学習指導要領社会科編

 

 第一章 序  論

 

 第一節 社会科とは

 今度新しく設けられた社会科の任務は,青少年に社会生活を理解させ,その進展に力を致す態度や能力を養成することである。そして,そのために青少年の社会的経験を,今までよりも,もっと豊かにもっと深いものに発展させて行こうとすることがたいせつなのである。

 社会生活を理解するには,その社会生の中にあるいろいろな種類の,相互依存の関係を理解することが,最もたいせつである。そして,この相互依存の関係は,見方によっていろいろに分けられるけれども、こゝでは次の三つに分けることができよう。

 人と人との相互依存の関係は,単なる個人間だけの関係ばかりではなく,更に進んで,個人の多数の集まりと見なされる,諸団体相互ないし諸国民相互の関係をも含むことになる。これが社会生活の理解に重要なことは,いうまでもあるまい。

 人間と自然環境との関係は,われわれの衣食住の様式が,各地の自然に適応して営まれていること,及びわれわれは自然を巧みに利用することによって,自分たちの生活を次第に豊かにして来た事実のうちに見られる。自然環境は,すべて人間によって保護され,保存され,開拓されているものであることを考えると,これに関する青少年の経験もまた,十分深められて,社会生活の理解に至らしめなければならない。

 学校とか,組合とか,政府とかいう社会の施設や,いろいろな社会の制度,更に道徳とか法制あるいは慣習というような文化もまた,社会を構成している個人の努力によって生み出され,働いているものであることを考えると,これに関する青少年の経験もまた,深められ,広められて,社会生活のより深い理解に導かれなくてはならない。

 社会生活を理解するには,相互依存の関係を理解することがたいせつであり,そして,その相互依存の関係を理解するには,人間性の理解がこれにともなわなければならない。社会生活の根本に,人間らしい生活を求めている,万人の願いがひそんでいることを忘れて,ただ社会に現われているさまざまのことばかり理解しても,それは真に社会生活を理解しているとはいえない。従来のわが国民の生活を考えて見ると,各個人の人間としての自覚,あるいは人間らしい生活を営もうとするのぞみが,国家とか家庭とかの外面的な要求に抑えつけられたために,とげられて来なかったきらいがあった。そのために,かえって国民としての生活にも,家庭の一員としての生活にも,さまざまな不自然なこと,不道徳なことが生じていたことは,おたがいに痛感したことである。青少年の人間らしい生活を営もうという気持を育ててやることは,基本的な人権の主張にめざめさすことであると同時に,社会生活の基礎をなしている,他人への理解と他人への愛情とを育てることでもある。事実,みずから自分の生活の独立を維持し,人間らしい生活を楽しむことを知っているものであるならば,そこにはじめて,他人の生活を尊重し,自他の生活の相互依存の関係を理解することができ,自分たちの社会生活を,よりよいものにしようとする熱意を持つことができるのである。社会科においては,このような人間性及びその上に立つ社会の相互依存の関係を理解させようとするのであるが、それは同時に,このような知識を自分から進んで求めてすっかり自分のものにして行くような物の考え方に慣れさせることでなければならない。従来のわが国の教育,特に修身や歴史,地理などの教授において見られた大きな欠点は,事実やまた事実と事実とのつながりなどを,正しくとらえようとする青少年自身の考え方あるいは考える力を尊重せず,他人の見解をそのままに受けとらせようとしたことである。これはいま,十分に反省されなくてはならない。もちろん,それは教育界だけのことではなく,わが国で社会一般に通じて行われていたことであって,そのわざわいの結果は,今回の戦争となって現われたといってもさしつかえないであろう。自主的科学的な考え方を育てて行くことは,社会科の中で行われるいろいろな活動にいつも工夫されていなければならない。

 社会科においては,青少年が社会生活を営んで行くのに必要な,各種の能力や態度を育成する必要がある。それがどのようなものであるかは,「第二節社会科の目的」において示すが,それは将来の社会生活の準備として考えられた抽象的なものではなく,現在の青少年の社会生活を進展させるためのものであって,教師にとっても生徒にとっても,具体的なよくわかるものであり,青少年の社会的経験を発展させることによって,おのずから獲得され養成されるものなのである。それは,生徒たちの人間生活・社会生活に関する理解が進むにつれて,必然的に自分たちの社会生活を進展させようとする際に,必要になって来る態度や能力なのである。そして,それがそのまま将来の社会生活に必要な態度となり,能力となるのである。

 以上述べたような知識・考え方・態度・能力は,もちろん青少年の性格の中に統一されていなくてはならない。その性格の基本をなすものは,いうまでもなく人間らしい生活を実現しようとする内的な要求であり,自己及び他人に対する誠実な心持であり,社会に対する正義の念である。われわれの目ざすのは,青少年らしい明かるい青少年である。社会科においては,青少年の社会的経験を,より豊かな,より有効なものに発展せしめようとするが,それは決してませた青少年を作ることではない。なぜならば,青少年は未来の社会人であるばかりでなく,現在すでに社会人であり,その日その日の生活それ自身が,もっと人間らしいものへという追求の生活であるからである。したがって社会科は,現在の青少年として,その青少年らしい人間生,社会生活を営んで行けるようにするものである。
 
 

 社会生活がいかなるものかを理解させ,これに参与し,その進展に貢献する能力態度を養うということは,そもそも教育全体の仕事であり,従来も修身・公民・地理・歴史・実業等の科目は,直接この仕事にたずさわって来たのである。けれども,それらの科目は,青少年の社会的経験そのものを発展させることに重点をおかないで,ともすれば倫理学・法律学・経済学・地理学・歴史学等の知識を青少年にのみこませることにきゅうきゅうとしてしまったのである。したがってこれらの科目によって,生徒は社会生活に関する各種の知識を得たけれども,それがひとつに統一されて,実際生活に働くことがなかったのである。いいかえれば,青少年の社会的経験の自然な発達を促進することができなかったのである。社会科はいわゆる学問の系統によらず,青少年の現実生活の問題を中心として,青少年の社会的経験を広め,また深めようとするものである。したがってそれは,従来の教科の寄せ集めや総合ではない。それゆえに,いままでの修身・公民・地理・歴史の教授のすがたは,もはや社会科の中には見られなくなるのである。しかも将来,倫理学・法律学・経済学・地理学・歴史学を学ぶ時の基礎となるような身についた知識や,考え方・能力・態度は,社会科においてよりよく発展せしめられるであろう。このような意味において,社会科は,学校・家庭その他の校外にまでも及ぶ,青少年に対する教育活動の中核として生まれて来た,新しい教科なのである。それは青少年の心意活動の特質と現実の生活の全一性とに即して現われて来た教科であり,青少年の生活に希望と生気とを与えるものである。

 それでは社会科と国語・数学・理科等のような併立している科目との関係はどうであろう。これらは内容の上からきっぱりと社会科と区別して考えることは,かえって不自然であるように思われる。ただ,しいて区別すれば,各科のめざしているものの違いがあるというだけにすぎない。それゆえ,社会科の授業の中に,他の教科の授業がとり入れられ,また他の教科の授業の際に,社会科のねらいが合わせて考慮されることは,当然のことであり,かえってその方が望ましいのである。

 社会科が,わが国の伝統を十分尊重し,これを青少年によく理解させることは,極めてたいせつであるし,またそれは当然できることでもある。なぜならば,伝統はわれわれの社会生活の全面にわたって,これをいろいろなしかたで規定していると同時に,その発展に大きな力として働いているものだからである。したがって,伝統はもはや単に伝統であるからというだけでは尊重するわけにいかない。長い伝統の中でも,今こそ思い切らなければならないものがあるとともに,今後いよいよこれを生かし,且つ育てて行かなければならないものもあることを知り,もし真に生かして行くにふさわしいものであるならば,それを尊重しなければならない。いまわが国の青少年の大部分が生活している,家庭も,学校も,住んでいる土地の社会も,十重二十重に,因習によってとざされているといっても過言ではない。それゆえ教師は,これらの生活について指導する場合,常にほかの家庭やほかの学校やほかの土地の社会を比較することが有益であることを忘れないでほしい。

 今後の教育,特に社会科は,民主主義社会の建設にふさわしい社会人を育て上げようとするのであるから,教師はわが国の伝統や国民生活の特質をよくわきまえていると同時に,民主主義社会とはいかなるものであるかということ,すなわち民主主義社会の基底に存する原理について十分な理解を持たなければならない。これについては,他日その解説書が刊行されることと思われるが,教師はまず自分たちで研究をすすめられたい。次に参考として,一応その基本的な原理と考えられるものを掲げる。

 どの教科についてもいえることではあるが,社会科においては特に教師自身の真実を求める熱意こそ,すべを解決するかぎなのである。

 第二節 社会科の目標

 社会科の目標は,暫定的ではあるが,一応教育の一般目標に基ずいて,次のように考えられるであろう。小学校の六年に対しては,各学年ごとに,これに基ずく学年の目標を示し,中学に対しては,各単元ごとに,これに基ずく単元の目
標を示すことにした。教師は,よくこれらを通読し,その意味を適確に理解するように努められたい。

 第三節 社会科に関する青少年の発達

 他のすべての教科と同じく,社会科においても,青少年の心意の発達に即して,学習を進めなくてはならない。別表に,その学習能力並びに社会性のだいたいを示した。しかしこれは,地域や,生活環境・素質その他によって,各個人に著しい差異を生じているから,教師はこの表を参考にしつゝも,青少年の実際について,十分観察を加えて行かなければならない。備考欄は,その発達段階における教材選択の基準を示したもので,青少年の関心の中心に即応するものである。

 心身の発達が特に著しく,且つこのことを特に十分考慮に入れなくてはならない,小学校の児童については,各学年ごとに,そのだいたいの説明を付しているから,十分に参照されたい。
学  年
学 習 能 力
社 会 性
備  考
第一学年
第二学年
(1) 情緒的性質が著しい。

 推理反省で学ぶことは困難。

(2) 行動的性質が著しい。

 興味によって行動をさそい,行動を指導することによって学ばせる。

(3) 自己中心的傾向が著しい。

 自己並びに周辺の具体的事物について学ぶ。

社会生活は著明でない。 入学当初は新しい学校生活に慣れるため,いろいろ問題がある。漸次身のまわりの社会を理解し,これに順応するようになる。 家庭・学校・社会生活の一般について一応の理解を得させようとする。
第三学年
第四学年
(1) 情緒的,行動的傾向はなお著しい・・・・・・興味で動き,行動で学ぶ。

 興味によって行動を誘い,その行動を指導することによって学ばせる。

(2) 自己中心的傾向を離れはじめる。・・・・・・単純な関係はわかる。

 単純な反省理解を求める。

社会生活がやゝ著しくなる。 自己の意識があらわれて来て,家庭や友だちのなかまで一人前として,認められようとする。社会生活の基本的な関係を,全体としてつかみかける。 人間生活における自然への順応について理解を得させようとする。
第五学年
第六学年
(1) 行動により具体的に考える。

 出発点を具体的生活に求める。

(2) 自己中心的傾向を脱する。

 やゝ進んだ知的指導をはじめる。

社会集団生活が拡大し,社会関係,その義務について理解する。 現実の社会生活,主として,その物質的繁栄の状況を求めようとする。

合理的な生活方法を追求する。

発明・発見更には機械生産の人間生活に及ぼす影響を中心に,社会生活を理解せしめようとする。
第七学年
(1) 抽象的,論理的思考が次第に発達する。

 知的指導を拡大。

(2) 自我意識がめざめはじめる。

 自主性を重んずる。

社会生活関係が意識的になるが,まだ表面的なものである。 歴史的,地理的な拡がりにおいて,われわれの社会生活を究めようとする。 わが国民の生活のしかた,その歴史的発展を理解せしめようとする。
第八学年
(1) 抽象的,論理的思考が次第に発達する。

(2) 自我意識がめざめ,感情的反抗的傾向があらわれる。

 自主性を重んずる。

 理想を養う。

社会生活関係が強く意識されて来る。親友が生まれて来る。 社会生活の具体的な姿をより広く深く究めようとする。 世界の産業を中心とする社会生活の大要を,理解せしめようとする。
第九学年 (1) 抽象的・論理的思考が次第に発達する。批判的に物事を考えるようになる。

(2) 自我意識が強くなり,感情的反抗的傾向が強くなる。

(3) 道徳に対し,自主的な判断をもつようになる。

社会生活関係が強く意識される。 次第に既存の社会制度に対する反抗心がきざす。(例えば,家族関係,教師との関係において批判的になる。) 社会の諸制度等の大要を理解せしめようとする。
第十学年
(1) 抽象的,論理的思考がいっそう強くなる。

(2) 自己主張,自己反省が強くなる。

(3) 美的,芸術的,宗教的なものへのあこがれが強くなる。

(4) 理想主義的傾向が強くなる。

社会環境に対する批判的態度が著しくなる。 社会生活一般に対する理想主義的な批判と社会思想に対するあこがれがきざす。 外面的社会生活からの意識的逃避の傾向が強くなる。 民主主義の理想と現実の大要を理解せしめようとする。
 第四節 社会科の学習指導法

 一般編「第四章 学習指導法の一般」において示された方向は,社会科の学習指導の方向である。

 社会科は青少年が社会生活を理解し,その進展に協力するようになることを目指すものであり,そのために青少年の社会的経験を豊かにし,深くしようとするのであるから,その学習は青少年の生活における具体的な問題を中心とし、その解決に向かっての諸種の自発的活動を通じて行わなければならない。

 青少年は社会生活に関する真実な知識理解を与えられなければならないが,これは自分たちでなんらかの行動をなし,社会との交渉を経験することによってのみ得られるのである。なすことによって学ぶという原則は,社会科においては特にたいせつである。

 一方社会科の目指している社会的態度とか,社会的能力とかいうもの,すなわち生活のしかたとしての民主主義は,日々の生活の実践によってのみ理解され,体得されるものであるから,青少年の生活の問題を適確にとらえて,その解決のための活動を指導して行くことが,社会科の学習指導法の眼目でなければならない。

 この問題をとらえるためには,青少年の心身の発達の方面からと,その社会生活において,青少年の占めている位置から,との両方面から見た彼らの生活実態を観察ないし調査することが必要であるのはいうまでもない。

 本書における単元は,一般にその学年の青少年の生活に現われて来ると考えられる問題を中心とし,それを解決させるためにはどんな活動をさせたらよいかを例示したものである。

 もちろんこれ以外にも問題があるであろうし,また掲げた問題が,その青少年の生活に切実なものとしては現われて来ない場合もあるであろうし,またそのための活動にも,別のものが考えられたり,また不適当なものもあるであろう。それは教師が適宜補ったり,除いたり,変更したりしなくてはならない。たゞこの青少年の直面している現実の問題を中心とし,その解決のために自発的活動をなさしめ,そしてそれを通じて指導して行くという原則はあくまでも守らなくてはならない。

 青少年の直面している問題を解くに必要な,また,その興味に合している,自発的な活動を選ぶためには,一般編「第四章 学習指導法の一般,三,具体的な指導法はどうして組みたてるべきか。(一)児童や青年の自発活動を考える」の項に示された,諸種の自発的活動を考慮するのがよいと思われる。

 また,これらの自発的活動は,その学年あるいはその単元の学習目標に照合してきめる必要があるとともに,絶えずこの目標を念頭におきながら指導しなくてはならない。これを忘れて,興味にまかせて深入りすると,活動は方向を失なってしまうことになる。それはかえって学習の効果を失なわせてしまう。といって学習の目標を直接に教えこもうとするのも望ましくない。それでは再び古い型のものになって,上からの天くだり式やつめこみ式の教授になってしまう。学習の目標は生徒の自身のさまざまの活動を通じておのずから到達されるのでなくてはならない。

 これらの自発的活動をとり入れ,またこれを指導する上のもう一つ重要な事がらは,環境を整備するということである。なぜならば,青少年の活動は,非常に強く環境の力によって左右されるからである。環境といっても広い意味で,教師はもちろん,同級生その他の人々,ないし学校や教室の設備・施設等を含むのである。教師が希望するような自発的活動を,青少年の方で自然に取り上げたり,また容易にそれが行われるような,学級・学校ないし家庭や校外生活の空気や形態を作り,かつ維持することができたら非常によいのである。

 生徒と生徒,生徒と教師,学級及び学校と父兄あるいは土地の人々との間に,従来のいかめしい関係に代わって,自由な知識や意見や活動が交流しあって行われるような,人間みのあふれた関係がうち立てられなくてはならない。各生徒がきちんと席にすわって教師のいうことを聞くというのでなくて,その代わりに,多種多様な活動を促し,あるいは助けるような設備のととのった作業場としての教室や学校が作り出されなければならない。そして,どの生徒にも共通する問題ならば,たとえどんなにつまらないものに思われても,これをその生徒たちの自治的処理にゆだねるようにしなければならない。当番の割り当てとか教室備品の置き場所とか,便所の使用区分というような,成人にとっては機械的にきめさえすればよいように思われることが,青少年にとっては重大な問題であることがあるからである。

 教具・設備・施設については,一般編 第四章 学習指導法の一般,三,具体的な指導法はどうして組みたてるべきか」の項を十分参照してほしい。

 従来の教授の経験,ことに新教育指針や公民教師用書に基づいてなされた教授の経験が,十分に生かされるべきことはいうまでもなかろう。教師もまた,自主的に種々の工夫をして,その土地,その生徒,並びに自分に適した指導の形態を創り出すことが,最も望ましいのである。討議法とか自治修練を実施すれば,社会科の指導ができたというような,安易な考え方は警戒すべきである。

 図書や写真・絵・幻燈・映画・ラジオ・掲示版,その他の教室や校舎の設備が不足していても,それは決して旧式な教え方をくりかえすことの言いわけにはならない。生徒や父兄,そして教師が,いかにしてこれらの不足を補って行くかということの中に,社会科学習の極めてよい機会が存することを忘れてはならない。

 第五節 社会科の教材

 社会科の教材は,別表によってその輪郭を推察することができるであろう。

 この教材は,民主主義社会とはいかなるものであり,どうすれば健全に発達して行くかを理解せしめるにたるものであると信ずる。しかしながら,これは社会の理想を説き,これを現実の社会と比較し,その理想を実現する方策ないしそれに必要な態度・能力を理解せしめよう,というような着眼点から選択したのではない。また現実の社会生活をその領域ないし地域に分け,またはその社会生活の変遷を,その発達の時代ないしは発達の法則にしたがって考察せしめ,そこから社会生活とその発展を理解せしめようとして選択したものでもない。したがって社会生活及びその発展を十分理解するには,何か欠けているような印象があるかも知れない。ことに従来の公民・修身・地理・歴史といった教材に比較して考えたならば,その感がいっそう強く,且つ教材に系統が存しないというように見えるかも知れない。

 けれども学習は単に成人が必要と思うものを生徒に説明し,これをまるおぼえさせることによっては成立しないのである。生徒は自分たちの生活の具体的問題に直面し,その解決に向かって種々の活動を営むのであるが,この活動によって生ずる社会的経験こそ,生徒たちの真の知識となり,能力や態度を形成するものとなるのである。

 それゆえ,学習はこのような問題の解決をこそ目指すのであり,教材はまた,この問題の解決を助ける社会の共同経験として,現われて来るべきである。青少年の生活の問題を正当にとらえ,その徹底的な解決を求めて行く時,将来の社会生活に必要な理解・態度・能力は,みな真に青少年の身についたものとして獲得されるのである。

 このような見地に立って,教材は選択されているのである。したがって時日の関係上,不十分であるとはいえ,従来の修身・公民・地理・歴史等の教材であったものについても,その主要なものを見落さないように検討した。それゆえ,別表では現われて来ないように見えるものでも,真に必要なものは,必ず学習されるものと信ずる。

 また,全体に学問的な系統や,表面的な系統がないように見えるかも知れないが,それよりも,もっと強固な,且つ,一そう自然な系統があること,即ち,青少年の生活経験を系統的に発展させるように考慮されている事実に注意してもらいたい。学問上の系統はもとより必要であるが,それが生徒のものとして理解され,活用されるのは,論理的思考が十分に進んだ段階においてである。その段階に至るまでは,むしろ青少年の生活の問題を中心として,知識・能力・態度等が系統づけられ,発展せしめられる方がよいのである。

 とはいえ,青少年の発達に関し,またその生活の問題やその解決に関し,十分な資料と時日とをもって研究したのでないから,教師は,このような考え方に基づいて十分な検討を試み,教材を加減されたい。

 社会科の教材について特に注意すべきことは,それが青少年の生活における現実的問題とその解決を中心にしているものであるから,いろいろな知識や考え方は,いったいどんな所から集めて来ることができるか,いろいろな場合にどんな所から集めて来るのがよいか,集めて来たものの中から必要なものを選び出し,これを確かめるにはどうすればよいか,更に,ある知識や考え方に対して,別の知識や考え方にはどんなものがあるか,その対立するものを比較し,より正しい方をきめるにはどうすればよいか,といったこと,即ち資料の検討ということに関係して,獲得されなくてはならない,ということである。

 このような考から選ばれた教材の学習こそ,はじめて青少年に真実な知識を与え,かれらを偏見から解放し,また将来民主主義社会の一員として正しく生きる途を発見させることができるであろう。その意味で,教師は特に社会問題等については,種々の異なる見解を青少年に示すだけの寛大さを持たなくてはならない。この際青少年の発達の程度を考える必要のあることはいうまでもない。

 社会科の教材について今一つ注意すべき事がらは,社会というものが急速に変化しつゝあるということである。日々幾多の新しい事件が起りつゝあり,それは,なんらかの関係において,青少年の直面する問題やその解決に影響を及ぼすものであるから,時事問題に関する教材はもちろんその他の教材についても,常にいろいろな角度から考察を加え,個人的なまた固定的な見解から取り扱ってはならないのである。
学年
問        題
Ⅰ 家や学校で,よい子と思われるには私たちはどうすればよいか。

Ⅱ 私たちはどうすれば丈夫でいられるか。

Ⅲ 自分のものや人のものを使うには私たちはどうすればよいか。

Ⅳ 私たちは食物や衣服住居をどんなふうにして手に入れるか。

Ⅴ 私たちは旅行のときにどんなことを心得,どんなことをする必要があるか。

Ⅵ 私たちはどうすればみなといっしよに楽しい時間が持てるか。

Ⅰ 世の中に慣れるには,私たちはどうすればよいか。

Ⅱ 私たちはどうしたら健康で安全でいられるか。

Ⅲ 草木の世話をしたり使ったりするには,私たちはどうすればよいか。

Ⅳ 私たちは日常生活に必要ないろいろなものをどういうふうにして作り,どんなにして分配しているか。

Ⅴ 日常生活に必要な品物を有効に使うには,私たちはどうすればよいか。

Ⅵ 手紙を送ったり,受け取ったりするには,私たちはどうするか。

Ⅶ 私たちはどうしたら楽しい時間が過ごせるか。

Ⅷ どうすれば私たちは身のまわりのものを美しく,また清潔にすることができるか。

Ⅰ 世の中で一人前になるには,私たちはどうすればよいか。

Ⅱ 適当な着物をえらぶには,私たちはどうすればよいか。

Ⅲ 家はどのようにして建てるか。

Ⅳ 動植物はどのように人間に頼っているか。

Ⅴ 動物はどのように人間の役に立っているか。

Ⅵ いろいろなものを手に入れるには,私たちはどうすればよいか。

Ⅶ 私たちは,水や電気やガスなどをどのように使えばよいか。

Ⅷ 土地によって交通運輸の方法がどんなに異なっているか。

Ⅸ ほかのなかまと仲よくするには私たちはどうすればよいか。

Ⅹ 国や宗教上の祝祭行事は各地で,どのように行われているか。

Ⅰ 私たちの祖先は,どのようにして家の場所を定め,家を建て,家具を備えつけたか。

Ⅱ 私たちの祖先は,どのようにして,いろいろな危険を防いだか。

Ⅲ 動植物,鉱物等の天然資源は,どのように利用することができるか。

Ⅳ 困難な自然環境のもとで,いろいろなものを作ったり手に入れたりするには,私たちは,どうすればよいか。

Ⅴ 困難な環境のもとでいろいろな物や施設を使うには,私たちはどうすればよいか。

Ⅵ 交通運輸の道すじは,どのようにしてきまるか。

Ⅶ ほかの土地の人と仲良くするには,私たちはどうすればよいか。

Ⅷ 私たちの祖先に,寺社はどのような役目を果たしたか。

Ⅸ 社会生活を統制して行くには,どんな施設が必要か。

Ⅰ 私たちはどのように勉強すればよいか。

Ⅱ どうすれば私たちは自分を安全に且つ健康にすることができるか。

Ⅲ 自分・家・学校・町村・国の財産にはどんなものがあり,どのように保護全されているか。

Ⅳ 現代の産業はどのくらいにして発達して来たか。

Ⅴ 発明発見はどのくらい私たちの生活を豊かにしたか。

Ⅵ どのようにして私たちは通信したり,意見を交換したり,施行したりできるか。

Ⅶ 外国人との交際はどのようにして行われるか。

Ⅷ 私たちの生活を楽しくするためには私たちはどうすればよいか。

Ⅸ 国家統治にはどんな施設が必要か。

Ⅰ 仕事を通じて,人々はどのように協力するか。

Ⅱ 社会を発展させるものは何か。

Ⅲ どうすれば私たちは安全な生活ができるか。

Ⅳ 私たちと私たちの子孫のために,天然資源を保存するには私たちはどうすればよいか。

Ⅴ 上手な物の買いかたには,私たちはどんな知識を必要とするか。

Ⅵ 工場生産はどこにどのように発達するか。

Ⅶ 時間の余裕を作るには,どのように文明の施設を使えばよいか。またその時間を有効に使うには私たちはどうすればよいか。

Ⅷ 世界じゅうの人々が仲よくするには私たちはどうすればよいか。

Ⅰ 日本列島はわれわれにどんな生活の舞台を与えているか。

Ⅱ われわれの家庭生活はどのように営まれているであろうか。

Ⅲ 学校は社会生活に対してどんな意味を持っているであろうか。

Ⅳ わが国のいなかの生産生活はどのように営まれているであろうか。

Ⅴ わが国の都市はどのように発達して来たか。また現在の都市生活にはどんな問題があるか。

Ⅵ われわれは余暇をうまく利用するには,どうしたらよいであろうか。

Ⅰ 世界の農牧生産はどのように行われているか。

Ⅱ 天然資源を最も有効に利用するには,どうしたらよいか。

Ⅲ 近代工業はどのように発展し,社会の状態や活動にどんな影響を与えて来たか。

Ⅳ 交通機関の発達は,われわれをどのように結びつけて来たか。

Ⅴ 自然の災害をできるだけ軽減するには,どうすればよいか。

Ⅵ 社会や政府は,生命財産の保護についてどういうことをしているか。

Ⅰ われわれは過去の文化遺産をどのようにうけついでいるであろうか。

Ⅱ a われわれの芸術的欲求を満足させるために,社会はどんな機会を与えているか。

  b 宗教は社会生活に対してどういう影響を与えて来たか。

Ⅲ われわれの生活はどのように行われているであろうか。

Ⅳ 職業の選択に際し,また職業生活の能率を上げるために,どんな努力をはらわなくてはならないか。

Ⅴ 消費者の物資の選択に際して,社会の力はどういう影響を与えているであろうか。

Ⅵ 個人は共同生活によく適合して行くにはどうしたらよいであらうか。

Ⅰ 市場・仲買業者・貸し付け・取引所および経済的企業は,われわれの経済生活においてどんな機能を果たしているか。

Ⅱ われわれの経済生活に対して政府はどんな仕事をしているか。

Ⅲ 従業員と雇よう主とは,相互にどのような権利と義務とを持ってるか。また両者は社会に対してどんな義務をもっているか。

Ⅳ 貧困や生活の困難から社会や個人を助けるために,どんな手段がとられているか。

Ⅴ 日本国民はどのように民主主義を発展させつゝあるか。

Ⅵ われわれは世界の他の国民との正常な関係を再建し,これを維持するためにどのような努力をしたらよいか。

 第六節 学習結果の判定

 社会科はいくつかの目標に向かって,生徒が生活のいろいろな方面を,自分で理解し,実践して行けるように学習を進めて行くのであるが,これらの目標が達せられたかどうかを調べるためにいろいろの手続きをとる必要がある。

 この教科の内容は,前に述べたように,大部分生徒の生活からとられたものに基ずいて構成されている。そこで学習効果の判定のおもな仕事は,生徒が自分及びまわりの人たちの生活を,いかに豊かにし,向上して来たかを確かめることである。

 教師は生徒の活動や態度を観察したり,生徒が環境に応じて行動する仕かたなどを観察することがたいせつであろう。

 各単元には,それぞれの単元が目指している目標に即して,判定すべき項目が挙げてある。それらの判定をなす際には,上に述ベたことが根本になろう。一般編の第五章には,種々の判定法が挙げてあるが,それらを用いるに当たっては,いろいろの角度から,総合的に考えて用いることがたいせつである。

 生徒の活動について判定する場合には,次のようなやり方があろう。

 この学習をはじめる前に,教師は生徒の家庭の経済的・教育的・社会的ないろいろの条件をあらかじめ記録しておく必要があろうし,それに加えて,生徒自身の最近の状況を,身体的・社会的・感情的・教育的・宗教的な各方面にわたって記録しておくこともよい。このような資料を用いて,学習の結果としてどの程度の変化が生徒に起ったかを知る基準とすることができる。各単元の学習の進行中,教師は生徒の各人について,理解や態度や能力や認識などに関して,気づいた変化を書きしるす帳簿を用意することが必要であろう。日常の具体的な事件について質問をしたり考えさせたりするのは,判定に非常に役立つ一つの方法と考えられる。

 なお標準検査やそのほかの心理学的検査の方法も,機会があれば,これを用いるのがよいのであるが,その場合には,そのやり方,結果の解釈のしかたを十分のみこんでいなければならないのはいうまでもない。そのような判定の基礎になるものは,やはり生徒の日常生活における活動であから,これを観察しておくことを忘れてはならない。

 教師はこの仕事に対して,実験的な態度を持ち続けなくてはならない。判定の結果,新しい単元や活動や教材や方法が必要であると認めた時には,進んでこれをとり上げ,あるいは古いものを改善して行く心がまえを持っていなければならない。

 また,この判定の結果は,生徒自身に対しても有効に使用されなければならない。生徒がその結果を見て,過去の学習の努力に対する反省としたり,将来の学習に対する飛躍の土台とするようになれば,いっそう判定は価値のあるものになろう。

 更に教師が,本書の内容について直接に評価をすることも望ましいことである。本書の中にとり上げられている問題や活動は,できるだけの判断と経験に基ずいて編成されたものであるが,もとよりいろいろの不備や欠点があろう。このような不備やまちがいに注意して,これを記録し,改正の時に助言を与えるのは,やはり教師の義務であろう。