Ⅲ 学校における教育課程の構成

 

1. 教育課程とは何を意味しているか

 前章で述べたことは,文部省が学校に示唆する教育課程のわく組についての概要である。すなわち,各地方や学校でそれぞれの教育課程を構成していくときに,その手がかりとなる大まかなわく組を示したものである。そして小学校および中等学校の各教科の指導内容や指導法については,別に出版される各教科の学習指導要領に詳細に示されている。これらはまた学校において教科内容や学習活動を選択する場合に,その手がかりとなるものであり,教師に有益な示唆を与えるものである。

 本書には,各教科とその時間配当が示されている。これは,各地域や各学校で具体的な指導計画をたてる際の参考となるものであるが,単にそれだけでは教育課程そのものについての叙述はじゅうぶんでない。本来,教育課程とは,学校の指導のもとに,実際に児童・生徒がもつところの教育的な諸経験,または,諸活動の全体を意味している。これらの諸経験は,児童・生徒と教師との間の相互作用,さらに詳しくいえば,教科書とか教具や設備というような物的なものを媒介として,児童・生徒と教師との間における相互作用から生じる。これらの相互のはたらきかけあいによつて,児童・生徒は,有益な経験を積み教育的に成長発達するのである。しかも,児童・生徒は一定の地域社会に生活し,かつ,それぞれの異なった必要や興味をもっている。それゆえ,児童・生徒の教育課程は,地域社会の必要,より広い一般社会の必要,およびその社会の構造,教青に対する世論,自然的な環境,児童・生徒の能力・必要・態度,その他多くの要素によって影響されるのである。これらのいろいろな要素が考え合わされて,教育課程は個々の学校,あるいは個々の学級において具体的に展開,されることになる。いわゆる学習指導要領は,この意味における教育課程を構成する場合の最も重要な資料であり,基本的な示唆を与える指導書であるといえる。

 このように考えてくると,教育課程の構成は,本来,教師と児童・生徒によって作られるといえる。教師は,校長の指導のもとに,教育長,指導主事,種々な教科の専門家,児童心理や青年心理の専門家,評価の専門家,さらに両親や地域社会の人々に直接間接に援助されて,児童・生徒とともに学校における実際的な教育課程をつくらなければならないのである。

 学校における教育課程の構成が適切であり,教室内外における児童・生徒の学習が効果的に行われるときに,それはよい教育課程といわれるのである。学習指導要領がいかに改善されても,学校における実践が改善されなければ,真の意味における教育課程の改善とはならない,逆に,たとえ,学習指導要領がふじゅうぶんなものであっても,有能な教師はすぐれた教育課程をつくりうるであろうし,それがひいては,学習指導要領の改善を促す機縁ともなるであろう。

 次に,教師が教育課程を構成していく際に,留意しなければならない点を考えてみよう。

 

2. 教育課程はどのように構成すべきであるか

 学校における教育は,児童や生徒の行動や考え方を一定の目標に向かって変化発展させていくところに成りたつといえる。したがって教育課程の構成に当っては,まず目標をはっきりとらえることが必要となる。次に,目標を達成するに有効な教育内容や学習活動を選択し,児童・生徒の経験の発展をはからねばならない。これによって児童・生徒の経験は,目標に向かって再構成されることになる。したがって教育課程の構成に当っては,(1)目標の設定,(2)学習経験の構成ということがたいせつな仕事となる。しかも,この二つの要素は機能的に相互に密接に関係し合っているのである。

 

3. 年間計画と週計画

 教育課程は,児童生徒のもつ望ましい諸経験の連続的な過程を示すものである。学習指導の計画をたてる場合には,この連続的な過程を大きく三つの側面に分けることができる。一つは,1年あるいはそれ以上にわたる長期の指導計画であって,これを年間計画と呼ぶことができる。次には,数週間または2〜 か月にわたる学習活動の計画であって,単元の計画あるいは一つの題材についての指導計画がこれに当る。そして,これらの指導計画は,日々あるいは,1週間を単位としてのさらに細分された指導計画を必要としてくる。

 これらの指導計画の三つの部分は,それぞれの特色をもってはいるが,しかしおのおのが切り離され孤立したものではなく,互に関連をもち,全体として児童生徒の経験の発展を期すものである。

 全体としての指導計画の三つの部分のうち,単元の計画については,すでに述べたから,ここでは,

 について述べることにする。