第四章 中学校国語科学習指導
第一節 ま え が き
従来、中等学校の国語科は、
(二) 作文・文法
(三) 習字
の三つの分科にわかれていた。そのほかに、「弁論」の指導につれて、あいさつのしかたやことばづかいの指導がなされていたこともある。口頭表現としての話しかたや聞きかたも事実としては存在していた。他面、「習字」は毛筆によって漢字やかなを美的に表現する技術として、芸能科に属するものと考えられていた。しかし、ことばを正しく、早く、きれいに写すということは、日常の生活にかなり重要なことである。ここに、新しい意味における「書きかた」のしごとが生まれてくる。
新しい中学校の国語教育には、次の五つのしごとが考えられる。
(二) つづること(作文)
(三) 読むこと(文学をふくむ)
(四) 書くこと(習字をふくむ)
(五) 文 法
これらの五つのしごとは、「一つのことばの活動」をそのいろいろなありかたにわけ、活動にわけてみたものにすぎない。結局、「ことばの効果的使用」という一つの目的にまとめることができる。ことばの指導は、「国語の時間」だけにかぎられるものでなく、あらゆる教科の中で、あらゆる時間に行いうるものであるから、生徒の実際の生活の中で、あらゆる機会をとらえて教授するということが望ましい。中学校の国語教育は、小学枚六か年の基礎のうえにたつということから、程度の高いものになりがちであるが、日常生活のことばからはなれないように指導することがたいせつである。
その意味からも中学校の国語教育は、古典の教育から解放されなければならない。また、特殊な趣味養成としての文学教育に終ってもいけない。つねにもっとも広い「ことばの生活」に着眼し、実際の社会生活に役だつ国語の力をつけることを目がけなければならない。
二 生徒の実際の言語活動の諸場面
必要と興味とのないところに言語の学習は成りたたないから、教師はつねに生徒の日常生活の中における実際の言語活動に注意し、そこから言語学習の動機をつくっていくようにする。この年齢の生徒として次のような言語活動の場面が拾いだされる。
(二) 友だちと話す。
(三) 小さなグループで話しあいをする。
(四) 訪問または来客の応待。
(五) あることがらについて、みんなの前で意見を述べる。
(六) 電話で話す。
(七) ラジオを聞く。
(八) 映画を見る。
(九) 友だちや親せきに手紙をだす。
(十) 詩や創作などをつくる。
(十一) 日記をつける。
(十二) 時には商品の注文を書く。
(十三) 新聞・雑誌を読む。
(十四) 広告や掲示を読む。
(十五) 知りたいこと(たとえば野球の規則や水泳法)について本を読む。
(十六) 楽しみのために本を読む。
(十七) わからないことについて辞書や参考書を利用する。
(十八) 読んだことについて書きとめておく。
(十九) みんなで脚本を演出する。
指導は、こういう言語生活の実際に即して、これをだんだんと高めるものでありたい。
三 一般目標
中学校の国語学習指導の目標は、いままで小学校六か年に積んできたことばの能力・知識・習慣・態度をさらに発展させることであり、そのうえに、次のようなものが加えられる。
(二) 辞書や参考書の使用法。
(三) 図書館の使用法。
(四) 良書の選択とその効果的な読みかた。
(五) 読みとったことをまとめる力。
(六) 文学的趣味の養成。
(七) 現代作家に対する一とおりの理解。
(八) おもな古典の理解。
(九) 書簡文・実用文、その他あらゆる形態の文を書く力。
(十) 詩や小説などを創作したり、鑑賞したりする興味と能力。
(十一) 脚本を書いたり、演出したりする興味と能力。
(十二) 文体(修辞)の大要の理解。
(十三) 文章構造および品詞論のだいたい。
(十四) 敬語法その他正しいことばづかいの習得。
(十五) 国語表記の特殊性と国語改良の方向。
(十六) あらゆる社会的場面における有効な話しかた。
(十七) 毛筆による文字の書きかたと鑑賞。
四 方法に対する一般的注意
中学校における国語科学習指導は、生徒の日常の生活や具体的な心意の発達と離れないようにすることは重要であるが、とくに多読ということが必要になってくる。生徒は実際に多く読むことによって読む方法を身につける。
次に教授上注意すべきおもな点を挙げる。
(二) 討論会その他、会合・会議に有効に参加しうるようになれさせる。
(三) 他教科、他の教師にも協力してもらい、あらゆる機会にことばの正・不正、適当・不適当に気づかせる。
(四) 他教料においても、要点の筆記、研究の発表ということを盛んにする。
(五) 生徒の文集を作ったり、学校新聞を作ったりする。
(六) 文法の術語はふだんにつかって、しぜんになれさせておいたほうが有利である。
(七) 文の構造その他文法上の知識は、実際に即して事実として教える。
(八) 学級文庫・学校図書館を利用させる。
(九) 新聞・雑誌・ラジオ放送などを機会あるごとに利用させる。
第二節 話 し か た
中学校の話しかた学習指導の範囲のなかにあるおもな事項を拾ってみると、次のようになる。
問 答
会 話
話しあい
(二) 独 話
(三) 朗 読
(四) 演 劇
そのほかに、あいさつとか、電話をかけるとか、人を紹介するとかいうようなことも考えられよう。
二 話したり聞いたりする学習活動
人と人とが何かの交渉をもつと、必ず話しあいがはじまる。生徒たちの話し相手は、両親や兄弟姉妹・友だち・教師などであろう。生徒たちはつかいに行ったり、知らない人に道を聞かれたり、人の訪問を受けたり、会合に出席したりして、おたがいに話したり聞いたりするが、これは日常生活の大部分の時間を占めるものである。したがって、この話しかた、聞きかたに秩序を与え、正しい、効果的な技術を身につけることは、国語学習の大きな目的である。ことに、われわれ日本人は昔から多弁をきらい、社交をうとんじたために、話しかた・聞きかたの方法がかなりおくれていた。これからの民主主義の実現には、自分の意見を述べたり、話しあいをしたりすることがたいせつであるから、話しかたの教育は新しい使命をおびることになる。
話しかた学習指導は、いつも生徒が興味をもって話をする、その活動を通して行わなければならない。
生徒の興味をもつ話しかた活動の実際を拾ってみると、
(二) 団体行動について話す。
(三) 郷土の行事について話す。
(四) 物語を話す。
(五) 科学的事実を話す。
(六) 読書したことを話す。
(七) 映画やラジオ・演劇について話す。
(八) スポーツや娯楽・趣味について話す。
(九) 外国のニュースや時事問題について話す。
(十) 健康について話す。
(十一) 家庭・家族・親せき・友人について話す。
(十二) 劇を演じてみる。
(十三) 何かをみんなで相談しあう。
(十四) 何かをみんなに説明して聞かせる。
(十五) みんなで、あることがらについて話しあいをする。
(十六) 少年団・クラブ、その他の団体行動をする。
これらの学習活動を通して、話す時の心がまえやその態度・作法などが会得され、しだいに高められていく。
三 目 標
中学校の話しかた学習指導においては、次のことが強調される。
(二) 適切なことばをつかい、いいまわしを考えて、他人によくわかるように、おちついて話す。
(三) 自分だけでなく、相手にも興味のある話題を選ぶ。
(四) おおぜいの前でも、思ったことがよく話せるようになる。
(五) 話しあいのじょうずな運びかた。
(六) 組織的な話しあいの方法。
(七) 人の話を聞いて、わからないときにはたずねる。その時の態度やことばづかいを考える。
(八) 他人の問に対しては、ていねいにはっきりと答える。
四 方法に対する一般的注意
話しかた学習指導の機会はつねにあるはずであるが、教師の指導があまりきびしく、こまかすぎて、いわゆる「ことばとがめ」に終始しているならば、かえって話しかた学習に対する興味を失い、生徒を沈默させてしまうこととなる。この期の生徒にとっては、もっと自由な、みずから討究するようなふんいきがたいせつである。いいたいことを発表して後、話にまちがいがあればこれを訂正する。教師はむしろ指示を与えるだけでよい。社会科は話しかたに対して大きな話題を提供するし、国語科教材の演劇化は、話しかた学習の指導に役だつ。また少年団その他、クラブの組織も同様である。作文を書くまえにも、経験を話しあったり、まとめて発表したりすることが有効である。話しあいをするにあたっては、その主題が何であるかをめいりょうにしておかないと、わき道にそれるおそれがある。社会科やその他の教科でも、話しかたを学習する機会になる。自由研究の成果をまとめて報告することも、話しかたと聞きかたとに役だつところが多い。話しかたの作法や、ことばづかいについては、その後でみんなで反省しあい、訂正しなければ効果がとぼしい。
話しかた学習指導では、すべての生徒が話す必要を感じ、そうして、聞いてもらいたいという欲望をもつということが、一ばん大事である。次に、他人のじょうずな話しぶりを聞いたり、みんなで話しあったりすることによって、標準を知り、自分の欠点を自覚して、おのずから進歩改善していくようになる。
なお、こうした話しかた、聞きかたへの気分を高めるために、教室の机の位置をかえてみたり、環境を新しくしたりするようなことも大事である。
五 問答・会話・話しあい・独話についての注意
対話の中で広く行われるのは、問答と会話である。問答や会話がじょうずであることは、社会生活上大きな力となる。それには問答と会話の性質をよくわきまえて、落ちついて、相手のことをよく考えにおき、わかりやすいことばで語らなければならない。その指導上注意すべき点は、次の四点である。
2 どちらも身振りや能度を考えて、礼儀正しくする。
3 ことばづかいを考えて、相手によくわかるように話を進める。
4 声の調子を適当にして、気持のいい対話をする。
話しかたは生徒の自発的興味から出発しなければならないが、このことは教師の指導が不要だというのではない。対話が起るのは、もちろん、その時々によることで偶然ではあるが、何か一定の準備と計画とをもった対話の時間があってもよい。学級全体の対話や、小グループの対話に、教師も適宜に参加して、実際に生徒たちの話しかたを観察するのは有効なことである。
(二) 話しあい。(討議)
社会科や、理科や、体育や、保健上の問題などは、話しあいによって学習する必要があるが、学習の終ったあとで、学級として、また、個人としてどれだけ進歩向上したかを話しあいしてもよい。学習をはじめるまえに計画や進行方法について話しあうのもよい。話しあいは自由な形式でもよいが、時には、議長をきめ、問題を限定して、会議の形式になれさせることも必要である。
(三) 独 話。
自分の思ったことをはじめから終りまで、おおぜいの前で述べることの訓練が、これまでの日本人にはかけていた。もちろん訓練のための訓練でなく、必要に応じた独話でなければならない。それには適切な話題を選ぶことがたいせつである。話題は、話し手の個人的な興味からでなく、聞き手の興味を考えて選ばなければならない。おおぜいの前で話をするには、対話や討議のばあいよりも、もっと準備がなければならない。材料を集め、骨組みを作り、話のはじめと結びとを考え、重点をどこにおくかを考えなければならない。このことに関しては、作文の学習と一脈あい通じるものがある。
六 話しかたの学習指導
次に各学年での学習作業をかかげるが、このほか、その土地、その学級によって、いろいろな具体的作業が考えられよう。
2 ふだんのことばにおける誤りやなまりを訂正する。
3 朗読をしたり、劇をしたりする。
4 話題としては、社会科と連関して、学校環境や団体行動について話す。新聞記事や、自己の見聞・映画・ラジオ・読書などについて話す。
(二) 第二学年の学習指導。
2 相手の興味を考え、その場の空気を考えて話すようにする。
3 話題としては、海外のニュース、科学ニュースのようなことが加えられる。衛生とか、礼儀作法などもよい話題になろう。
(三) 第三学年の学習指導。
2 他人の人格と、その見解を尊重し、対話ができるようにする。
3 独話や対話の時の礼儀作法を身につける。
4 話題としては、工場見学・他校見学・博物舘その他郷土の施設、および職業といった方面に向かう。
第三節 作 文
作文はすでに学習したように、文字による思想の表現である。心に思っていることや感じたことなどを、自分のことばで、みんなによくわかるように書き表わす力をのばすのが、作文学習指導の目的である。文を書く能力は練習によって上達していくものである。また、興味もわいてくるものであって、その人の教養を一だんとふかめていくことになる。
中学校の作文学習指導は、従来のように、詩や文学の創作が主として行われるものではない。もっと実際的な日常経験したことや、観察したこと、思ったこと、感じたことなどを表現しうるようにしなければならない。これは小学校時代の学習のねらいと変わってはいない。
とくに、中学校の作文学習指導の目標として、次のことが考えられる。
(二) 物を見る態度をやしなって、日常の生活を豊かにしていく。
(三) 思うことや感じたことを、はやくすらすらと書きうるような描写力を育てる。
(四) はっきりと、わかりやすく、しかも、きれいに書けるような書写能力をつける。
(五) 文をなおす習慣をつける。
(六) 手紙や、日記・報告などの実用文を書きこなせるようにする。
二 範 囲
作文学習には、自分で文を書いてみるほかに、ある文をとりあげて、これについて鑑賞し批評する方法もあり、また、自作の文をなおしていく方法もある。いずれにしても、いかにして文が生まれ、いかにして文が育ち、いかにして完成するかを、反省し観察して、作文能力をやしなうことにほかならない。
文を書く一般的な順序を考えてみると、
(二) きまったら、どんな順序、どんな組みたてにするかを考える。(構想)
(三) 次に、どんどん書いていく。(記述)
(四) 書いたものをたんねんになおしていく。(批正)
しかし、この順序は、ごくばくぜんとした進みかたであって、作文の道は、決して、かかる機械的な作業によってのみ進むものではない。むしろ、いかにすれば、作文に興味をもつか、その必要性を感じるか、その価値をさとるかということを、よく生徒に得心させるところに学習指導のくふうがある。
三 「取材」学習指導上の注意
(二) 生徒独自の考えかた、見かたを生かして、その文題を発見し決定していく。
(三) 取材は、文学的世界にかぎるものでないから、視野を広くして日常生活上から身近なものをもさがしだす。
(四) 読書によってえたことや、その他、新聞・雑誌などにより、具体的な興味のふかいものを端的に文題とする。
(五) いたずらに大きなものを文題としないで、小さなもの、狭いものをとりあげて文題にすることもよい。
四 「構想」学習指導上の注意
(二) ある主題を書くにあたり、いろいろな面を考えて、十分に整理し、組みたててみる。
(三) 詩にするか、物語にするか、また隨筆にするか、脚本にするか、説明文にするか、手紙ふうに書くか、日記ふうに書くか、—主題によって、組みたてかたを考えていく。
(四) 思いついたことを、順序をかまわず、片はしから書きとめておいて、後でまとめるという方法もある。
(五) あまりととのった文を書こうとして、固くなったり、いじけたりする傾きがあるから、のびのびと構想をまとめていく。
五 「記述」学習指導上の注意
(二) 自分のことばで、具体的に書くことがたいせつである。
(三) 書写力を十分に発揮して、はやく、正しく、しかも、美しく書くようにする。また、書く作法をわきまえ、文字が容易に書けることは、作文の一大条件である。
(四) どうすれば、新しい記述、たしかな記述ができるか、考えさせていく。
六 「批正」学習指導上の注意
(二) 自己批正ができるようになって、はじめて他人の文の批正・批評が正しくできることを知っていく。
(三) 自己批正は、文字や書きぶりをなおすことではなく、むしろ自分の心をきびしくなおすことであり、見かたや考えかたを改めることであることを学んでいく。
(四) 他人の文に対しての批正は、ただあらさがしに終るのか本領ではない。むしろよいところを発見して、そのよさを学ぶところに目的があることに注意する。
七 その他の学習指導上の注意
(二) 創作力は偶然にわいてくるものではない。それだけの準備があり、また理由がある。したがって、作文以前の学習として、いろいろ読書をしたり、生活をよく反省したり、物をよく観察したり、調査したりしなければならない。
(三) 生徒の個性をよく見きわめて、文才のある者には文学的作文を、編集に才能のある者には学級文集や学校新聞を編集させたり、その他の者にも、ある目的によって、その材料を集めさせたり、調査をさせたりするようなこともいい。
(四) 作文学習のはじめには、なるべく短いもので、ことがらのはっきりした文を書かせるのがよい。しかし、時には思いきって長文を努力して書かせ、表現意欲を満足させることもたいせつである。
八 文学的作文の学習指導
(二) 詩や小説など、その他の文学を書くことは、もちろん教室に限る必要はない。自由研究の時間なり、また、家庭なりで十分創作させてみるがよい。
(三) 語法の誤りや表記のまちがいのために、文学的作文を書く意欲を冷却させることなく、そうした誤りの批正は、後になって適当な機会にする。むしろ、その主題・情操・思索・想像・情趣・実感・思想などに重きをおいて指導する。
(四) 学級文集を作ったり、学校新聞を発行したり、作品を朗読しあったり、相互に楽しむ機会を作ってやる。
九 手紙文の学習指導
(二) 社交的な手紙は、親しみをこめてわりあいに長く書かれることもあるが、実務的な手紙は、要点をつかみ、簡潔を旨とする。
(三) 手紙の形で、いわゆる文学作品を書くこともできる。
十 各学年の学習指導
2 実用的手紙文や日記文を書く。
3 国語教科書やその他、読書した文について、その大要を書いたり、簡単に感想・批評を書いたりする。
4 放送講話・学校講話などを聞いてその大要を書く。
5 ほかの人の書いた文や詩をよく味わって、自分でも実感をもととして創作する。
6 自己批正や相互批正をして、文を完成していく楽しみを味わう。
7 学級文集や個人文集をつくる。
(二) 第二学年の学習指導。
2 社会生活、あるいは時事問題について、自由な実感のこもった感想文を書く。
3 手紙によって、自分の考えを相手に十分わからせるようにする。そのためには、どんなくふうがいるかを学んでいく。
4 文学的作品を個性に応じてどんどん書いていく。
5 学校新聞や学級文集を編集することは、前学年同様である。
(三) 第三学年の学習指導。
2 自由研究の結果をまとめ、これを発表させる。
3 文学的作品を書かせ、その個性をよくのばしていく。
4 はやくきれいに書くという書写能力を十分に身につける。
5 独話する時の草稿をつくったり、話しあいの記録をとったりする。
6 いい文章の構造や主題を調べて、そのよさを考える。
社会生活上、必要な実用的文章に習熟させる。
第四節 読 み か た
中学校の読みかた学習指導は、小学校の六年間にえた習慣・態度・方法を正しくし、ふかくすることが根本である。そのうえに次のような技術を伸ばすことをめざす。
この段階では読みとった内容を自分でまとめ、自分で考え、批評しうるまでにならなければならない。
(二) 朗読。(音読の芸術的形態として)
(三) 文学的趣味の養成。(古典文学のだいたいの理解をもふくむ)
(四) 正しい言語感覚をやしない、標準語を身につける。
(五) 新聞・雑誌を読みうる力をつける。
(六) 辞書・参考書の使用、さらに図書館の利用。
(七) 書物の経済的、効果的な使用。
(八) 健康的な、しかも経済的で効果的な読書習慣。
(九) 読書の興味と習慣とを身につける。
二 読む力とは何か
中学校の生徒が身につけなければならない読む力というものは、わけて考えると次の諸技術になる。
2 語いが豊富である。
3 文のきまりを知っている。
4 いろいろな形の表現になれている。
(二) 意味をはやく読みとる力。
2 唇読をしなくなっている。
3 かっぱつな心のはたらき。
(三) 読んだことをまとめる力。
2 部分部分を関係づける。
3 全体を概括する。
(四) 読んだことを整理したり発展させたりする力。
2 辞書や参考書を使用する方法。
3 さし絵や図表を利用する方法。
4 各方面からの資料を一つにまとめる方法。
(五) 必要な資料を見つけだす力。
(六) 強い読書意欲。
(七) 書物をたいせつにする態度。
わが国の「読みかた」は、広く読むよりもふかく読むことを目的としていた。そうして、学校で養成する文を読む力の本質は、文法的な知識のほかには、豊富な生活体験と高い教養および心情とからくる一種の直覚力であると考えてきた。この見解に誤りがあるわけではないが、もっと実際生活面に役だつ読書力を養成するということが新しい課題となっている。
三 読む力を規定するもの
生徒の読む力はいろいろである。極端にいえば、ひとりひとりがみな違っている。下しらべをしてこないとか、過労であるとか、睡眠不足であるなどの一時的な原因のほかに、さらに、根本的に考えなければならないものがある。
文化的な家庭とそうでない家庭とでは、読書習慣にちがいがある。職業と環境も大きな支配力をもつ。
(二) 都市といなか。
いなかのほうがどうしても恵まれていない。
(三) 身体的条件。
読みかたには目・耳が重要な役割りをするから、身体上の欠陥は読む力の発達に対して決定的である。
(四) 知 能。
読みものの好みにも、知能によって大きな違いがある。たとえば、発達のおくれた生徒は、すぐれた生徒ほどふうし文学を好まないようなものである。
四 読みかたに対する特殊の才能
中学校の生徒では家庭環境や小学校の指導の結果として、学科に対するえて・ふえて、好き・きらいがはっきりしてくる。この好き・きらい、えて・ふえては、指導によってある程度まで克服できるものである。国語が好きであるとか、数学が好きであるとかいう者が出てくる。読みかたのほうにも、次のような特別の才能が見いだされることがあるが、それに注意して、指導を加える。
内容をよく読むというよりも、むしろすらすらと音声化しうる者がある。
(二) 文法に対する特殊の才能。
言語の分析・きまりに対してすぐれた感じをもっている者がある。
(三) 文学を理解し創作する才能。
たとえば、詩について特殊な感覚をもっている者とそうでない者とがみいだされる。
国語科全体としては、そのほかに、習字すなわち、文字の美的な書写に特別の才能をもつ者があり、また、お話がとくにじょうずだという者もある。生徒のひとりひとりについて、こうした才能をのばすと同時に、その欠陥を診断して、適当な処置をとることは、すべての教師の義務である。
五 読む力の弱い者
読みかたが好きでないとか、読みかたが不得意だとか、まったく読めないとかいうことには、次のような理由が考えられる。
このきょう正にはめがねを使用させる。学校医に相談して適当な処置をとる。
(二) 知覚範囲が狭いことからくる無能力。
語をただ分離された単位として読んで、まとめて見とる力の弱い者があるが、これは練習によってかなりきょう正できる。
(三) 聴力が弱いことからくる無能力。
教師に近いところに位置させたり、学校医の診察を受けさせる。
(四) 知能が低いことからくる無能力。
読むということは文字を通して精神的内容を読みとることであるから、内容を理解するだけの知能がなければならない。あまり高い程度の教材が与えられると読むことがいやになる。
(五) 気質的な欠陥による無能力。
読むことは、強度の精神集中を必要とするしごとであるから、神経病的傾向のある者には、読む力に欠陥があることがある。
(六) 経験の貧困による無能力。
書れていることを心に浮かべるだけの過去の経験をもたないために、興味も起らず十分にとらえることができない。
(七) 劣等感からくる無能力。
読みかたの時間に失敗したというようなことから気おくれがして、そのために読もうとする勇気がなくなる。
(八) 興味とか、欲求とかを感じないための無能力。
一時的な身体障害や、教材があまりに高度であることや、他の心理的理由で興味も欲求も生じないことがある。
生徒が読む心がまえをしていない時に、みんなの前で指名読をするということは恐怖を与えるだけで、読みかたをいやなものにしてしまう。精神年齢よりも高い教材を与えることや、新しい漢字や語句をたくさんにふくんだ文をむりに読ませることも考えものである。こういうことが小学校のほうですでに起り、それが中学校にもち越されていることもある。中学校の国語教科書でむずかしすぎるようなものがあったら、やさしいものから、やりなおす必要がある。
読書になれないために読む力があまり発達せず、読書の興味を知らない生徒もある。これには課外読物を与えることがいい。
いずれにしても、教師はこうした読みかたにおける生理的・心理的欠陥を見ぬいて、自分のできる範囲で、できるだけのことをしなければならない。身体的な欠陥の者は医者の診察を受けさせるようにし、教室の採光には十分注意し、ひとりひとりの読む態度・姿勢についても敏感でなければならない。
六 音読と默読
默読は目の動きを主とする読みであり、音読はこれにくちびるのはたらきの加わる読みである。両者を比較すると次のようになる。
(二) おとなの世界では默読が主である。
(三) 默読のほうがはやい。
(四) 音読のほうがたしかである。
默読が読みかたの中心問題になっているにかかわらず、学校教育では、依然として音読が多い。これには理由がないわけでもない。默読では、生徒がほんとうに理解して読んでいるかどうかをしらべることができない。音読であれば、どこに休止をおくか、どこを強調するか、どんな読み声が意味内容にもっともあっているか、というようなことをはっきりと指摘することができる。とくにわが国においては、文の理解ということが主であったから、どうしても音読に賴らなければならなかった。しかし、社会生活上の見地からいって、默読に重点をおかなければならないことはいうまでもない。ことに、中学生は、文を読むだいたいの方法を小学校六か年で身につけているわけであるから、默読の指導を主にしなければならない。音読は、默読を指導するための一つの方法として必要で、それが目的ではありえない。
七 読む力の測定
読みかたにおける測定は、速度と理解とについてなされてきた。ます速度は、一定時間、たとえば一分間に読みうる語の数でしらべることができる。わが国では、小学校の上級生において、音読ならば一分間平均二〇〇字ないし三〇〇字、默読ならば七〇〇字か八〇〇字読みとるという。国語では、単語の切りかたに議論があり、表記のしかたもさまざまであるから、こうした測定にはかなり困難がある。そのうえ、わが国の国語教育は、おもに文章の理解の深化をねらっていた。文の理解を何によって判定するかということは大きな問題である。わが国におけるだいたいの傾向としては、
(二) 作者が意図しているものをとりだす。
(三) 中心思想、あるいは中心語句を示す。
(四) ごく短いことばで全体を再表現する。
というようなことが解釈作業、とくに「話しあい」と呼ばれるしごとのねらいであった。測定としては、そのほかに、
(五) 読んでわかったことにもとづいて別の質問に答える。
(六) ばらばらにした章句を組みたてる。
というような出題の方法もあった。外国でも理解力を規定して、
(七) 文中にふくまれた考えを再表現する力。
とする者が多い。わが国では古典の口語訳であるとか、外国語のほん訳であるとかに、いいかえが用いられるが、現代の日常文について口頭的・語学的ないいかえで理解力をためすということは誤りであって、もっと内面的な理解力をためす方法が望ましい。
八 読む力を改善する方法
中学校の生徒は相当の読む力があるわけであるから、もはや読む力の基礎的な修練はその必要がないと考えるものがあるとすれば、それは誤りである。六か年の国語学習を終っても、十分な力をもっているのではない。読書は学習の基本的要件であるから、読書力が劣っていると他の学科も不振になる。とくにこの段階では、教科書以外の書物をみずからこなさなければならない。それには読みかた学習がしっかりしていなければならない。
読書力の養成は、「国語の時間」に限られない。あらゆる機会にできるし、また、しなければならない。ただ国語の時間にはそれをおもな目標として計画的にやるのである。そのために読む力の劣っている者を集めて班別に指導をするとか、個別的指導をすることも必要である。読みかたの速度と理解については絶えず測定を行って、教師の指導上の参考にするばかりでなく、時には生徒自身にも知らせて、成績の向上を楽しむようにしなければならない。百科全書の使用や図表の読みかたなど、他教科でも実地になされる問題をだして学校の図書室から必要な書物をさがしださせたり、あるいはいくらかの参考書を与えて、あることがらについてしらべさせ、まとめさせ、発表させたりするというようなことも必要である。
九 中学生の読書興味
読むことによって読む力を養成しようとするものが読みかた教材であり、国語教科書である。わが国の国語教科書は、従来、国語の文章の模範を示すということが眼目で、生徒の興味ということは第二次的にしか考えなかったが、これは逆にしなければならない。読みかた教材は生徒に興味あることがらを書いたものでなければならない。たとえば、野球をしようとする者には、野球の規則とか試合の実況とかが、もっとも興味を引く事実であるから、そのことを書いたものならば読む意欲が起り、必要があるであろう。そこで、中学生の生活にとってどんなことが興味のあることかを考えてみる。
2 探険・自然の驚異・野獣・家畜。
3 伝説・伝記・物語・シナリオ・脚本・映画。
4 人々の生活ぶり・郷土・わが国のこと・世界のこと。
5 科学応用について。
十 各学年の学習指導
読む力を上達させるために、各学年においてどこに努力の重点をおくかについて一般的にのべる。
この学年では、読みかたの速度と理解について一般的な改善をめがける。
2 速度を改善する訓練。
一度にもっと多くの語を読みとる。読みかえす回数を少なくする。規則正しい目の動き。時間を制限してできるだけ多く読む。
3 理解を改善する訓練。
事実に関する質問に答える。問題を作って答えさせる。脈絡の理解。(何か欠陥のある生徒については個人あるいは班別による特別指導)
4 作者の思想をとらえる訓練
中心思想を見いだす。背景になっているいろいろな思想を見いだす。
中心の文章を見いだす。内容を自分のことばで表現する。作者の思想をさらに他のものに及ぼしてみる。
(二) 中学校第二学年
この学年では経済的・効果的な読む態度をやしなう。
新聞をちょっと見て大事なところだけ読みとる。索引によってあることがらを知る。文章の中からある語をさがす。書物を見て大要な読みとる。
2 抜粋から作者の意図を見いだす訓練。
3 作者の資料や考えを調べる訓練。
4 一挙に結論をつくる訓練。
(三) 中学校第三学年
この学年では、読む力をふかめ、材料をいろいろと広げていく。
いろいろの目的をたてて、それによって読みの速度や方法をかえてみる。
2 特殊の読みかた訓練。
詩・物語・随筆・脚本などの違いによって、異なった読みかたをくふうする。たとえば、詩の朗読。
3 文章の欠陥を読みぬく訓練。
比喩とか、ふうしの理解。誤植や脱落をも読みとる。その他の困難なことの処理。
読む力の改善は、他の指導と同様、ひとりひとり特性に応ずるものでなければならないから、上にあげたのは、ごく大まかな、全体的な輪かくである。なお、読む力の改善が国語教師だけのしごとでなく、他教科の教師の協力にまつものであることはいうまでもない。
第五節 書きかた(習字をふくむ)
小学校の六か年における書きかたは、鉛筆やペンによって文字を正しく、美しく、はやく書くことであったが、中学校では毛筆による文字の書写技能を「習字」として学習し、日常生活における文書や通信などに役だてるとともに、文字美の鑑賞や表現の能力をやしなうように学習する。したがって、中学校では、鉛筆やペンによる書きかた学習にあわせて、毛筆習字を学習し、さらに書字能力を高めていくことが、学習指導の中心となる。
二 中学校における硬筆書きかた学習の重点
(二) 与えられた紙面に、全体のつりあいをうまくとって書けるような能力をつける。
(三) 気がるに文字を書く習慣をつけ、次のようなばあいに役だてる。
2 話しあいを筆記したり、講演などの要点を書きとめておいたりする。
3 会合・行事・約束などの覚え書きをつけておく。
4 手紙の返事を書く。
5 日記や記録などをつける。
6 調査や研究をした時、それを書きつけておく。
(四) むずかしい漢字や、語句や、ことばなどもよく書けるようにする。
(五) 表記符号のつかいかたになれさせる。
(六) 作文を書くにあたり、その内容によって改行する能力をつける。
(七) 文章を箇条書きにして、番号づけをする能力をつける。
三 習字学習指導の目標
(二) 日常生活における文書、通信の必要に役だてる。
(三) 文字の筆順・字形などの正しい知識をえる。
(四) 毛筆の文字美に対する鑑賞力をふかめ、かつ、その表現力をやしなう。
(五) 毛筆・すみ・すずり・その他用具のとり扱いになれ、それを愛用するようにする。
(六) 習字の学習にあたり、忍耐・努力・清潔・せいとんなどの態度をやしなう。
四 習字学習の機会を与えるばあい
習字手本によって練習をし、また、とくに練習の目的をもって書写をするばあいのほか、実際の場において、学習の機会を与えるおもなものの例を次にかかげる。
(二) 履歴書・届書・願書などを書く。
(三) 慶弔や贈答品などの包紙・目録を書く。
(四) 領收書・借用書・契約書などを書く。
(五) 色紙・たんざく・条幅などを書く。
(六) 決議文・規約・宣誓文・げき文・標語などを書く。
(七) 祝辞・弔辞・表彰状・答辞などを書く。
(八) かべ新聞・公知文・掲示などを書く。
(九) 立札・表札・看板・広告・ポスター・道案内などを書く。
(十) 会や式の次第、プログラムなどを書く。
(十一) 書物の表題をつけたり、持物に名まえを書く。
五 中学校一、二学年の学習指導
これまでの習字学習では、教師が書いて見せたり、説明したりするのにしたがって、生徒はただ手本の字をまねて書くという受動的な学習が多く行われていた。そのために、とかくもほうだけに終って自主性にかけたうらみがあった。しかし、すべての学習は生徒の興味と必要から生じた自発的活動でなければならない。習字も、生徒自身でその必要を自覚し、表現の喜びを感じて、進んで練習に身をいれるのでなければ真のよい結果は期待できない。
文字を見るにしても、手本ににているからよいと考えるのではなくて、自分の立場で正否、美醜を判断して定め、また、書くときにも、必要に応じて、いつでも自分の理想とする文字が書けたことを喜ぶ態度や技能を身につけるように指導すべきである。
(二) 学習指導の重点。
(2) 毛筆・鉛筆・ペンとを比較して、習字の特徴を考える。
2 習字の用具材料の使用になれていく。
(2) 毛筆は、書く文字の大小・書風などによってその種類が異なることに気づかせる。
3 筆の持ちかたや姿勢について。
(2) こしかけの姿勢とすわった姿勢について考える。
(3) ペンや鉛筆のばあいと比較しながら、筆の持ちかたを研究する。
(4) 筆の軸のどこを持つのがよいか考える。
(5) 筆の軸の紙面に対する角度について考える。
(6) すみのすりかた、筆にすみのふくませかたをしらべる。
(7) 筆を運ぶのに適当な腕の位置についてしらべる。
(8) 姿勢や筆の持ちかた、腕の位置などは、練習中に、実際の書写に即してくふうさせ、各自に適したものを発見する。
4 文字とその書きかた。
(2) 点や線を書くときの筆づかいとか、文字の組みたてかた、形のとりかたなどを研究する。
(3) 筆の運びぐあい、力の入れかた、はやさなどによって、線にいろいろの変化を生ずることを知っていく。
(4) 文章を書くときの漢字とかなの調和を研究する。
(5) 文章を書くとき、文字の大小・字くばり、すみをつぐ時期などによって、いろいろの興味ある変化が生じることを発見し、そのおもしろさを研究する。
(6) 線と線、字と字の間に、つぎつぎとつづいて書かれるという気持のつながりのあることが、よい文字を書くうえに必要であることを感じとる。
(7) 習字学習の機会を与えるばあいに示されたような種々の書く形式を実際にあたって覚える。
5 練習と結果の反省。
(2) つねに自分の文字について反省する。
(3) おたがいに書いた文字について話しあう。
(4) 手本の練習にあたって手本のよい点を発見すると同時に、それとは別の書きかたもくふうしてみる。
(5) 手本と肉筆との違いを知っていく。
(6) 筆や、紙や、用具の、性質からくる文字の美点や欠点を考えて、その活用をくふうする。また自分に適したものを発見する。
(7) はや書きの能率を高めるためには、細字の練習に習熟し、正しい筆順によって書いていくことがよいということをさとる。
6 鑑 賞
(2) 生徒の作品をおたがいに鑑賞しあう。学級や学校で展覧会をひらいたりする。
(3) 書の展覧会を見学する。
六 中学校三学年の学習指導の重点
(二) 社会に行われている多くの書式になれて、その書写に熟達するとともに、応用の能力をやしなう。
(三) 筆づかい、形のとりかた、用筆法、漢字とかなの調和、文字の排列、文字のつづけかたなどについてさらにくふうする。
(四) 漢字の行書および一般化した一部の草書に習熟し、はや書きの技能を身につける。
(五) 書としてすぐれた多くの作品を鑑賞して、文字美に対する趣味や教養を高める。
(六) 書風と技術の関係に注意し、各自の書風をつくりだすことに役だてる。
第六節 文 学
文学は、読みかたの中にふくまれているが、読みかたの学習指導のほうでは、おもに読む技術を問題としたからそれをおぎなう目的で、文学の学習指導について考えてみる。
(二) みずから広く書物にふれ、よい本を選択しうるようになる。
(三) 見聞を広め、思想をふかめる。
(四) 情操をやしない、人生観の確立を助ける。
(五) ことばの美しさを味わい、語感をねる。
(六) 語いを豊富にする。
(七) 詩・物語・随筆・脚本など、あらゆる文学作品について、これを鑑賞し、批評し、また、みずから創作したり演出したりする興味と能力とをやしなう。
二 文学の学習指導上注意すべき点
いままでは、文学の学習において、現代よりもとかく古典を主にし、ごくわずかの作品をあまりに分析的にとり扱ったために、生徒の興味をそぎ、文学のめばえを局限するきらいがないでもなかった。次に、指導上注意しなければならないことを列挙する。
(二) 現代作家については、二三の著者にかぎらず、なるべく広く選択する。教師は、評価の定まっているものを生徒に与えるという考えから、どうしても二三の著者にかぎる傾きがあるが、これはもっと広くしなければならない。最高のものでなくでも、生徒が興味から出発し、広くそのめばえをのばすべきである。
(三) 何か一つの書物なり、作品なりを全生徒がいっせいに読むというよりは、生徒の好むにまかせて自由に読物を選ばせ、そこから指導をはじめるべきである。
(四) 文学的形式についてあまり分析をしないほうがいい。日本文学ではとくに形式が重大な役割りをしているから、形式を無視すべきではないが、だいたいにおいて、程度の低いところでは内容を主とし、次第に高度になるにしたがって形式的方面をくわしくすべきである。もちろん低学年でもリズムのおもしろさがわからないわけではない。真の文学は思想内容と言語形式とが融合して一つになっているから、指導上これを切りはなさないことが大切である。
(五) 文学の素材や周辺のできごとをならべて、とり扱いを複雑にすべきではない。また、文学の作品は純知的にとり扱われるべきものではない。「文学についての指導」は「文学そのものの指導」ではない。
(六) 生徒はみな批評家や作家になるわけではない。教師の趣味を生徒にしいてはならない。鑑賞や批評はなるべく生徒自身の手で行われるようにする。教師はその方向を暗示すればよい。
三 文学学習指導の計画
生徒に、ある作品を与えるについて、教師としては次のような準備と計画とが必要である。
わが国の読みかた教育では、教材にはいるまえに話しあいによって、経験の想起をさせるのが普通である。文学の学習指導には、こうした方法によって基礎をかためることがことに必要である。そこに書かれてあるようなことを実際にやってみる。映画や演劇を見たり、本を読んだり、ラジオを聞いたり、方法はいろいろある。
(二) 読む上の障害をとり除く。
文中に出てくる引用や暗示、比喩などを説明してやる。地名・人名・難語句を説明してやる。動植物とか品物とかは、実物や写真や絵で示す。
(三) 計画をたてる。
どんなところに着眼して読むべきかを示す。また、この教材を読むことによって生じてくる質疑や問題を書きだしておく。書物の脚注とか説明とかに注意させる。
(四) どんな読みかたをするか。
2 詩や物語の中には、しずかに朗読して聞かせるのがよいものもある。
3 ふかく読むか、ざっと読むかは、その目的によってきまる。
(五) 個人差を考慮することが必要である。
2 生徒の力に応じた読物を選ばせる。
3 読みのはやい者には、広くたくさん読ませていい。
4 読みのおそい者には、むずかしい箇所をとくに指導してやる。
5 詩やよい章句などのあんしょうはすすめていい。
四 各学年別の学習指導
(2) 良書の選択。
(3) 読む技術がすっかり身について自動的になる。
(4) 小説や、伝記や、長編の物語を読む。
(5) よい詩を読み、みずからつくる。
(6) 脚本を読んで演出したり、みずからつくったりする。
(7) 隨筆や論文を書く。
2 中学校第二学年。
(2) 映画を見て、物語を書いたり、詩を脚色したりする。
(3) 鑑賞批評の力をのばす。
(4) 図書の管理。
3 中学校第三学年。
(2) 現代作家の代表的なものにふれる。
(3) 文学的形式、文体、修辞についても注意する。
五 学級文庫および学校図書館
文学の学習指導において、読書の興味をやしない、広く読ませることが強調されてきたが、これは書物なしには不可能である。現在の事情でははなはだ困難なことであるが、ここに理想的な文学教室を心にえがき、学級文庫や学校図書館の設置・充実をすすめたい。
生徒たちは机をかこんで先生といっしょに読書を楽しんでいる。時には説明を聞くために、全生徒が黒板の方を向く。時には自分自分の机で読んでいる。書だなには本がならんでいる。好きな本をとりだして、ぬき書きをしたり、詩をあんしょうしたりする。脚本を読んでみんなでいっしょに演出についてくふうしたりする。全体として読むことがたのしみであるようなふんいきに満たされている。
(二) 学級文庫。
各学級がいろいろな方法で書物を集める。生徒がもち寄ったり、金をだしあって買ったり、先生がもって来たりする。本は千さつ近くあれば理想的である。その内容としては、詩・伝記・歴史・短編小説・美術・スポーツ・旅行・科学物語・戯曲など。新聞・雑誌もそなえる。
(三) 学校図書館。
各学校に学校図書館があるのが理想である。市町村の基金や、篤志家の寄附や、父兄からの寄附で建てる。書物を自由に選び、自由に読む。生徒自身の手で管理する。辞書や参考書もそなえつけておく。
学級文庫、学校図書館にそなえつけるべき書物について、文学教育の立場から詳細な目録をかかげ、各学年の読書指導に資すべきであるが、現下の図書事情ではそれはなかなか困難である。