要 旨
東洋と西洋との交通は必ずしも近世にはじまるものではない。しかしそれ以前の接触はいずれも小規模で断続常なきものであったから,相互に影響を及ぼすことは割合に少なく,東西両洋の文化は,ほぼ別個に発展していった。しかるに十五世紀の末に,ヴァスコ=ダ=ガマが喜望峰を迂回してインドに至る航路を開いてからは,西洋人の東洋に至るものが次第に多くなった。ことに十九世紀の後半に及んで,スエズ運河が開通し,汽船が実用化されはじめ,電信機関も備わると,欧亜の距離は著しく短縮せられ,多くの西洋人が東洋に渡來した。ここに東西両洋の関係は密接不離のものとなり,従来,文化的に別個の世界を形成していた東西両洋は,これからだんだんに,一つの世界を形成するようになった。
十五世紀の末,西洋諸国人が東洋に来ると,まず植民地を獲得したが,はじめはただ東洋諸国,なかでも中国との貿易上の根拠地を得れば満足していたのであった。またこの時は,東洋諸国に門戸を開いて,国際通商に参加するように要求したことはなかった。
しかし産業革命の結果,貿易が発達し,原料資源の需要が增し,市場獲得の必要が加わってくると,もはや従前のように,有利な通商地と目される諸国が世界の潮流にまきこまれることを好まず国を閉ざしたままでいることを,許さなかった。十九世紀の後半になると,西洋諸国は東洋の各地に植民地を設けて,原料資源を獲得し,本国の製品を売りさばいた。かれらはその他の国々,日本や中国・シャムに対しても,国際社会の一員となることを求めて門戸を開かしめ,更に租界・租借地・治外法権等の特権を獲得し,勢力範囲を定めた。このようにして西洋諸国は,十九世紀の中ごろ,その支配を拡張しはじめてから,1914年に至るまで,大部分の東洋諸国を,完全にあるいは部分的に,経済的あるいは政治的に支配するようになった。インド・ビルマ・佛領インド=シナは,植民地として直接に支配した。その他の地域においては,その支配は政治的というよりはむしろ経済的なものであって,その力は表面的には著しく現われないようではあるが,実際には相当強いものであった。
西洋諸国が東洋において優位を占めるようになってから,西洋文化はだんだんと東洋諸国に浸潤して行った。工業生産は機械力の応用によって増大し,運輸・通信・教育・医療・娯楽の機関も備わりはじめた。西洋の思想・制度が輸入されて,多くの東洋諸国において社会・経済機構は根本的に変改せられ,その政治形体も,専制君主制・封建制から立憲君主制・共和制へと移って行った。そして東洋の諸国民も自由の獲得へと一歩前進し,その生活状態もだんだんと向上して行った。しかしこのような大きな変化も,東洋全域を通じて一様なものではなく,また国民全般の上に及んだわけではないことに,まず注意しなければならない。たとえば中国についてみるに,主要都市,ことに海岸の都市は,かなり速かに工業化し,その生活様式にも大きな変化が起った。しかしこのような変化もほとんど奥地には及ばず,数億の国民はなお以前と同じような生活をしている。中国の文化はまだ大体昔のままで,その近代化は極めて緩かである。これに反して,日本は好んで西洋の文物を輸入し,これを採用して,非常に速かに変化を遂げた。しかしこの最も速やかに変化した日本も,その他の諸国も,摂取したものは西洋文化の形式だけであって,実質がそれに伴なわなかった−ことに社会組織において顕著である−ことを次に注意しなければならない。一例を政治にとるならば,西洋の民主主義や立憲政治の思想は非常な勢で東洋全域にひろがった。日本は1868年以来立憲政治実施の準備を進め、1889年に至り憲法を発布し,翌年議会を開いたが,しかもなおこれによって旧式政治を維持し続けたのである。中国においても,清朝政府は日本にならって政治改革を試み,これによって専制政治を維持しようとしたが,失敗した。しかし1912年中華民国が出現すると,中国は日本より以上に政治的に西洋式の新しい世界にかなうもののように見えた。日本も中国も共に立憲政治を採り入れた。中国は1912年以来,立憲政治を,国民大衆の意志に基づく政治組織にしようとする努力を重ねて来た。しかし日本の憲法は,国民大衆の意思に基づくものではなく,世襲的政治者の意志に基づくものに過ぎなかった。日本は西洋の政治思想を採り入れて,立憲政治の形式を整えることはできたけれども,立憲政治の真髄ともいうべき,「主権在民」の主義はそこには見られなかった。
考えてみるに,西洋においては、個人の重要性の自覚が,生活水準の向上をもたらすのにあずかって力が大であった。しかし西洋と異なり大多数の東洋の国民はまだ,一人の統治者による統治者のための政治に信を置いていた。東洋に西洋文化が浸潤するようになったのは,まず少数の指導者が,西洋文化の少なくともその部分的優越性を認めて,積極的にこれを摂取したからであって,しかもそれは国民の自由よりも国家の自由を目的とするものであった。それゆえ,東洋諸国にはまだ封建的・伝統的なものが多分に残されているのであって,東洋の近代化は決して達成せられたわけではない。
日本は東洋の諸国中,最も速かに西洋文化を摂取した。これには種々の理由が考えられる。日本は比較的面積が小さく,人口も少ないので,輸入した文化を速かに伝播せしめることができた。日本は開国したころ,新たな政治組織へと移向しつつあり,その変化を準備しつつあった。日本は過去数世紀にわたり大陸文化を受け入れていたので,日本に価値ある西洋文化を採り入れることをきらわなかった。日本の国民は権威に対しては絶対に服従したから,指導者はその意のままに国民を動かすことができた。以上の理由,その他西洋の武器のすぐれていること等の理由から,日本は好んで西洋文化を取り入れ,驚くべき短期間に比較的に近代的な国家に発展した。そして日本は著しく工業化し軍国化しはじめ,国力を充実したので,極東における西洋諸国の勢力はこれに反比例して弱められた。しかし個人の自由と平等とはまだ満足に発達せず,軍閥が支配権を握るに及んで,国民は一層,圧迫を受けるようになった。
この単元は,西洋勢力の東漸と,西洋文化の東洋への影響を究めることを目的とする。これは近代における日本・中国・インドその他の東洋諸国の文化的発展,及びこれら地方における民族主義の勃興に連関を持つものである。
目 標
二.東洋諸国が西洋諸国の植民地・半植民地となった理由を理解すること。
三.東洋の近代化の過程を認識し今後進むべき方向の理解に資すること。
四.西洋の近代文化が民衆の生活をどのように向上させたかを理解すること。
五.植民地における民族主義の発達が,西洋諸国並びに日本とどのような摩擦を生ずるに至ったかを理解すること。
六.外国の文物・制度を採用するに当たって,自国固有の文化の価値ある点を保持せねばならないことを理解すること。
七.西洋思想を取り入れる場合,その実質にふれずただ外面的であったことを理解すること。
八.西洋も東洋も共に,世界の平和と人類の福祉とに重要な貢献をしたことを理解すること。
教材の範囲
2.西洋諸国は何を求めて東洋に来たか
(一) 通商上の根拠地 (二) キリスト教の布教地
3.次にあげた西洋諸国と東洋諸国との間には,どのような関係があったか
(一) ポルトガル−インド・東インド・中国 (二) イスパニア−フィリピン
(三) オランダ−東インド・日本 (四) ロシア−シベリア・満州
2.西洋諸国は何を求めて東洋に来たか
(一) 原料資源 (二) 製品の販路 (三) 投資地
3.西洋諸国はどのようにして植民地を獲得したか
(一) イギリス−インド・ビルマ・マレー (二) フランス−インド=シナ
(三) ロシア−シベリア・中央アジア (四) アメリカ−フィリピン
(一) 白蓮教徒の乱 (二) 太平天国の乱 (三) 捻匪の乱
(四) 回教徒の乱 (五) 義和団の乱
2.外患がしきりに起った
(一) アヘン戦争以前−朝貢貿易・広東貿易
(二) アヘン戦争−開国・不平等条約
(三) アロー戦争 (四) 伊犂事件 (五) 清仏戦争 (六) 日清戦争
(七) 列強の利権獲得競争−借款・鉄道利権・租借地・勢力範囲
(八) 北清事変
3.西洋文化を摂取し改革を始めた
(一) 洋務運動 (二) 変法運動 (三) 清末の改革
4.満・漢の対立が激化し清朝は亡んだ
(一) 革命運動 (二) 辛亥革命
(一) 立憲君主制の準備 (二) 中華民国の出現 (三) 袁世凱の独裁・帝制
(四) 軍閥の抗争・南北の分裂 (五) 国民革命−孫文
(六) 国民政府の南北統一 (七) 国・共の合作と分裂 (八) 憲法の制定
2.不平等條約はどのようにして撤廃されたか
(一) アメリカの門戸開放宣言 (二) 日露戦争 (三) 日本の満州進出
(四) 二十一箇条問題 (五) 西原借款 (六) パリ講和会議
(七) ワシントン会議 (八) 反帝国主義運動 (九) 関税自主権の獲得
(十) 租界・租借地の一部撤廃 (十一) 満州事変 (十二) 支那事変
(十三) 不平等条約の撤廃 (十四) 台湾・満州の回復
3.新しい文化はどのようなものであったか
(一) 第一次世界大戦時代
(1) 思想革命 (2) 文学革命 (3) 新文化運動
(二)国民革命時代
(1) 党化教育 (2) プロレタリア文学 (3) 社会科学
(三) 満州事変後
(1) 新生活運動 (2) 郷村教育・生産教育 (3) 民族文学
4.経済はどのようにして発達したか
(一) 第一次世界大戦後
(1) 工業の発達 (2) 貿易の伸張 (3) 資本の蓄積
(二) 満州事変後
(1) 幣制改革 (2) 経済建設
6.東インド 7.フィリピン
2.1940年と1947年における東洋の独立国・植民地を示す地図を作ること。
3.香料・銀・アヘン・茶・綿花・綿織物・絹織物がおもにどこからどこへ輸出されたかを示す地図を,いくつかの時代別に作ること。
4.中国のインドにおける綿花・綿糸・綿織物の輸出入額をグラフで示すこと。
5.日本と中国・アメリカの鉄道発達の状態を数字の上で比較すること(延長及びその人口・面積に対する比率)。
二 表の作成
2.中国に関する条約・協定の年表を作り,中国の領土保全を約したものに○印を附けること。
3.中国と日本における近代施設の創始の年を表示し,対比すること。
4.日本語で中国語となったものの一覧表を作ること。
5.中国の近代化に貢献した西洋人の一覧表(年代順に配列)を作ること。
6.東洋におけるキリスト教宜教師の活動を国別・教派別に示した表を作ること。
三 鑑賞と展覧
2.東洋に関する絵葉書・写真等を持ち寄って展覧会を催し,それに説明を加えること。
四 図書の調査
2.東洋に関する外交文書の見本となるものを読むこと。
3.東洋に関する新聞記事を切り抜き,毎月これを適当に編集すること。
4.清末の小説「官場現形記」「老残遊記」を読んで,官界の腐敗,民衆の苦痛の状態を知ること。
5.新しい中国の戯曲・小説を読んで来て,その大体のすじを話すこと。
6.日本人・中国人及び西洋人の東洋近世史に関する研究書をいくつか調べて,その研究態度を比較すること。
五 報告書の作成
(一) 中華思想 (二) 大同思想 (三) 三民主義 (四) 新民主主義
2.次の人物はどういう閲歴の人か。
(一) 曽国藩 (二) 季鴻章 (三) 康有為 (四) 袁世凱 (五) 孫文 (六) 蒋介石 (七) 毛沢東
3.「支那」ということばの語源を調べ,何ゆえ中国人がこのことばをきらうかを考察すること。
4.日本と西洋諸国との植民政策を比較すること。
5.日露戦争・第一次世界大戦・第二次世界大戦が東洋の諸民族に與えた影響を考察すること。
6.清末の憲法大鋼と日本の旧憲法とを比較すること。
7.孫文の五権憲法と,国民党の中華民国憲法草案及び中華民国憲法の相違を明らかにすること。
8.日本と中国とを次の点で比較すること。
(一) 国語・国字問題 (二) 家族制度 (三) 憲法・地方自治
(四) 土地問題 (五) 近代化の速度
六 討 論
2.義和団の乱は盲目的な排外運動であるか,民族運動であるか。
3.儒教は中国の民主化を阻害するものであるかどうか。
4.中国における排日の原因は何か。
七 作文・脚色・その他
2.孫文と康有為との対話劇を作ること。
3.中国の現状に対する国・共の見解の相違点を,対話で明らかにすること。
4.中国の都市と農村の生活をスケッチすること。
参考書の例
一. 東洋近世史一(世界歴史大系Ⅷ) 平 凡 社 昭11
東洋近世史二(世界歴史大系Ⅸ) 平 凡 社 昭9
淸代のアジア(東洋文化史大系Ⅵ) 新 光 社 昭13
東亞の現勢(東洋文化史大系Ⅶ) 新 光 社 昭14
田中 萃一郎 東邦近世史 三冊(岩波文庫) 岩波書店 昭14〜18
矢野 仁一 近世支那外交史 弘 文 堂 昭5
ヴァイナック 荒畑勝三訳 東亞近世史 生 活 社 昭16
和田 淸 支那 下(東洋思潮) 岩波書店 昭11
ロストフスキー 東亞近代史研究會訳 ロシア東方経略史 生 活 社 昭17
ドッドウェル 寺田頴男訳 印度史 生 活 社 昭17
ハーヴィー 五十嵐智昭訳 ビルマ史 北海出版 昭18
ウッド 郡司喜一訳 タイ國史 冨 山 房 昭16
エンニス 大岩誠訳 印度支那 生 活 社 昭17
スウェテナム 阿部眞琴訳 英領マライ史 北海出版 昭18
エイクマン=スターペル 村上直次郎・原徹郎訳 蘭領印度史 東亞研究所 昭17
バロウス 法貴三郎訳 フィリピン史 生 活 社 昭16
湯 良 禮 中山莵美三訳 支那社会の組織と展望 育 成 社 昭15
陳衡哲編 石田幹之助監訳 支那文化論叢 生 活 社 昭17
テイラー 太平洋問題調査部編 支那に於ける建設運動 日本評論社 昭12
(支那経済建設の全貌)
トーネイ 浦松佐美太郎・牛場友彦訳 支那の農業と工業 岩波書店 昭10
二. 林 語 堂 新居格訳 我國土・我國民 豊文書院 昭13
林 語 堂 吉村正一郎訳 支那のユーモア(岩波新書) 岩波書店 昭15
クリスティー 矢内原忠雄訳 奉天三十年 上下(岩波新書) 岩波書店 昭13
ハンバーグ 青木富太郎訳 洪秀全の幻想 生 活 社 昭16
徳齢 太田・田中訳 西太后に侍して 生 活 社 昭17
劉 鐵 雲 岡崎俊夫訳 老残遊記 生 活 社 昭16
劉 半 農 竹内好訳 賽金花 生 活 社 昭17
倉石武四郎等訳 中國新文学大系 講 談 社 昭20
魯 迅 佐藤春夫・增田渉訳 魯迅選集(岩波文庫) 岩波書店 昭10
学習指導要領 東洋史編
Approved by Ministry of Education
(Date July 12 1947)
昭和22年 7月 12日 翻 刻 印 刷
昭和22年 7月 16日 翻 刻 発 行
〔昭和22年7月 16日 文部省検査済〕
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