Ⅰ 教育の目標

 

 教育においては,教育の目標を考えることなしに,解決される問題はないといえる。ことに教育課程は,児童や生徒たちが望ましい成長発達を遂げるために必要な諸経験をかれらに提供しようとする全体的計画であるから,教育課程を論ずるにあたっては,まず始めに教育の目標をしっかりはあくしてとりかからねばならない。それゆえ,小学校・中学校・高等学校の教育課程の問題を一般的な立場で取り扱おうとする本書においても,教育の目標についての考察から始めねばならない。

 

1. 教育の目標を定める原理

 教育は,児童・生徒の成長発達を助成する営みである。したがって教育目標は,児童・生徒の個人的,社会的必要をよく考えて定められねばならない。この必要は,次の三つの点から考えてみることができる。

 第一は,児童・生徒が,生物として本来もっている必要である。たとえば,人間が飢えたときには食物を求める。疲労したときには休息を求める。よく休んだ後には活動を求める。眠いときには眠りを求める。寒ければ暖かさを求める。性的な目ざめが起れば異性を求める。その他人間が生命を維持してゆく上に充足されねばならないいろいろな必要がある。これらの必要を満たそうとするところに人間の活動が生れる。児童・生徒は,これらの生理的な必要を社会的に望ましいしかたで,どのようにして満たしたらよいかを学ばねばならない。この必要は,生物としての人間の分析から発見されるものであって,あらゆる形態の社会に通ずる基本的な必要であるといえる。

 第二は,発達過程における児童・生徒が,その発達に応じて必要とすると考えられる必要である。いいかえれば,児童・生徒みずからが潜在的にもっている必要である。児童・生徒は,全体として人格的に発達しつつあり,そこにいろいろな必要が考えられるが,今かりに,身体的,知的,社会的,情緒的の四つの方面に分けて,これらの必要を考えてみると,およそ次のような必要が考えられる。身体的発達の事実から生ずる必要としては,栄養や運動,適当な休息,身体の清潔,病気や危険に対する保護などが考えられ,知的な発達の事実から生ずる必要としては,各領域にわたる広い深い経験や知的な活動が考えられ,社会的発達の事実から生ずる必要としては,自己を確立するとか,友だち仲間に加わるとか,学校や地域社会の生活,さらに大きくは一般社会生活が有効に営めるとかいった社会的な発達のための助力を必要とする。情緒的発達の事実から生ずる必要としては,美的な経験や安定感・成功感などが与えられることの必要が考えられる。もちろん,ここに分けて述べたこと以外に,人格として円満な発達をし,健全な,力強い,気持のよい人間となるためのいろいろな助力を必要としているといえる。そして,これらの必要の発見は,児童心理学や青年心理学の研究および,教師が直接に児童や生徒を観察して,かれらを理解することによってなされるであろう。

 第三は,児童・生徒は現在および将来の民主的な社会の構成員として,民主的な社会のいろいろな価値や,それを実現する方法を学ぶ必要がある,という場合の必要である。たとえば,児童・生徒は,自己および他人の権利と個性を重んじるとともに,個人に自由が保証されている社会にのみ価値の高い文化が創造されるという考えをもち,それを創造する能力を発達させる必要があるとか,あるいは,自国の伝統と現状について正しい理解をもつとともに,世界平和のために,国際的協調のたいせつなことを理解する必要があるとか,あるいは,民主的原理によって問題を創造的に解決することを最善と考え,そのような実行をすることの必要があるとか,生活上の問題を処理したり,生活を豊かにしたりする技能を身につける必要があるとか,自己や社会の健康を増進するための知識や技能を習得したり,勤労を愛好する態度を養う必要があるとか,といったもろもろの必要が考えられる。これらの必要の発見は,日本国憲法・教育基本法・学校教育法,その他の法規の研究や,さらに現在の社会の動向や問題の考察,社会発達の史的な見通しなどによって得られるであろう。

 最後に述べた児童・生徒の必要は,児童・生徒は,現在および将来の社会の構成員として,知識や技能,あるいは行動のしかたにおいていまだ未熟であり,欠けているから,未熟なものを発達させ,欠けているものを満たして行くべきであると成人が考えるものと一致するから,時に社会の必要とも呼ばれている。しかし,社会の必要という場合,児童・生徒の立場を忘れて,狭い視野からこれを強調する場合は,教育的に望ましくないいわゆる社会的要求を児童・生徒に強制するといったことも起る。社会の必要ということばを用いる場合も,われわれは,常に教育的にこれを考えていく用意を忘れてはならないのである。

 また,児童・生徒の必要の一つとして,児童・生徒の興味や,その時々の欲求や願望を考える人もある。これも教育の目標を考える場合にわれわれが参考とすることはできるが,しかし,これは主として実際指導の場面において,教材の選択や,学習指導法を考える場合にじゅうぶん考慮すべき事がらであると思う。

 さて,以上三つに分けた必要の分析から生れる教育の目標には,理想として追求せられるような遠大なものから,日々到達すべききわめて身近なものまで,各種の段階のものが含まれることになろう。今これを一般化して,国民一般の教育についての具体的な目標を次に考えてみよう。

 

2. 教育の一般目標

 前に述べたように,教育の目標は,児童・生徒の必要の分析に基いて定められる。いわゆる社会理想も,これを目ざして児童・生徒が努力すべきものであるから,われわれは,これを児童・生徒の必要のうちに含めて考えてきた。この考えは,いわゆる社会の必要といわれるものも,これを児童・生徒の必要のうちに収めとり,これを一体的に考えて行こうとするものである。なぜならば,個人の望ましい成長発達は,社会の維持改善をもたらすものであり,また,社会の維持発展のためには個人の望ましい成長発達をはからねばならないからである。だから,教育の目標は,児童・生徒の行動や考え方の変化によって,社会の必要が充足され,それによって社会目的が到達されうるような方式で考えられねばならない。

 これがために,まずわれわれは,個人生活の充実,個人能力の最大限の発展を考えねばならない。そしてその個人が家庭生活や,社会生活を営み,さらにそこにおいて経済生活・職業生活に従事するのであるから,これらの生活領域における民主的生活の価値や方法に対して,深い理解と,問題を処理する能力の発展とを期さなくてはならない。

 以上,教育目標を,(1)個人生活,(2)家庭生活および社会生活,(3)経済生活および職業生活の三つの側面に分けて考えてみたのであるが,これをそれぞれの側面において,さらに詳細に考えてみると次のようになる。これらは,すべて,望ましい社会の構成員となるために,児童・生徒が常にそれを目ざして学習経験を積むべき事がらである。  

3. 小学校・中学校・高等学校の目標

 以上の一般目標は,小学校から高等学校まで共通のものであり,中には,小学校の児童に関係の深いものもあり,また,中学校・高等学校において,特に重視しなければならないものもある。また,同一の目標であっても児童・生徒の身心の発達に応じて,その内容を深め,また高めていくべき性質のものである。したがって,この一般目標は,小・中・高の学校ごとにさらに具体化される必要があろう。

 小・中・高の学校ごとの目標を定めるにあたっては,学校教育法に述べられてある学校ごとの目標を基にして考えていく必要がある。その際注意すべきことは,小学校は中学校の手段であり,中学校は高等学校の予備段階であるといった考えをもってはならないということである。小・中・高の各学校は,児童・生徒の心身の発達からいって,それぞれの固有の目標をもっていることを忘れてはならない。そして,その固有な目標への到達が,自然に上級の学佼へ進む基礎として役だつのである。

 今,かような見地から,学校ごとの目標を定める着眼点を述べれば,およそ次のようである。

 小学校の児童は,まだ心身の発達がじゅうぶんでないから,むずかしい論理や高い技能をこれに求めることはできない。ここでは,心身の発達に応じた初等普通教育が目ざされる。すなわち,普通の社会人に必要と考えられる知識・理解・態度・習慣・技能・鑑賞の初歩的なものを身につける段階であるといえる。したがって,小学校においては,日常生活に必要な国語を正しく理解したり,使用したりする場合の初歩的なもの,また生活上の諸問題を数量的に処理したり,科学的に観察したりする場合の初歩的な能力,生活を明るく豊かにする音楽や美術や文学にしても,また健康を増進するための習慣にしても,その初歩的なものが目標とされねばならない。この時期におけるこどもの生活経験は,家庭や近隣から始まって,郷土や国家に広がり,高学年においては,世界にまで拡大されてくるが,これらのさまざまな生活の領域において,生活を最も有効に営んだり,問題を解決し処理するに必要な初歩的な理解・態度・能力などが,児童の身につけるべきたいせつな事がらとして望まれる。

 中学校は,義務教育終了の時期にあたっている。国民一般の社会生活に必要な教育が行われる段階である。すなわち,小学校における教育目標をなおじゅうぶんに達成して,国家および社会の形成者として必要な資質が養われねばならない。職業についての基礎的な知識や技能,職業選択の能力などを身につけることが,この時期において新たに求められてくる。さらに学校内外における社会的活動に参加し,社会生活の能力を高めることもたいせつな目標とされる。

 高等普通教育を行う高等学校においては,中学校における教育の成果を拡充発展させ,いっそう有為な国家社会の形成者の育成が目ざされている。生徒は社会生活に関する理解を一段と深め,社会における個人の役割をよく自覚し,自分の個性を最高度に発揮して,社会の進展に貢献しようとする態度を身につけねばならない。なお,この時期は,専門教育を行う時期でもある。生徒は個性に即した専門的知識・技能を修得し,また,職業についての理解を深め,その専門的な技能に習熟する必要がある。

 

4. 教 科 の 目 標

 小学校・中学校・高等学校の各教科は,それぞれの学校段階に応じて,一般目標の到達を分担するものである。一般目標に到達するためには,各方面にわたる学習経験を組織し,計画的,組織的に学習せしめる必要がある。かような経験の組織が教科であるといえる。

 今,一般目標が各教科によって,どのように分担されているかを考えてみると,およそ次のようにいえると思う。すなわち,主として,人間関係についての目標に到達するために社会科が,社会生活を円滑にするための言語活動に関する目標に到達するために国語が,物事や現象の科学的・数量的な観察処理の目標に到達するために理科や算数数学が,健康な生活に導く目標のために保健体育が,美的なしかもうるおいのある豊かな生活の目標に到達するために図画工作や,音楽や書道が,外国語の言語能力を養い,その外国語を通じて外国についての理解をうるために外国語が,経済的・職業的・家庭的経験の発展の目標に到達するために職業や家庭に関する教科が設けられている。

 しかし,これは各教科の主要な点をとらえていったのであって,各教科の分担をこれだけに限定することはできない。各教科は,この主要な目標を中心として,その広がりをもっている。たとえば,国語は言語の表現と理解とを中心としながら文学を含み,うるおいのある豊かな生活の目標に連なる。理科は,科学的な観察処理を目標とするが,それはおのずから健康の保持増進にも関係する。社会科はさらに多くの目標と関係している。このことは,他のすべての教科についていえることである。だから,各教科は,一般目標に含まれるもろもろの経験の各領域を分担しながら,おのおの密接な関係を保って,全体としての教育目標への到達を目ざすものであるといえる。すべての経験は相連なり合っているものであるから,教科はこれを箱に入れたように分断することはできないのである。

 各教科の目標については,それぞれの学習指導要領を参照されたい。そこには,類似した目標が見いだされるであろうが,それは,上に述べた理由からである。

 教育の一般目標のすべてを教科の学習だけでじゅうぶんに到達することは困難である。それゆえ,学校は教科の学習以外に,小学校においてはクラブ活動や児童会などの時間を設け,中等学校においては,特別教育活動の時間を設け,児童・生徒に,個人的,社会的なさまぎまな経験を豊かにする機会を提供する必要がある。これらの活動は,余暇利用についての目標,集団行動についての目標,その他身体的,社会的,情緒的発達に関しての目標の到達に大いに貢献するであろう。民主教育の目標は,こうした教科以外の活動によって到達される部面がきわめて大きいのである。