1. 教育課程の評価はなぜ必要か
それぞれの学校においては,それぞれの教育課程が作られ,それに基いて教育が行われている。この教育課程は,絶えず,教育課程構成の原理や実際の指導にかんがみて,それが適切であったかどうかが評価されなければならない。評価といえば,学習成果の評価のみを考えやすいが,教育は,そのあらゆる部面にわたって絶えず評価される必要がある。教育課程を評価することによって,われわれは,一つには,その教育課程の目ざしている教育目標が,どの程度に実現されることができるかどうかを知ることができる。また二つには,教育課程の改善と再構成の仕事の資料を得ることかできる。
教育課程は,このように,それを絶えず評価することによって,常に改善されることになる。したがって教育課程の評価と教育課程の改善とは連続した一つの仕事であってこれを切り離して考えることはできない。この意味において,教育課程の評価は,教育課程の計画,その展開とともに,児童・生徒の学習を効果的に進めていく上に欠くことのできない仕事である。
2. 教育課程の評価は誰が行なうか
教育課程を計画し,その展開について責任をもつすべての人々は,たてられた計画が,どのように実際に行われたか,どのような効果をあげたかについて,絶えず関心をもっているはずである。したがって,教育課程の,評価は,直接にその計画に参加した人々の責任において行われなければならない。
しかし,教育課程を実際に展開していくのは,ひとりひとりの教師と児童・生徒とである。本来,教育課程の計画や展開について,示唆を与えている学習指導要領や,その他の文書は,あくまで,実施のための手引書であって,それをどのように生かしていくかは,教育を実践する教師のひとりひとりの責任にかかっている。その意味で,みずから実施した活動について,絶えずあらゆる機会においてそれを検討し,評価し,これに改善を加えていく責任が,とりわけ個々の教師には課せられている。
しかしながら,教育課程の評価は,きわめて広い範囲にわたってなされなければならないし,また,広い見とおしの上に立って多くの人々の実際の経験や意見をもとにして行われる必要がある。したがって,単に個々の教師の評価のみでなく,多くの教師の協力によって,さらに学校長・指導主事・教育長なども参加して,協力的に行われる必要がある。指導主事や教育長は,その地域の教育課程について責任をもつべきであるから,その評価についても深い関心をもち,有効な評価の方法をくふうして教師に示唆する必要がある。また,教育課程の評価は,専門的知識を必要とする部面があるから,教育課程についての専門家の援助を受けることも必要であろう。
3. 評価の着眼点
教育課程の評価は,それが児童・生徒の望ましい成長発達にとってどの程度寄与することができたかということ,すなわちその有効性に関してなされねばならない。このような評価をする着眼点のいくつかを次に考えてみよう。
教育課程の展開に伴って,それが具体的にどのような成果をあげつつあるかを評価する直接的な方法の一つに,教育的成果についての観察や分析がある。教育的な成果は多方面にわたっている。だから,児童・生徒が身につけなければならない理解・知識・態度・習慣・技能・鑑賞などの諸方面の発達が,望ましくなされたかどうかをはっきりとらえて,教育課程が有効であったかどうかを評価しなければならない。これがために教師は,観察・テスト・行動記録・面接・質問紙法などのいろいろの方法を用いて,広く学習および行動の記録を得て,それらの結果を,適切に解釈し,望ましい結果や望ましくない結果をひき起した原因を究明していくことが必要である。
(b) 実験研究によって行なう評価
教育課程は,すでに述べたように,実践の検証を経ながら絶えず改善されていかなければならない。しかし,その場合,その改善を有効適切に進めるために,特に実験研究を行うのはよい方法の一つである。
その場合,おそらく2,3のそれぞれ異なった性格の教育課程を異なった学級,あるいは異なった学校に実施して比較研究できるようにすることが必要であろう。このような実験的方法による評価においては,実施した結果を適切な方法を用いて比較研究することによって,ただ一つの性格の教育課程のみを実施することによっては発見しにくいような点が明らかにされ,その利害得失が明確に評価されるであろう。
(C) 外部的な要素による影響の分析
学校において教育課程を構成するに当っては,よかれ,あしかれなんらかの外部的な要素によって影響される。したがって外部的要素によってどのように影響されたかを知ることは,教育課程評価の一つの観点となる。このような外部的要素のおもなものとしては,次のようなものを考えることができる。
教育課程の構成に当って,地域社会の人々の教育に対する意見をきいたり,あるいは,教育課程構成の委員の中へ,地域社会の人々を加えるということは,適切な方法であろう。しかし,それらの意見は,そのまま取り上げられるのでなく,その要求の背後にあるものをよく観察し,教育的な見地からよく検討した上で採用されるべきである。それは,どこまでも,参考意見としての範囲内にとどめておくべきである。
それを唯一の手がかりにしたり,あまりとらわれるようなことがあってはならない。いわゆる地域社会の要求は,ある特定の政党の意見や,個人の利害に基いて述べられる場合が往々にしてあるからである。どのような地域社会の人々の意見や要求を,どのような手続で取り上げたかということは,教育課程評価の一つの対象となろう。
(ⅱ) 入学考査
上級学校への入学考査は,下級学校の教育課程に大きな影響を与えやすいものである。一般に小学校では,この影響を受けることは少ないが,中学校・高等学校と進むにつれて,この影響を大きく受けている。とかく学校では,上級学校への入学者数の多いことをきそうあまり,その教育課程も,誤った受験本位のものになりやすい傾向がある。
もちろん,入学考査の方法の改善も急務であるけれども,入学考査のために,その学校の目的や機能がゆがめられることがあってはならない。もとより進学指導を考慮に入れて,教育課程を構成することはきわめてたいせつであるが,受験準備のみに重点をおいてはならない。だから,入学試験によって,どの程度教育課程が影響を受けたかということは,その学校の教育課程評価のたいせつな着眼点となろう。
(ⅲ) 地域社会の伝統
社会のよい文化遺産や伝統について,その価値や意味を,児童.生徒に理解させ,それをよりよく発展させていくように,教育課程は計画されなければならない。しかし,われわれの地域社会を,深くふりかえってみるときに,生活の民主的な発展に障害となるような因習や伝統が多いことに気がつく。しかも,教育課程の構成において,意識的,無意識的に,いろいろな形で,それらによって強く影響されていることがある。それぞれの学校の教育課程が,これらの要素によって,どのように影響されているか,それをどのように取り上げているかを評価することは,きわめてたいせつなことであるといわねばならない。
(ⅳ) 地域社会の職業的な経験
教育課程,ことに中学校の教育課程は,地域社会の職業によって影響されることが多い。人々は,自分の従事する職業をとおして,自己を完成するとともに,社会の発展に寄与貢献するのであるから,教育課程を考える場合に職業的経験が重要なものとして取り扱われることは当然である。しかし,職業の種別や状態は,社会状勢の変化にともなって推移していくものであるから,現在の地域社会にみられる職業の種別や状態にのみとらわれることなく,社会におけるさまざまな職業に適応しうるように,また,現在の職業の状態を分析し,その問題の所在を正しくとらえ,よりよく改善していくことができるように,注意深く,職業的経験が準備される必要がある。この見地から,自分の学校の教育課程について反省してみることが必要となろう。
(ⅴ) 教育課程の進歩を促す好ましい外部的要素
今まで述べてきたところは,もし不注意に取り上げられるならば,教育課程の進歩を妨げると思われる外部的要素についてであるが,これとは反対に教育課程の進歩改善を促がすよい外部的要素も多々ある。
たとえば,文部省や地方の教育委員会は,必要な手びき書を作製したり,研究会,ワークーシヨップなどを開催したり,直接,間接に学校の現場に出かけて指導を行なったりして,教育課程の改善進歩に奉仕している。各地における各種の教育研究所は,必要な研究,調査活動を行って,同じく教育課程の進歩に力を尽している。また,教育学者・心理学者・教育社会学者・教育調査の専門家は,自己の研究調査活動をとおして,教育課程の進歩をはかっている。その他,研究記録,各種の教育課程についての報告書,指導計画,実践記録などは,教育課程改善のたいせつな参考資料である。
各学校において教育課程を構成したり,改善したりするときには,これらの外部的な要素の影響を直接間接に受けて,必要な知識を得,教育的な考え方を深めていっているといえる。したがって,それぞれの学校が,その学校の実情に応じて,これらの好ましい外部的要素の影響を計画的に,どのように受けているかは,教育課程評価の一つのたいせつな着眼点となろう。
学校教育は,地域社会の生活の改善について,そのすべての責任を負わされているものではない。しかし,教育課程は,地域社会の改善に役だつような有効な教育計画をもつことが望ましい。
したがって,その教育課程の実践に伴って,教育課程が地域社会の生活にどのような影響を及ぼしたか,また及ぼしつつあるかということに着目して,教育課程の評価を行うことは,忘れることのできないことである。もちろん,このような影響は,必ずしもただちに現われてくるとはいえず,また,すぐにとらえられるような形であらわれてくるともいえない。しかし,すぐれた教育課程は,児童・生徒の地域社会における行動の変化をもたらし,多かれ少なかれ地域社会の生活によい影響を与えるものである。
(e) 指導法からみた評価
教育課程と指導法とは,密接に結びついて,切り離すことはできない。だから,教師の指導法の進歩は,教育課程の改善を促がすことになる。われわれは,教育課程の展開の各段階に応じて,われわれに知られているかぎりの好ましい指導の方法を研究し,それを実施し得たかどうかによって,教育課程を評価することができる。これは実践をとおしての教育課程の評価であって,教師みずからの活動を分析してみることによってなされうる。
(f) 教育課程の改善を行うに至った導因およびそれに用いた方法の評価
教育課程の改善は,ひとりひとりの教師が,自分の担当する学級の学習状態を改善しようとする努力や苦心をもととして行われるのが望ましい。流行を追ったり,他から強制されたりして,短時日の間に改革しようとするような態度は,つよく避けられなければならない。したがって,教育課程の改善の仕事が,学校や教師のどのような切実な必要に迫られて行われたものであるか,教育課程改善の導因は何であったか,どのような手順や方法で改善が行われたかというような,点は,教育課程評価の一つの着眼点となろう。
教育課程改善の導因や手順が,実に正しいものである場合に,その教育課程は学校の事情や,児童・生徒の必要によく適合することができる。
以上は,教育課程評価におけるいくつかの着眼点を示したものである。ここに掲げたこと以外にも,考慮されるべき着眼点もあろう。各教師は,相協力して教育課程の評価の着眼点やその具体的な方法を考えることによって,自分の学校の教育課程をいっそう進歩させ,改善することができるであろう。