国語の指導における読みかた学習指導にあたっては、教師は次のような読みかたの目標を十分考慮しなければならない。
(二) 発声・発音などにも注意して、言語意識をはっきりさせる。
(三) 読書に対する興味をもたせる。
(四) 読書によって経験を広め、現代の文化を理解させる。
(五) 文章の組みたてを理会し、その内容と意味を正しく理解できる能力をつける。
(六) 文章の内容を正しく読みとり、その要点を書いたり、まちがいなく話したりできるようにする。
(七) 文字や語いは、現在の社会生活にさしつかえない程度に習得させる。
(八) 文章の読みになれさせ、自分で一さつの本をおしまいまで読みとおす力をつける。
(九) 文章の表現や内容について考えたり、味わったりする態度と能力をつける。
(十) 読書によっていろいろな人生経験を与え、感情を豊かにし求知心を満足させる。
(十一) ことばについて反省させ、自覚させて、しだいに語法の理解を与える。
(十二) 音読あるいは默読によって、読む習慣や、その能力および態度をしだいに完全なものにする。
(十三) 読書した文章中、おもしろい部分を選んで、それについての感想を述べていく。
(十四) 情感をふかめ、思索を密にし、経験を豊かにし、個性を発展させていくことは、国語の指導の重要な目標である。
二 読みかたの指導にはいるまえの準備活動
読書の学習指導を効果的に発展するためには、読書に対する児童の心がまえができていなければならない。たとえば、読みの学習指導に先だってこれに役だつ経験を広くし、感情を豊かにするとか、適切な環境を与えて、この心がまえをつくるなどが必要である。そのためには、次のようなはたらきが望ましい。
2 児童がことばをつかうのは、主として会話のばあいである。父母・兄弟によって適当に導かれる会話、友だちとの自由な会話の機会が与えられるようにする。
3 いろいろな遊びのうちに、ことばが豊かに習得されるような指導が行われなければならない。
4 事物を擬人化して話しかけたり、想像によって相手を新しく選んだりして、ことばを豊かにつかう機会をつくる。
5 経験を話すことによって、ことばがまとまった形で確実にすすんでいく。したがって、学校は児童に話す機会を十分に与えなければならない。
2 ことばは文字によって文に書かれること、文はことばと同じはたらきをするものであることを知らせる。
3 絵本や物語によって、他人と話をする機会を与えたり、読むことに興味をもつような環境をつくったりする。このようにして、ことばや文字・文章に対する興味を高めていく。
2 多くの経験を与えて、それについて自由に話しあう機会を多くする。
3 経験について判断し、それについて自由に話しあっていく。たとえば、「こうしたかった。」「こうすれば、もっとよかった。」「こんなことはこの次にはしないように。」など。
4 新しい経験についての選択は、児童の判断にしたがうようにする。たとえば、「こんどはこうしよう。」とか「ここはこのようにしたい。」などは、教師によって強制されずに児童にまかせておく。
2 児童に、カード・絵本・お話の本などを与えて、自由につかわせる。
3 カード・絵本・お話の本などを読んでいる子どもたちにまじって、文を読もうとする興味を起させる。
4 絵本やお話の本を見ながら話をして、読むことによって、話が楽しめることを知っていく。
2 児童の疑問に対しては、どんな小さなことでも、その相手になって読書によってその問題を解決するように導く。
3 児童の質問に答えるとき、絵画・絵本・雜誌・新聞などによるようにつとめる。
4 たびたび、おもしろい話や、珍しい話を読んで聞かせて、読書に対する好奇心と興味とを高めていく。
2 かんたんな子どもしばいや、興味のある対話をやらせて読む気持を起させる。
3 たのしい話を読んだり話したりして、読書は楽しくおもしろいものであることをわからせていく。
4 児童にいろいろなことをもっと知りたい、もっと聞きたいという気持を起させ、読書欲を高めていく。
2 粘土・木片・色紙・のり・はさみ・小刀などを与えておく。
3 子ども用の庭道具を用意して、土いじり・種まき・移植・花壇つくりなどをさせる。
4 適当な絵本・お話の本などを用意してつかわせる。
5 適当な模型・機械・絵本などを用意して観察させたり、実験させたりする。
6 適当な楽器を備えておく。
7 室内の装飾、物の配置、採光、空気の流通など十分に考えた児童の室を用意することが望ましい。
三 進歩をさまたげることがら
児童の発達に必要な条件は、内部的には、身体の生長に伴なって、生得的性質がさまたげられずに生長することであり、外部的には、自然環境と精神環境が完全に調和することである。
これらの条件が満たされた環境にある児童は、将来いちじるしく発展する読みかたに対する準備ができたしるしを現わしはじめる。しかし、これらの内的または外的条件は、多くのばあい調和せず、児童の発達をさまたげる要素となるものである。
読書には十分な視力が必要である。読書の心がまえがおそい児童は、視力の不十分に原因することが多い。このほか斜視・眼病等にも注意しなければならない。
2 聴覚欠陥。
国語学習においては、話しことばを広く用いることが重要なしごとであるから、話されたことばを聞くことはたいせつなしごとである。児童が読書能力を発展させることがおそいばあいには、聴覚欠陥を調査し適当な処置を講じなければならない。
3 劣悪な身体状況。
榮養失調・睡眠不足・過労、目・歯・へんとうせんその他の病気。
読書は知的活動であるから、身体の発達とともに、精神年齢の発達が、児童の読書をはじめる準備を決定するうえに重要な役目をもっている。少なくとも精神年齢は六歳半に達して、ようやく読書をはじめる用意ができたとみてよい。精神年齢が不十分であるということは、あらゆる外界のしげきに対して、反応を示さないことになる。
2 記憶範囲の短小であること。
習得した知識は記憶によって保存せられ、各教科学習の大部分が記憶作用によって行われることはいうまでもない。文をあんしょうすることのできない児童は、つまり記憶範囲が短小である。文を記憶する能力は読書にとって欠くべからざるもので、多くの児童はその能力をもっており、また発展させることのできるものである。この能力に欠ける原因は主として、
(2) 興味の欠乏。
の二つが考えられる。この欠陥を除去し、その能力を発展させるようにくふうしなければならない。
ものをその要素に分析し、分析したものを総合する能力にかけると、正しい事物のはあくも、新しい構成も不可能である。分析はやや高度の知的活動であるが、低学年においては、特にものを総合する力にかけると、判断したり認識したりすることができない。国語学習において、まとめて話したり、聞いた要点をまとめて考えるためには、この能力が必要である。
(2) こうがいをとらえる能力。
(3) 要約の能力。
(4) 再現の能力。
国語学習においてよく話すためには、連想作用および連想的記憶がかけてはならない。
5 理解力の貧困。
語いが貧困である。
経験や素地が不十分である。
6 興味動機の欠乏。
習慣的な失敗。
材料がむずかしい。
読む機会がない。
(2) 遺伝的にわるい素質をもっている。
(3) 幼児期の教育が適当でない。
3 社会全般が教育に無関心である。
読みの指導が適切でない。
教具が十分設備されていない。
教材の印刷された文字の不鮮明。
文字の太さが適当でない。
教材の程度が児童にあわない。
四 読みかたの学習指導
児童の読みがはじめられるためには、まず児童に、「読みに対する準備」ができていなければならない。それができなければ、読むことをはじめることはむりである。
このばあい、どうして読みの準備ができるか、またできているか、それはどうしてわかるかという、もっとも実際的なものは、観察であるが、普通に次のようなばあい、学習としての読みを行うことができる。
2 話したり聞いたりすることに児童が興味をもちはじめる。
3 教室で用いる絵に対して興味を感ずるようになる。このための話しや絵には、愛がん物・家庭生活・両親・動物・自然に関するものなど、児童の経験に密接に関係しているものがはいっていなければならない。
4 次のような能力が見えはじめたとき。
(2) 児童が興味をもっている事物を語っている絵本を選ぶ力。
(3) ある話の中の特定の絵をさがしあてたり、一連の絵をたどっていく力。
(4) 動物や汽車などの発する音響を模倣する力。
(5) いろいろな色を区別する力。
(6) 絵の類似しているところや、違いなどを認識する力。
(7) 教室での行動や、かんたんな遊戯を行うのに必要な口頭のさしずを聞きわける力。
読みの心がまえに対する以上のようなしるしが現われるようになれば、読みの最初のしごとがはじめられていい。
この時期における指導のねらいは、次のような諸能力を発展させることにある。
2 ことばの意味をとらえる力。
3 読むということは、何か知りたいと思うものを知るためであるということ。
4 考える力をねる。
5 感覚や感情をねり、かつ広げる。
6 経験を整理し秩序づけていく。
7 目で行を追う力。
8 ある行の終りから次の行のはじめへの正確な視線のすすめかた。
9 たとえば、書物の正しい持ちかた、ページのくりかた、ページのさがしかたなどの書物のつかいかた。
10 声をだして読む力。
11 正しいことばの訓練。
12 創造的なはたらきをのばす。
13 話したり書いたりする表現力をのばす。
14 読みのおもしろさを感じさせる。
15 読みの材料の中に現われる諸記号を理解させる。
この時期の読みは、しだいに読むということの意味をわからせ、そのしごとになれさせ、読みに対する興味と態度とをやしない、やがて自由に読みとる境地に導いていく。同時に、文字を習得させ、日常生活の中からことばを整理し語いを拡大していく。
そのためには、次のような指導が考えられる。
(2) 読みのまえに話があり、話のあとに読みがあるというのがこの時期の読みかたである。
(3) 題目について考えたり、感じたりまた、その結果について話したがるように興味を感じさせなければならない。
(4) 読みへ導くためにさし絵が活用されなければならない。進んだ学年では、さし絵は付随的なものでよいが、最初の時期は、さし絵は、読みのはたらきを深めるための大きな役割をもっている。
(5) 日常経験の世界から心にふれるいろいろなことがらをとりだして、それをそのまま文字で表わしたものが文である。読むことは、その文字面と経験の世界とを結びつけて心にうつる情景をとらえていくはたらきであることをわからせていく。
(6) こうした理解に到達させるためには、教師がかなり賢明な補導を加えなければならない。しかし、これはあくまで導きとしての助言であって、児童の活動を一定の方向に固定させたり、拘束したりするようなものであってはならない。
(7) 児童の経験は読みかたの基礎である。したがって、読みを通してたえず経験をふりかえらせ、経験の中から読みを指導していくように心がけなければならない。
(8) 読みにおいては、想像や連想のはたらきがたいせつである。ことに、短い文章から具体的な世界をとらえるためには、これらの心のはたらきが行われるように心がける。
(9) 児童の感受力や思考力はことばを通して発展する。したがって、低学年では、読みを通してこれらの力の成長を見守っていかなければならない。
(10) 読みの材料は童話・童詩・感想・記録・子どもしばいの類であるが、いずれもそぼくなごく身近な材料によって、しだいに多面的な表現と生活とを会得させるようにする。
(11) 低学年における読みの学習においては、とくに動作・身ぶりなどが重んぜられなければならない。動作・身ぶりは読みとったものを表現していく手段であるとともに、読みをふかめていく作業でもある。
(12) この時代の読みは、文字やことばの発音や語調などに注意し、できるだけ音声化し、音声言語として習得させる。
(13) 読みの手がかりである文字を十分覚えさせる。
(14) 正しく目を動かす習慣、たとえば、ある行の終りから次の行のはじめに正確に視線をうつしていくこと、書物の正しい持ちかた、ページのくりかた、本を読む姿勢なども読む技術の一部として指導する。
この時期では、前期において指導された読書の諸能力や態度のうえに立って、さらに読みのはたらきをふかめていく。
(2) 読書によって考え、感じ、味わうような習慣をやしなう。それによって、たえず自分の求めているところを満たし、さらに欲求を高めていく。
(3) 自分の力によって文の意味をとらえ、文の意味が具体的にかたちづけられている文の組みたてなども、しだいに読みとるようにする。
(4) 読みに対する準備がしだいにたしかにされていくように導く。
(5) ことばに対する感覚をふかめていく。ことばは感覚や、感情や、思考を表わしているのであって、ことばによって児童は考えたり、感じたりする新しい力を習得していく。
(6) ことばそのものに対する関心と興味をふかめていく。
(7) 読みの材料は多面的であるが、これを分類すれば、童話・童詩・感想・記録・子どもしばいの類に関するものになる。これらについて、しだいに読書の理解をふかめていく。
(8) 人間生活の面が読書の材料としてとりあげられなければならない。
(9) 読書の材料を通して個性をふかめるとともに人と人とのつながり、すなわち社会連帯の精神をふかめていく。
(10) 読みにおいて、動作や身ぶりは多く用いられることが望ましい。たとえば、劇をするばあいなど、身ぶりは実際に表現される。童話や詩・物語などを脚色して演出させることも、身体的表現が必要になり、さらに、理解をふかめることになる。
(11) ことばの音声的表現については、的確な指導をつづける。
(12) 国語教材を中心とする発展的なとり扱い、たとえば、教材の感想をいわせたり、書かせたり、物語などの脚色・演出、その他創作については、なるべく児童の独創力によること。
(13) 教材を中心とする会話をさかんにすることによって、ことばについての興味と、ことばをつかう能力とをそだてる。
(14) 日常の問題について、意見をたたかわせたり、話しあいをしたりするような形の指導も用いられなければならない。
(15) なるべくはやく、正確に、意味をとらえ、また要領をつかむような力をやしなう。
五 「文字板」について
初期の学年において、文字という記号の意味を教えるために、知覚的な準備をしたり、文字を覚えさせるために、いろいろな方法が用いられたりする。
たとえば、児童の机や、持物や、教室の各部分に名札をつけて、おのずから多くの文字に親しませていくようなことをする。
また、教室にかけた大きな絵の下に、いろいろ文字を書きつけた札をならべておいて利用させることなども考えられよう。
また、毎日のできごとを、告知板に書くこともおもしろい。
あるいはまた、児童の選んだ題目で編集した学級新聞も、興味をそそるものとなろう。
ところが、この「文字板」は、これらの方法にもまさって、児童たちの文字学習には有効なものである。
「文字板」は、入学当初からこれをつくり、二年、三年と続けて用いることができる。
「文字板」というのは、児童たちのしたことや考えたことを教師が文字として書きつけたものである。
一年生の読みかた学習は、ただたんに文字を読むことを目的とするだけではなく、児童の心身発達を全体的にのばしていかなくてはならない。すなわち、児童の有するすべての能力を継続的に健全にのばすために、いろいろな物を見たり、いろいろなことを行わせていったりすることがたいせつなのである。
知覚の技能をのばすためには、よくものを見たり、聞いたり、手でとり扱ってみたりしていかなくてはならないし、操作の技能を発達させるためには、これまた、さまざまなものを操作させてみなければならない。
また、楽しみを髙めていくために、多くの楽しいことを経験させてみることが必要である。
これらののばさるべき能力は、実際に用いられたり、練習させたりしていかなくてはならない。こうして、経験は、児童の個人的能力をしだいにふかめていくことになるのである。
児童自身の経験が、教師の手によって、「文字板」に書きとめられることは、多くの児童にとって、じつにおもしろいことである。できあがった「文字板」を、得意になってながめることもあろうし、それについて、おたがいに話しあいをすることもできよう。
時には、教師が「文字板」を作ることを指導することもいい。
児童は喜んで、自分たちの考えを、書きつける力を習得していくにちがいない。
「文字板」の教育價値は、さらに大きい。児童ひとりひとりの文字習得のほかに、児童の集団活動にも利用されるからである。いわば、「文字板」を作ることは、ただちに集団活動をいとなませることになり、いっしょにどこかへ行ったり、何かをやったりして、そのことについてみんなで話しあう機会をつくることになる。その時に、めいめいが自分かってに話をはじめては、混乱してしまうばかりで、せっかくの話もおたがいにわからなくなる。このようなばあいに、「文字板」を作らせてみると、筋をたててよく話をすることができるようになるだろう。
さらに「文字板」は、作文学習のよい手がかりともなる。たとえば、
太郎はけさ学校へ何か持って來ました。
それは木のはこに入れてありました。
みんなそれを見ようとして、太郎のまわりに集まってきました。
それは小さな白いうさぎでした。
などと書かれた「文字板」を手がかりとして、いろいろな話がはじまり、文章も書きつづけられることになろう。
教師は、児童の話しあいが進むにしたがって、これを「文字板」に書きこみ、書きながら文章をくりかえして読んでいく。この時、文章はできるだけ短くしたほうがいい。というのは、低学年では、読むことは、記憶することであるからである。
こうして、「文字板」の使用によって、話すことと、つづることとが、表現の二つの方法であることに、だんだん気づいていくであろう。
「文字板」を作りながら、児童はそこに何を書いてあるかがわかり、それをくり返しくり返ししておぼえていくことを、よく教師として知っておかなくてはならない。したがって、もっとも自然なことばを用い、文字のくり返しに注意して、できるだけ平易にして短い文で書くことがたいせつである。
一ど作られた「文字板」は、いろいろに活用することができる。
ただ文字を読むことばかりでなく、一つの文章や、句や、文字を児童に見つけさせることもできる。その他、くふうしてみるとおもしろい。
このばあい、「文字板」使用のために、児童に苦労を与えないように心がけ、どこまでも楽しくおもしろく用いるように考えなくてはならない。
「文字板」の文字は、太い文字ではっきりと書き、字間や行間などもゆっくりとして、読みやすいようにする。時には、装飾をほどこして気持のいいものにしあげることも大事である。