単元三 庶民生活はどのように向上したか

 

要 旨

 さきに唐を中心として統合された東亜の諸国は,唐の国勢が衰えて来ると,やがて分裂の形勢を現わすようになった。中国では,唐の滅亡後,五代の紛乱時代を経て,宋・遼の二国が南北に対立するに至った。その後,金が遼にかわり,宋は南方に追いやられて南宋となった。宋は唐末以来勢力を振るっていた武人の権力を抑えて,文治主義による政治組織を採用した。このため,宋の武力は弱まり,絶えず外民族に圧迫されて,国威は外に向かって伸びなかったけれども,漢民族の勢力はかえって国内の経済・文化の方面に集中されたため,この時代における経済・文化はめざましい発達をとげた。そうして,これらの進歩・発展に貢献したのは,唐末以来沒落した貴族階級にかわって,新たに頭して来た庶民階級であった。

 先ず経済方面を見ると,各種の産業が発達し,貸幣経済が普及し,商業が繁栄し,外国貿易が隆盛になり,多くの商業都市が発生して,都市の商人階級が大きな勢力を持つようになった。かくして都市を中心として庶民の生活がすこぶる向上した。特に南宋になってからは江南の開発が著しく,これらの地方の都市がすこぶる繁栄した。今日の中国経済における江南の重要性はこのころから確立した。また宋代の農村では大土地所有が発展し,農民の小作農となるものが多かったが,南宋においては非常に小作制が発達した。次に文化方面を見ると,宋代には外方の文化があまり輸入されなかったため,從来の文化がいっそう消化され,批判されて,儒学・史学・文学等に新生面が開かれた。更に庶民生活の向上は美術・工芸等に発達を著しく促進させた。かくして宋は武力では東亜の諸国を威圧し得なかったけれども,そのすぐれた文化によって後世に至るまで中国はもちろん日本・朝鮮・安南等の諸国に著しい影響を与えた。

 遼・金・西夏等の北方民族は漢族に対抗していたが,これらの諸国は武力にすぐれていたけれども,文化においてははるかに漢人に劣っていたため,遂にこれに同化されて,みずから亡んだ。しかるに蒙古が起ると,北方民族の武力は頂点に達し,逐に欧亜にまたがる史上空前の領土を占めて,蒙古民族の全盛時代を現出した。しかし蒙古は政治上には文武の重要なる地位独占して,政権をほしいままにし,経済上には西域人を多く用いて,租税をせめとり,文化に対しても深い理解を持たなかったので,その勢力が永続しなかった。このため中国においても元朝治下では経済の発達が一時停滞し,一般庶民の生活も苦しくなったようである。また文化においても漢文化は振るわなくなり,ただ小説・劇曲・絵画等に見るべきものがあっただけであった。しかし唐以来とだえていた東西交通が再び開けたので,西方の文化が東伝して,漢文化に新しい要素を添えた。回教徒が中国で勢力を得るようになったのもこれ以後のことである。また西人の来朝する者が多くなり,東亜の事情が西方に知られるようになって,これが後に至って西洋人の東亜来航を促す基をなすに至ったのである。

 

目 標

 

教材の範囲

学習活動の例