われわれは,前の章において,教育の一般目標について述べ,この目標に到達するに必要な教科の種類や教科以外の活動・特別教育活動について簡単に触れた。
もちろん,どのような教科を設けるのが適切であるかということについては,歴史的にも,種々な変遷があったし,現在もいろいろな議論が行われている。われわれは,現在の社会の目的や生徒の経験の発展についての心理学的研究や,学習の難易の程度などの点から考えて,さきにあげたような教科が,現在のところ一応適当ではないかと考えているのである。
ともかく,教育の一般目標に達するためには多面的な内容をもった指導が必要であり,この内容をその性質によって分類し,いくつかのまとまりをつくったものが教科であるといえる。だから,各教科は,それぞれの内容や学習活動を通じて,教育の一般目標を達成するために,責任を分ち合っているものである。
しかし,教育の実際にとりかかろうとすると,これらの教科をただ児童や生徒にあてがいさえすればよいと考えることはできない。われわれは,児童や生徒の現実の生活やその発達を考えて,どの学年からどの教科を課するのが適当であるかを定めねばならない。そしてまた同一の教科であっても,その内容をどんなふうに学年を追って課するのが適当であるかという考慮も必要になる。また教科以外の教育的に有効な活動,あるいは特別教育活動も,児童や生徒の発達を考えて適切な選択が行われるようにしなければならない。このように児童や生徒がどの学年でどのような教科の学習や教科以外の活動に従事するのが適当であるかを定め,その教科や教科以外の活動の内容や種類を学年的に配当づけたものを教育課程といっている。
教育課程は,現在の社会目的に照して,児童や生徒をその可能の最大限にまで発達させるために,児童や生徒に提供せられる環境であり,また手段であるから,社会の変化や文化の発展につれて変るべきものである。このことは,また同時に,教育課程は,児童や生徒の必要に適合するために変るともいい換えるとともできる。だから厳密に考えていけば,教育課程は,その地域の社会の生活の特性により,その地域における児童や生徒の特性によって,それぞれ異なるといえるものである。教育がその地域の社会に適切なものとなるには,どうしてもそうならなくてはならないはずである。だから,教育課程は,それぞれの学校で,その地域の社会生活に即して教育の目標を考え,その地域の児童や生徒の生活を考えて,これを定めるべきであるといえる。
しかし,そうはいっても,わが国の各地域で,教育の目標がさして異なるということもないし,また児童や生徒の生活やその発達過程も全然異なるともいえないから,わが国の教育として一応各学校が参考とすべき教育課程を示唆することはできる。ことに,どういう教科を課するかということについては,教育の骨組をなすものとして,その基準を示す必要がある。学校は,このような教育の大きな骨組を参考とし,基準として,自分の学校のある地域や,その地域の児童や生徒の生活を考えて指導計画をつくるならば,学校の計画を適切なものとすることが容易である。
このような意味において文部省では教育課程について調査審議する委員会を設け,この委員会の研究に基いて,小学校・中学校・高等学校別に,指導されるべき教科の種類とその指導のために必要と考えられる一年間の総指導時数および特別教育活動の時間の例を,1から3までに述べるようにつくり,学校の参考に資することにした。
1. 小学校の教科と時間配当
教育についての考え方の進歩とともに,小学校の教科の取扱い方やそれについての考え方は以前と異なっている。さらに地域社会の必要やこどもの必要を考えて,教育課程をつくるべきであるという原則からいえば,各教科に全国一律の一定した動かしがたい時間を定めることは困難である。したがって下記の教科の表においては,教科を四つの大きな経験領域,すなわち,主として学習の技能を発達させるに必要な教科(国語・算数),主として社会や自然についての問題解決の経験を発展させる教科(社会科・理科),主として創造的表現活動を発達させる教科(音楽・図画工作・家庭),主として健康の保持増進を助ける教科(体育科)に分ち,それぞれの四つの領域に対して,ほぼ適切と考えられる時間を全体の時間に対する比率をもって示した。この教科に対する時間配当表は,およその目安をつけるためにつくられたものであって,これを各学校が忠実に守ることを要求するものではない。これは各学校がそれぞれの事情に応じて,よくつりあいのとれたよい時間配当表をつくるための参考資料に過ぎない。
教科についての時間配当の例
学年
教科 |
|
|
|
算 数 |
|
|
|
理 科 |
|
|
|
図画工作 |
|
|
|
|
|||
|
|
|
|
|
|
|
|
備考
(b) 教科と教科以外の活動を指導するに必要な一年間の総時数は,基準として次のように定められる。
第1学年および第2学年 870時間
第3学年および第4学年 970時間
第5学年および第6学年 1,050時間
(b) 毛筆習字について
従来小学校の書き力は,硬筆を用いてのものに限られていて,毛筆による習字は中学佼で課することになっていた。しかし,もし毛筆習字の学習を児童もこれを必要とし,また同時に学校でもその必要を認めるならば,硬筆習字にある程度習熟した第4学年以上の適宜の学年でこれを指導するのがよいであろう。もちろん,この場合毛筆習字は国語学習の一部として課するのであって,小学校の段階では習字という教科を設けることは望ましくない。
(C) 家庭科について
家庭生活についての指導は,入学の当初より必要である。おそらく各教科の学習や教科以外の活動のあらゆる機会に,家庭生活についての指導が行われるであろうし,また行うように努めなければならないのであろう。しかし小学校5,6年ころになれば,家庭生活についての理解も深まり,家庭的な実技に必要な児童の巧緻運動も相当に発達するし,児童もまたこれについて興味を持つようになる。したがって5,6年の段階においては,家庭生活についての指導のために特別な時間を設ける必要が起るであろう。そうはいっても5,6年に指導せられる家庭科においては,高度の技術や複雑な仕事を要求することは,適当ではない。これらの技能や経験は,すべて初歩的なものに限られるべきであろう。また小学校の段階においては,学習経験は男女に共通であることが望ましい。最初から男女を区別して指導しなければならないような高度の技能は中学校に譲るべきである。この意味からいって従来の家庭科の内容は,大いに改善される必要があろう。その詳細については近く文部省より発行される「児童の家庭生活指導の手びき」を参照されたい。
(d) 道徳教育について
健全な社会は,常に健全な道徳をもっている。民主的社会の建設を目ざして,新たに出発したわが国においては,学校教育においても,新しい立場にたって民主社会の建設にふさわしいじゅうぶんな道徳の指導が行われねばならない。一般編に示された教育の一般目標も児童生徒の道徳的な発達について,その望ましい方向がじゅうぶん強調されている。
しかし,現在のわが国の教育の実情からみるときは,ただ目標としてこれを掲げるのみならず,どのようにしてこの方面の指導を行うかの具体的な方策を明らかにすることを必要としている。民主社会における望ましい道徳的態度の育成は,これまでのように,徳目の観念的理解にとどまったり,徳目の盲目的実行に走ることを排して,学校教育のあらゆる機会をとらえ,周到の計画のもとに,児童・生徒の道徳的発達を助け,判断力と実践力に富んだ自主的,自律的人間の形成を目ざすことによって,はじめて期待されるであろう。したがって道徳教育は,その性質上,教育のある部分でなく,教育の全面において計画的に実施される必要がある。教育の全体計画において,児童・生徒の道徳的発達を期しようとするならば,社会科を初め各教科の学習や特別教育活動が,道徳教育のためにどのような役割をもつべきであるかということが,明らかにされていなければならないであろう。そしてまた,学校教育の全面において,道徳的態度を形成するための指導を行うということは,各教科の学習や特別教育活動がそれぞれの役割をじゅうぶん果して,互に関連をもって行われること,すなわち,全体計画に基いた教育が推進されるということでなくてはならない。そうでなくては,人格的統一が失われることになる。ただし,ここに考えておかねばならないことは,どの教科の学習においても,道徳的態度の形成のための指導は可能であるし,また必要でもあるが,そのために,その教科の主として目ざしているねらいが,おろそかにされるということがあってはならないということである。
以上は,道徳教育の方法に関する一般的なことであるが,小学校としては,児童の発達段階からいって,深い道徳的理解や判断力を求めることは困難である。したがって,身近な日常生活を基礎として,道徳的態度や情操が形成されていくように指導することが必要である。このために小学校では,いわゆるしつけがたいせつであるともいえるが,しかし,しつけをただ上から与えようとするのでなく,児童の理解に基いたしつけが行われるようにしなければならないであろう。高学年になれば,道徳的情操はもとより,ある程度の道徳的理解や判断力もつくから,児童の発達に応じて,いろいろな学習や活動の機会を通じて,これらをも養って行くようにすることが望ましい。なお,道徳教育についての詳細は,近く文部省から発行される「児童生徒が道徳的に成長するためにはどんな指導が必要であるか」を参照されたい。
(e) 健康教育について
こどもの健康の指導は,学校において重視されねばならない。小学校における健康教育は,ある特定の時間を設けて指導するよりも,教科の学習や教科以外の活動のすべてを含めて,あらゆる機会をとらえ,あらゆる活動を通じて行われることが望ましい。たとえば,毎日課業の始まる前に健康の検査をすることもよいであろうし,また昼食時における指導もたいせつであろう。またクレヨンその他の学用品や,いろいろな道具を使うときにも健康の指導についての配慮を忘れてはならない。すべての学習内容や教科以外の活動が健康教育に寄与することはもちろんである。ともかく指導計画の全体を通じて,こどもの身体的,精神的な健康についての強い配慮が必要である。そしてよい健康の習慣が形成されるようにしなければならない。
ここに示唆された「教科とその時間配当表」には従来あった自由研究がなくなっている。昭和22年度に発行された学習指導要領一般編には,自由研究の時間の用い方として,(1)個人の興味と能力に応じた教科の発展としての自由な学習,(2)クラブ組織による活動,(3)当番の仕事や,学級要員としての仕事をあげている。これらの活動は,すべて教育的に価値あるものであり,今後も続けられるべきであろうが,そのうち,自由研究として強調された個人の興味と能力に応じた自由な学習は,各教科の学習指導法の進歩とともにかなりにまで各教科の学習の時間内にその目的を果すことができるようになったし,またそのようにすることが教育的に健全な考え方であるといえる。そうだとすれば,このために特別な時間を設ける必要はなくなる。
他方,特別な教科の学習と関係なく,現に学校が実施しており,また実施すべきであると思われる教育活動としては,児童全体の集会,児童の種々な委員会・遠足・学芸会・展覧会・音楽会・自由な読書・いろいろなクラブ活動等がある。これらは教育的に価値があり,こどもの社会的,情緒的,知的,身体的発達に寄与するものであるから,教育課程のうちに正当な位置をもつべきである。実際,教科の学習だけではじゅうぶん達せられない教育目標が,これらの活動によって満足に到達されるのである。
このように考えてくると,自由研究というよりも,むしろ教科以外の教育的に有効な活動として,これらの活動を包括するほうが適当である。そこで自由研究という名まえのもとに実施していた,いくつかの活動と,さらに広く学校の指導のもとに行われる諸活動を合わせて,教科以外の活動の時間を設けたのである。
教科以外の活動としては,どのようなものを選び,どのくらいの時間をそれにあてるかは,学校長や教師や児童がその必要に応じて定めるべきことである。しかしながら,ここに一例を示すならば,次のような諸活動を考えてみることができる。
(ⅰ) 児童会(従来自治会といわれたもの)
児童会は,全校の児童によって選挙された代表児童をもって組織されるものであって,代表児童はこの組織を通じて,全児童に代って発言し,行動し,学校生活のよい建設に協力参加することを目的とするものである。小学校の段階において,児童会にどの程度の活動を期待したらよいか,また教師はどの程度の指導をしたらよいか,児童会によってどのような教育効果が望まれるか。これらの点について校長や教師は前もってじゅうぶん研究しておく必要がある。
ここにいう児童会という名まえは,学校によっていろいろ呼ばれているが,多くの場合自治会と呼ばれている。しかし自治会というときには学校長の権限から離れて独自の権限があるかのように誤解されるおそれがあるからこのことばはさける方がよい。児童会は校長より委された権限の範囲内において,校長や教師の指導のもとに学校の経営に参加し,よりよい学校の建設に寄与すべきものであることを児童も教師もよく理解している必要がある。
児童会に出席する代表児童は何学年ぐらいから選んだらよいかはよく研究しなければならない。少なくとも1年生や2年生は無理であろう。このようなこどもに対しては,児童会長がその希望を聞いたり,決定事項を親切に伝えるのがよいであろう。
(ⅱ) 児童の種々な委員会
児童会は,学校長より任された権限の範囲内で,学校経営の実際の仕事に参加協力するために,いくつかの部あるいは班をもうけ,その仕事を分坦させる必要が起るであろう。各部あるいは各班はそれぞれの委員会によつて構成されるが,その連絡調整には児童会の委員が当るのである。このような部あるいは班の委員会としては,次のような事項に関するものが考えられる。
○学校放送の実施
○学用品類の共同購買
○校舎内外の清掃,整備
○掲示物の展示とその管理
○学校図書館の運営
○運動場や運動器具の管理と遊びや運動の奨励
○飼育・栽培・気象の観測
○こども銀行の経営
全校の児童が一堂に会して,いろいろな発表や討議,あるいはレクリェーションを行うことは楽しいことでもありまた有意義である。また児童会の企画に基いて,適時に運動会・音楽会・展覧会・学芸会などを行うのも奨励されるべきことである。
(ⅳ) 奉仕活動
児童会の決定に基いて,地域社会と緊密な連絡をとり,奉仕活動を積極的に行ったり,またそれに参加したりすることは奨励されるべきことである。
しかし,これは学校の指導計画の範囲内にとどまり,それと密接な関係をもつかぎりにおいてとりあげられるべきであろう。奉仕活動としては,たとえば,次のようなものが考えられる。
○清掃や施設の整備に関係すること。
○保健衛生に関すること。
○道徳の振興に関すること。
○共同募金に関すること。
(ⅰ) 学級会
学級に関するいろいろな問題を討議し解決するために,学級の児童全体が積極的に参加する組織が学級会である。もっともこのような名称は学校によっていろいろに呼ばれていることであろう。ともかく,このような会を通じて,民主社会のよい市民としての性格や態度がつくられるであろう。
(ⅱ) いろいろな委員会
学校内には,いろいろな仕事がある。たとえば出席をとること,机やいすの整頓や清掃,図書の貸出しや整理,黒板や掲示板の管理や掲示,教師に提出するものを集める仕事,運動具の管理などがそれである。これらの仕事を教師の指導のもとにこどもたち自身の責任において処理するために,いろいろな,委員会をもうけるのがよい。各委員は,自分のひき受けた仕事に責任をもって果すことを学ぶことができる。委員はときどき交代するのがよいであろう。
また学級で遠足その他のレクリェーションを計画することもよいことである。
(ⅲ) クラブ活動
学年の区別をすてて特殊な興味を持つこどもたちが,クラブを組織し,自己の個性や特徴を伸ばしていくことは有益である。たとえば音楽クラブ,演劇クラブ,科学クラブ,絵画クラブ,書道クラブ.手芸クラブ,スポーツクラブなどをあげることができる。クラブに参加するこどもは何年ぐらいからが適当か,教師の指導はどのようにすべきかについては,よく研究する必要がある。
以上は,教科以外の活動の一例にしかすぎない。ただこのような活動は自由研究とは異なって,そのうちのあるものは低学年から実施できるといえる。だから学校は,低学年にもこのような活動の機会を与えることが望ましい。もちろん,こどもの発達段階や能力や興味を考えて,児童の過重負担にならない程度において適切な時間を考え,教科の指導と相まって,児童の円満な発達を助けるようにすることが望まれる。
教科以外の活動が,適切に指導されるならば,児童を望ましい社会的行動に導くことができ,道徳教育として目ざすものの多くをも,実践を通じて体得させることができるであろう。そしてわれわれは,児童の成長発達について,次のようなよい結果を期待することができるであろう。
○自己の意見や考えを発表する能力を高め,学校のいろいろなでき事を解決する能力を高める。
○礼儀や規律を重んじ,りっぱな校風を作るようになる。
○企画性や協同性を高め,仕事の遂行に喜びを感ずるようになる。
○民主生活のしかたを学び,状況に応じてよい指導者となり,またよい服従者となるようになる。
○奉仕の精神を養い,社会的責任を自覚し,社会人としての望ましい態度をもつようになる。
○健康についてのよい習慣をもつようになり,個人的および社会的健康に注意するようになる。
○閑暇の時を有効に用いることができるようになる。
○自分の個性を自覚し,自己を評価することができるようになる。
○自己の趣味を広め,芸術・音楽・演劇などの鑑賞力を高めることができる。
(3) 時間数および一日の指導計画について
「教科とその時間配当表」の備考に示された1年間の総指導時間数は,1週間について1〜2年は23時間,3〜4年は25時間3O分,5〜6年は28時間,1か年間38週の指導をするものとして,これを基礎として定めたものである。
学校では,こどもにつり合いのとれたよい経験を与えるために,この時間を教科の指導や教科以外の活動の指導に適切に割り当てる必要がある。
1週間の指導計画,あるいは1日の指導計画において,いろいろな活動をどのように組み合わせ,それに対して,時間をどのように配当するかについては,特別なくふうを必要とする。1週,あるいは日々の指導計画は,児童によい学習の機会を提供することができるようにつくられねばならない。よいプログラムを作るためには,次のような基準を参考にすることが必要であろう。
(b) 弾力性をもつ必要があるといっても,健康の検査や,昼食時や放課などのきまりきったことは,毎日の一定の時間に定めておくべきこと。
(c) 教科の性質や児童の興味を考えて,児童の学習活動をじゅうぶん発展させるために,大きなかたまった時間をとるべきであること。
(d) 身体的,知的,社会的,情緒的な経験がつり合いがとれて学習されるように,全体の経験のつり合いがとれるようにすること。
(e) 日々のプログラムの各教科間の関係をじゅうぶんに考えること。
(f) 毎日,多様な活——計画や評価のための,仕事や遊びや学習のための,技能の習熟のための,自己表現のための,芸術の鑑賞のための活動——を営むことができるようにすること。
(b) 理解のための時間。学習はすべて理解が成立しなくてはならない。そのためには,教師が誘導したり刺激したり,暗示を与えたり,勇気をつけたりすることが必要である。
(c) 熟練のための時間。学習には理解とともに熟練が必要である。しかし理解にも熟練にも個人差があるから,理解のために力を注ぐと同時に,熟練にいたるまではひとりひとりについて指導することがたいせつである。
そこでそういう個人的な指導をして,熟練にいたらせる時間が必要になる。このような熟練のための時間は,前の理解の時間とはちがった趣をもっている時間として,1日のうちのどこかに組み入れられることがたいせつである。
(d) 情操をたかめる時間。美しい絵を見たり,音楽をきいたり,歌ったりする時間がこれである。このような時間は,また児童の円滑な発達のために,1日の時間割の中に組み入れられる必要があろう。
(e) 創造的表現のための時間。児童が何かを組みたてたり,詩や歌を作ったり,絵をかいたりする時間がこれである。児童は自分の学んだことや,経験したことを表現したいという欲求をもっているし,また表現するように刺激する必要がある。このような時間もまた,1日の時間のうちにあることが望ましい。
(f) 休みの時間。児童は一日休みなしで学習することはできない。休みの時間が必要であることはいうまでもない。通例一時限の学習のあとに10分ないし15分の休みの時間をきまりきっておくことが行われているが,そのような休みの時間のとり方よりも,児童のそのときどきの必要を考えて,しばらく静かにしているとか,5分間運動場をかけまわるとか,もし必要があれば10分間楽しく遊ぶとかいうように,その場に応じての適切な休み,時間のとり方が望ましいであろう。
ただし昼食の時間の休みは一定しておく必要がある。
(g) 教科以外の活動の時間。この種の活動のうちで,わずかの時間で完成できるもの,たとえば,朝の相談といったものは,毎日きまった時間に行うことができるが,相当まとまった大きな時間を必要とするものは,毎日行うことは困難である。したがって1週間のうちの適当な日,たとえば土曜日の午前にこの活動を行うように計画することも一つの方法であろう。
(h) 反省およびあとかたずけの時間。1日の学習の最後に,その日の活動の状況を反省したり,また机やいすや学用品のあとかたずけをする時間をおく必要がある。また,この最後の時間に,教師は,児童が明るい楽しい気持で家に帰ることができるように,児童を激励してやるようにしたいものである。
次に示す1日のプログラムは,以上のことと,各教科に割り当てられた時間のパーセンテージとを考えあわせて作った一つの参考例である。各学校は,このプログラムを参考としてそれぞれの学校に最も適したものを作るのことがのぞましい。
〔例1〕 第1学年 第2学年
時 分
9:00 相談の時間,健康の検査
9:10 社会科,理科
9:55 音楽,あるいは図面工作
10:40 算数
11:05 国語
12:00 昼食,休憩
1:00 体育
1:30 国語(特に読みと書きの練習)
1:50 今日の仕事の反省,あとかたずけ
2:00 放課
〔例2〕 第3学年 第4学年
時 分
9:00 相談の時間,健康の検査
9:10 算数
9:40 国語
10:25 音楽,あるいは図画工作
11:10 社会科
12:00 昼食休憩
1:00 国語(特に読みと書きの練習)
1:25 理科
1:55 体育
2:20 今日の仕事の反省,あとかたずけ
2:30 放課
〔例3〕 第5学年 第6学年
時 分
9:00 相談の時間,健康の検査
9:10 社会科
10:05 体育
10:30 国語
11:20 算数
12:00 昼食,休憩
1:00 理科
1:30 国語
1:50 音楽,あるいは図画工作,あるいは家庭
2:50 今日の仕事の反省,あとかたずけ
3:00 放課
このプログラムは,毎日ほとんどすべての教科の学習が行われることを仮定して作ったものである。毎日規則正しい学習が行われることについては,このプログラムはその特色をもつが,しかし学習活動の種類によっては,ここに例示されたものよりももっと大きなまとまった時間を必要とするであろう。たとえば社会科で見学に出かけるとか,理科の実験を行う場合とか,あるいは体育であるゲームを行うといった場合には,ここに示された各教科の時間よりも,もっと大きな時間を必要とする。このような場合を考えると,毎日変化ある多様な活動を行わせると同時に,1週間としての時間の計画をする必要が起ろう。たとえば,ある日に45分の体育の時間をとったならば,次の日には15分の体育の時間を与えるとか,理科の指導を60分した翌日には,理科の指導の時間を欠くとかいった計画がそれである。
弾力性をもたせた1週間のプログラムを作る際には,ここに示した日々のプログラムはその計画の基礎として役だつであろう。