小学校社会科学習指導要領補説  
第一章  序 説

 

第一節 現在の問題

 

 社会科の学習指導要領を手がかりとして、全国の教師たちは社会科の教育を開始しました。全く新しい教科なので、さまざまの疑問や困難につきあたっていますが、教師たちの努力はそれを乗りこえて、学校に生き生きとした新しい気分を生みだしています。

 その疑問や困難のもとになるものをだんだんつきつめていくと、それらの原因は、次のようないくつかの問題がまだ正しく解決されていないからだと思います。

すなわちその問題は、

一、小学校の教科課程の中で、社会科はどのような位置を占めているか。

二、社会科の目標と地域の要求との関係はどうなっているか。

三、社会科の学習内容の選択およびその指導に対して、児童生活の研究はどのような意味をもつか。

四、どのようにして作業単元を作り、どのように展開するのが適当であるか。

五、社会科の教育の効果を判定していくのにはどうすればよいか。

六、社会科を実施するのにどんな資料や設備をととのえればよいか。

などであります。

 もちろん学習指導要領には、これらの問題に対する解決が示されていますが、それだけでは十分なっとくできないという人も多いようです。

 ことに三と四の問題は、学習指導計画の立てかたあるいは作業単元の選びかたとして、重要な問題となっており、どうも学習指導要領だけによっては解決しにくいという意見が強いのであります。

 したがって、これに対するもう少し詳しい説明をする必要があります。これがこの本の作られるようになった理由の一つです。

 前にあげた六つの問題は、決してばらばらのものでなく、たがいに入りくんでいるものであります。社会科の目標が具体的に理解され、児童の生活の動きやその発展のしかたがはっきりしてくれば、学習活動の選びかたもその展開のしかたもわかってきます。すなわち作業単元のありかたがきまってくるわけです。また作業単元のありかたがきまってくれば、その効果の判定方法もはっきりしてきますし、どのように資料や設備を準備したらよいかという目やすも立ってきます。さらに他の教科とどのように関連させるか、すなわち社会科を具体的にどんな位置におくかという見当もついてきます。

 作業単元はどのように実施したらよいかという目やすが立てば、逆にそれを手がかりとして、社会科の目標をその土地の実状に即して具体化していくこともできますし、児童の動きの中ではどのようなものを調査すればよいかという見当もついてくるわけです。

 そのようなわけで、作業単元の作りかたや展開のしかたが現在の社会科の第一の問題になっているといえます。

 学習指導要領では、その学習指導計画の立てかた、作業単元の作りかたについて簡単な説明を加え、作業単元の実例を三つあげてあります。そして教師がそれぞれ自分で学習指導計画を立てることを要求しております。

 ところで、その要求に基づいて各学校で作った作業単元なり学習指導計画なりの一般的傾向を見ますと、はじめてのことですから当然のことともいえますが、小さな題目の下にいくつかの学習活動がぽつぽつとならべられていて、学習活動が次から次へと展開していくようになっておらず、その小さな題目ごとに無理にまとめてしまおうとして、活動が表面的なものになり、児童に十分その問題を解決させる余裕を与えず、安易に社会道徳がおし売りされるようなきらいがみえます。もちろん非常によくできている学習指導計画もあり、適当な作業単元も多数生みだされてきていますし、たとえ小さな題目がならべられていても、その間に自然なそしてしっかりしたつながりがあり、学習指導が深く展開され、人間生活、社会生活の理解を一歩一歩深めていくものも相当見受けられます。

 それゆえ作業単元の作りかたや実施のしかたを説明し、適当と思われる作業単元の実例を示して一般の先生がたの参考に供することは、この際たしかに有益なことでありましょう。これがこの本のつくられたいま一つの理由であります。そのためにはまず、さきにあげた問題とも関連して、小学校の教科課程と社会科との関係を、

一、社会科の目標

二、社会科の内容

三、社会科学習の系統

四、社会科の方法

の諸項目に分けて説明することが必要であると思います。

 

第二節 小学校の教科課程と社会科

 

 小学校の教科は学科分立の組織では十分にその教育の目的を達成することができないので、しだいに生活経験の総合的な発展をめざす新しい教科課程にうつりかわろうとしています。従来の修身・地理・歴史にかわって、社会科が生まれてきたのも、その線にそってであります。このことがはっきりすれば、社会科と他教科との、関連も、社会科の本質も、正しくとらえることができるはずです。学習指導要領と多少重複しますが、以下に社会科の目標、内容、学習の系統および方法に分けて、そのことを考えてみましょう。

一、社会科の目標

 社会科の主要目標を一言でいえば、できるだけりっぱな公民的資質を発展させることであります。これをもう少し具体的にいうと、児童たちが、(一)自分たちの住んでいる世界に正しく適応できるように、(二)その世界の中で望ましい人間関係を実現していけるように、(三)自分たちの属する共同社会を進歩向上させ、文化の発展に寄与することができるように、児童たちにその住んでいる世界を理解させることであります。そして、そのような理解に達することは、結局社会的に目が開かれるということであるともいえましょう。

 児童たちが社会的に目を開くためには、社会の根本的諸機能と、それらの機能が相互に関係しあて作っている社会生活全体を、人間らしい生活をいとなみたいという人間の根本的欲求、すなわち人間性に関係させて深く理解しなければなりません。なかでも、社会生活を成立させ発展させている重要な条件として、(一)人と人との間の相互依存関係、(二)人間と自然環境との間の相互依存関係、(三)個人と社会制度や施設との間の相互依存関係、を理解することが肝要であります。

 しかし、りっぱな公民的資質ということは、その目が社会的に開かれているということ以上のものを含んでいます。すなわちそのほかに、人々の幸福に対して積極的な熱意をもち、本質的な関心をもっていることが肝要です。それは政治的・社会的・経済的その他あらゆる不正に対して積極的に反ぱつする心です。人間性及び民主主義を信頼する心です。人類にはいろいろな問題を賢明な協力によって解決していく能力があるのだということを確信する心です。このような信念のみが公民的資質に推進力を与えるものです。

 社会的に目が開かれていることは、民主社会を建設し維持するのに欠くことのできない条件です。しかし社会的に目のあいていること、社会的な関心をもっていることは、さらに、よい共同生活をするのに不可欠なさまざまの技能や習慣や態度と結合していなければなりません。すなわちその時々の事態に応じて適切に処理すること、建設的に協力すること、他人の権利を尊重すること、疑わしい意見や正しくない意見とたたかうことなど、総じて民主的社会の有為な公民として必要な数多くの特性を身につけていなくてはなりません。

 社会科は右に述べたような公民的資質の発展を目標とするのでありますから、それが小学校教育の教科課程の中で占める位置はおのずから明らかであります。

 学校教育法第十八条によれば、初等普通教育を児童に与えるためには、左の各号に掲げる目標の達成に努めなければなりません。

一、学校内外の社会生活の経験に基づき、人間相互の関係について、正しい理解と協同・自主および自律の精神を養うこと。

二、郷土および国家の現状と伝統について、正しい理解をもつように導き、進んで国際協調の精神を養うこと。

三、日常生活に必要な衣・食・住・産業等について、基礎的な理解と技能を養うこと。

四、日常生活に必要な国語を正しく理解し、使用する能力を養うこと。

五、日常生活に必要な数量的な関係を正しく理解し、処理する能力を養うこと。

六、日常生活における自然現象を科学的に観察し、処理する能力を養うこと。

七、健康・安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、心身の調和的な発達を図ること。

八、生活を明かるく豊かにする音楽・美術・文芸等について、基礎的な理解と技能を養うこと。

 これによりますと、小学校教育の目標は有為な社会形成者を作ること、すなわち社会の中での生活を、幸福に、能率的にいとなむのに必要な諸種の理解・態度・能力を養うことにあるということができます。これと前に述べた社会科の目標とを比較してみますと、社会科が小学校の教育目標達成のために重要な位置を占め、そしてすべての教科の主要目標とかたくむすびついていることは明らかです。

二、社会科の内容

 社会科の内容としては、広く人類学・経済学・歴史学・地理学・政治学・社会学等の対象である各種の分野が考えられます。もちろんそれは、たがいに関連しあってより広い領域の一部をなしているものとしてです。それは、このような分野の理解が現代のわれわれの生活にあらわれている社会的な諸問題の解決に役立つからです。社会科の中には、あらゆる人間社会についての知識や思想はもちろん、人間が生活し、活動している自然環境と人間との関係についての知識や思想も含まれているわけです。社会科は人類がどのようにして自然を利用して、人間としての基本的な要求をみたしているかを問題にしており、歴史的に発生してきた慣習や制度を問題にしており、現在人類の直面している諸問題を問題にしているのです。

 社会科はその対象として、きわめて多くの部面をもっています。人類が過去何千年来追求し経験し実験して作り上げてきたものはすべて社会科の内容を選ぶ基盤であります。小学校の児童にむずかしい社会概念を理解させようとすることが適当であるかどうかということは、しばしば問題になります。しかしこのような概念も、児童にわかりやすいようにして与えられれば、児童はそれを実によく理解します。しかも幼少のときにできた態度は、のちのちまでも持続されて、成人した後の全人格を支配することが多いものです。

 たとえば、人と人、あるいは国と国との相互依存の概念などは、複雑な社会概念ではありますが、児童たちは、家庭とか農家とか郷土の生活とかいうような領域について生活し経験するうちに、家族の人々の間の相互依存を理解することができます。また郷土社会の各種の人々の間の相互依存を発見することができます。また都市の人々が農家の作りだすものに依存し、農家の人々が都市の工業に依存して肥料や農具を手にいれることや、わが国がゴムや綿などの商品を他の国に仰ぎ、そのかわりに絹を外国にだしていることなどを知ることができます。そのほか美術や音楽・文学などの作品を交流させることでは、世界中の人々がたがいに依存しあっていることも知ることができましょう。

 しかもそのようにして正しい理解を発展させることによってのみ、児童はやがて世界人類の幸福のために、平和な寛容な世界的協力組織を実現しようとする強い意志をもつに至るでありましょう。この意味において児童の発達程度に応じ得るかぎり幼い時期からこのような理解を適切に導入し、また急速に発達させることは、教師の常に心すべきことといわねばなりません。

 社会科の学習領域は人間の基本的欲求をみたすために人間のいとなむあらゆる社会事象を含んでいます。その基本的欲求についてはいろいろな分類が可能ですが、次のような社会的機能による分類もその一つでありましょう。

一、生命・財産および資源の保護保全

二、生産・分配・消費

三、運輸・通信・交通・交際

四、美的および宗教的欲求の表現

五、教育

六、厚生慰安

七、政治

 世界の歴史のいかなる時期のいかなる社会生活を考えてみても、このような根本的な機能をみたすことが必要でありました。人間の基本的な欲求を満足させる具体的な方法は、いろいろな時代いろいろな環境でそれぞれ異なっていますが、いやしくも満足な社会生活が営まれる場合には、その社会生活の中で以上の各機能がそれぞれの位置を占め、十分な意味をもっていることにはかわりがありません。

 社会科の学習指導要領に示されてある小学校各学年の参考問題は、この主要な社会機能に即しているもので、児童たちに社会生活の各部面を理解させる出発点として役立ちます。この事についてはのちにやや詳しく述べます。

 前にあげた学校教育法第十八条は、小学校教育の目標を示すとともにその教育内容をも示していますが、その内容はすべて社会生活のこれらの機能に関係しています。すなわち新しい小学校教育の諸教科は、児童に、個々の領域に分離したいろいろな知識技能を授けるのではなしに、社会生活という共通の基盤の上に立ち、その各部面の形成に必要な諸種の理解・態度・能力をそれぞれの角度から内容として取り上げます。そして社会科は、社会生活のこれらの諸機能を全面的に学習の領域とするのでありますから、社会科の中に各種の教科の内容がはいってくること、またいろいろな教科の内容を与える際に、どうしても社会科で取り扱う社会の実際生活の問題の研究から出発してくる必要のあることを、考え深い教師たちは十分知っています。

三、社会科学習の系統

 社会科学習の系統はどんなものであればよいかということは大きな問題であります。

 この問題について熱心に研究している人々の中には、学習の系統はあらかじめ学年ごとに固定させられてしまうべきものではなく、むしろそれは児童の活動の中から生じてこなければならないと説く人々があります。一方これに対して、学校は児童を導いて十全な公民にする重大な社会的責任をもっていますから、そのような不確かなものではいけない、学習の系統は学年ごとに一段一段、注意深く予定されなければならぬと主張する人々もあります。これもたしかにうなずかれる主張です。現在のわが国のように、学級の人員が多く、しかも教師に社会科指導の経験が乏しい状況においてはとくにしかりです。

 だからといって、学年ごとに固定した、しかも全国一律に通用するというふうな知識や活動の系統案を予定することは、単に望ましくないばかりでなく、事実不可能のことです。したがって社会科学習指導において考えられる系統は固定したものではなく、大きな融通性をもった弾力的な系統でなければなりません。各学年の児童に解決を要求してくる問題や、その解決の活動や、その際必要になってくる理解や知識が、どんなところから生まれてくるか、どんなことに関しているかという予想に基づく系統であります。それは結局児童の経験領域の発展の系統です。

 児童たちの社会生活の経験は、年とともにしだいに広くなり深くなっていきます。それはまず自分たちに親しみ深い家庭や学校や近所の社会とか地域社会の経験からはじまっていきます。そしてやがて空間的に広がって国全体の、また世界の他の社会の生活やその相互依存関係などにおよんでいくと同時に、時間的に広がって、時代をさかのぼり、原始時代から現代に至るまでの文化や社会生活の発展を学ぶことに興味をもつようになります。

 このような経験の範囲の広がっていく順序を考慮しておくことは、社会生活の理解を指導するために有効なことでもあり、必要なことでもあります。

学習指導要領社会科編(一)には、各学年の児童の経験する社会生活の領域が示されています。これは各学年の児童の心身の発達やその特性、また学年の目標および参考とすべき問題の例を通じて示されております。これを簡潔にまとめると、次のようになります。

第一学年 家庭・学校および近所の生恬(この時期の児童は自己中心的であって、身近な社会を、かれらに直接関係ある限り、行動を通じて理解することができます。)

第二学年 家庭・学校および近所の生恬(一年に比べて経験が一段と広まり深まってきます。ことに近所の社会生活の経験が深くなります。近所の社会での人々の協力や種々な職業や公共施設をある程度まで理解できます。)

第三学年 地域社会の生活〔大昔の生活比較として〕(経験領域が身近な生活からしだいに広がって、村や町にまでおよんでいきます。自然環境と人間との間の相互の適応が興味の中心となります。そして全く文明の開けない不自由な時代の人々の生活にも、しばしば興味を示すことがあります。)

第四学年 私たちの生活の現在と過去(経験領域はさらに広がって県あるいは日本にまでおよぶでしょう。自然環境と人間との相互の適応が、依然として興味の中心でありましょう。歴史的な意識がようやく芽ばえますが、時代の観念はまだ分化せず、過去の時代はすべて現在と対比された昔として一概に考えられる程度であると考えられます。

第五学年 現代日本の生活(発明発見に興味をもち、日本の生活が発明発見によって変化して現代に至った点を理解するでしょう。)

第六学年 日本の生活と諸外国(発明発見に興味をもつことは、前学年と同様でしょう。そして、発明発見によって、世界的規模をもつようになった産業・交通・通信等の理解を通じて、わが国の生活を、とくに世界との関連の上でみることができます。)

 このような経験の領域は、青少年の社会生活の経験の発展のおおよその基準であって、決して絶対的、固定的なものではなく、児童個人により、また児童の生活する社会生活の状況によって変動してくるものです。したがってこれを、重点をおくべき一般的経験領域、あるいは簡単に主要経験領域と呼ぶことにします。それはこのような領域についてのさまざまな経験が、その学年の児童たちに与えられるのが自然であり、また児童たちがそれを必要としてくると予想されるからであります。

 このような経験領域の系列を考えておくと、教育の全体計画に対して一般的な大きな方向を与えたり、その学校の児童がとくに触れるべき材料を見とおす基礎を与えますし、社会科として取り上げる学年ごとの重要な理解や知識の範囲を選ぶ助けになり、無意味に重複したり反復したりするのをふせぐことができます。

四、社会科の方法

 建設的な社会生活に参加するために必要な理解や態度や能力を児童たちの身につけさせるには、民主主義に徹底した学習環境の中で、児童たちを実際に生活させるよりほかにしかたがありません。実際に生活しながら、その生活の中で切実な諸問題に直面したときにだけ、児童たちはその自主性を発展させます。したがって社会科では、そのような問題解決の活動を通じて児童の経駿を発展させていきます。

 一般に小学校の教育方法の原則は、なすことによって学ぶということであります。教室は児童たちの作業場となり、児童たちは自分たちにとって意味のある各種の活動に参加するのであります。そしてそのような活動を通じて、児童たちは知識・技能や態度や理解を得、現在の環境に適応することができ、さらに社会生活を不断に進歩させ、文化をおしすすめるのに必要な能力を身につけます。この場合児童たちにとって意味のある活動は、これを根本的に考えれば、彼等が生活上直面する問題の解決の過程の中に起ってくるものであります。社会科は、児童に問題解決の活動をいとなませ、その生活経験を発展させていこうとするものでありますから、児童は社会科を勉強すればするほど、他の教科の必要をも感じてきます。そしてまた他の教科で得た知識や技能は、社会科の中で生かされ、さらに反復練習の機会が与えられるわけです。

 以上で、社会科がその方法の上からいって、他の教科とどんな関係にあるかということのあらましを述べたのでありますが、前項であげた社会科学習の系統とも関連して、児童の発達、なかんずく興味の発達に即して、方法上の着眼点を少しく述べておきます。

 児童の能力や興味は発達するものですから、年齢の進むとともに、ますます深い意味をもった概念をつかむことができるようになります。したがって指導方法や用いられる材料も、かれらの能力と必要に応ずるようにかわっていかなくてはなりません。

 一年生は身体的に非常にかっぱつであり、学習はすべての感覚を通して行われます。かれらは事物を視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚等を通じて認識します。遠足にもいかなくてはなりません。物を作ったり、それをごっこ遊びに使ったりしなくてはなりません。注意の持続時間は短いので、学習の動機がたやすくみたされなくてはなりません。微細な筋肉は十分使いこなせないので、仕事は粗雑ですが、自分の作ったものがとにかく使えさえすれば、精巧さがなくても意に介しません。木片がトラックの役目をするし、床の上にかかれた線が車庫にもなります。動くものに非常に興味をもつので、ごっこ遊びをするときには、多く汽車や四輪車やトラックや二輪車や動物などを使います。大きな集団といっしょにうまく仕事をすることはできません。熟練した教師は、それゆえ小さい集団で仕事をする機会を与えます。時間や空間を理解する能力は限られたものですから、ただ身近な社会を、しかも現在あるがままに学ぶに過ぎません。伝染病やちょっとした病気で学校を休みがちです。それゆえ一年生の仕事は、数名の児童が欠席しても、学級のプログラムにたいして支障をきたさないように、また欠席した児童が学校にでるようになったら、容易にグループの中にはいってうまくついていけるように計画されなければなりません。またおとなの生活をごっこ遊びにすることが好きで、自発的にやります。そしてごっこ遊びをしたいために周囲の生活を学びます。

 四年生ぐらいになると、活動的なことを好むことにかわりはありませんが、相当長い時間じっとしていることができるようになります。高度に組織化されたごっこ遊びを行い、なかまやおとなたちの意見にいっそう関心をもつようになります。興味も相当長く持続できます。過去のことや遠くはなれた土地に関して好奇心をもつようになります。またこのころは、一生のうちでもっとも健康な時代ということができるでしょう。教師がこれらの事実を社会科の計画に利用するとすれば、組織化されたごっこ遊びに使うものを作らせ、とくに正確さについて指導すべきです。また児童の学習やごっこ遊びを指導するときは、過去の人々や遠く離れた土地の人々の生活を理解させるようにしなくてはなりません。グループで計画を立てたり、評価したりする機会を多く作らなくてはなりません。出席も規則的になってきますから、全級の者にとって非常に重要な意味をもつ仕事の一部面を各個に分担させることができます。おとなの生活を劇化することを好むことは依然としてかわりがありませんが、いっそう多くの材料を用い、準備により多くの時間をかけます。

 六年生程度になれば、もっともっと集団意識が強くなります。依然として活動を好みますが、より長時間静かに勉強することができます。科学に好奇心をもち、物事の理由をせんさくすることを好みます。高度に組織化された劇的遊戯を好みます。劇化することが好きですが、自己意識的になります。それゆえ劇の準備も非常に周密にやります。人々の生活を劇にするために衣しょうを作ったり、背景をかいたり道具を作ったりするのに、興味が長時間続きます。また発明や機械には非常に興味をもちます。

 このような発達段階を心得ている教師は、教材を広く選択することができ、児童に強い興味と正確な仕事を期待することができます。学習の題材としては前項にあげた経験領域から選ぶのが適当でしょう。