学 習 指 導 要 領

 
算数科

数学科

(試 案)

 

昭和二十二年度

 

文  部  省

 

    目  次

 

はじめのことば

第一章  算数科・数学科指導の目的

第二章  算数科・数学科学習と子供の発達

第三章  指導内容の一覧表

第四章  算数科・数学科の指導法

第五章  指導結果の考査と活用

第六章  第一学年の算数科指導

第七章  第二学年の算数科指導

第八章  第三学年の算数科指導

第九章  第四学年の算数科指導

第十章  第五学年の算数科指導

第十一章 第六学年の算数科指導

第十二章 第七学年の数学科指導

第十三章 第八学年の数学科指導

第十四章 第九学年の数学科指導

 
 
学 習 指 導 要 領
算数科

数学科

 

(試案)

 

はじめのことば

 

 教育の場は子供の環境であり,教育のいとなみは,子供の生活を指導するものである。その子供の生活とは,環境に制約をうけながら,なお環境にはたらきかけて,子供が日々にのびて新しいものとして生きていく過程であるといえる。

 したがって,一方においては子供意識的に環境にはたらきかけていくように指導しなければならない。そしてそのようにさせることによって,子供の環境はだんだん空間的にひろがっていくと共に,内容的にも深まっていく。

 他方においては,このように変わっていく環境に応じて生活していくために,子供が環境を秩序だてていくように指導しなければならない。このようなことをするためには,必然的に子供が今までに体験したことがらや観察したことがらを整理し秩序だてて書き表わしていく必要にせまられる。

 数学教育において,現象を処理していく時に着眼するところは,数的であるか量的であるか,形的であるといえる。

 現象を処理していくことそれ自体は,広い意味において,人間社会に対してのはたらきかけであり,人間社会に対して関心をもっていることを示すものである。このように考えると,現象を処理することは,数学教育の社会的な目標であるといえる。また,現象を処理するためには,当然いろいろな計算や測定をしなければならない。これは数学教育の数学的な目標である。これはまた,社会人として必要欠くことのできないものであるから,社会的な目標であるともいえる。

 これに関係して二つのことが考えられなければならない。その一つは数の計算の仕方を式にまとめたり,測定する時の単位をきめたりすることである。これができなければ,どんなに立派な計算技能をもっていても,またいかに立派な測定技術をもっていても,それらは日常生活において役に立たない。従来,計算力の低下が叫ばれたけれども,その計算力とは,単なる抽象数について示された通りに確実に計算することだけを指してはいなかっただろうか。数・量・形に関する言葉を用いて,それを一つの組織だった形式にまとめること,例えば,加法でできるとか,減法でできるとか等を判断する能力をも指していたかどうか。うたがわしい。これは,わたくしたちとして十分に考えてみなければならないことである。他の一つはいうまでもなく示された通りに計算する能力である。この能力は前者に従属してはじめて意味のあることであって,この関係を無視しては意味のないことである。もしも前者と無関係に考えて指導されるならば社会人として必要なはたらきとはならないで,単に数をもてあそぶものとなってしまうであろう。要は,前者に述べたこと,すなわち,数・量・形に関する言葉を用いてまとめることが,何等の抵抗を感ずることもなく,すらすらとできるようになること,これが後者の目標である。

 なお,附け加えて置きたいことは,数学的な処理を通しての人間のはたらきである。処理の結果として得られた表現は元来客観的なものであることが要求される。しかし,表現されたものは,物自体ではなくて,物からあるものをぬき出して書き表された物であって,その物の一面的な考察の結果にすぎないことは,否定することができない。これを通り抜け,物の真実にせまっていくところに,人間らしさがあるここに数学教育の中に他の教科で目あてとしている人間的なはたらきの必要なわけがある。いいかえると,数学教育における人間性の問題がある。上記の主旨から算数を指導するためには,次のような具体的なすがたをとらねばならない。すなわち数における概数,量における概量,形における概形を考えていく面と,数・量・形についてその正確度を要求していく面と,この二つの方面がなければならない。

 上に述べたことは,次のようにも書き表すことができる。概略の予想をすることなしに,ことがらを処理することは,全体に対する見透しなしにすることになって,ややもすると,結果を盲信することになってくる。どこまでも批判的な態度を養わんとする化学教育においては,このようなことのあってはならないことは,いうまでもないことである。いわば,概数・概量・概形について正しい理解をもつことは,全体の見透しを失わないことや,大きな誤りを犯すまいとする人間的なはたらきにつながるものである。

 すべての事柄は,次のような立場からすれば,大まかなものであるともいえる。しかし,そう考えていただけでは,計算するにも,いろいろな処理をするにも,非常な困難を感ずる。われわれはどうしても抽象的な数・量・形を取り扱う必要にせまられてくる。ここに抽象的なものを取り扱うとなれば,どうしても正確度が要求されてくることになる。これが上に述べた後者にあたるものである。上に述べたことからも,また今述べたことからも,抽象的なものを取り扱うには,それは単なる抽象としてではなく,具体にうらずけされている抽象であることを忘れてはならない。いわば,具体に関する考察の一断面として,その抽象が取り上げられなくてはならないということである。いいかえれば,このような抽象は,あくまでも全体における個としての立場であり,全体にうらずけされていることを忘れてはならない。このような態度で抽象に対していくことこそ,社会において各人の個性や自由を主張するときの態度を作るのに役立つものである。

 以上のようなことを考えた上で行なわれる算数教育であって,はじめて数理的なはたらきをねるものであると同時に,具体的な事象の処理を通して人間性の内面にうったえて,生活を指導するものとなることができるのである。