要 旨
漢の衰亡の後,三国・西晋時代にわたって,中国の政治力が弱まると,北方または西方よりする外民族の中国侵入ははなはだしくなり,遂には漢人の王朝を揚子江の南に追って,華北を制するに至った。華南・華北の対立の形勢はここに開け,やがて華北に北族の国北魏が起り,華南に漢人の国宋が起ると,時代は南北朝となった。百数十年にわたる南北朝の政局はすこぶる安定を欠いたが,文化史の面からこの時代を見ると,江南には,豪族を中心とする文化が展開し,漢文化の中心は江南に移るの観を呈した。一方,北方でも,北族の王朝がよく漢文化の長所を取り入れる態度を示した上に,残留の漢人は異民族を同化するのに大きなはたらきをなしたから,文化は必ずしも破壊されず,かえって清新の気風を添えた。
かく異民族の圧力のもとにさらされながら,かえってその内容を更新して行った漢文化の根強さは驚くべきものがあり,また北方民族の文化史上における役割も看過しがたいものがある。
華南・華北の別なく盛行した仏教の影響は極めて大きい。インドから西域を経て仏典が中国にもたらされ,名僧も来たり,教理も明らかとなり,宗派の別も生じた。その組織だった教理は中国の思想界に大きな影響を与え,道教発生の原因ともなれば,またもろもろの学問を発達させる動機ともなった。
三百数十年にわたる中国の分裂は隋の出現によって終りを告げた。隋は北朝の外戚の出であっただけに,北朝の制度を多く受け継いだが,その目的としたところは南北の統一にあった。中国の南北を結ぶ大運河の開通はその具体的な現われと見てよい。隋が第二代の煬帝の失政によってあえなく崩れた後,その政治形体や政策を受け継いだのが唐であった。
実に唐代は久しく不振であった漢人が,再びその威力を四隣に示した時代である。その武威の及ぶところ,北ではトルコ人の国突厥を倒し,西では古くから独立していた西域の漢人植民地高昌を併せ,チベット・タングート等を討ち,南ではインド=シナ北部を領有して,更に南部の占城・真臘をも通貢させ,東では高句麗・百済を滅ぼした。
外征の進展につれてインド・ビルマ・マレー及び東インドのことも唐に知られた。これらの地域には仏教やヒンズー教が拡がり,その造形美術にもはなばなしいものが残された。西南アジアにマホメットが起って,政治・宗教の両面からアラビア人の統一を成しとげたのもこのころである。アラビア商人が海上より東西の世界を結びつけたことは注目に値する。
唐は外征によって国威を輝かしたばかりではなく,高祖・太宗の間においてあらゆる制度をととのえ,人々の生活や文化も向上した。唐の制度・文物に接した四隣の国々はその刺激によってにわかにめざめた。唐代における日本・新羅・渤海・チベット・南詔等の飛躍的な発展は,あたかも大きな燭光によって部屋の隅隅までも明かるく照らされたさまにもたとえられる。
唐文化の隆昌は,玄宗の開元・天宝の世に極まった。だがその文化の真面目は単に中国固有文化の発展の上のみにあったのではない。絶え間ない外人往来によって,唐の文化は著しく国際的性格を帯びていた。ことに著しいのはペルシアを中心とする西方文化の影響であって,それは宗教の面にも,美術・工芸・音楽・演技などの面にも,また服飾や生活様式の面にも看取される。
唐の文化が西伝して歓迎されたことも容易に想像されるが,ことに重大なのは中国の製紙法が西方に伝わったことである。
思うに漢代に一応実を結んだ中国の文化は,外民族の侵入を契機として華北・華南の両地域にそれぞれ特殊の発展をとげ,隋・唐代に進んで,その両者を合した上に,更に国際的性格を備えた。日本が西方文化とのつながりを持つに至ったのも唐との交通によってである。
目 標
二.東洋史において漢民族と北方民族との対立がいかに大きな問題であるかを理解すること。
三.外民族が南北朝時代において遺した文化的貢献を考え,文化史上における外民族の存在意義を認識すること。
四.豪族に関連させて,中国社会の指導勢力がどう移り変わったかを認識すること。
五.唐文化の国際的性格を認識すること。
六.唐代における民衆の日常生活を理解すること。
七.現代の生活は唐代文化の恩恵を蒙っていることを理解すること。
教材の範囲
(一) 三国分立と赤壁の戰 (二) 諸葛孔明
2.北方や西方民族の中国侵入はいつごろからどんな形で始まったか。
(一) 五胡 (二) 前秦国
3.漢文化はどのようにして江南に移ったか。
(一) 晋室の南渡
(二) 北来貴族と江南土着の豪族
(三) 南朝の興亡と貴族の勢力
4.北方民族は漢文化に対してどのような態度で臨んだか。
(一) 北魏の孝文帝
(二) 北周の政策
5.漢以後の東方の形勢はどうなったか。
(一) 魏の東方経略 (二) 三韓から三国対立へ (三) 高句麗の文化
(四) 倭女王卑弥呼 (五) 大和朝廷の統一と中国との通交
(一) 占田制 (二) 均田制
2.豪族とはどのようなものか。
(一) 豪族の家族生活 (二) 豪族の政治進出 (三) 九品中正
(一) 両晋士人の気風と清談
(二) 学問における科学的研究態度
2.六朝の詩文はどんな特色を持っているか。
(一) 四六調の駢儷体 (二) 陶淵明
3.六朝時代に美術はどのような発展を示したか。
(一) 書道−王義之 (二) 絵画−顧愷之
(一) 経文の将来と訳経
(二) 中国僧の西域・インドへの求法と西域・インド僧の中国への到来
(三) 仏図澄と鳩摩羅什 (四) 法顕と「仏国記」 (五) 道安と慧遠
2.南北朝時代の王朝と仏教との関係はどうであったか。
(一) 排仏 (二) 梁の武帝
3.仏教芸術の遺蹟としてはどとが名高いか。
(一) 敦煌・雲岡・龍門 (二) ガンダーラ式・グプタ式
4.朝鮮や日本に仏教が伝わったのはいつか。
(一) 前秦王苻堅と順道 (二) 聖明王
5.儒・仏・道三教の関係はどうであったか。
(一) 太平道・五斗米道 (二) 葛洪と「抱朴子」 (三) 寇謙之
(一) 文帝の内政 (二) 煬帝の豪奢 (三) 大運河
(四) 外国経略とその失敗
2.唐初の隆昌はだれの力に負うか。
(一) 太宗と貞観の治
3.唐の盛衰の分かれ目はいつであったか。
(一) 玄宗と開元の治 (二) 安史の乱
4.唐の衰亡の原因は何か。
(一) 財政の窮迫とその対策 (二) 外民族の侵入 (三) 黄巣の乱
(一) 突厥 (二) 都護府 (三) 覊縻政策 (四) ウイグルとその文化
2.唐は西域交通路の確保にいかなる努力を払ったか。
(一) 高昌国 (二) 安西四鎭
3.西方及び西南方で唐の脅威となったのはいかなる国か。
(一) スロン=ツァン=ガンポ王 (二) ラマ教 (三) 南詔
4.西南アジア及びインドにはいかなる統一が見られたか。
(一) マホメット (二) アッバス朝 (三) ハルシア王 (四) 王玄策
5.南方の形勢はどうであったか。
(一) 安南都護府 (二) 占城と真臘 (三) シュリーヴィジャヤ
6.東方の国際関係はどのように変化したか。
(一) 高句麗・百済の滅亡 (二) 新羅の半島統一
(三) 大祚栄と渤海国 (四) 唐代の日本
(一) 中央官制と地方制度 (二) 律・令・格・式の完備 (三) 府兵制と募兵制
(四) 教育機関 (五) 科挙と貴族 (六) 均田制と税制,両税法
2.経済生活はどのように豊かにいとなまれていたか。
(一) 米・茶・砂糖・絹織物生産の発達
(二) 運河と駅路の発達 (三) 都市の発達と長安
(四) 外国貿易の殷賑 (五) ソグディアナの商人とアラビア人
(一) 儒学と道教 (二) 詩文の発達−李白・杜甫 (三) 史通・通典及び地理書
(四) 絵画・書道の発達−閻立木・呉道玄・李思訓・顔真卿
(五) 金工・陶磁器・絹織物の技術の進歩 (六) 年中行事
2.唐代にはどのような外国文化が伝わったか。
(一) 仏教の発展と諸宗派
(二) 西方の宗教・ザラツストラ教・マニ教・ネストル教
(三) 美術工芸品及び文様におけるペルシア文化の影響
(四) 音楽・楽器・雜技・元宵観燈・千秋節
(五) 西方風俗の影響 (六) 唐文化の西伝・特に製紙法
学習活動の例
2.西域交通上の要地を地図の上に書き表わすこと。
3.敦煌・トルファン・クチャ・ミーラン・コータンに遺る壁画を模写してみること。
4.唐とペルシアとの文化的なつながりを知るために,両地の遺物や工芸品の図案などを写生して比較すること。(正倉院所蔵の唐伝来の品にも注意すること)
二 図書の調査 写真の展観
三国志(特に魏志倭人伝)・文選・世説新語・顔氏家訓・斉民要術
抱朴子・陶淵明詩集・新唐書・旧唐書・唐詩選・貞観政要・史通・通典
大唐六典・唐律疏義・入唐求法巡礼行記・大唐西域記
2.次の各地の写真を集めて展覧してみること。
アジャンタ・バミヤン・トルファン(高昌)・敦煌・雲岡・長安・龍門
東京城・輯安・慶州・ボロブドール
2.ラマ教の起原・内容及びその伝播について。
3.唐代における東洋諸民族の興隆は唐の繁栄とどのような関係があるか。
4.仏教諸宗派の日本伝来の事情について述べること。
5.近年盛んに行われた西域地方の探検につき,次の点を調べて発表する。
(一) 探検家の性名と国籍
(二) その業績
(三) 報告書及び旅行記の表題と内容
6.桑原博士著「大師の入唐」(「東洋史説苑」所收)を読み弘法大師の旅行の跡を地図で示しながら,大師の旅行中の見聞を話してみること。
四 報告書の作成
2.中国と日本の家族制度及び家族道徳との比較をすること。
3.唐代までの日本と中国との通交関係を調べること。特にそれに関する両国の文献の記事の相違に注意すること。
4.清談の由来及び内容について考えてみること。
5.南北朝時代における南北両文化を比較してみること。
6.唐の対外発展がその文化に及ぼした影響を調べてみること。
7.高句麗・新羅の遺跡・遺物につき,中国と朝鮮との関係を調べること。
8.中国周辺諸民族はそれぞれいつ,どのような事情で文字を考案したか,それらの文字の源をなす文字があれば,それを指摘してみること。
9.日本が大和朝廷によって統一されたのはいつごろと推定されるか。統一前の日本の有様はどのようなものであったか。
10.科挙の起り,その発達及びその影響を考えること。
11.陶淵明・李白・杜甫・白楽天等の詩の中から,酒を詠じたもの,別離を詠じたもの,自然を描写したもの,人生観を述べたものをそれぞれ取り出して比較してみること。
五 討 論
2.中国の社会・経済史上における豪族の功罪を論ずること。
3.清談の功罪を論ずること。
4.中国の家族制度の長短を論ずること。
5.漢の高祖と唐の太宗との人物を比較すること。
6.日本が唐文化に接した態度は盲目的であったか,批判的であったか。
(一) 諸葛孔明・劉備・曹操 (二) 玄宗・楊貴妃・安禄山
2.次の人物の簡単な伝記を作ってみること。
陶淵朋・煬帝・玄奘・マホメット
七 生活の復原
3.白楽天の詩の中から年中行事に関するものを書き出し,これを順に配列すること。
一. 市村■(せん)次郎 東洋史統 巻一・巻二 冨山房 昭14・15
東洋中世史 一(世界歴史大系Ⅳ) 平 凡 社 昭9
東洋中世史 二(世界歴史大系Ⅴ) 平 凡 社 昭9
漢魏六朝時代 (世界文化史大系Ⅵ) 新 光 社 昭11
隋唐の盛世 (世界文化史大系Ⅶ) 新 光 社 昭9
和田 淸 支那 上(東洋思潮) 岩波書店 昭10
ラトゥレット 岡崎三郎訳 支那の歴史と文化 上 生 活 社 昭15
岡崎 文夫 魏晉南北朝通史 弘 文 堂 昭7
和田 淸 編 支那官制発達史 上 中央大学 昭17
仁井田 陞 唐令拾遺 東方文化学院 昭8
仁井田 陞 那身分法史 東方文化学院 昭17
加藤 繁 支那経済央概説 弘 文 堂 昭19
岡崎 文夫 魏晉南北朝時代に於ける社会経済制度 弘 文 堂 昭10
玉井 是博 支那社会経済史研究 岩波書店 昭17
鞠 淸 遠 中島敏訳 唐代財政史 図書出版株式会社 昭19
武内 義雄 支那思想史(岩波全書) 岩波書店 昭11
常盤 大定 支那に於ける佛敎と儒敎・道敎 東洋文庫 昭11
佐伯 好郎 景敎の研究 東方文化学院 昭10
青木 正児 支那文学思想 上(東洋思潮) 岩波書店 昭10
原田 淑人 漢六朝の服飾 東洋文庫 昭12
原田 淑人 唐代の服飾 東京帝大 大10
水野 淸一 雲岡石佛群 東方文化研究所 昭19
足立 喜六 長安史蹟の研究 東洋文庫 昭5
池内 宏 通溝 上下 東亞考古学会 昭13−15
原田 淑人 満蒙の文化(東洋思潮) 岩波書店 昭10
羽田 亨 西域文明史概論 弘 文 堂 昭6
石田幹之助 南海に関する支那史料 生 活 社 昭20
桑原 隲藏 蒲壽庚の事蹟 岩波書店 昭1O
チャルス=ベル 田中一呂訳 西藏 過去と現在 生 活 社 昭15
二. 白鳥 庫吉 東西交渉史上より観たる遊牧民族(東西交渉史論) 史 学 会 昭14
桑原 隲藏 歴史上より観た南北支那(東洋文明史論叢)弘 文 堂 昭6
内藤 虎次郎 慨括的唐宋時代観(東洋文化史研究) 弘 文 堂 昭6
日野 開三郎 支那中世の軍閥 三 省 堂 昭17
石田 幹之助 長安の春 創 元 社 昭16
桑原 隲藏 長安の旅(考史遊記) 弘 文 堂 昭17
小杉 放庵 唐詩と唐詩人 青 磁 社 昭22
田中 克己 李太白(東洋思想叢書) 日本評論社 昭19
オーレル=スタイン 満鉄弘報課訳 中央亞細亞の古跡 朝日新聞社 昭和16
宮崎 市定 菩薩蛮記 生 活 社 昭19
多田 等 チベット(岩波新書) 岩波書店 昭18
水野精一・駒井和愛・三上次男 北満風土雜記 座 右 宝 昭13