第一章 通信教育の目的

一、なぜ通信教育が実施されるようになったか。

 学校教育が普及し、国民のすべての子弟を対象とするようになったのは、近代社会の歴史的な産物であって、その結果として教育といえば学校教育を指すような通念ができあがった。そのために、一面において学校教育が社会から遊離する傾向が生じて来たのである。然しながら、人間の形成に対して社会の担なう役割の重要であることも次第に認識されて来た事実であり、その結果として従来の教育に関する通念を変革し、学校教育と並んで各般の社会教育の問題が取りあげられるにいたった。即ち学校教育の補足としての職場での教育や一般の成人教育が計画され、新聞・ラジオ・図書館・講演会・映画会などが社会教育の立場から重要視されてきたのである。学校教育も、その固有のからを破って、社会そのものと結びつこうとし、いわゆるスクール・エクステンションとして学校を一般の人々に開放する運動が盛んになり、その一つの方法として、直接学校に通うことのできない人々を通信によって継続的に指導する教育が発達するようになった。その理由には、広大な地域に人口が分散してしばしば通学に困難なこと、またいろいろの事情のために通学を中絶しなければならない者が多いことなど特別の原因もあるであろうが、一般に通信教育が特に普及してきたことは世界的な現象であるといってよく、これらは例外なしに学校教育の社会化をめざしているということができる。特にわが国で今日行われようとしている通信教育には、大学・専門教育を開放しようとするもの、中等教育の普及を目的とするもの、職業指導をめざすもの及び一般的教養をめざすものなどがある。その目的とするところは、教育を民主化して広く人々の手に開放することである。それはまた、逆に人々の生活を教育化することであるということもできよう。つまり、通信教育も、そのめざすところは人格の育成と社会人としての訓練にあるのであって、この点からすれば、その終局の目的は学校教育となんら異なるものではない。ただ学校教育以外にも、効果的な教育の方法があるということを知らせる意味において、教育に対する従来の観念を変革するであろう。一般に民主主義の社会では個人の人格が尊重され、自由な判断や行動が保証されるのであるが、そのためには何よりもまずひとりひとりの成員の社会的な教養の高さが前提をなすのである。

たとえば国民の代表を選挙する場合にも国民の政治的教養が低ければ正しい代表者を選ぶことができず、民主的な社会の実現も困難とならざるをえない。文化国家の建設といっても、そのようなふん囲気ができあがるためには、国民のひとりひとりが一定の高さの教養を身につけていなければならない。また六・三制の実施のごときも、国民全体の教養を高めることが目的であり、国民のすべてに一定の教育を受ける機会を与えることがめざされているのである。ところが現在の学校教育では、個人の経済的事情や距離の関係から、求学心に燃えても通学のできない者が相当あると考えられる。ことに戦後の社会生活の不安定は、多くの子弟の進学を困難にし、学業の継続を不可能にしている場合も多いであろう。また、現に一定の職業に就いているために、進学の熱意に燃えていても、定時制の学校へは通学できない青少年がたくさんいることと予想される。以上のような点からみて、今日通信による教育が実施されることは、きわめて意義の深いことである。

二、中等学校通信教育の目的は何か。

 新制中学校の教育は義務制であるから、本来は、この段階の教育は学校で行われるべきものである。したがって昭和二十一年三月三十一日以降に小学校を卒業する者は、すべて学校において教育を受けるのであるが、それまでに小学校やその高等科を卒業して既に社会に出ている者や、戦時中諸種の事情のため中等学校を中途退学した者などに対しても、できるだけ新制中学校程度の教育を普及し完成する目的から、当分この段階の通信教育が実施されることになったのである。新制高等学校は昭和二十三年度から実施される予定であって、その教育は義務制ではないけれども、普通教育を完成するものとしてできるだけ広く普及されることが望ましい。

 中等学校通信教育を受ける者は、一定の学校に通信教育生として登録され通信によりその学校の教師と常に関係を保ち指導を受けるのである。各コースを望ましい成績で修了した者に対しては課程修了の資格が与えられ、さらに上級学校へ進学する道も開かれる。またこの年齢の青年は向学心が最も強く、職業的な準備も一応完成しなければならない時代であり、この時代の教育が普及徹底しているかいなかは、社会そのものの構成や機能にとって重大な意味を持つものである。したがって主としてこの年齢階層の教育を担当する中等学校通信教育の荷なうべき社会的責務は、著しく大きい。その通信教育を担当するものは、その重大な意味と使命とを十分に理解して、熱意と忍耐とをもってこの事業にあたらなければならないのである。