単元五 東洋の近代化はどのように進んでいるか

 

要 旨

 東洋と西洋との交通は必ずしも近世にはじまるものではない。しかしそれ以前の接触はいずれも小規模で断続常なきものであったから,相互に影響を及ぼすことは割合に少なく,東西両洋の文化は,ほぼ別個に発展していった。しかるに十五世紀の末に,ヴァスコ=ダ=ガマが喜望峰を迂回してイドに至る航路を開いてからは,西洋人の東洋に至るものが次第に多くなった。ことに十九世紀の後半に及んで,スエズ運河が開通し,汽船が実用化されはじめ,電信機関も備わると,欧亜の距離は著しく短縮せられ,多くの西洋人が東洋に渡來した。ここに東西両洋の関係は密接不離のものとなり,従来,文化的に別個の世界を形成していた東西両洋は,これからだんだんに一つの世界を形成するようになった。

 十五世紀の末,西洋諸国人が東洋に来ると,まず植民地を獲得したが,はじめはただ東洋諸国なかでも中国との貿易上の根拠地を得れば満足していたのであった。またこの時は東洋諸国に門戸を開いて,国際通商に参加するように要求したことはなかった。

 しかし産業革命の結果,貿易が発達し,原料資源の需要が增し,市場獲得の必要が加わってくると,もはや従前のように,有利な通商地と目される諸国が世界の潮流にまきこまれることを好まず国を閉ざしたままでいることを,許さなかった。十九世紀の後半になると,西洋諸国は東洋の各地に植民地を設けて,原料資源を獲得し,本国の製品を売りさばいた。かれらはその他の国々,日本や中国・シャムに対しても,国際社会の一員となることを求めて門戸を開かしめ,更に租界・租借地・治外法権等の特権を獲得し,勢力範囲を定めた。このようにして西洋諸国は,十九世紀の中ごろ,その支配を拡張しはじめてから,1914年に至るまで,大部分の東洋諸国を,完全にあるいは部分的に,経済的あるいは政治的に支配するようになった。インド・ビルマ・佛領インド=シナは,植民地として直接に支配した。その他の地域においては,その支配は政治的というよりはむしろ経済的なものであって,その力は表面的には著しく現われないようではあるが,実際には相当強いものであった。

 西洋諸国が東洋において優位を占めるようになってから,西洋文化はだんだんと東洋諸国に浸潤して行った。工業生産は機械力の応用によって増大し,運輸・通信・教育・医療・娯楽の機関も備わりはじめた。西洋の思想・制度が輸入されて,多くの東洋諸国において社会・経済機構は根本的に変改せられ,その政治形体も,専制君主制・封建制から立憲君主制・共和制へと移って行った。そして東洋の諸国民も自由の獲得へと一歩前進し,その生活状態もだんだんと向上して行った。しかしこのような大きな変化も,東洋全域を通じて一様なものではなく,また国民全般の上に及んだわけではないことに,まず注意しなければならない。たとえば中国についてみるに主要都市,ことに海岸の都市はかなり速かに工業化し,その生活様式にも大きな変化が起った。しかしこのような変化もほとんど奥地には及ばず,数億の国民はなお以前と同じような生活をしている。中国の文化はまだ大体昔のままで,その近代化は極めて緩かである。これに反して,日本は好んで西洋の文物を輸入し,これを採用して,非常に速かに変化を遂げた。しかしこの最も速やかに変化した日本も,その他の諸国も,摂取したものは西洋文化の形式けであって,実質がそれに伴なわなかった−ことに社会組織において顕著である−ことを次に注意しなければならない。一例を政治にとるならば,西洋の民主主義や立憲政治の思想は非常な勢で東洋全域にひろがった。日本は1868年以来立憲政治実施の準備を進め、1889年に至り憲法を発布し,翌年議会を開いたが,しかもなおこれによって旧式政治を維持し続けたのである。中国においても,清朝政府は日本にならって政治改革を試み,これによって専制政治を維持しようとしたが,失敗した。しかし1912年中華民国が出現すると,中国は日本より以上に政治的に西洋式の新しい世界にかなうもののように見えた。日本も中国も共に立憲政治を採り入れた。中国は1912年以来,立憲政治を,国民大衆の意志に基づく政治組織にしようとする努力を重ねて来た。しかし日本の憲法は,国民大衆の意思に基づくものではなく,世襲的政治者の意志に基づくものに過ぎなかった。日本は西洋の政治思想を採り入れて,立憲政治の形式を整えることはできたけれども,立憲政治の真髄ともいうべき,「主権在民」の主義はそこには見られなかった。

 考えてみるに,西洋においては、個人の重要性の自覚が,生活水準の向上をもたらすのにあずかって力が大であった。しかし西洋と異なり大多数の東洋の国民はまだ,一人の統治者による統治者のための政治に信を置いていた。東洋に西洋文化が浸潤するようになったのは,まず少数の指導者が,西洋文化の少なくともその部分的優越性を認めて,積極的にこれを摂取したからであって,しかもそれは国民の自由よりも国家の自由を目的とするものであった。それゆえ,東洋諸国にはまだ封建的・伝統的なものが多分に残されているのであって,東洋の近代化は決して達成せられたわけではない。

 日本は東洋の諸国中,最も速かに西洋文化を摂取した。これには種々の理由が考えられる。日本は比較的面積が小さく,人口も少ないので,輸入した文化を速かに伝播せしめることができた。日本は開国したころ,新たな政治組織へと移向しつつあり,その変化を準備しつつあった。日本は過去数世紀にわたり大陸文化を受け入れていたので,日本に価値ある西洋文化を採り入れることをきらわなかった。日本の国民は権威に対しては絶対に服従したから,指導者はその意のままに国民を動かすことができた。以上の理由,その他西洋の武器のすぐれていること等の理由から,日本は好んで西洋文化を取り入れ,驚くべき短期間に比較的に近代的な国家に発展した。そして日本は著しく工業化し軍国化しはじめ,国力を充実したので,極東における西洋諸国の勢力はこれに反比例して弱められた。しかし個人の自由と平等とはまだ満足に発達せず,軍閥が支配権を握るに及んで,国民は一層,圧迫を受けるようになった。

 この単元は,西洋勢力の東漸と,西洋文化の東洋への影響を究めることを目的とする。これは近代における日本・中国・インドその他の東洋諸国の文化的発展,及びこれら地方における民族主義の勃興に連関を持つものである。

 

目 標

 

教材の範囲

学習活動の例  

参考書の例

 一.                        東洋近世史一(世界歴史大系Ⅷ)    平 凡 社  昭11

                           東洋近世史二(世界歴史大系Ⅸ)    平 凡 社  昭9

                           淸代のアジア(東洋文化史大系Ⅵ)   新 光 社  昭13

                           東亞の現勢(東洋文化史大系Ⅶ)    新 光 社  昭14

    田中 萃一郎                 東邦近世史 三冊(岩波文庫)     岩波書店   昭14〜18

    矢野 仁一                  近世支那外交史           弘 文 堂  昭5

    ヴァイナック 荒畑勝三訳           東亞近世史             生 活 社  昭16

    和田 淸                   支那 下(東洋思潮)         岩波書店   昭11

    ロストフスキー 東亞近代史研究會訳      ロシア東方経略史          生 活 社  昭17

    ドッドウェル 寺田頴男訳           印度史               生 活 社  昭17

    ハーヴィー 五十嵐智訳           ビルマ史              北海出版   昭18

    ウッド 郡司喜一訳              タイ國史              冨 山 房  昭16

    エンニス 大岩誠訳              印度支那              生 活 社  昭17

    スウェテナム 阿部眞琴訳           英領マライ史            北海出版   昭18

    エイクマン=スターペル 村上直次郎・原徹郎訳  蘭領印度史             東亞研究所  昭17

    ロウス 法貴三郎訳             フィリピン史            生 活 社  昭16

    湯 良 禮 中山莵美三訳           支那社会の組織と展望        育 成 社  昭15

    陳衡哲編  石田幹之助監訳          支那文化論叢            生 活 社  昭17

    テイラー 太平洋問題調査部編         支那に於ける建設運動        日本評論社  昭12
                                       
                                        (支那経済建設の全貌) 
    
    トーネイ 浦松佐美太郎・牛場友彦訳      支那の農業と工業          岩波書店   昭10

 二. 林 語 堂 新居格訳             我國土・我國民           豊文書院   昭13

    林 語 堂 吉村正一訳           支那のユーモア(岩波新書)      岩波書店   昭15

    クリスティー 矢内原忠雄訳          奉天三十年 上下(岩波新書)     岩波書店   昭13

    ハンバーグ 青木富太郎訳           洪秀全の幻想            生 活 社  昭16

    徳齢 太田・田中訳              西太后に侍して           生 活 社  昭17

    劉 鐵 雲 岡崎俊夫訳            老残遊記              生 活 社  昭16

    劉 半 農 竹内好訳             賽金花               生 活 社  昭17

    倉石武四郎等訳                中國新文学大系           講 談 社  昭20

    魯 迅 佐藤春夫・增田渉訳          魯迅選集(岩波文庫)         岩波書店   昭10
 
 
 
 
 
 

     学習指導要領 東洋史

    Approved by Ministry of Education

      (Date July 12 1947)

 

  昭和22年 7月 12日  翻 刻 印 刷

  昭和22年 7月  16日  翻 刻 発 行

  昭和22年7月 16 文部省検査済

 

著作権所有     著作兼
          発行者    文 部 省
 

           東京都千代田神田岩本番地

翻刻発行者       中等学校教科書株式会社 
     
                 代表者 阿部真之助 

         
        東京都新宿市谷加賀町一丁目十二番地

印刷           大日本印刷株式会社
                     
                代表者 佐久間長吉郎
 

発行所         中等学校教科書株式会社