第三章  作業単元の構成

 

第一節 作業単元の任務

 

 現在社会科の指導がおちいりやすい二つの危険があります。その一つは、児童の自発性を重んじようとして、教師が児童の動くままにつき従い、十分教育の目的を達することができないということ、もう一つは、教師の要求と立場とで固定したわくを作り、既成の計画によって児童をしばろうとすることであります。

 この二方面の危険をどうすれば排除することができるか、いいかえれば、教帥の要求と児童の要求とをどうすれば両立させることができるかという難問を解決するかぎとして、作業単元が必要となってくるのであります。作業単元の任務もまたここにあるということができます。

 さきに作業単元において基底を考えたのは、前述の第一の危険を考えたからであります。現在見られる多くの学習指導においては、とかく教師の指導が思いつきやまにあわせに流れ、児童の中に実現されなければならない理解も、皮相にとどまって根底に入り得ないきらいがあります。その一つの理由としては、教師の利用することのできる具体的な、すなわち使いやすい手がかりが与えられていないということがあるといえましょう。ここに基底を設定する意味があるわけであります。しかも教師が十分な手がかりをもつこと、すなわちよく検計された豊富な計画をもつことによってこそ、児童の自発活動も真によく行われると考えることができます。なぜならば、はっきりした目標と豊かな見とおしとによってこそ、児童のはつらつたる自然の動きを刻々に、またその場所場所で十分に処理し、しかも方向を失わないということが可能になるからであります。

 しかし、いうまでもなく教師がそれらの手がかりに固着して、時と所に即して適切にこれを生かすという立場を失ったならば、そこにはただちにさきの第二の危険が存在するといわなければなりません。そうなれば、せっかくの手がかりとしての基底も、そのもつ意味を失ってしまうことになります。

 この意味で各教師によって構成され展開される作業単元は、基底の上にあり、またこれを手がかりとしながらも、基底とは一応切れているという関係をもつべきです。いいかえれば、学級教師は、児童の実際のありさまをつかんでいるただひとりの人でありますから、一般的な予想の下に用意された基底の内容をすぐそのまま使うのではなく、自分の要求に基づいて作業単元を構成するのに活用するのでなければなりません。そこにこそ作業単元の動的な性格があり、もしこれがないならば、とうていその任務を果たすことはできません。

 本来作業単元の構成と展開とは、児童の現実の生活から生じてくる問題の解決ということによって導かれるものであります。すなわちそこには、児童みずからの関心と目的と必要が生き生きと働いていなければなりません。教師もまた学習指導にあたって、指導上の関心と目的と必要とをもっていますが、それらは児童のもつものとはおのずから別なはずであります。たとえば児童にごっこ遊びをさせる場合を考えますと、児童はただごっこ遊びが楽しいからするのであります。これでおもしろく遊ぼうというのが児童の関心です。これに対して教師は児童にこれをさせることによって、一定の社会生活の部面にふれさせ、一定の理解に到達させようという目的・必要・関心をもっています。このように教師と児童とがそれぞれ自分の立場と要求とからたがいに働きあうことによって、作業単元の構成展開はなされるのであります。

 したがつて、教師が自分の計画によって作業単元を作っていくとともに、児童もまたその自発活動によって作業単元を見いだして作っていくということがいえます。しかもそこに展開されているものは、児童のなまなましい現実生活における問題解決の活動であるため、いわば動的な性格をもっています。これに対して基底は、静的な性格をもつということができるでしょう。

 

第二節 構成の手がかり

 

 具体的に構成される作業単元と基底との関係は以上のようでありますから、教師は基底の内容を自主的に活用して自分の学級の作業単元を作るべきであります。したがっておのおのの基底から一つの作業単元を生みださなければならないというのではなく、作業単元がいくつかの基底にまたがったり、ある基底については直接それに基づく作業単元がなかったりすることもおこり得るわけであります。しかしその場合においても、その基底についての根本的な理解は、なんらかの形でいずれかの作業単元の中に組み入れていくくふうが肝要であります。また基底の主題がそのまま作業単元の主題になる必要はないことはいうまでもありません。

 要するに基底は、たいせつな手がかりとして、しかしあくまでも手がかりにとどめるものとして、利用していく必要があります。おのおのの基底の利用のしかたが、作業単元の実施の時期や学習指導計画における位置、また地域性その他の具体的環境によって違ってくるのは当然といわなければなりません。

 このように、基底を手がかりとしながら、作業単元の具体的なありかたをきめていくものとしては、おおよそ次の条件が考えられます。

一、児童の具体的に直面する問題

二、児童の具体的な心身の発達状況とその特性

三、具体的な環境

四、学年の目標

五、一年間の学習指導計画

 これらに簡単な注を加えるならば、児童の具体的に直面する問題とは、前章に述べたような各学年の参考問題そのものではなく、それを根底としてはあくすることができる生きた個々の問題、すなわち児童の必要と欲求がねざしている実際上の問題であります。たとえば、「どうすれば登校・下校を安全にすることができるか。」は、児童にとって具体的に直面する問題であり、これを参考問題からいうならば、「家や学校で、よい子となるには、私たちはどうすればよいか。」、「私たちは旅行のときどんなことを心得、どんなことをする必要があるか。」「私たちはどうすれば健康で安全でいられるか。」などに包括されます。教師はたえず児童の言動や表情のあらわれを、ある環境におかれた児童の位置と結びつけて十分に観察し、その底にある具体的な問題を見いださなくてはなりません。たとえば、新しく入学したばかりの児童を見ると、あるものは学校の中をもの珍しげに元気よくかけまわって、あちらこちらの教室をのぞいたりしますし、あるものは不安そうに教室にのこって、しょんぼりしています。また、あるものは先生にしたしげにまつわりついてきますし、あるものははずかしそうにもじもじしていて、なかなか近づいてきません。しかし一見すれば反対のようにみえるこれらのあらわれの底には、「学校という新しい社会に適応するにはどうすればよいか。」という具体的な問題が共通に存在しています。このような問題を発見するのには、第一学年の、「家や学校で、よい子となるには、私たちはどうすればよいか。」「私たちはどうすればみんなといっしよに楽しい時間がすごせるか。」などの参考問題が手がかりになりましょう。

 児童の具体的な心身発達状況とその特性とは、学習指導要領に示された基準的なものに対して、実際に学級の児童の状況をたえず調査観察して得た具体的なものをさし、個々の児童の個性まで深くとらえることを意味しています。

 具体的な環境とは、学級や学校の状況をも含め、具体的な地域性をさしています。これは季節的な変化はもちろん、単に一定した状態のみでなく、突発的な変化をも加えて考慮すべきでありましょう。

 学年の目標は、一般的のものであり、その意味で抽象的でありますが、基底には具体化されて示されていますから、それを手がかりとして、各目標を学習活動の中で無理なく実現していきます。

 学習指導計画との関係については、他の作業単元との関連、実施の時期、その作業単元が指導計画の中で占める位置などが考慮されなくてはなりません。

 これらはいずれも、作業単元を動的に展開していくための、たいせつな手がかりと考えることができます。では次に、このような作業単元がもつべき基準について考えてみます。

 

第三節 適切な作業単元構成の基準

 

一、全体性をもち、したがって包括的なものであること、 これは基底設定の基準の第一項と同じであります。 二、広く深く発展させることのできるものであること。  これは前項と関連しています。すなわち包括的なものでないと、人間生活社会生活に広く深く触れていくことができません。なおそのほかに、十分に時間が与えられなくてはならないこと、児童の理解能力を越えた壁にすぐぶつかったり、適切不可欠な具体的な材料を欠いているものはできるだけ避けること、などが条件になります。 三、それを展開するにつれ、児童の興味を次々によび起すものであること。  このことに関連して、児童の興味を剌激するように環境がととのえられなくてはなりません。児童の興味の持続時間には限りがあります。とくに低学年においては、学習環境を設定しなおしたり、見学にいったりして、一つの作業単元の中に適当な山をいくつか作って、児童をひきつけることも有効でありましょう。(子供の前に示される題目は、必ずしも教師の予定する計画の全体を代表している必要はないとも考えられます。) 四、そのねらいどころが明確に考えられていること。  この単元によって実現される社会科の目標が明確にされていなくてはなりません。同時に他教科の目標との違いもはっきり考慮されていなくてはなりません。児童は社会科の目標と他教科の目標を区別することができませんが、教師はこの両者を区別して考えていなくてはなりません。 五、児童に自主的な問題解決をうながすものであること。  これは児童みずから目的をたて、計画し、実施し、その結果を評価するというような精神的活動を常に促進すべきだということであります。その際、それが共同作業に、またなるべくからだを動かす活動に適していることは、とくに望ましいことであります。 六、児童を民主的なふん囲気の中で活動させるものであること。  これは児童が建設的な立場で協力することによつて、みずからの問題を解決していくように配慮されなければならないということであります。それには、学習活動の各場面が、児童を自然に協力させるように構成されるよう考慮されなければなりません。ここで注意を要することは、たとえば協力を学ぶということも、安易に教えこまれるのでなく、児童が常に自分の必要と欲求に基づく活動を通じて、みずからかち得てくるものでなくてはならないということであります。直接的に与えられるのではなく、間接的な道程をたどって自然に獲得することこそ、真に生きて働く倫理的な要素の培養のすがたであります。 七、理解や知識を明らかにかつ深くするために、個人的あるいは集団的な各種の表現活動の機会を多く用意すること。 これは前章の基底の第四項と同じであります。 八、個人差が配慮されていること。  これはすべての児童がおのおの自分の能力を十分に生かして活動し、クラスのために役に立ち、仕事の完成のよろこびをもてるように、またどの児童にもその長所をのばし、短所をおぎなう機会が与えられるように配慮されていることであります。 九、他の作業単元との連関が考慮されていること。  これは理解のかたよりや重複をきたさないように、また各作業単元が自然のつながりをもつように考慮することであります。これは学習指導計画のありかたとして十分考慮する必要があります。
 学習指導計画は、すべての目標をもっとも効果的に達成するために、一年を通じての見とおしとして、常に立てられている必要がありますが、それが固定されたわくとなってしまうのでは、かえって害があるといわなければなりません。それは本来、一つの作業単元が終るごとに、新しく立てる必要のあるものであります。少なくとも見なおされ、修正を要するものであります。そうでないと、児童の必要や要求に応じて無理のない学習をしていくことができません。したがつて各作業単元の連関や移りゆきを考える場合にも、このような見地に立たなければなりません。このことは、作業単元そのものの計画についても同じようにいうことができます。教師の計画が、実施の際に動かされていくということにこそ、社会科学習指導の意味があり、くふうの手がかりがあります。