要 旨
蒙古民族はアジアの大部分とヨ一ロッパの一部とを征服し,これまで直接に関係を持たなかった多くの国家と民族とを一つに結びつけた。しかしその征服が単に軍事的・政治的な面に限られていたのと,その期間も短かかったために,これらが混融して,一つの世界を形作るまでに至らなかった。それ故に十四世紀の後半に,その中心をなした元朝をはじめ三汗国が相ついで衰亡すると,アジアは再び昔ながらの孤立した幾つかの文化圈に分裂し,それぞれ独自の歴史を展開し始めた。
イスラム世界におけるヘゲモニーは,セルジュク朝の勃興以來,すでにトルコ民族の手に移っており,蒙古勢力の衰退の後を受けて強盛となった中央アジアのチムール朝も,小アジアのオスマン朝も共に,やはりトルコ民族の国家であった。両者の抗爭はまずチムール朝の勝利に帰したが,その繁栄は永続せず,やがてオスマン朝は三大陸にまたがる大帝国となり,セリム一世に至って,カリフの地位をも獲得するに至った。かつその地理的好条件に恵まれて,東西両洋の交易を独占し,大いに繁栄した。
チムールの子孫はアフガニスタンより,東南に進んで,ヒンドスタン平原を掌握し,ムガール帝国を建てた。ついでアクバルの治世には,北インドの全域を統一して,中央集権的な国家体制を作り上げ,更にデカン高原にも進出した。またアクバルはインドの統一を妨げるヒンズー敎徒とイスラム教徒との融合をはかるため,新宗教を提唱したが,この方は失敗した。帝の後三代の間に,帝国の富強は絶頂に達し,ことに文化の面ではその最盛の時期であったが,宗教政策の失敗から,非イスラム教徒の反乱が生じ,帝国の前途はようやく困難となって来た。
東アジアでは,明の洪武帝が元朝を倒して,漢民族の帝国を再興した。故土に退いた蒙古民族は,東西両部に分かれて互いに抗争を続けていたが,その勝者となったものは常に明の北辺をうかがった。明はこのほかにも東南の海洋一帯を倭寇によって脅かされていた。そうして最後に東北より起った満州民族との戦いによって,財政上の破綻を招き,その負担を農民に負わしたことから発生した内乱によって自滅した。
満州民族の帝国−清は,太祖の代に満州を統一し,太宗の代に内蒙古と朝鮮とを従え,順治帝の代に明の自滅に乗じて中国に人り,明室遺族の抗戦をしりぞけて中国を統一した。ついで康煕・雍正・乾隆三帝の代にかけて,外蒙古・チべット・新彊までも平定した。こうして清の力によってパミール以東のアジアはほとんど一つの境域を形作るようになると共に,北方遊牧民族の南下運動に最後のとどめが刺され中国の平和が保障された。
明が蒙古民族の支配を排除したことによって,中国の社会や文化は,これまでに徐々に進んで来た固有の方向を,いっそう発展させることとなった。清室は外民族ではあったが,その方向を乱すような政策はとらなかったし,またとり得るほど強力な文化的背景を持ってもいなかった。ことに明・清二代にわたって,比較的永く統一と平和との時代が続いたので,その傾向は更に強められ,ほぼ行きつくべき所に行きついたとの感が深い。その頂点に立つのが康煕・乾隆時代である。
この孤立した文化圏を海上より結びあわそうと試みた者に,明の永楽帝がある。帝の派遣した艦隊は数次にわたって,インドやアラビア等に達したが,その事業は継続されることなくしてやんだ。そうしてその事業の継承者となった者は,もはやアジアの民ではなかった。ポルトガル船が喜望峰をまわってインドに到着したのは,それから65年の後である。また同じころロシアは,その東方に位するキプチャク汗国に致命的な打撃を与えつつあった。
目 標
二.チムール朝の重要なる性格(政治と文化との面におけるイスラム主義と,経済の面における仲継貿易)を十分に認識し,オスマン朝の再興が,この点でチムール朝,並びにその後の中央アジア諸国にどんな影響を与えたかを理解すること。
三.イスラム教徒の侵入によって,インドの政治・社会・文化の各面に生じた変化に注目し,現在のインドにおける回・印対立の歴史的背景を理解すること。
四.万里の長城が東アジアの歴史に持った意義,更に遊牧民族の活躍が逐に停するに至った理由とその歴史的意義を理解すること。
五.朝鮮・安南などの中国の周辺に存した国家と中国との関係について十分な認識を持つこと。
六.清朝が満州民族によって,建てられた国家であったにもかかわらず,それが中国と同一視されるに至った過程を理解すること。
七.資本主義の侵入を前にしたインド・中国・日本の社会に共通する特質,並びにその間に存する差異を明らかにするように,努力すること。
八.インドではムガール朝,中国で清朝の最盛時が,それぞれの国のあらゆる面における発展の頂点に立つ時代,別のことばで言えば,古い形の東洋が老成の極に達した時代であることを十分に認識すること。
教材の範囲
(一) ガズニー朝とカラハン朝 (二) セルジュク朝と十字軍
(三) 蒙古帝国治下のイスラム世界
2.チムール朝の興亡
(一) チムール朝の興起
(1) 蒙古三汗国の併呑 (2) インド・小アジアへの進入
(二) シャー=ルクとウルグ=ベグ
(三) チムール朝治下の社会と文化
3.オスマン朝の隆盛
(一) オスマンの興起 (二) バヤジッド一世
(三) セリム一世とカリフ権の獲得 (四) スレイマン一世
4.十六世紀以後の中央アジア
(一) キプチャク汗国の解体
(二) ウズベク族(シエイバニ朝)の南下
(1) ブハラ汗国とヒヴァ汗国 (2) コーカンド汗国
(3) ブルート族(カラ・キルギス)とカザック族(キルギス・カザック)
(三) チャガタイ汗国の衰亡
(—) イスラム教徒のインド侵入 (二) パターン王朝の時代
2.ムガール帝国の建設
(一) バーバルとフマーユン
(二) アクバル
(1) 領域の拡大 (2) ディーン=イ=イラーヒ
3.帝国の繁栄
(一) ジャハーン=ギールとシャー=ジャハーン
(二) アウラン=ゼーブ(アラム=ギール) デカン遠征
4.帝国の衰退
(一) マラータ同盟 (二) アフガン王国 (三) シーク教徒
5.インドネシアのイスラム化
(一) マジャパイット王国 (二) イスラム教の弘布
(三) マタラン・バンタム・アチェー王国
(一) 元末の動乱−白蓮・弥勒両教徒
(二) 明の建国と中国の統一 (三) 明の北征と北元の衰亡
2.明の領土拡大
(一) 靖難の役と北京遷都
(二) 永楽帝の北征
(三) 満州
(1) 建州衛とヌルカン都司
(四) 西南地方
(1) 土司・上官 (2) 安南併合−交阯布政司
(五) 鄭和の南海遠征
3.内政の整備
(一) 皇帝独裁権の確立
4.明の外患
(一) 長城と辺牆 (二) エセン
(三) ダヤン汗とアルタン汗−黄教派ラマ教の弘布
(四) 倭寇と豊臣秀吉の朝鮮出兵
5.明の内憂と崩壞
(一) 宦官の専横 (二) 党争−東林党 (三) 増税−遼餉
(四) 李自成の反乱
6.周辺諸国の変遷
(一) 朝 鮮
(1) 高麗の滅亡と朝鮮の建国−太祖李成桂
(2) 太宗と世宗−鋳字所の設立と諺文の制定
(3) 世祖と成宗 (4) 壬辰・丁酉の乱
(二) 安 南
(1) 陳朝の滅亡と明の出兵 (2) 黎朝の独立(大越)
(3) 聖宗−占城の併合
(4) 莫氏の簒立と黎氏の復位
(5) 阮・鄭両氏の対立
(三) 琉 球
(四) チベット
(1) ツオンカパの宗教改革 (2) ダライ=ラマ
(一) 満州人の生活 (二) ヌルハチ−八旗の編成
2.清の入関
(一) 太 宗
(1) 満州文字の制定 (2) 国号の改定
(二) 内蒙古及び朝鮮の服属
(三) 入関−北京遷都
3.清の中国統一
(一) 南明の抗戦 桂王(永暦帝)
(二) 台湾の鄭氏と遷界令
(三) 三藩の乱
4.清の領土拡大
(一) 満 州
(二) 蒙 古
(1) ズンガル部−ガルダン (2) ハルハ諸汗の帰服
(三) チべット
(1) ツエワン=アラプタン (2) 青海・チベット服属
(3) グルカ征討
(四) 新 彊
(1) ガルダン=ツエリン (2) 準部の平定 (3) 回部の平定
5.清朝支配の特色
(一) 中 国 (二) 蒙古その他
6.周辺諸国の変遷
(一) ビルマ
(1) タウングー王朝 (2) アラウンパヤ王朝
(二) シャム
(1) アユチア王朝 (2) バンコク王朝
(三) アンナン
(1) 鄭・阮両氏の抗争 (2) 西山党
(四) 朝 鮮
(1) 丁卯・丙子の乱 (2) 党争と世道政治
(一) 漢人の拓殖と華僑
(二) 交通の整備
(1) 大運河 (2) 駅 遞
(三) 幣制−銀の流通
(四) 商業及び手工業
(五) 財 政
(1) 一條辮法 (2) 地丁銀
2.社 会
(一) 血縁団体
(二) 地縁団体
(1) 里甲と保甲 (2) 郷約
(三) 職業団体−幇 会館と公所
(四) 宗教団体−秘密結社
(五) 中国における国家と社会との関係
(六) 都市と村落
3.思 想
(一) 朱子学の沈滞
(二) 陽明学の勃興
(三) 実学の発達
(四) 考証学の興隆
(五) 清朝の文化政策
(1) 文字の獄 (2) 四庫全書その他
(六) 仏教・道教の堕落
4.芸 術
(一) 貴族文芸 (二) 平民文芸−戯曲と小説
(三) 絵画と建築−北宗派と南宗派
(四) 工芸−磁器と織物
2.ムガール朝の領域拡大の過程を図示すること。
3.清朝の領域拡大の過程を図示し,その最大版図と現在の中国の領域とを比較すること。
4.中国の歴代戸口統計表を作ってみること。(一)中国の戸口統計はどの程度信用できるか。(二)中国の戸口数はどんな理由で増減したか。(三)中国の人口が億のけたに達したのはいつか。
二 展 観
2.明・清時代の出版物,またはその写真を集め,字体・印刷技術などの変遷を明らかにすること。
三 図書の調査
次の諸書に眼を通して,それに関するだいたいの概念を得ること。
明史・清史稿・大明実録・大清実録・李朝実録・大清一統志・大明会典・大清会典・天工開物・農政全書・耕織図
四 口頭報告
2.ムガール朝下におけるマラータ族の活躍について報告すること。
3.北京・南京の名称はどうして生じたか。
4.総督・巡撫とは何か。
5.諺文について述べてみること。
6.遷界令とは何か。
7.西山党について述べてみること。
8.永楽大典・四庫全書とはどんな書物か。それが今はどうなっているか。
9.北曲・南曲とは何か。
10.鄭和の南海遠征は,なぜ行われたと思うか。なおこの事業が継続を見なかった結果どんな事態が生じたか。
11.内閣ということばはいつ生じたか。そればどういう性質を持ったものであるか(君主制とのつながりに注意)。これを現在の日本の行政府の名称に使うことは適当だと思うか。
12.万里の長城の位置と地理区との関係を考えてみること。
13.マレー半島やインドネシア諸島のイスラム化は,いつごろどのようにして行われたか。またこれらの地のイスラム教は,どんな特色を特っているか。
五 報告書の作成及び共同研究
2.チムール朝は何に基づいてその政治的秩序を保とうとしたか。またチムール朝の文化的基盤はどのようなものであったか。更に両者の間の連関はどうなっていたかを調べること。
3.オスマン=トルコ帝国の再起によって,チムール朝の受けた物心両面の打撃について考えること。
4.十一世紀以後のインド侵入者は,それ以前の侵入者と本質的にどのように違っていたか。またそれによってインドの社会と文化とはどのような変革をこうむったかを調べること。
5.十八世紀後半におけるインドの政情を明らかにし,それが西洋勢力の浸透に対してどのような作用を及ぼしたかを考えてみること。
6.中国にはしばしば秘密結社の反乱が生じているが,その主要なるものを年代順に挙げ,その発生の時期にどのような共通点があるかを考えてみること。
7.明朝の君主独裁権の伸張は,その官制のうちにどのように現れているか。
8.中華思想は中国の対外貿易にどんなわくを作るに至ったか。上記の特殊な貿易政策の故に,周辺の諸国家や諸民族は中国に対してどんな態度をとるに至ったか。特に明朝の場合を例にとって考えること。
9.朝鮮の場合,こと顕著であった中国従属の思潮(事大主義)を生んだ原因と,これが豊臣秀吉の出兵の際にどんな形をとって現われたかを調べること。
10.元の中国支配は短かかったのに,清のそれが長く続いたのはなぜか。また元の滅亡によって,蒙古人の活躍は衰えなかったが,清の滅亡は同時に満州人の存在をもむなしくしてしまったのはなぜかを考えること。
11.元代におけるラマ教と蒙古人との結びつきと,明末以後における両者の結びつきとにはどんな差異があったかを調べること。
12.蒙古に東西両部の対立を生じた例を過去にさかのぼって調べて,この対立がなぜ絶えず繰り返されているのか,その地理的・歴史的要因を考えること。
13.清朝の対蒙古政策の特色はどんな点にあったか。それが蒙古の社会にどんな影響を及ぼしたかを考えてみること。
14.蒙古によって大理国が倒された結果,その後の中国西南地方にはどのような変化が生じたか。また改土帰流とは何のことかを調べること。
15.ビルマ・シャム・アンナンの地を通じて,古くより南北の対立が見られるが,それは歴史的にどういう形で現われているか。更にこれがそれぞれ北方の勢力によって統一されるに至ったのは,いつごろ,またどんな過程をとってであったかを調べること。
16.中国本部十八省が,真に漢人の住地となるに至った経過を調べること。
17.中国における政治上・軍事上の中心地と経済上の中心地との分離はなぜ生じたか。またこの分離は中国の社会にどのような影響を与えたかを調べること。
18.華僑は南方諸国にどのようにして進出したか。その理由を中国内部の問題と,進出先の国々の問題とに分けて考えてみること。
19.華僑は南方諸国でどのような社会的地位を占めたか,それによってそれらの国々の社会はどのような影響を受けたかを調べること。
20.銀の流通が一般化した理由を考えること。
21.銀の流通は,外国貿易にどんな作用を生ぜしめたかを考えること。
22.租税の銀納化はなぜ起ったか。それを,税を徴收する側と,納附する側との両方の立場から考えること。
23.租税の銀納化によって,農民の生活にどんな変革を生じたと思うか。明治初年の地租改正の場合と引き比べて考えること。
24.幇とは何か,なぜ中国の社会にはそのようなものが必要であったと思うか考えること。
25.中国にもヨーロッパの商業ギルドと類似した「行」や公所のようなものが生まれながら,それが遂に政治性を獲得しなかった理由を考えること。
26.康煕・乾隆二帝の文化政策はどんなふうに行われたか。またそれによって中国の学問はどのような影響をこうむったかを調べること。
27.儒学の変遷は普通,戦国・漢唐・宋明・清の四つの時期に分けて説明されているが,おのおのの時代の特色はどのような点にあるか。またなぜそのような変化を生じたのか考えること。
28.明・清時代の文芸の特色はどういう点にあるか。これを江戸時代の文芸と対照してみること。
29.明・清時代の文化の日本に及ぼした影響については,これまであまり注意されずにいるが,文化の意義をできるだけ拡大して,その影響の有無を調べること(例えば言語や食生活のそれのごとく)。
30.清の敦崇の「燕京歳時記」(小野勝年訳注)「北京年中行事記」岩波文庫 昭16)を読み,日本のそれと比較すること。
31.室鳩巣の「六諭衍義大意」などによって「六諭」がどういうものであるかを調べ,これと明治天皇の「教育勅語」に挙げられた徳目とを対比して,両者の特質を調べること(忠を欠く点等)。
32.「西遊記」その他,明・清時代の有名な小説は,たいてい邦訳本があるから,それらを読んで読後感を簡単にまとめてみること。
33.「秦の始皇帝は書を焚いて天下を愚にしようとしたが,明の太祖は学を勧めて天下を愚にした」という警句を吐いた人があるが,その言葉の意味するところを吟味すること。
六 討 論
2.倭寇の起った原因を,中国側と日本側とのおのおのについて調べ,その行動は当時の情勢よりみてやむを得なかったものであるか,それとも他にとるべき手段があったものであるかを論ずること。
3.保甲制度について調べ,それは運用さえ正しかったら,民主的な組織となり得るものであるかどうかを論ずること。
七 伝記の作成
王陽明・鄭成功・ピア=タクシン・康煕帝・乾隆帝
参考書の例
一. 市村 ■(せん)次郎 東洋史統 巻三 冨 山 房 昭18
東洋中世史 四(世界歴史大系Ⅶ) 平 凡 社 昭10
東洋近世史 一(世界歴史大系Ⅷ) 平 凡 社 昭11
中央アジア史・印度史(世界歴史大系Ⅹ) 平 凡 社 昭10
明の興亡と西力の東漸(世界文化史大系18)新 光 社 昭10
淸代のアジア(世界文化史大系19) 新 光 社 昭13
田中 萃一郎 東邦近世史 三冊(岩波文庫) 岩波書店 昭14〜18
和田 淸 支那 下(東洋思潮) 岩波書店 昭11
ラトゥレット 岡崎三郎訳 支那の歴史と文化 上下 生 活 社 昭15.16
矢野 仁一 近代支那史 弘 文 堂 大14
稲葉 岩吉 支那近世史講話 日本評論社 昭13
稲葉 岩吉 満州発達史 日本評論社 昭11
矢野 仁一 近代蒙古史研究 弘 文 堂 大14
岩井 大慧 西藏の文化(東洋思潮) 岩波書店 昭11
ルネ=グルーセ 後藤十三雄訳 アジア遊牧民族史 山一書房 昭19
アラン=ヘイグ=ドッドウエル 山本晃紹訳 印度政治史 上 帝國書院 昭19
スミス 岡川経訳 近世印度史 上 赤門書房 昭18
ハーヴィ 五十嵐智昭訳 ビルマ史 北海出版 昭18
ウッド 郡司喜一訳 タイ國史 冨 山 房 昭16
楊 廣 咸 東亜研究所訳 安南史 東亜研究所 昭17
エイクマン=スターベル 村上直次郎・原徹郎訳 蘭領印度史 東亜研究所 昭17
加藤 繁 支那経済史概説 弘 文 堂 昭19
小竹 文夫 近世支那経済史研究 弘 文 堂 昭17
根岸 佶 支那ギルドの研究 斯文書院 昭7
パーヂェス 申鎮均訳 北京のギルド生活 生 活 社 昭17
ワグナー 高山洋吉訳 中國農書 二巻 生 活 社 昭15.17
バック 塩谷安夫・仙波泰雄・安藤次郎訳 支那の農業 改 造 社 昭13
天野 元之助 支那農業経済論 上中 改 造 社 昭15.17
淸水 盛光 支那社会の研究 岩波書店 昭14
和田 淸編 支那地方自治発達史 中央大学 昭14
スミス 塩谷安夫・仙波泰男訳 支那の村落生活 生 活 社 昭16
東恩納 寛惇 六諭衍義傳 文一路社 昭18
ウィットフォーゲル 解体過程にある支那の経済と社会 上下 中央公論社 昭9
平野義太郎訳 武内 義雄 支那思想史 (岩波全書) 岩波書店 昭11
青木 正児 支那文学思想 下(東洋思潮) 岩波書店 昭11
青木 正児 支那近世戯曲史 弘 文 堂 昭5
二. 植村 淸二 万里長城 創 元 社 昭19
オウェン=ティモア 後藤冨男訳 万里長城の起源・ステップと歴史 生 活 社 昭15
(農業支那と遊牧民族)
石原 道博 鄭成功 三 省 堂 昭17
和田 淸 康煕乾隆時代(東亜史論叢) 生 活 社 昭15
宮崎 市定 科挙 秋 田 屋 昭21
桑原 隲藏 唐明律の比較(支那法制史論叢) 弘 文 堂 昭10
満鉄弘報課 満川農業図誌 非 凡 閣 昭16