教育の一般目標は、教育基本法第一条にいうように、「人格の完成を目ざし平和的な国家および社会の形成者として真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と青年を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成」ということである。
ここにわれわれは、平和的な国家および、社会を形成する個人がその人格の完成を目ざして、限りなく進歩し発展する可能性を信ずることができる。
それは、個人の人格の完成が、同時にまた社会人として、国民としての完成となり、ひいては、社会および国家の完成を目ざして限りなく発展する可能性をも意味するのである。すなわち、社会および国家の形成者としての個人の人格が、限りなく進歩し発展する可能性は、同時にまた、民主的で平和的な社会および国家の完成となるのである。
しかも、このような形成者の人格は、どこまでも自主的精神に貫かれ、心身ともに健康なものでなくてはならない。
真理と正義を愛すること、個人の価値を尊ぶこと、勤労と責任を重んずることなどは、人格の完成のために、特に指摘されるものであるが、このような目標は、教育のさまざまな領域において、具体化することがたいせつである。「学習指導要領一般編」は、これに対して、次のように述べている。
たとえば、個人として、道徳的な心情・判断・知識、科学的な思考態度、効果的な言語技術、芸術的な感受性、たくましい勤労意欲、進んだ心身の健康法、能率的な生活様式などは、ただちに指摘されることである。また地域社会の一員として、地域社会の真の意義を理解し、職業的経済的にその内容を満たし、権利・義務・責任感・礼儀・正義などを重んじ、国民として国家の法律や文化を尊ぶとともに、国際的協調の精神を身につけて、世界の平和に貢献しようと努力するような、民主的な人間性を育成するのが、現代日本の教育に課せられた、大きな理想である。
これらの望ましい教育目標を達成するには、国語の習得と使用とを通じて、初めて効果的に行われるものである。教育における国語の位置も、諸教科に対する国語科の意義も、みなここに基礎をおいているのである。
小学校教育の目標については、学校教育法第十七条に「小学校は心身の発達に応じて初等普通教育を施すことを目的とする」と述べてあり、また第十八条には、これをいっそう具体化して、次のような八つの目標が示してある。
2 郷土および国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。
3 日常生活に必要な衣・食・住・産業などについて、基礎的な理解と技能を養うこと。
4 日常生活に必要な国語を、正しく理解し、使用する能力を養うこと。
5 日常生活に必要な数量的関係について、正しく理解し、処理する能力を養うこと。
6 日常生活における自然現象を科学的に観察し、処理する能力を養うこと。
7 健康・安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、心身の調和的発達を図ること。
8 生活を明るく豊かにする音楽・美術・文芸について、基礎的な理解と技能を養うこと。
これらの目標体系を通じて、小学校の目標は、中学校や高等学校の目標とはなはだしく違ったものではなく、むしろ、それらと同じ目標内容を初歩的に達成しようとするところに、その特質がある。
すなわち、小学校の教育は、第一に、教育の一般目標のうち、一、二の目標だけを選んで、他は顧みないというのではなく、全目標にわたって、しかも初歩的にということである。たとえば、小学校の時期は一般に職業教育の時期ではないと考えられているけれども、一般編に示してある、経済生活および職業生活に関する具体目標は、すべて、小学校の時期から全面的にねらわなければならないのはいうまでもない。
第二に、小学校の教育は、後に至ってより高く、広く発達していくべきものの芽を育て、土台を築いていかなくてはならない。小学校の時期は、むずかしい知識や技能の習得を目ざすべきときではなく、程度においては平易なもので満足すべきであるが、それが後の発展の芽となるように、知識や技能を求める態度を育成することに注意して、興味や関心の芽が豊かに伸ばされなければならない。このことは、後の段階でもたいせつであるが、特に、小学校において心がけなければならないことである。
第三に、小学校の教育は、日常の卑近な生活に根をおろし、それを育てていくことに注意しなければならない。小学校の時期には、児童の生活経験の領域はまだ狭いので、教育は絶えず、この生活経験を豊かにし、高めていくことに努力しなければならない。そうすることによって、しだいに広い世界への眼を開いていくことができるのである。したがって、国語の教育は、まず、児童たちの日常の言語生活を豊かにし、正しく、美しくしていくことに着目しなければならない。生活に根をおろし、生活に帰ってくるということは、後の段階の教育でもたいせつであるが、小学校では、特に日常身辺の生活を豊かにし、そうしてしだいに広め、高めていくことに力を注ぐ必要がある。
以上のような意味で、初歩的に普通教育全般の目的を達成しようとするのが、小学校教育のねらいである。小学校の国語の学習指導は、このような小学校の一般目標の中に正しく位置づけられ、じゅうぶんにその機能を発揮しなければならない。
一 ことばはどんな役割をもっているか
国語教育についての、これまでの考え方からすれば、話しことばは、家庭や社会で自然に学ばれるから、学校では、その誤りをただし、特に方言やなまりのきょう正をすればよいとされ、一方、読み書きは、学校で特に、系統的に指導する必要があるとされてきたようであった。このような考え方からすれば、学校における国語の学習指導は、非常に狭い範囲のものになってくる。
そこで、国語学習指導の目標を考える場合には、聞くこと、話すこと、読むこと、書くことの四つの言語活動が、社会生活をしていく上に、どれだけ必要であるか、また、それらは、人間の成長発達にとってどんな意義をもつものであるかということをよく考えた上で、国語学習指導の目標を考えていかなくてはならない。つまり、国語学習指導の目標をたてる場合には、ことばはどんな役割をもっているかということから、考えてみなければならない。
ことばはどんな役割をもっているかということについて、大きく分けて、だいたい、次の三つのことをあげることができる。
2 ことばは、思想や感情と深い関係のあるもので、考えを進める上に、欠くことのできないものである。
3 ことばは、いっさいの学問や技術を学んでいく上に、仲だちとなるものであって、文化を受け継いだり、創造したりしていく上に、欠くことのできないものである。
次に、このようなことばに対する考え方から、国語科学習指導の一般目標について述べてみよう。
二 国語科学習指導の一般目標は何か
以上のような役割をもったことばを効果的に使用するための習慣と態度を養い、技能と能力をみがき、知識を深め、理解と鑑賞の力とを増し、国語に対する理想を高めることが、国語学習指導の目標である。
聞くことは、やさしいようでむずかしい。それは聞くことが、精神の集中を必要とする積極的な活動だからである。聞くことの指導、わけても、聞く態度の指導は、今までの教育でも相当行われてきたが、どうしたら聞くことがじょうすになるかという、聞く技術の指導の方面は、割合に行われなかった。これは、聞くことの意義と、価値とが徹底せず、なんのために聞くのか、その目標がはっきりしなかったからである。児童は、ほかの人々のことばをすなおに聞いて、理解し、その人の意見や立場がわからなければならない。また、ほかの人々の意見や立場をそのまま認めて、意見の相違を普通のこととするような態度がもたれなければならない。同時に批判的に聞くような態度がもたれることが望ましい。
2 自分の意志を伝えて他人を動かすために、生き生きとした話をしようとする習慣と態度を養い、技能と能力をみがく。
何のために話しているのか、あるいは何を話しているのかなどについて、いっこうに要領を得ないような話し方は、社会生活にとって妨げとなるばかりでなく、正しく思考する態度にも合わない。これからの話し方は、簡単めいりようでしかも、効果的でなければならない。
3 知識を求めたり、情報を得たりするため、経験を広めるため、娯楽と鑑賞のために広く読書しようとする習慣と態度を養い、技能と能力をみがく。
今までの国語教育では、読むことの目標があまりに狭すぎた。それは文学の鑑賞か、知識を求めることか、あるいは、人格の修養であった。それらのことはもちろんたいせつであるが、これからの読むことでは、知識というほどのものでなくて、単に情報をうるための読みということも、考えられていなければならない。ごくわずかの材料を詳しく読むことも必要であるが、広く読んだり、たくさんの書物の中から、自分に必要な書物を早く見いだしたり、また、その書物の中から、自分の必要な項目を早くさがしだしたりするような技術も、大いに必要である。
4 自分の考えをまとめたり、他人に訴えたりするために、はっきりと、正しく、わかりやすく、独創的に書こうとする習慣と態度を養い、技能と能力をみがく。
これは、書くこと一般の目標で、したがって作文の目標であり、また書き方の目標でもある。作文は、話すことと同じように、はっきりと、筋道が立ち、またわかりやすく文法的にも正しくなければならない。書き方には、正しく、わかりやすく、そうして美しいということが必要である。従来は、書き方の目標として「美しい」とか「力がある」とかいうことばかりが考えられていた。もちろんこれは誤りではないが、これからは、相手によくわかるということを主とし、表現効果の一つとして、美ということをも考えていくべきである。
そこで国語学習指導の目標は、さきにも述べたように、ことばを効果的に使用するための習慣と態度を養い、技能と能力をみがき、知識を深め、理解と鑑賞の力とを増し、国語に対する理想を高めることであって、そこに、文法指導の正しい位置づけが得られ、またそこから、文学指導の真の意義も考えられてくる。
このような国語の学習と、その正しい指導とによって、国民の言語生活が改善せられ、言語文化が向上していくことが期待されるのである。
また、ことばは社会生活の中のあらゆる面で使われるものであるから、国語を正しく効果的に使用していく習慣と態度を養い、技能と能力みがき、知識を深め、理解と鑑賞との力を増し、国語に対する理想を高めていくという国語学習指導の目標を達成することは、それ自身すでに、民主社会に適合した人間を形成することである。特に、聞くこと、話すこと、読むこと、書くことの正しい習慣と態度を養うことは、児童の人格をみがき、品性を高める上に役だつものである。その上、よい文学作品に触れることは、美的、道徳的情操と正しい判断力とを増し、人生や社会に対する経験を広め、明るく健全な人格をつくることができるであろう。
また、国語科がこの目標を達成するためには、そこに、読み物や話題の内容が問題になってくるのではあるが、それは当然、教育全般の目標に応じて選ばれなければならない。したがって、国語学習指導の目標をたて、計画を進めていく場合には、常に、国語科は全体の教育の一環であることと、民主的な社会に望ましい人間を形成する必要に立っているということとを考慮していなければならない。
小学校における国語科学習指導の目標は、小学校の児童に、ことばを効果的に使用できる能力を身につけさせることであって、一口にいえば、ことばの力を伸ばすことである。したがって、小学校における国語科学習指導の目標は、国語科学習指導の一般目標に示されたもののうち、その基礎的なものが児童の発達段階のなかに具体化されたものである。
これを聞くこと、話すこと、読むこと、書くことの四つの言語活動に分けて、さらに、具体的に設定してみると、次のようになる。
2 相手の立場を尊重し、作法を守って、常に、相手が話しやすいような態度で聞くことができる。
3 相手の話を聞くことによって、自分の語いを広げ、表現力を高め、また、さまざまな知識を求めたり、情報を得たりすることができる。
5 話合い・討論・会議などに参加して、自分の意見を述べることができる。
6 生活経験・観察・読書などについての報告や発表ができる。
7 やさしい文学的作品の発表や、劇をすることができる。
9 知識を求めたり、情報を得たり、楽しんだりするために、書物・雑誌・児童新聞・辞書・参考書などを活用し、図書館を利用することができる。
10 読むことによって、語いを増し、表現力を高め、また、はっきりとした考え方ができる。
11 日常生活に必要な文字を読むことができる。
13 文集や学級・学校新聞の編集ができる。
14 共通的な筆順で、正しく、読みやすく、効果的に書くととができる。
15 日常生活に必要な文字を書くことができる。