一 ま え が き

 

 昔から、わが国には子供をたいせつにする習慣があるといわれているが、よく考えてみると、ほんとうに幼い子供たちにふさわしい育て方や取り扱い方が普及していたとはいえないであろう。今、新しい日本を建設しようとするときに当たって、幼児の育て方や取り扱いについて根本から反省をし、学理と経験にもとづいた正しい保育の仕方を普及徹底して、国の将来をになう幼児たちを心身ともに健やかに育成していくことに努めなければならない。

 のちにしるすように、幼児期には、身体的な方面から、知的な方面から、情緒的な方面から、また社会的な面から、他の時期とは著しく異なつた特質がある。幼児には幼児特有の世界があり、かけがえのない生活内容がある。成人や年長の子供にとっては適当な教育法であっても、それをそのまま幼児にあてはめることはできない場合が多い。幼児のためには、その特質によくあった適切な教育計画がたてられ、適当な方法をもって注意深く実行されることが必要である。家庭においてそうあることが望ましいのはもちろんであるが、更に進んで何か特別な施設を設けることによって、その心身の発達と生長に応じてそれを助長する適当な環境を与えてやり、十分な教育や世話をする必要ができてくる。

 幼児が、幼少であることから、それをいたわり守らなければならないこと、ことに身体的な方面の養育に気をつけなければならないことは、すでに誰れでもが知っていることである。最近著しく発達してきた教育心理学は、人の一生における幼児期の重要性、ことにその性格の発達におけるかけがえのない意義を明らかにし、この時期において人間の性格の基本的な型がだいたい決まることを証明している。この期の子供たちに対して適切な世話や教育をしてやるかどうかが、その子供の一生の生き方を決めるばかりでなく、望ましい社会の形成者として、生きがいのある一生をおくるかどうかの運命の分かれみちになる。人と協同して住みよい社会をつくろうとする意欲を持ち、自主的な考えや行いをすることができるようになるには、この期においてどんな環境で生活したか、どんな指導・教育を受けたか大きな影響を持つのであって、こうした幼児期における教育の重要性が、ともすれば今までは見のがされてきたのである。

 すでに学校教育法では満六才から十五才までの義務教育が定められ、その完全な実現もそう遠いことではないが幼稚園も新しい学校教育法により、学校の一種として、すなわち正式の学校教育の系統の出発点として、はっきりした位置を認められることになった。これは,小学校入学前の幼児期に対する教育の機関が必要なことを世人が理解し、それへの関心が高まったことを意味するものであるが、ほんとうの普及発達は、これからの問題であり、われわれがそれぞれの立場で努力していかなければならない問題である。幼稚園は、学校生活・集団生活に幼児を適応させるように導いてその成長発達に大きな影響を及ぼすものであると同時に、幼児期に適切な、それ独自の意義と使命を持った教育施設として必要であることを見のがしてはならない。学校教育法第七十七条に「幼稚園は、幼児を保育し、適当な環境を与えて、その心身の発達を助長することを目的とする」とある趣旨をよく体して、第七十八条に示してある諸目標の達成につとめなければならない。また「学習指導要領一般編」の第一章「教育の一般目標」にあげてある諸目標が、同時に幼稚園にもあてはめられる。教育基本法に掲げてある教育の理想や、学校教育法に示してある幼稚園の目的や、その教育の目標や、教育の一般目標など、こうした社会の要求をはっきりわきまえ、その実現につとめなければならないと同時に、この目標に向かっていく場合、あくまでも、その出発点となるのは子供の興味や要求であり、その通路となるのは子供の現実の生活であることを忘れてはならない。幼児の心身の生長発達に即して、幼児自身の中にあるいろいろのよき芽ばえが自然に伸びていくのでなければならない。教師はそうした幼児の活動を誘い促し助け、その生長発達に適した環境をつくることに努めなければならない。そのためには、教師は幼児期の特質をよくわきまえ、ひとりびとりの幼児の実情を十分に知っていなければならない。このように幼児期の特質に即した方法で教育の目標を達成していくことが必要で、幼児をとりまく直接の生活環境に順応せしめることが、幼児教育の使命である。

 幼稚園以外にも、社会政策的な見地から幼児を保護し、勤労家庭の手助けをするための保育所・託児所等をはじめ、いろいろな幼児のための施設がある。これらの施設においても、その預かる幼児に対して教育的な世話が絶対に必要なのである。教育的な配慮や方法をもってなされない保護や収容は、かえって幼児の健全な生長発達を阻害することになることが多い。

 一般の家庭において母親が幼児を育ててゆく場合も、全く同じことである。できるだけ幼児の特質に応じた適切な方法をもって、子供の養育に当たらなければならない。

 こうした、幼稚園における教師や、いろいろの施設において幼児保育に当たっている人々や、家庭の母親たちは、幼児の特質がどんなものであるかをよくわきまえ、それに応じた適切な教育や世話のしかた、その他それに必要な設備や道具や材料のことなどについて十分な理解を持たなければならない。更に進んでは、あらゆるくふうをこらして、幼児に最もふさわしい環境をととのえてやり、その生長と発達を助ける実際の方法について十分習熟するように努めなければならない。しかし、現在の日本の実情では、すべての家庭が教育的かつ衛生的に子供を育てることができるとはいえない。そこで、幼稚園やその他の幼児のための施設、教師や保母がいままで以上にその識見を向上させ、その技能を高めていくことが必要となるのである。本書はこれらの人々のためにできるだけ役立つように編集されたものであり、同時に母親たちにもその育児について貴重な参考となることを信じている。そして学校教育法施行規則に示してあるように、本書が幼稚園の教育の実際についての基準を示すものであり、これを参考として、各幼稚園でその実情に則して教育を計画し実施していく手びきとなるものである。

 幼児に対する既存の教育施設を向上させるだけでなく、他の種類の施設を利用したり、特別な設備はなくても、できるだけ親切な愛育の手を幼児たちにさしのべることに絶えず努めることが望ましい。たとえば、他の学校の放課後の建物や設備を利用して、幼児たちを集めて楽しい一時をおくらせたり、いろいろの方面の世話をしてやったりすることもできるであろう。あるいは、一週のうち日と時刻とを定めて、安全で衛生的な場所に、その長くない時間、近所の幼児たちを集め、そこに幼稚園の教師や、保母や、あるいは有志の人々が定期的に出向いて行って、子供たちの遊びを指導したり愛護の手をさしのべたりするようなこともできる。あらゆる機会を利用し、できるだけのくふうをこらして、幼児たちに充実した生活をおくらせ、健やかな成長をとげさせるように努めたいものである。

 幼児のことに関心を持っている教師や保母や母親たちが、心から幼児に対する深い愛情に燃え、幼児のために天国のように暖かく楽しい環境をととのえようとする熱意に満たされていることが、いっさいの根本であることはいうまでもない。あなた方の清らかな愛情からわき出た献身が、将来の明かるい日本のいしずえを築くのである。