば、自分たちの学習計画についての話合いや、ある問題について、是非を論じ合ったりすることは、その一つである。
7 会議に参加する。
会議に参加する機会は、これからの民主社会では、いっそう多くなると考えられる。学級や学校の各種の会議のしかたとか、運び方などを経験することは、日常生活の一部になるであろう。
8 報告をしたり、説明をしたりする。
会議で決まったことを人々に知らせる。自分で研究したり、調査したりした結果を人々に説明する。読んだり、観察したりしたことを報告する。このような経験も日常生活ではきわめて多い。
9 詩を朗読したり、物語を話したりする。
美しい詩を朗読したり、感動した物語をみんなに話したりすることは、児童の読書生活にぜひなければならない経験であるし、また、情操教育と結んで、いっそう奨励されなければならない言語経験である。
10 劇をする。
劇的表現への意欲は人間にとって本能的なものといわれている。低学年児童の「ごっこ遊び」も、そぼくな劇的表現の一つである。自分たちでしくんだ劇をする。読んだ物語を簡単な劇にする。学習内容を劇化する。幻燈・紙しばい・人形劇・児童劇などは、現代生活で大きな地位を占めている映画や演劇の鑑賞や批判の力を増すばかりでなく、児童の言語経験に、大きな役割をもつものであることはいうまでもない。
11 機械を使って話をする。
電話をかけたり、また、マイクロホンや録音器を使ったりして話をする。このような機械を使って話をすることは、近代生活では、ますます盛んになろうとしている。そうして、このような場合に、報告や、物語や、劇なども、話すことの内容として、大いに取り上げられなければならない。
日常生活の中で、最も普通に読まれているものは、新聞と雑誌である。われわれは新聞と雑誌によって、社会的・政治的・経済的な生活に必要な情報や知識を得たり、また楽しんだりして、自分の生活を処理している。児童の生活においても、児童用の雑誌と新聞は、大きな役割を示している。また、雑誌や新聞ばかりでなく、回覧・掲示・ポスター・パンフレットなどを読んで、必要な告示・伝達・報告をうる経験も、きわめて大きい。
13 知識や情報をうるために本を読む。
学校や家庭において知識をうるために、また教養を高めるために、いろいろな本を読む。このような経験は、児童の成長につれてだんだんと多くならなければならない。
14 楽しみのために本を読む。
詩や、小説や、脚本などの文学的作品を読み、生活を明るく、豊かにしていくことは、人間生活にとって、重要な生活経験である。
15 図書館を利用する。
図書館法が成立して、国民の生活と読書との関係は、いっそう深くなろうとしている。楽しみのための読書であろうと、研究のための読書であろうと図書館の利用を身につけることは、ますます重要なものとなってきた。したがって、学校図書館や学級文庫によって、図書館利用の経験を与え、その技能と能力を得させることは、国語学習上の重要な仕事である。
16 辞書や参考書を使う。
自分に必要な知識や情報を、自分の力で求めることができるように、辞書や参考書を使用することは、日常生活での、きわめて重要な経験である。
普通の生活における書くことの大部分は、通信文にあるといっても過言ではない。通知・案内・依頼・注文などの実用的なものから、近況・見舞い・お祝・お礼のような社交的なものに至るまで、その機会はきわめて多い。児童の生活においても、長期欠席の友だちへの見舞状、遠方の親類や転校した友だちへの近況報告、年賀状や暑中見舞など、きわめて多い経験である。なお、高学年では、出版社に学級文庫の図書の注文をしたり、電文を書いたりするなど、実用面からも、多くの経験が見いだされる。
18 日記・記録・報告を書く。
主として、社会科・理科などの学習において扱われる研究・観察・調査・訪問に関連した記録や報告文を書くことが、ますます多くなろうとしている。そうして、そうした記録や報告の中で、図表や統計を書く機会もきわめて多い。また、日記の形で、飼育・観察・栽培の状況を書いたり、さてはまた、書物を読んで、その要点を書き抜いたり、簡単なメモをとったりすることなどは、児童の言語生活の中に広く見いだされる経験である。
19 掲示・広告・ポスターを書く。
読書・防火・交通安全週間などのポスターに、標語を書いたり、催し物の掲示や広告をしたりすることは、特別な仕事ではなくて、だれにでもできなければならない、普通の仕事になろうとしている。
20 創作をする。
児童は、日常生活を基盤とした生活文を書くことから、感じたり、考えたりしたことをまとめて、物語や、小説や、詩や、脚本や、シナリオなどをつくって、文学的な創作活動をする。これは、生活を豊かにするための、まったく有効な表現活動である。
21 編集をする。
児童は、じぶんたちの学級や学校の新聞を編集したり、また、文集や詩集を編集したりすることも、学校生活にとって欠くことのできないものになろうとしている。
右のように、児童の現実の生活の場に、社会的に重要な言語経験を見いだしていって、その経験の中に、国語科として望ましい態度と技能とを育てていかなければならない。次に、右のような価値のある言語経験を与える機会には、どんなものがあるか考えてみよう。
聞くことが主となりやすいが、話し合ったり、発表をしたり、本を読んだり、記事をとったりするような言語活動が含まれる。
2 遊び時間、特に昼食の時間。
自由な会話や話合いをするよい機会である。
3 放課後の時間。
楽しみのために本を読んだり、知識をうるために本を読んだり、演劇活動をしたりするよい機会である。
4 児童会・委員会。
児童会やいろいろな委員会は、相談したり、問題解決のために話し合ったりするよい機会である。
5 遠足・学芸会・運動会・誕生会。
計画について話し合ったり、ポスターやはりふだや手紙を書いたり、また、創作したり、劇をしたりするよい機会である。
6 生活日記、学級日記、観察・飼育日記。
日記のつけ方を身につけるよい機会である。
7 図書館での読書。
図書館の利用法や、読書法を身につけるよい機会である。
8 教師と児童との応待。
教師が児童にいいつけを与えたり、また、児童の申しいでを聞いてやったりする言語習慣を与えるよい機会である。
9 転校した友だちや親しい人に近況を知らせるとき。
病気で休んでいる先生や友だちに見舞文を出すとき、年賀状・暑中見舞文・書籍の注文状を出すとき、これらは通信文を書くよい機会である。
10 自分で創作したものを発表するとき。
いろいろな表現形式の作品を創作し、さらにそれを発表することは、文字と音声の両方面による表現活動をするよい機会である。
11 文集・こども新聞などをつくるとき。
文集やこども新聞を編集することは、四つの言語活動を総合的に進めていく上のよい機会である。
児童に言語経験を与える機会は、右のように、学校生活のあらゆる面において、豊富に見いだされるが、教師は、そうした面に心を配って、積極的に、これを国語科の目標達成のために利用しなければならない。たとえば、国語の時間はいうまでもなく、他教科の学習の時間とか、特別活動の時間とかを利用して、図書室の利用とか、研究や依頼のための訪問とか、研究の報告とか、発表とかを組織的に計画して、これを教室の中に持ち込み、国語としての独自の学習指導を展開していくのである。
が、言語それ自身は形式であって、内容あるいは題材なしの言語経験は考えられない。児童は、常に何かの事象について、耳を傾け、話をし、本を読み、文を書くのである。したがって、国語科としての学習指導を計画するには、教師は、まず、児童がどのようなことを聞きたがり、話したがり、読みたがり、書きたがっているかについて知っていなければならない。もちろんそれは、児童の中から、発達の段階に応じて選ばるべきであることはいうまでもない。が、これについては、次の第三章において、具体的に考えてみるつもりである。
いずれにしても、このような言語経験の機会をできるたけ多く与えることが、国語科の目標とする好ましい習慣と態度を養い、技能と能力をみがき、知識を広げ、理解と鑑賞の力とを増し、国語に対する理想を高めていく上に必要なことである。