学習指導要領一般編第四章の「学習指導法一般」に掲げてあるいろいろな問題は,農業の指導を考えるに当たっても,極めてたいせつな事がらである。しかし,中学校の農業において,第一章のような目標に向かつて,生徒が自発的に能率的に学ぶように指導するには,なお次のような点を考える必要がある。
1.農業の学習指導を考える上の諸問題
中学校における農業は,農業に従事するものにとってはよい農業教育であり,他の方面に向かう者にとってもよい一般教育であり,しかも,これから職業を選ぶものにとってはよい職業体験の課程でなければならない。しかし,それは結果からみてのことであって,これを学ぶ一人一人の生徒についてみれば,そのいずれにあたるかまだはっきりしないし,またそのいずれであるにしても,学習する事がらに必要や興味を感じて積極的に学ぶのでなくては,ほんとうの学習はできない。しかるに,
職業科は具体的な職業に関係の深いいくつかの科目の中から選んで学習するものであること。
(2) 農業の学習意欲は,行動的な学習と知的な活動による学習とが一体として行われるときに盛んになる。
農業の学習には,実習のような行動的なものと,筋道を探求したり,理解したり,それを応用してよい方法を考えたり,よいものを作るくふうをしたりするような知的活動によるものとがある。そうして,前者は特殊化され,郷土化された具体的・各論的な方法を体験を通して学ぶものであり,後者は,一般的・基礎的な抽象された知識が対象となるのである。生徒は郷土における現在の農業を理解し,実行すると同時に,他の地方における農業や,将来の進歩した農業をも理解し,実行し,あるいは自らくふう創造していく力を身につけなければならないのであるから,この両方面の学習が必要である。そうして,長い間この両方は切り離して指導されていたようであるが,それでは,生徒の自発的な活動を促すことは困難であった。小学校の児童ならばともかく,もう中学校の生徒ぐらいになると,論理的・抽象的な物の考え方も発達してきているから,実習だといって,命ぜられるままに行ったり,あるいは郷土の人の行うままを,まねしたりするようなことには興味がうすい。一方また,一般的な知識だけを並べてこれをおぼえようとしても,おもしろみはわいてこないであろう。そこで,一般的な知識を実習・実験・調査というような実際の仕事の中に織りこんで,その仕事の必要なことを理解する上に役立たせたり,その仕事をじょうずに行う基礎知識としたり,その仕事の間におのずから興味をもって発見するように仕組んだり,その仕事からの発展として学ぶように仕向けたりするならば,行動的な学習に対しても,知的な活動による学習に対しても,生徒の学習意欲は著しく高まるであろう。
(3) 郷土の農法をもととし,かつ,これを改良しようという意欲をもって学ぶときに学習意欲は盛んになる。
農業は自然的な環境の影響を受けることが極めて大きいものであるから,土地を離れて具体的な農業を考えることはできない。したがって,農業の学習は常にその土地の現在の農業を出発点とすべきである。
そうして,郷土の農業は失敗に失敗を重ねながら,長い間かかって築き上げたもので,一つの農法にも,それ相当な理由があり,その土地にしっくりした合理的なものである場合が多い。しかし,中には新しい時代の要求にかなっていないものや,新しい科学の立場からみると不合理な部分も相当に含まれている。そうして,それが一つ一つ改良されて,農業は次第に進歩していくのである。
そこで生徒は,いたずらに郷土の農業をまねるのではなく,前の項で述べたように,その中にひそむ理法を発見したり,また新しい時代の要求や,新しい科学的知識も学んだりして,郷土の農業の改良をめざして,実習・実験・調査するようになれば,ほんとうの生きた学習ができるであろう。このような学習によって生徒は,わが家,わが村,わが地方の農業について,自分は将来どんなことをしたらよいかということもわかってくるであろう。また,自分は将来この土地で農業を営むべきかどうかということを考える基礎もできるし,実際について真剣にくふうするという態度もできるようになるであろう。
そうして,村に残るものにとっては,この学習は在学中に終るべきものではなく,むしろ,一生を通じて行わなければならないもので,学校にある間に,その基礎を固め,将来への力強い出発ができるようになればよいのである。
このような学習の指導を行うには,中学校の生徒の通学区域が比較的狭く,経験や知識がほぼ似かよっていることは好都合であろう。
(4) 作物や家畜に対する愛育の念をもって学ぶこと。
農業はおもに作物・家畜という生き物を相手の仕事である。作物・家畜をまちがいなく,すくすくと伸ばしたい,りっぱにみのらせたいという愛育の心がなくては,農業の学習はできない。この心があってこそ,作物・家畜に対する鋭い観察や,まちがいのない判断が行われ,適切なくふうも生まれてくるのである。また,骨借しみをせず,進んで根気よく働く態度もおのずから養われ,読んだこと聞いたことがほんとうに生きた知識として身につくのである。
しかるに,従来はとかく教師自身が作物を栽培し,家畜を飼育し,生徒はその手伝いのために労力を提供させられているきらいがあった。教師が熱心であって,率先して愛育の範を示すことは極めてたいせつなことであるが,そのために,生徒の愛育の念を枯らさないようにしなけれはならない。農場の運営に当たっては特にこの点に注意し,学級,数人の組,あるいは個人の担当も考える必要があろう。
(5) 農業では単元の順序どおりに実際の学習を進めることはできない。
農業の単元として取り上げられるものの中には,「稲作」・「麦作」のように仕事を中心とした経験単元的なもの,「私たちは何を学ぶか」・「豊作と凶作」のように,説明あるいは問題を生とした問題単元的なものがあるが,前者にも後者の要素が,後者にも前者の要素が織りこまれていて,中には仕事と説明や問題とが,あい半ばするぐらいのものも少なくない。そうして,仕事に関係したものは,季節や天候にしばられるものが多く,時には一日を争って学習しなければならないものもあるが,説明だけの部分は,その点融通のきくものが多い。したがって,いわゆる晴耕雨読の学習が行われるのである。
また,仕事に関係する単元は,半年・一年もの長い間,季節にしたがって作物を栽培し,家畜を飼育するというようなものがあるから,一つの単元がすまないうちに次の単元に進むのが普通である。そこで,単元の順序とは別に,各学校・各学級で,もっとこまかい学習の順序を考えておく必要がある。
(6) 学習の進行について
農業科の学習の進行も,他の諸教科と同じように,それぞれの単元について端緒・組織・終末の三段階を考えることができるが,甲単元が乙単元の端緒の段階の役割をつとめ,丙単元が乙単元の終末の段階の働きをすることがある。また逆に,一つの単元の中にも,大小さまざまの小単元が考えられ,それぞれの小単元ごとに三つの段階が考えられる場合もあるから,一つの単元について,はじめの何時間かが端緒の段階であって,最後に終末の段階があるというような学習の行われる場合は極めてまれである。
(7) むだのない能率的な学習の指導体系が必要であること。
生徒の自発的活動を重視するといっても,指導になんの計画もなく放任しておくということではない。いたずらに,生徒のなすがままに放任しておいたのでは,今まで幾千年もかかって築き上げられた今日の水準に達するだけでも,幾十年,幾百年を要するであろう。生徒は,これを短期間に身につけ,更にこれを乗り越えて伸びていく力を持たなければならないのであるから,十分な注意をもって能率的な指導体系を立てなければならない。ところが,前の各項で述べた行き方は,実際の仕事をする間に,この科の目標としている知識・技能・態度が身につくようにしようとするのであるから,生徒の活動や経験・知識や考え方に注意して重点的な計画を立てないと,とかく,ごたごたした,とりとめもない学習に終るおそれがある。したがって,作物なども,全部を取り上げるというようなむだをさけ,次のような点を標準として選ぶ。
(ロ) 日常生活上重要なもの
(ハ) 目標とする技能や理解・態度の学習に都合のよいもの
(ニ) いろいろな仕事を体験することができるようなもの
次に,だいたいの原則として,各論的な仕事の中に一般論的な知識技能を織りこむようになるのであるが,問題によっては,仕事から切り離して学んだ方が都合のよい場合もある。また,各論的な仕事の中に,一般論的な事がらを織りこむには,どんな形で織りこんだらよいかというようなこともあるので,能率的な指導体系を組み立てるには,あらまし次のようなことを考える必要がある。
たとえば,
○くわの使い方は,地ごしらえや,中打ちの中で学んだらよいか,単独にあき地を使って習ったらよいか。
たとえば,
○作物の開花・結実が日の長さに関係することは,長期の観察で学ぶか,実験してみるか,経験・知識をもとにして討議してはっきりさせるか。
○稲の適当な品種が土地によって違うことは,実際に作ってみて理解するか,各地の奨励品種が違っていることから地理的に学ぶか,稲作が品種改良によって北の方まで行きわたった歴史から学ぶか。
たとえば,
○果樹のせん定のところで枝の伸び方を教え,その後で枝の伸び方,花の附き方を証明的に観察・実験するようにしたらよいか,それともあらかじめ,枝の伸び方,花の附き方を一年にわたって観察・実験によって発見的に学んだ後で,せん定を学ぶべきか。
(8) 農業の学習は地方により,学校によって違う。
職業科の性質からくる地方差・学校差のことについては第三章で述べたが,農業の学習に当たっては,更に農業そのものの性質にもとづく地方差・学校差の問題がある。
従来,一つ一つの作物の栽培について,郷土化された奨励品種とか,うね幅・株間のことまで教えようとしていたから,農業の教科書は他の教科書と違って,各地方ごとに作られたくらいである。しかし,このようなことまで教科書で教えようとしたら,極端にいえば,すべての村々に一種類ずつの教科書が必要なわけである。ところが,このようなことは,各地でそこの実情を調べたり,栽培一覧表のようなものを利用したりすることにして,教科書ではほぼ全国共通な事がらを取り上げることになったから,教科書では,この問題は一応解決したわけである。
ところが,全国共通なものとして取り上げたものでも,その重要さは地方によって違い,時には全く行われていない場合さえあるから,その学習は地方によって違う。たとえば,稲作地帯では稲は最も重要なものであるから,第七学年だけでなく,第八学年も第九学年も,自由研究のようなかたちでくり返して作られるであろう。また畑作地帯では,水稲を作ることができないから,おかぼを作るとか,水稲をはち植えにする程度で,説明の部分を主として学び,その地方にはなぜ水田がないかとか,水田がないために農業はどんな特色をもっているか,農業経済はどうかというようなことが研究されるようになるであろう。
また反対に,教科書には取り上げてないが,その地方では特にたいせつなものがある。たとえば,たまなは教科書にはないが,その特産地では見のがしにするわけにはいかない。そこで,実際の栽培と同時に,栽培のこつ,特産地となったわけなどの科学的・経済的・歴史的・地理的な研究が行われるようになるであろう。
(9) 学習の活動は生徒によって違う。
生徒の能力はまちまちであって,そのすぐれたものを標準とすれば,能力の劣ったものはついてゆけなくなるし,劣ったものを標準とすれば,すぐれたものはとかく興味を失うおそれがある。したがって,いろいろな問題を取り上げ,ことに余力のある生徒に対する問題も用意して,その中から適当したものを単独あるいは共同で選んで学び,その結果を互に報告したり話し合ったり,絵・図・表にしてはり出したりして,みんながそれを踏み台にして次へ進むようにするとよいであろう。
また,生徒の感じる必要や興味も違うが,農業の活動,ことに実際の仕事はいろいろなものがあって,中には,全部がそろって行うことのできないこともあるから,あるものは大工仕事のときに,あるものは庭木の手入れのときに,先だちとなって活動することになるであろう。このようなことが,将来の職業と考える上にもまた大いに役立つのである。
(10) 施設について
中学の農業は,農業の教育と同時にいろいろな仕事を体験するのを目的としているから,その施設も耕作・養畜・加工に関するものだけでは満足できない。木工・金工から土工・コンクリート工にいたるまで,いろいろな設備が必要である。
また,農業の運営は地方により,学校によってまちまちであるから,その施設の規模についても一概にいうことはできない。たとえば,農場の面積についてみても,ある学校では,生徒一人当たり数十平方メートルから百平方メートルを必要とするであろうし,また,ある学校では,生徒一人当たり数平方メートルでも足りるであろう。しかし,各学校がどれくらいの施設をすべきであるかということは,極めてたいせつな問題であって,今後,農村ではこれくらいは必要であるとか,都市ではこれくらいいるというような標準が研究されなければならない。
(11) 準備や指導の計画について
農業は生き物や天候を相手の仕事であるから,季節や日時が非常に大きな関係を持つし,種物・肥料・薬剤の手配にもそれぞれの時期がある。しかも,農業担任の教師は極めて忙しいのが常であるから,よほど注意しないと種まきの時期を失ったり,虫や病気が出たときに薬剤が間に合わなかったりすることが少なくない。したがって,あらかじめ一年間の準備や指導の計画を立てておく必要がある。
たとえば,各作物・家畜やその他の仕事を縦にとり,各月を横にとって,これに種まき・植え付けとか,繁殖・毛刈りなどの仕事の時期や,種物・肥料・薬剤の注文の時期,予算提出の時期のような準備の時期も書き入れ,更に,生徒の学習上必要な観察や処理の要点,他教科との関係などもつけ加え,色分けなどもくふうして図を作り,これを各学級の教室に掲げておけば,教師のために都合がよいばかりでなく,生徒はこれを見て学習のだいたいをのみこみ,教師がうっかりしていても,生徒の方から自発的な活動が起って,自ら学習を進めるとか,教師に相談するとかいうようになるであろう。
(12) 他教科との関係
農業に限らず,職業科はみな,他の各教科の総合のような性質をもっている。農業などについて考えてみても,ほとんど全部の教科に関連している。中でも,農業科の最も関係の深いのは理科と社会科であって,すでに小学校において,理科の中では農業のほとんどすべての仕事を体験しているのであるから,中学校の農業科はこの基礎の上にくり拡げられ,第七学年ごろは最も理科的に学習し,次第に社会科的な学習が増してくるのである。
これらの学習の間には,相当に重複した点も見られるのであろうが,それは何科の学習であると区別する必要はないのであって,要するにそれぞれの目標をみたす学習がどこかで行われればよいであろう。
また,時間についても,農耕的な学習は夏に忙しく,冬にひまなのであるから,常に毎週何時間というようなことをきめないで,できるだけ学習の忙しい時には多く,ひまな時には少なくするようなくふうがたいせつである。
(ロ) その土地の農法・農具・作物・家畜などの発達の歴史を調べる。(古老に聞く。古くから残っている物を見る。資料を探す。)
(ハ) 農業の環境や実情をその土地と他の村,他の郡,他の県,外国と比べる。(見学・資料交換・読書)
(ニ) その土地の農業がどんなふうに改良されようとしているか調べる。(農事試験場・農業高等学校・熱心な人,指導農場と連絡する。)
(ホ) 農業に対する新しい時代の要求を研究する。(聞く。読む。考える。話し合う。)
(へ) 農業の基礎理論を研究する。(単行本・講習会・実験)
(ト) 新しい農業技術を研究する。(新聞・雑誌・ラジオ・講習会・映画・試験場・指導農場・先進地の見学)
(チ) 農業及びこれに関係あるいろいろな技術に習熟する。
(リ) 設備・材料・教具を整える。
(ヌ) 具体的な指導の計画を立てる。
生徒の家庭の職業その他の事情で,経験や知識はまちまちであろうから,学習を指導するに先だって,予備調査をして,その結果にもとづいて指導を進めなければならない場合がある。この予備調査は,また生徒にとっても,自分の経験・知識が他の者よりも多いか少ないかを知って,自信をもったり,発奮したりするきっかけとなる場合もあろうし,経験・知識の少ないものが,ここで新しく学んで,一般のものに近づき,皆ほぼ同一水準に立って出発できるようになる場合もあろう。
(ロ) 学習の目的や仕事に対して,生徒が自発的活動を起すように仕向ける。
この方法としては,およそ三つの方面が考えられる。
まず第一は,作物・家畜をりっぱに育て上げる,みごとな工作物を作る,すばらしい調査を完成する,栽培法の急所をつかむ,仕事に熟練するというような事がらの成功に対する希望をもつように仕向ける面である。たとえば,去年だれさんの作ったはくさいはみごとなもので,農家の人がびっくりしていたとか,この土地は,はくさいの適地であるから,この点とこの点に注意しさえすれば,農家よりももっとよい物を作ることができるなどと教えるとかするようなことであって,物事に対する理解がこの希望を強くするもとになる場合がある。
第二は,生徒が学習に対して必要を感じるように仕向ける面であって,生徒が必要を感じた所で学ぶような指導体系を組み立てることと表裏の関係にある。
第三は,自ら発見あるいはくふうすべき点がどこにあるかを生徒にはっきりとつかませ,その解決に対して興味を起すように仕向ける面である。それには,生徒のすでにもっている経験や知識をその目的に向かって整理させ,更に必要な知識は理解的に,あるいは記憶的に補い,生徒が自力で解決できるところまで問題をかみ砕いてやらなければならない。たとえば,はくさいの間引きについて,大きな玉のはくさいがたくさんできるようにくふうして間引きをしようと思ったところで,生徒にはどこをどうくふうしなければならないのかわからないから,この学習に対する興味はわいてこないであろう。そこで,苗がこみ合っていると育ちはどうなるか,まばらになりすぎるとどうなるか,あき間が不規則になるとどうかというような問題を一応整理し,更に,その土地の間引きの仕方や,熱心な人のいうことを調べさせたり,はくさいの苗は,本葉の形や色で玉になりぐあいを判断することができること,早く玉になるのは小さい玉にしかならないが,遅く玉になるのは大きな玉になる。その代わり,玉になるのが遅すぎると,完全に玉にならないうちに寒くなってしまうことなどを話して聞かせたり,更にこのことを実物について教えたりして間引きに移らせる。そうすると,生徒はどれを間引こうか,どれを残そうかとくふうする手がかりを得て,興味をもって間引きをするであろう。また,この程度の苗はどんな玉になるだろうかという疑問も生まれてくるであろうから,いろいろな程度の苗を選んで,その後の育ち方,玉になりぐあいなどを調べるように仕向けるのである。
(ハ) 生徒の学習が正しく,しかも能率的に行われるように援助する。
生徒の学習が,この科の目標に向かって,正しく行われているか,むだをしてはいないかに注意していて,必要に応じて助言したり,資料を提供したり,解説したり,模範を示したりするのである。即ち,くふうすべきだいじな点に気づかないで安易な考え方をしていたり,手入れのだいじな時期に,そのことに気づかないで放任していたりするような時に,それがくふうすべき点であること,だいじな手入れの時期であることに気づくように仕向けてやったり,生徒の手にあまるような問題の解決の相談にのってやったり,生徒の求めている知識を与えたりするのである。
そうして,この教師の援助は,生徒が感じている必要や興味の範囲内で行われ,生徒の必要や興味や,成功に対する希望というようなものにもとづく学習意欲が,ますます盛んになるように行われなければならない。生徒が必要も興味も感じていないことを,ただ教師が一方的に注入するようなことがあれば,かえって,生徒の学習意欲を枯らし,学習をいとうような結果になるであろう。
また,教師の援助は,生徒の満足のいくように行われなければならない。たとえば,下肥のやり方について,小学校の児童だったら,「うすめてやりなさい。」という程度で満足するであろうが,中学校の生徒になると,濃いものを与えると作物がいたむこと,濃いものをやるとどんなに作物がいたむか,作物がいたむのはなぜかというように,次第につっこんだことを理解することによって,はじめてなるほどとなっとくし,そのことが身についた知識となるであろう。
理解の仕方や技術の体得の仕方は,生徒によって相当に違うから,生徒の様子に注意していて,むしろおくれがちな生徒の指導に力を入れる必要がある。たとえば,くわの使い方などでも,いつまでも上達しないものには手を取って教えてやるような場合もあろう。
(ニ) 学習した事がらの応用・発展を指導したり,練習の急所をつかませたりする。
たとえば,はくさいの間引きの応用としてだいこんの間引きを持ち出し,だいこんでは,その特徴が双葉のときに現われるといわれているというようなことを教えてやったり,はくさいの間引きの発展として菜・だいこんの類の品種とはどんなものであるか,菜・だいこんの種はどんなにして取るかというようなことを取り上げて,余力のある生徒の研究問題にしたり,参考書を知らせたりするのである。
また,農具の使い方などについては,はじめに教えておいたからといって,その後,全く放任してしまうようなことなく,上達するにつれていっそうくふうする点のあることに気づかせて,一歩一歩熟達するように指導することが望ましい。
教科書は,以上(ロ)(ハ)(ニ)のような目的を達するように仕組んであるが,これは地方の事情によっては,一人一人の生徒についても手心が加えられなければならないから,教師は,生徒がこれをどんなに受けとっているかに注意していて,わかりやすく問題をかみくだいてやったり,あるいはもっと興味ある問題,深入りした問題を提出したりすることが必要である。
(2) 仕事をするには
イ.その仕事の必要なわけを研究する。
ロ.その仕事の方法を研究する。
(ロ) その土地のしきたりや道具の発達史を調べる。
(ハ) 他の地方のしきたりを見たり,聞いたり,読んだりする。
(ニ) その土地の熱心な人のやり方を見たり,聞いたりする。
(ホ) 科学的な基礎を学びながら,よい方法を研究する。
(ヘ) はっきりわからないことは,聞く,読む,調べる,討議する,実験する。
(ト) 仕事をしながらくふうする点や,ためしてみる点をはっきりさせながら,仕事の計画を立てる。
(ロ) 仕事がじょうずに能率的に行えるようにくふうしながら仕事をする。
(ハ) どちらがよいか比べてみるような点をためしてみる。
(ロ) 仕事の経験を反省する。
(ハ) 仕事について討議する。
(ニ) 仕事について報告を書く。
(ロ) 仕事の改良についての論文を書く。
(ハ) 仕事の間に気づいたおもしろい問題を研究する。